96 / 389
第八話 喪失の哀しみに
第八話 一
しおりを挟む
睦月の終わりあたりから毎日のように降り続いた雪は、如月に入った今日も止むことはなかった。雪はしんしんと降り積もり、一面を銀世界に染め上げる。
あかりは外廊下から庭を見遣った。
(きれい……。でも、やっぱり寒いのは嫌だなぁ)
足跡ひとつない玄舞家の中庭はどこを見ても真白で、整然とした美しさがある。しかし、あかりは美しさよりも寒さの方が気になっていた。
もともと寒さには弱かったが、陰の国での牢生活を経て、ますます寒さが苦手になった。
思い出すのは牢の高い位置にくり抜かれた小さな窓からちらちらと雪が舞う日のこと。その日は一層寒くて、吹き込む風に凍えそうになるのを必死に耐えた。そのせいで風邪もひき、気弱になってもいた。人のぬくもりが恋しくて、寂しくて寂しくてたまらなかったことを昨日のことのように思い出す。
「雪……止まないかなぁ」
あかりが庭を見つめながら呟くと、予期していない声が返ってきた。
「あかり様は雪がお嫌いですか?」
「和也くん」
気配で誰かが近づいてきていることは察知していたが、まさか和也だとは思わなかった。和也はあかりを見上げると苦笑をこぼした。
「実は自分も雪はあんまり好きじゃないんです。足場が悪くなって戦いにくいでしょう?」
「確かにそうだね」
「今日も結界巡回なんですが、班員たちも渋ってました」
そう言うと和也はいたずらっぽく笑った。
「でも、あかり様も同じだと言えば、かえって彼らもやる気を出すかもしれませんね」
「巡回、頑張ってね。それに気を付けて」
「はい! ありがとうございます」
折よく班員の一人が外廊下の角から姿を現した。和也と同い年くらいの少年を、あかりはもちろん覚えていた。
「時人くん」
時人はあかりに丁寧にお辞儀をして挨拶すると、和也に向き直った。
「あかり様、おはようございます。……和也、お前こんなところにいたのか」
「今から集合場所に行くところだったんだよ」
「みんな待ってるんだから、早く行くぞ」
「うん。では、あかり様、失礼します」
和也と時人は律儀に頭を下げると玄関の方へと向かった。
あかりはその背を見送ってから、彼らとは反対方向に歩き出した。目指すのは昴の部屋だ。今日は当主としての仕事を教えてもらうことになっている。
中庭の雪景色を横目に廊下を歩いていくと、やがて昴の部屋にたどり着いた。
「昴ー」
障子横の木の梁をこつこつと叩くと、部屋の中から昴の声が返ってきた。あかりは障子を開けて室内に足を踏み入れた。火鉢によって温められた空気と聞きなれた白檀の香が、あかりを優しく出迎える。
「いらっしゃい、あかりちゃん」
「おはよう、昴」
昴は文机の上に置かれた大量の紙束から顔を上げた。あかりが来るよりも先に仕事を片付けていたらしい。
忙しくても自分のために時間を割いてくれることに感謝しながら、あかりは昴の向かいに腰を下ろした。
「当主の仕事ってこんなにあるんだね」
「他人事みたいに言うけど、あかりちゃんがこれからやる仕事でもあるんだからね」
「そ、そうだった……」
思わず引きつった笑みが浮かぶ。昴はそんなあかりの顔を見て、おかしそうに微笑んだ。
「あかりちゃんといると本当に飽きないなぁ。さて、まずはこれとこれからやろうか」
昴は畳に置かれた書類の束から二冊の冊子を取り出すと、あかりに手渡した。
「南の地は復興が優先だからね。まずはこの冊子を読んで」
冊子をぱらぱらと繰ると、どの頁もびっしりと文字で埋められていた。一瞬めまいを起こしそうになったが、南の地のことを思えば弱音を吐くことなどできなかった。
(私が、故郷を甦らせるんだ)
優しい人たちで溢れた愛した地を、取り戻したい。
あかりが強く胸に誓うと、鈴の音が聞こえた。朱咲だった。
『妾もいるぞ。忘れるな』
それだけ言うと朱咲の気配は消えてしまった。しかし、あかりにはそれで十分だった。
(私たちで、故郷を甦らせてみせる……!)
あかりは手の中の冊子にもう一度目を落とすと、今度は最初の頁から集中して読み込み始めた。
あかりは外廊下から庭を見遣った。
(きれい……。でも、やっぱり寒いのは嫌だなぁ)
足跡ひとつない玄舞家の中庭はどこを見ても真白で、整然とした美しさがある。しかし、あかりは美しさよりも寒さの方が気になっていた。
もともと寒さには弱かったが、陰の国での牢生活を経て、ますます寒さが苦手になった。
思い出すのは牢の高い位置にくり抜かれた小さな窓からちらちらと雪が舞う日のこと。その日は一層寒くて、吹き込む風に凍えそうになるのを必死に耐えた。そのせいで風邪もひき、気弱になってもいた。人のぬくもりが恋しくて、寂しくて寂しくてたまらなかったことを昨日のことのように思い出す。
「雪……止まないかなぁ」
あかりが庭を見つめながら呟くと、予期していない声が返ってきた。
「あかり様は雪がお嫌いですか?」
「和也くん」
気配で誰かが近づいてきていることは察知していたが、まさか和也だとは思わなかった。和也はあかりを見上げると苦笑をこぼした。
「実は自分も雪はあんまり好きじゃないんです。足場が悪くなって戦いにくいでしょう?」
「確かにそうだね」
「今日も結界巡回なんですが、班員たちも渋ってました」
そう言うと和也はいたずらっぽく笑った。
「でも、あかり様も同じだと言えば、かえって彼らもやる気を出すかもしれませんね」
「巡回、頑張ってね。それに気を付けて」
「はい! ありがとうございます」
折よく班員の一人が外廊下の角から姿を現した。和也と同い年くらいの少年を、あかりはもちろん覚えていた。
「時人くん」
時人はあかりに丁寧にお辞儀をして挨拶すると、和也に向き直った。
「あかり様、おはようございます。……和也、お前こんなところにいたのか」
「今から集合場所に行くところだったんだよ」
「みんな待ってるんだから、早く行くぞ」
「うん。では、あかり様、失礼します」
和也と時人は律儀に頭を下げると玄関の方へと向かった。
あかりはその背を見送ってから、彼らとは反対方向に歩き出した。目指すのは昴の部屋だ。今日は当主としての仕事を教えてもらうことになっている。
中庭の雪景色を横目に廊下を歩いていくと、やがて昴の部屋にたどり着いた。
「昴ー」
障子横の木の梁をこつこつと叩くと、部屋の中から昴の声が返ってきた。あかりは障子を開けて室内に足を踏み入れた。火鉢によって温められた空気と聞きなれた白檀の香が、あかりを優しく出迎える。
「いらっしゃい、あかりちゃん」
「おはよう、昴」
昴は文机の上に置かれた大量の紙束から顔を上げた。あかりが来るよりも先に仕事を片付けていたらしい。
忙しくても自分のために時間を割いてくれることに感謝しながら、あかりは昴の向かいに腰を下ろした。
「当主の仕事ってこんなにあるんだね」
「他人事みたいに言うけど、あかりちゃんがこれからやる仕事でもあるんだからね」
「そ、そうだった……」
思わず引きつった笑みが浮かぶ。昴はそんなあかりの顔を見て、おかしそうに微笑んだ。
「あかりちゃんといると本当に飽きないなぁ。さて、まずはこれとこれからやろうか」
昴は畳に置かれた書類の束から二冊の冊子を取り出すと、あかりに手渡した。
「南の地は復興が優先だからね。まずはこの冊子を読んで」
冊子をぱらぱらと繰ると、どの頁もびっしりと文字で埋められていた。一瞬めまいを起こしそうになったが、南の地のことを思えば弱音を吐くことなどできなかった。
(私が、故郷を甦らせるんだ)
優しい人たちで溢れた愛した地を、取り戻したい。
あかりが強く胸に誓うと、鈴の音が聞こえた。朱咲だった。
『妾もいるぞ。忘れるな』
それだけ言うと朱咲の気配は消えてしまった。しかし、あかりにはそれで十分だった。
(私たちで、故郷を甦らせてみせる……!)
あかりは手の中の冊子にもう一度目を落とすと、今度は最初の頁から集中して読み込み始めた。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革
うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。
優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。
家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。
主人公は、魔法・知識チートは持っていません。
加筆修正しました。
お手に取って頂けたら嬉しいです。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

何かと「ひどいわ」とうるさい伯爵令嬢は
だましだまし
ファンタジー
何でもかんでも「ひどいわ」とうるさい伯爵令嬢にその取り巻きの侯爵令息。
私、男爵令嬢ライラの従妹で親友の子爵令嬢ルフィナはそんな二人にしょうちゅう絡まれ楽しい学園生活は段々とつまらなくなっていった。
そのまま卒業と思いきや…?
「ひどいわ」ばっかり言ってるからよ(笑)
全10話+エピローグとなります。

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します
怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。
本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。
彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。
世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。
侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!
珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。
3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。
高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。
これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!!
転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

出来損ないと呼ばれた伯爵令嬢は出来損ないを望む
家具屋ふふみに
ファンタジー
この世界には魔法が存在する。
そして生まれ持つ適性がある属性しか使えない。
その属性は主に6つ。
火・水・風・土・雷・そして……無。
クーリアは伯爵令嬢として生まれた。
貴族は生まれながらに魔力、そして属性の適性が多いとされている。
そんな中で、クーリアは無属性の適性しかなかった。
無属性しか扱えない者は『白』と呼ばれる。
その呼び名は貴族にとって屈辱でしかない。
だからクーリアは出来損ないと呼ばれた。
そして彼女はその通りの出来損ない……ではなかった。
これは彼女の本気を引き出したい彼女の周りの人達と、絶対に本気を出したくない彼女との攻防を描いた、そんな物語。
そしてクーリアは、自身に隠された秘密を知る……そんなお話。
設定揺らぎまくりで安定しないかもしれませんが、そういうものだと納得してくださいm(_ _)m
※←このマークがある話は大体一人称。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる