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小話
泡沫の夏祭り
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(これは、夢……?)
視線は今よりもずっと低くて、持ち上げた腕の先、両手からは誰かの体温が伝わってくる。うかがうように顔を上げればまだ若さの残る面立ちの両親と目が合った。
(ああ、あのときの光景なんだ)
それはまだ、あかりが両親と夏祭りを楽しんでいた頃。
このときあかりは四歳になったばかりだったが、このときからすでに食べ物に目がなかった。左のりんご飴の屋台に引き寄せられたり、行き過ぎた右の焼きそばの屋台を勢いよく振り返ったりと忙しない。両親と両手をつないでいるので幸い行き交う人にぶつかることはないが、危なっかしいことに変わりはなかった。
「まったく誰に似たんだろうね」
父・天翔は困ったような慈しむような柔らかな笑顔をあかりに向けた。それに反応したのはあかりではなく、母・まつりの方だった。
「何が言いたいのよ」
燃えるような真っ赤な瞳が天翔を睨み据える。天翔は慌てて首を振った。
あかりだけはふたりのやりとりに目もくれず、気になった屋台に目を留めるとまつりの手を軽く引いた。
いつしか意識は幼いあかりのものにすり替わっていて、当時の言動をなぞるように、身体は勝手に動き、舌足らずな言葉が紡がれる。
「おかあさま、わたし、あれたべたい」
「いいわよ。せっかくのお祭りだもの。全種類の食べ物の屋台を制覇しましょう!」
「仕方ないなあ」
そう言いながらも天翔は柔和に笑っていて、まつりも子どものような無邪気な笑みを浮かべていた。見上げた両親の幸せそうな表情を、あかりは今でもはっきりと思い出せる。その思い出の景色と目の前の光景がぴったりと重なって、あかりは我に返る。
無意識あかりは両手に力をこめた。
どうか私の側からいなくならないでほしい。このあたたかくて幸せな時間が終わらないでほしい。
しかし、夢の中の時は無情にもさあっと流れてしまった。あかりが一度瞬くと、そこは屋台の並ぶ大路ではなく、南朱湖の畔だった。
ここでは毎年夏祭りの終わりに大きな花火が打ちあがる。それはこの祭りの終わりを、夢の終わりを意味していた。
天翔があかりを肩車してくれる。視界は一気に開け、湖の奥まで見渡せた。
「あかり。よおくご覧」
天翔が言い終わるのと、湖の上に浮かぶ舟から光が打ちあがるのは同時だった。
どおんと体の芯にまで響く轟音と目を焼くような一瞬の閃光。聴覚と視覚、心までもがあっという間に奪われる。
「わあ……!」
目を輝かせるあかりを見て、まつりがふっと微笑む。その瞳は慈愛に満ち溢れていた。顔は見えなくとも天翔も似たような気配を漂わせていることがあかりにも伝わってきた。
なんて幸せな時間。……終わらないで。
胸を躍らせる感情と終わりを惜しむ感情がない交ぜになる。知らず一粒の涙があかりの頬を転げ落ち、夢は弾けて消えた。
ゆっくりとまぶたを押し上げると、今やすっかり見慣れた玄舞家に用意されたあかりの部屋の天井だった。頬が湿っていたことから自身が夢を見て泣いていたのだと知る。
(お母様、お父様……)
こんな夢を見たのは明日が夏祭りだからか。
明日の祭りの見回りは結月と行うことになっている。それに対する不満はもちろんないが、寂しさが胸を占めたのも事実だった。
もしも両親がまだ生きていたら。
もしも戦いのない平和な日々を送れていたら。
今とは何かが違っただろうか。
珍しく感傷的になっているのは今しがた見た夢のせいだ。
あかりは起き上がることもせず、ただぼんやりと天井のどこかに目を向けていた。
どのくらいそうしていただろうか。気づけば静かだった内廊下に人の動く気配が感じられるようになり、中庭に面した障子からは朝の日がうっすらと差し込んでいた。
あかりは我に返ると朝の支度を始めることにしたが、寂しさは胸にしこりのように残っていた。そして無性に誰かに会いたくて仕方なくなる。真っ先に浮かんだのは幼なじみ三人の顔だった。
昨夜は結月と秋之介も玄舞家に泊まっていたから、上手くすればいますぐに会えるだろう。
そう思い立ったら、あかりののろい手つきはいつも通りの手早さを取り戻した。
(早く、会いたい)
準備を終えたあかりは朝日射す外廊下へと飛び出した。
視線は今よりもずっと低くて、持ち上げた腕の先、両手からは誰かの体温が伝わってくる。うかがうように顔を上げればまだ若さの残る面立ちの両親と目が合った。
(ああ、あのときの光景なんだ)
それはまだ、あかりが両親と夏祭りを楽しんでいた頃。
このときあかりは四歳になったばかりだったが、このときからすでに食べ物に目がなかった。左のりんご飴の屋台に引き寄せられたり、行き過ぎた右の焼きそばの屋台を勢いよく振り返ったりと忙しない。両親と両手をつないでいるので幸い行き交う人にぶつかることはないが、危なっかしいことに変わりはなかった。
「まったく誰に似たんだろうね」
父・天翔は困ったような慈しむような柔らかな笑顔をあかりに向けた。それに反応したのはあかりではなく、母・まつりの方だった。
「何が言いたいのよ」
燃えるような真っ赤な瞳が天翔を睨み据える。天翔は慌てて首を振った。
あかりだけはふたりのやりとりに目もくれず、気になった屋台に目を留めるとまつりの手を軽く引いた。
いつしか意識は幼いあかりのものにすり替わっていて、当時の言動をなぞるように、身体は勝手に動き、舌足らずな言葉が紡がれる。
「おかあさま、わたし、あれたべたい」
「いいわよ。せっかくのお祭りだもの。全種類の食べ物の屋台を制覇しましょう!」
「仕方ないなあ」
そう言いながらも天翔は柔和に笑っていて、まつりも子どものような無邪気な笑みを浮かべていた。見上げた両親の幸せそうな表情を、あかりは今でもはっきりと思い出せる。その思い出の景色と目の前の光景がぴったりと重なって、あかりは我に返る。
無意識あかりは両手に力をこめた。
どうか私の側からいなくならないでほしい。このあたたかくて幸せな時間が終わらないでほしい。
しかし、夢の中の時は無情にもさあっと流れてしまった。あかりが一度瞬くと、そこは屋台の並ぶ大路ではなく、南朱湖の畔だった。
ここでは毎年夏祭りの終わりに大きな花火が打ちあがる。それはこの祭りの終わりを、夢の終わりを意味していた。
天翔があかりを肩車してくれる。視界は一気に開け、湖の奥まで見渡せた。
「あかり。よおくご覧」
天翔が言い終わるのと、湖の上に浮かぶ舟から光が打ちあがるのは同時だった。
どおんと体の芯にまで響く轟音と目を焼くような一瞬の閃光。聴覚と視覚、心までもがあっという間に奪われる。
「わあ……!」
目を輝かせるあかりを見て、まつりがふっと微笑む。その瞳は慈愛に満ち溢れていた。顔は見えなくとも天翔も似たような気配を漂わせていることがあかりにも伝わってきた。
なんて幸せな時間。……終わらないで。
胸を躍らせる感情と終わりを惜しむ感情がない交ぜになる。知らず一粒の涙があかりの頬を転げ落ち、夢は弾けて消えた。
ゆっくりとまぶたを押し上げると、今やすっかり見慣れた玄舞家に用意されたあかりの部屋の天井だった。頬が湿っていたことから自身が夢を見て泣いていたのだと知る。
(お母様、お父様……)
こんな夢を見たのは明日が夏祭りだからか。
明日の祭りの見回りは結月と行うことになっている。それに対する不満はもちろんないが、寂しさが胸を占めたのも事実だった。
もしも両親がまだ生きていたら。
もしも戦いのない平和な日々を送れていたら。
今とは何かが違っただろうか。
珍しく感傷的になっているのは今しがた見た夢のせいだ。
あかりは起き上がることもせず、ただぼんやりと天井のどこかに目を向けていた。
どのくらいそうしていただろうか。気づけば静かだった内廊下に人の動く気配が感じられるようになり、中庭に面した障子からは朝の日がうっすらと差し込んでいた。
あかりは我に返ると朝の支度を始めることにしたが、寂しさは胸にしこりのように残っていた。そして無性に誰かに会いたくて仕方なくなる。真っ先に浮かんだのは幼なじみ三人の顔だった。
昨夜は結月と秋之介も玄舞家に泊まっていたから、上手くすればいますぐに会えるだろう。
そう思い立ったら、あかりののろい手つきはいつも通りの手早さを取り戻した。
(早く、会いたい)
準備を終えたあかりは朝日射す外廊下へと飛び出した。
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