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第三話 欠落の二年間
第三話 四
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無情にも時間だけが過ぎ去り、相変わらず大きな進展がないと思われたある日、四家当主の三人が中央御殿の御上・司に呼び出された。
それがひと月前のこと。
「こんな卜占ばっかり当たってもなあ……」
虎姿の秋之介が睨み据える先には三体の式神。背中合わせに立つ結月と昴の前にも三体ずつの式神が立ちはだかっている。三人は計九体の式神に囲まれていた。
「お前らの相手してる暇なんてねーんだよ」
「でも、向こうはゆづくんか秋くんをご所望みたいだよ」
皮肉げに笑いながら、昴は「青柳、白古、朱咲、玄舞、空陳、南寿、北斗、三体、玉女」と唱えながら禹歩をする。彼らを取り囲む輪が一回り大きくなった。
「全く。あかりちゃんだけに飽きたらず、節操なしにもほどがあるよね」
昴はにこやかに笑うが、目は笑っていない。結月と秋之介は、昴がかなり頭に来ていること、そして機嫌が悪いことをその笑みから察した。
しかし、そんなことにはお構いなしに式神が突っ込んでくる。
「急々如律令!」
昴が一声上げたとたん、その式神は半透明の黒い壁に押し返され、体勢を立て直す間もなく小さな結界に閉じ込められた。残り八体が怯んだ隙に、結月が霊符を四方に放ち、その間を秋之介がかいくぐって爪を振るう。
青い光が収束した後には、一体の式神も残ってはいなかった。
結月は昏い目をして、式神がいた場所を見つめていた。人間姿に戻った秋之介が振り返る。
「情でもかけてんのか」
「……式神自体に罪はない。後ろめたさがないわけない」
「でも邪気払いだからもとの魂の持ち主が死んだってことじゃねえ」
「それでも攻撃するのは……」
口をつぐんだ結月を、秋之介は呆れた目で見る。
「お前は昔っからそうだよな。優しすぎ」
秋之介が結月の髪をかき混ぜる。その手つきは存外優しい。
「秋……」
「さーて、懲りずにまた来んぞ」
ぱっと手を離して、秋之介が身構える。結月も姿勢を正し、新たな霊符を袂から取り出した。昴はちょうど結界を張っているところだった。
先ほどよりは少ない五体の式神を相手にしていると、突然北の方角で地鳴りのような音が轟いた。そして、細い黒煙がいくつも立ち昇るのが木々や家屋の向こうに見えだす。
呆然とそちらを見る昴に襲い掛かる最後の式神を秋之介が叩き落とした。
「やっぱ、俺らだけこんなとこに退避させられてるなんて納得いかねえよ! 多かれ少なかれ俺らを狙ってくる敵はいるんだ。だったら向こうに……っ」
「駄目だっ!」
駆けだそうとする秋之介を、叫び止めたのは北の地を護り預かる玄舞家の一人である昴だった。
「じゃあ、黙って見てろって言うのか⁉ 北から音がした、火の手もあがってる。お前はそれでいいのかよ!」
「言い訳ないだろ!」
語気荒く言うと、昴は秋之介の胸倉をつかんだ。その手は隠しようもないほどに震えていた。
「僕だって今すぐ行って、助けたいよ! だけど与えられた役目があるんだ! ここで秋くんやゆづくんを行かせたらそれこそ取り返しのつかないことになる。それじゃ、あかりちゃんのときと同じだ。もう誰も目の前で失いたくないんだよ……!」
激情のままに叫ぶ昴を見て、秋之介はさすがに頭が冷えたようだった。胸倉をつかまれた手を解きもせずに「ごめん。言い過ぎた」と俯く。
昴はそっと手を離すと「それに……」と独り言ちた。
「もう、手遅れなんだ……」
握りこまれて爪の食い込んだ昴の右手を、結月は黙って開かせた。
日が暮れて、月がのぼり始めたころになって、ようやく戦いの気配がなくなった。用心しながら朱咲通を抜け、中央御殿に至ったところで、ぼろぼろになった青柳家当主と白古家当主に会った。彼らもまた幼なじみであるが、そこに四人の姿は揃っていない。朱咲家当主だったあかりの母と、玄舞家当主が欠けているからだ。
「昴くん……」
青柳家当主は昴を見てから、側にいる自身の息子と秋之介に目を移した。
「お役目、ご苦労だった。よくぞ結月たちを守り通してくれたね」
微笑みには疲れが滲んでいた。憔悴といってもいい。
昴はあくまで毅然とした態度でそれに応じる。
「お心遣い痛み入ります。お二人も、ご無事なようで何よりです」
「……あいつの、おかげだ」
白古家当主が何かを堪えるように目元に力をこめて、喉から絞りだすような声で言った。彼の言う『あいつ』が誰なのかは名を出さずともわかった。
「……父も、役目を果たしたのですね」
玄舞家当主もまた、青柳家当主と白古家当主を守護する任を負っていた。守護を専門とする四家の一人として、大事な幼なじみを守る者として、父はその役目を誇りに思っていたはずだ。
「……ああ。玄舞家の奴らが守りに徹してくれたおかげで、最悪の結果は避けられた」
昴はひとつ呼吸をすると、覚悟を決めた顔で問うた。
「被害は如何ほどですか」
青柳家当主と白古家当主は一瞬目を丸くしたが、すぐに質問に答えた。
「御上様と、青柳家、白古家の守護対象は皆無事。南は昴くんたちが見てきた通り、あまり変化はない。中央、東、西の地もほぼ無事だった」
「北は?」
「屋敷に避難してた町民に死者はねえ。ただ、町の方は地震と火災でほとんど全壊。玄舞家の術使いはおよそ半数が殉死した、あいつも含めてな」
「わかりました。ありがとうございます」
昴は頭を下げると、顔を上げないまま颯爽と歩き出した。
「おい、すば……」
「秋」
結月は秋之介の腕を引き、首を振った。
「今は、ひとりにしてあげよう」
「……そうだな」
北に遠ざかる昴の背は微かに震えていた。
それがひと月前のこと。
「こんな卜占ばっかり当たってもなあ……」
虎姿の秋之介が睨み据える先には三体の式神。背中合わせに立つ結月と昴の前にも三体ずつの式神が立ちはだかっている。三人は計九体の式神に囲まれていた。
「お前らの相手してる暇なんてねーんだよ」
「でも、向こうはゆづくんか秋くんをご所望みたいだよ」
皮肉げに笑いながら、昴は「青柳、白古、朱咲、玄舞、空陳、南寿、北斗、三体、玉女」と唱えながら禹歩をする。彼らを取り囲む輪が一回り大きくなった。
「全く。あかりちゃんだけに飽きたらず、節操なしにもほどがあるよね」
昴はにこやかに笑うが、目は笑っていない。結月と秋之介は、昴がかなり頭に来ていること、そして機嫌が悪いことをその笑みから察した。
しかし、そんなことにはお構いなしに式神が突っ込んでくる。
「急々如律令!」
昴が一声上げたとたん、その式神は半透明の黒い壁に押し返され、体勢を立て直す間もなく小さな結界に閉じ込められた。残り八体が怯んだ隙に、結月が霊符を四方に放ち、その間を秋之介がかいくぐって爪を振るう。
青い光が収束した後には、一体の式神も残ってはいなかった。
結月は昏い目をして、式神がいた場所を見つめていた。人間姿に戻った秋之介が振り返る。
「情でもかけてんのか」
「……式神自体に罪はない。後ろめたさがないわけない」
「でも邪気払いだからもとの魂の持ち主が死んだってことじゃねえ」
「それでも攻撃するのは……」
口をつぐんだ結月を、秋之介は呆れた目で見る。
「お前は昔っからそうだよな。優しすぎ」
秋之介が結月の髪をかき混ぜる。その手つきは存外優しい。
「秋……」
「さーて、懲りずにまた来んぞ」
ぱっと手を離して、秋之介が身構える。結月も姿勢を正し、新たな霊符を袂から取り出した。昴はちょうど結界を張っているところだった。
先ほどよりは少ない五体の式神を相手にしていると、突然北の方角で地鳴りのような音が轟いた。そして、細い黒煙がいくつも立ち昇るのが木々や家屋の向こうに見えだす。
呆然とそちらを見る昴に襲い掛かる最後の式神を秋之介が叩き落とした。
「やっぱ、俺らだけこんなとこに退避させられてるなんて納得いかねえよ! 多かれ少なかれ俺らを狙ってくる敵はいるんだ。だったら向こうに……っ」
「駄目だっ!」
駆けだそうとする秋之介を、叫び止めたのは北の地を護り預かる玄舞家の一人である昴だった。
「じゃあ、黙って見てろって言うのか⁉ 北から音がした、火の手もあがってる。お前はそれでいいのかよ!」
「言い訳ないだろ!」
語気荒く言うと、昴は秋之介の胸倉をつかんだ。その手は隠しようもないほどに震えていた。
「僕だって今すぐ行って、助けたいよ! だけど与えられた役目があるんだ! ここで秋くんやゆづくんを行かせたらそれこそ取り返しのつかないことになる。それじゃ、あかりちゃんのときと同じだ。もう誰も目の前で失いたくないんだよ……!」
激情のままに叫ぶ昴を見て、秋之介はさすがに頭が冷えたようだった。胸倉をつかまれた手を解きもせずに「ごめん。言い過ぎた」と俯く。
昴はそっと手を離すと「それに……」と独り言ちた。
「もう、手遅れなんだ……」
握りこまれて爪の食い込んだ昴の右手を、結月は黙って開かせた。
日が暮れて、月がのぼり始めたころになって、ようやく戦いの気配がなくなった。用心しながら朱咲通を抜け、中央御殿に至ったところで、ぼろぼろになった青柳家当主と白古家当主に会った。彼らもまた幼なじみであるが、そこに四人の姿は揃っていない。朱咲家当主だったあかりの母と、玄舞家当主が欠けているからだ。
「昴くん……」
青柳家当主は昴を見てから、側にいる自身の息子と秋之介に目を移した。
「お役目、ご苦労だった。よくぞ結月たちを守り通してくれたね」
微笑みには疲れが滲んでいた。憔悴といってもいい。
昴はあくまで毅然とした態度でそれに応じる。
「お心遣い痛み入ります。お二人も、ご無事なようで何よりです」
「……あいつの、おかげだ」
白古家当主が何かを堪えるように目元に力をこめて、喉から絞りだすような声で言った。彼の言う『あいつ』が誰なのかは名を出さずともわかった。
「……父も、役目を果たしたのですね」
玄舞家当主もまた、青柳家当主と白古家当主を守護する任を負っていた。守護を専門とする四家の一人として、大事な幼なじみを守る者として、父はその役目を誇りに思っていたはずだ。
「……ああ。玄舞家の奴らが守りに徹してくれたおかげで、最悪の結果は避けられた」
昴はひとつ呼吸をすると、覚悟を決めた顔で問うた。
「被害は如何ほどですか」
青柳家当主と白古家当主は一瞬目を丸くしたが、すぐに質問に答えた。
「御上様と、青柳家、白古家の守護対象は皆無事。南は昴くんたちが見てきた通り、あまり変化はない。中央、東、西の地もほぼ無事だった」
「北は?」
「屋敷に避難してた町民に死者はねえ。ただ、町の方は地震と火災でほとんど全壊。玄舞家の術使いはおよそ半数が殉死した、あいつも含めてな」
「わかりました。ありがとうございます」
昴は頭を下げると、顔を上げないまま颯爽と歩き出した。
「おい、すば……」
「秋」
結月は秋之介の腕を引き、首を振った。
「今は、ひとりにしてあげよう」
「……そうだな」
北に遠ざかる昴の背は微かに震えていた。
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