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第四話 希望の光と忍び寄る陰
第四話 一三
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翌日も稽古場で舞の練習をしていた。以前のように指導者はいない。あかりは母の声を思い出しながら無我夢中で舞い踊り続けた。
(朱咲様は鳳凰。彼女が天高く舞う姿を想像して、雄大に繊細に……)
やっと調子が出てきたと思ったところで体勢を崩してしまった。そのまま膝をついて肩で呼吸をする。
「っ、はあ……っ」
(これじゃあ、反閇一回分ももたない)
焦りと悔しさに拳に力がこもる。肺は苦しいままだったが、膝を叩いて立ち上がった。
「もう、一回……っ!」
「無理しないって約束だったでしょ」
背後から肩を掴まれてあかりは飛び上がった。
「わあっ⁉」
声から誰かはわかっていたが、振り返ると案の定昴だった。
「ちゃんと休憩しないとだめだよ」
「でも」
「でももだってもないよ。それに休憩を挟まないとかえって効率が悪くなると思わない?」
昴の指摘は最もだ。あかりは大人しく休むことにした。しかしただ休むというのは落ち着かなかったので、今日も裏庭で行われている結月と秋之介の模擬実戦を見学することにした。
「今日こそ通り一遍とか言わせねえ!」
「作戦は、声を大にして宣言するものじゃない」
縁側に昴と並んで腰かける。裏庭では霊符を構えた結月と虎姿の秋之介が対峙していた。二人は同時に動き始めた。
結月と秋之介が戦うのを眺めながら、あかりはため息を吐く。
「いいなあ。私も混ざりたい」
舞の稽古が嫌というわけではないが、実戦に近い方が緊張感もやる気も出る。今は霊剣を顕現させるのを控えているが体力が戻り次第、模擬実戦に参加したいというのが本音だった。
戦いがないに越したことはないが、そうも言っていられないのが現実だ。であるならば、彼らの脚を引っ張らないようできることはなんでも頑張るつもりだった。
考え始めるとやはりいてもたってもいられなくなったが昴の監視がある手前、先ほどのような体力を明らかに消耗する稽古に戻ることは叶いそうにない。そこであかりは今できる稽古を行うことにした。
「朱咲謡いて声高く。舞い踊りて空高く。祈りの歌が届くとき、貴方に加護がありましょう。心願成就、急々如律令」
あかりが言霊をのせて柔らかに謡うと、目前の結月と秋之介の周辺が赤色の光球に輝いた。はっとしたように動きを止めた二人があかりに視線を送るので、あかりは頷き、手を振り返した。
「強化のおまじないだよ。ふたりとも頑張ってね」
「ありがとう。頑張る」
「負ける気がしねぇな」
結月と秋之介は間合いを取り直し、試合を再開した。
様子を見ていた昴が小さく微笑んだ。
「言霊の方は調子がいいみたいだね」
「簡単なのはね。祝詞の方は舞が追いつかないんだけど。それに朱咲様と交感もできてないままだし」
「朱咲様はどこにいらっしゃるんだろうね」
昴は南の空を見上げる。つられてあかりも同じ方向を見ると、そこにはいわし雲が浮かぶ水色の空が広がっていた。
「毎朝の祈祷も交感の咒言も、ちゃんと届いてるのかな」
二年前に囚われて以来、朱咲の存在を感じられていないままだった。あかりは思わず不安をこぼした。昴は意外そうに軽く目を見開くと、あかりの頭に手を置いた。
「あかりちゃんは頑張ってるから、大丈夫だよ」
根拠はないのかもしれないが、昴に言われると本当にそんな気がしてくるから不思議だった。これも実の兄のように慕う彼だからこそ成せる業だろう。
「もし今答えが返ってこなくても、必ず返事をくれる日が来るよ。あかりちゃんだって、その時が来るのを信じてるんでしょ?」
「うん」
昴の言葉を肯定した瞬間、胸の奥が温かくなったように感じられた。灯った火は徐々に勢いを増し、やがて大きな炎となって胸中を熱する。
今まで感じたことのない感覚に首を傾げるあかりだったが、それはすぐに消えてしまったので一瞬の幻覚のようにも思えた。
「どうしたの?」
「……ううん。気のせいだと思うし、何でもないよ」
釈然としない面持ちで首を振るあかりを、昴は目を細めて見つめていた。
一週間後には霊剣を伴い反閇一回は通せるようになった。しかし形だけならともかく、質は納得のいく出来ではない。昴の監視条件が緩くなったのをいいことに、あかりは以前にも増して稽古に力を入れていた。
「……我を喜ぶ者は福し、我を悪む者は殃せらる。百邪鬼賊、我に当う者は亡び、千万人中、我を見る者は喜ぶ。青柳、白古、朱咲、玄舞、空陳、南寿、北斗、三体、玉女。急々如律令!」
もともと清浄な気の満ちている玄舞家の稽古場なので反閇の効果はわかりにくい。そのせいもあって、あかりは感覚を取り戻せたのか判断がつかないでいた。
赤い残光が空気に溶け消えた時、背後の板戸が静かに開けられた。
「大分、回復してきたみたいだね」
「結月!」
早朝に青柳家で霊符の作製を行っていた結月には、今日初めて会った。秋之介は今ごろ白古家で降霊術の依頼をこなしているだろうし、昴は今日は朝から政務に追われているようだった。数少ない来訪者にあかりは満面の笑みで駆け寄った。
「おはよう! それからお疲れ様」
「あかりも」
結月は柔らかな微笑みを返すと、あかりを縁側に誘い出した。
「昴にあかりの様子を見てきてって頼まれた」と言いながら、結月はそのときに渡されたのであろう茶と菓子を準備する。今日はそば茶と干菓子だった。色彩豊かな干菓子を眺めているだけで気分が高揚する。その間に結月は手土産と思しき柿をむいていた。
「あ、皮なら私がむくよ」
金属製の果物包丁を結月は苦手としていたはず。そう思っての提案だったが、結月には首を振られた。
「ありがとう。でも、大丈夫」
手元を見ると、綺麗ならせんを描き、皮がするするとむけていっているところだった。あかりは感嘆の息を吐いた。
「上手になったねえ。前は包丁見るだけでも青ざめてたのに」
「……それ、すごい小さいとき」
不満げな顔をしながら、結月は小ぶりの柿を四等分に切り分けて皿にのせた。
「どうぞ」
「わーい、ありがとう! いただきますっ」
手を合わせてから、最初にそば茶をすすった。香ばしい香りが鼻腔を抜ける。続いて柿を一口かじった。
「甘い!」
明るい笑顔を見せると、結月もまた嬉しそうに微笑んだ。
休憩中の話題はころころと移り変わったが、やがて近況の出来事に及んだ。
「稽古は順調?」
「本調子ではないけど、だんだんできることは増えてってるよ」
霊剣を顕現させても負担に感じなくなってきたし、言霊も思うように操れるようになってきた。祝詞奏上やそれに伴う舞にも体力が追いつき始めた。しかし、晴れない懸念もある。
「……朱咲様、どこに行っちゃったのかなあ」
一週間前には昴に慰められたが、それでも心配なことには変わりない。朱咲家の屋敷が機能していないことも影響しているのかもしれないが、それにしてもとんと気配を感じられないのだ。
「……なんとなく、だけど」
そこで結月が呟きをもらした。
「朱咲様は、案外、近くにいる気がする」
「近くに?」
あかりが大きな目をさらに見開くと、結月は頷いた。
「ただ、今は答えられない状態なだけで……。ちゃんと、いらっしゃると思う」
鋭い直感を持っている結月が言うと妙に信憑性があるように感じられた。あかりは胸の内で問いかけた。
(朱咲様。貴女は今も傍にいてくださっているのでしょうか)
すると呼応するように、胸中が熱を帯びた。
(……まさか)
以前、一瞬の幻覚かもしれないと思ったあの感覚。それが再び訪れた。
(朱咲様は、私の中に……?)
存在を主張するかのようにじりじりと焼け付くような熱があかりの胸を焦がす。喉の渇きを誤魔化すようにあかりは唾を飲み込んだが、渇きは癒えることがなかった。
(朱咲様は鳳凰。彼女が天高く舞う姿を想像して、雄大に繊細に……)
やっと調子が出てきたと思ったところで体勢を崩してしまった。そのまま膝をついて肩で呼吸をする。
「っ、はあ……っ」
(これじゃあ、反閇一回分ももたない)
焦りと悔しさに拳に力がこもる。肺は苦しいままだったが、膝を叩いて立ち上がった。
「もう、一回……っ!」
「無理しないって約束だったでしょ」
背後から肩を掴まれてあかりは飛び上がった。
「わあっ⁉」
声から誰かはわかっていたが、振り返ると案の定昴だった。
「ちゃんと休憩しないとだめだよ」
「でも」
「でももだってもないよ。それに休憩を挟まないとかえって効率が悪くなると思わない?」
昴の指摘は最もだ。あかりは大人しく休むことにした。しかしただ休むというのは落ち着かなかったので、今日も裏庭で行われている結月と秋之介の模擬実戦を見学することにした。
「今日こそ通り一遍とか言わせねえ!」
「作戦は、声を大にして宣言するものじゃない」
縁側に昴と並んで腰かける。裏庭では霊符を構えた結月と虎姿の秋之介が対峙していた。二人は同時に動き始めた。
結月と秋之介が戦うのを眺めながら、あかりはため息を吐く。
「いいなあ。私も混ざりたい」
舞の稽古が嫌というわけではないが、実戦に近い方が緊張感もやる気も出る。今は霊剣を顕現させるのを控えているが体力が戻り次第、模擬実戦に参加したいというのが本音だった。
戦いがないに越したことはないが、そうも言っていられないのが現実だ。であるならば、彼らの脚を引っ張らないようできることはなんでも頑張るつもりだった。
考え始めるとやはりいてもたってもいられなくなったが昴の監視がある手前、先ほどのような体力を明らかに消耗する稽古に戻ることは叶いそうにない。そこであかりは今できる稽古を行うことにした。
「朱咲謡いて声高く。舞い踊りて空高く。祈りの歌が届くとき、貴方に加護がありましょう。心願成就、急々如律令」
あかりが言霊をのせて柔らかに謡うと、目前の結月と秋之介の周辺が赤色の光球に輝いた。はっとしたように動きを止めた二人があかりに視線を送るので、あかりは頷き、手を振り返した。
「強化のおまじないだよ。ふたりとも頑張ってね」
「ありがとう。頑張る」
「負ける気がしねぇな」
結月と秋之介は間合いを取り直し、試合を再開した。
様子を見ていた昴が小さく微笑んだ。
「言霊の方は調子がいいみたいだね」
「簡単なのはね。祝詞の方は舞が追いつかないんだけど。それに朱咲様と交感もできてないままだし」
「朱咲様はどこにいらっしゃるんだろうね」
昴は南の空を見上げる。つられてあかりも同じ方向を見ると、そこにはいわし雲が浮かぶ水色の空が広がっていた。
「毎朝の祈祷も交感の咒言も、ちゃんと届いてるのかな」
二年前に囚われて以来、朱咲の存在を感じられていないままだった。あかりは思わず不安をこぼした。昴は意外そうに軽く目を見開くと、あかりの頭に手を置いた。
「あかりちゃんは頑張ってるから、大丈夫だよ」
根拠はないのかもしれないが、昴に言われると本当にそんな気がしてくるから不思議だった。これも実の兄のように慕う彼だからこそ成せる業だろう。
「もし今答えが返ってこなくても、必ず返事をくれる日が来るよ。あかりちゃんだって、その時が来るのを信じてるんでしょ?」
「うん」
昴の言葉を肯定した瞬間、胸の奥が温かくなったように感じられた。灯った火は徐々に勢いを増し、やがて大きな炎となって胸中を熱する。
今まで感じたことのない感覚に首を傾げるあかりだったが、それはすぐに消えてしまったので一瞬の幻覚のようにも思えた。
「どうしたの?」
「……ううん。気のせいだと思うし、何でもないよ」
釈然としない面持ちで首を振るあかりを、昴は目を細めて見つめていた。
一週間後には霊剣を伴い反閇一回は通せるようになった。しかし形だけならともかく、質は納得のいく出来ではない。昴の監視条件が緩くなったのをいいことに、あかりは以前にも増して稽古に力を入れていた。
「……我を喜ぶ者は福し、我を悪む者は殃せらる。百邪鬼賊、我に当う者は亡び、千万人中、我を見る者は喜ぶ。青柳、白古、朱咲、玄舞、空陳、南寿、北斗、三体、玉女。急々如律令!」
もともと清浄な気の満ちている玄舞家の稽古場なので反閇の効果はわかりにくい。そのせいもあって、あかりは感覚を取り戻せたのか判断がつかないでいた。
赤い残光が空気に溶け消えた時、背後の板戸が静かに開けられた。
「大分、回復してきたみたいだね」
「結月!」
早朝に青柳家で霊符の作製を行っていた結月には、今日初めて会った。秋之介は今ごろ白古家で降霊術の依頼をこなしているだろうし、昴は今日は朝から政務に追われているようだった。数少ない来訪者にあかりは満面の笑みで駆け寄った。
「おはよう! それからお疲れ様」
「あかりも」
結月は柔らかな微笑みを返すと、あかりを縁側に誘い出した。
「昴にあかりの様子を見てきてって頼まれた」と言いながら、結月はそのときに渡されたのであろう茶と菓子を準備する。今日はそば茶と干菓子だった。色彩豊かな干菓子を眺めているだけで気分が高揚する。その間に結月は手土産と思しき柿をむいていた。
「あ、皮なら私がむくよ」
金属製の果物包丁を結月は苦手としていたはず。そう思っての提案だったが、結月には首を振られた。
「ありがとう。でも、大丈夫」
手元を見ると、綺麗ならせんを描き、皮がするするとむけていっているところだった。あかりは感嘆の息を吐いた。
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「……それ、すごい小さいとき」
不満げな顔をしながら、結月は小ぶりの柿を四等分に切り分けて皿にのせた。
「どうぞ」
「わーい、ありがとう! いただきますっ」
手を合わせてから、最初にそば茶をすすった。香ばしい香りが鼻腔を抜ける。続いて柿を一口かじった。
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「稽古は順調?」
「本調子ではないけど、だんだんできることは増えてってるよ」
霊剣を顕現させても負担に感じなくなってきたし、言霊も思うように操れるようになってきた。祝詞奏上やそれに伴う舞にも体力が追いつき始めた。しかし、晴れない懸念もある。
「……朱咲様、どこに行っちゃったのかなあ」
一週間前には昴に慰められたが、それでも心配なことには変わりない。朱咲家の屋敷が機能していないことも影響しているのかもしれないが、それにしてもとんと気配を感じられないのだ。
「……なんとなく、だけど」
そこで結月が呟きをもらした。
「朱咲様は、案外、近くにいる気がする」
「近くに?」
あかりが大きな目をさらに見開くと、結月は頷いた。
「ただ、今は答えられない状態なだけで……。ちゃんと、いらっしゃると思う」
鋭い直感を持っている結月が言うと妙に信憑性があるように感じられた。あかりは胸の内で問いかけた。
(朱咲様。貴女は今も傍にいてくださっているのでしょうか)
すると呼応するように、胸中が熱を帯びた。
(……まさか)
以前、一瞬の幻覚かもしれないと思ったあの感覚。それが再び訪れた。
(朱咲様は、私の中に……?)
存在を主張するかのようにじりじりと焼け付くような熱があかりの胸を焦がす。喉の渇きを誤魔化すようにあかりは唾を飲み込んだが、渇きは癒えることがなかった。
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