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第二話 囚われの二年間
第二話 三
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水底から引き上げられるように、意識がゆっくりと浮上する。
まつ毛を震わせ、重い瞼を持ち上げると見覚えのない岩の天井が目に入った。次第に頭がはっきりしてくる。滞留する空気は息苦しく、どこからか入り込む微風はじめじめとして気持ち悪い。手足の感覚は曖昧で、上手く力が入らない。身体は鉛のようにずっしり重く、起き上がることはできなかった。
耳の感覚は頭部にあり、尾てい骨のあたりからはふっさりとした尾が生えている。
身体のだるさといい、半妖姿から戻れないことといい、まるで大きな儀式をして力を使い果たした後のようだった。
(……儀式! そうだ、私儀式をやって……!)
直後、キンとした頭痛が襲った。同時に南朱湖で目にした光景がフラッシュバックする。動悸が速まり、呼吸が浅くなる。ありもしない水におぼれているような錯覚を起こした。
「……っ、ぅ」
「やっとお目覚めか。つーか生きてたんだな。半月も反応ないから死んでるかと思った」
あかりの気配か呼吸の変化に気づいた男が、あかりに声をかける。揶揄するような、嫌悪するような声だった。なんとか頭を動かして声の方向を見ると、何本もの鉄の柱の向こうに人がいた。目を向けた方向が眩しくて、あかりは目を細めた。そして、自分が牢のなかに囚われていることを悟った。
「ここ、は……」
喉はからからで、上手く声が出せない。絞りだした声は蚊の鳴くような小さなものだった。当然男には聞こえない。もしかしたら聞く気もないのだろうが。
「まったく、なんで半妖なんて気味悪いもんを式神に下したがるのか理解できないな。ま、見た目は悪くないが」
卑下た笑みを浮かべる男を、あかりは鋭く睨み返した。
今の発言で男が陰の国に所属する者だということ、そしておそらくこの牢屋があるのは陰の国であるということがわかった。
「おっと、そんな反抗的な態度をとるもんじゃない。うっかり餌をやり忘れちまう」
(この人、私のことを式神みたいに見てくる!)
一瞬であかりの背筋は凍った。陰の国の式神の扱いは、戦いで相対するなかで嫌というほど目にしてきた。負の念を押し付けられ、使いつぶす。霊威を借りて好き勝手に式神として使うのも罰当たりだが、妖を使役して式神として道具のように扱うのはなお許せなかった。式神についた邪気を払うために霊剣を振るう度、あかりの胸はひどく痛んだ。どうしてこんな仕打ちができるのか悲しくなり、陰の国の式神使いに恐怖を抱いた。
(早く、早く逃げないと!)
何を考えているか理解できない、何をされるか予測できない。
(でも、どうやって)
現状もよく把握していない。陽の国は大丈夫なのか、幼い御上は守れているだろうか。南の地はあのあとどうなったのか、水中で見た符は結局なんだったのか。両親からもらったお守りも失くしてしまったようだし、半妖の自分でこれなら妖の結月や秋之介は無事だろうか。人間とはいえ四家の一人である昴の安否も気にかかる。
運よくここから出られたところで、その先どうすればいいかわからなかった。
あかりが考え込んで大人しくなったのを、抵抗をやめたと受け取った男が水と干し飯を投げ入れてくる。男はあかりが目覚めたことを報告してくると言って、その場を去っていった。
(毒とか呪詛とか……ないよね?)
時間をかけて起き上がって、食餌に手を伸ばす。念のため九字でも切っておこうかと「青柳、白古、朱咲、玄舞、空陳、南寿、北斗、三体、玉女」と消え入りそうな声で唱えたが、思うように気が入らない。気を失うまでの疲労と、男が立ち去る際に置いていった符に力を奪われているからだろう。清めは諦めて、とにかく食べることにした。
(何があっても、最後まで諦めちゃいけない。今はとにかく命をつなぐこと。……生きなくちゃ)
動作は緩慢だったのにも関わらず、食餌の時間は四半刻とかからなかった。しかし、量が少ないなどと言っていられない。食べられるだけ、まだましなのだ。
起き抜けより冷静になった頭で状況を整理する。
ここは陰の国の牢屋。彼らはあかりを式神に下したいようだが上手くいっていないようだ。ここに来て半月ほど経っているらしい。
あかりは力を奪われていて、半妖姿から人間姿に戻れずに、ろくに術も使えない。唯一の救いは言霊は感知できるということだ。
服はそのままで、白い上衣に赤の袴。袴には赤糸で刺繍された鳳凰が大きく舞っている。袂に入れてあった両親からのお守りはなかったが、幼なじみで作ったお守りだけは残っていた。気を集中させると、弱々しい赤と確かな青、白、黒がまぶたの裏にちらつく。結月たちが無事な証拠だった。
最後に暗い気持ちで考えたのは、はやり南の地のことだった。最悪南の地の民は皆亡くなっただろう。母の死体はこの目で確認した。父の姿は見つけられなかったが、あれではおそらく……。
「うっ、うぅ……」
敬愛していた両親、親愛なる家臣、成長を見守り慕ってくれた町民。愛していた人たちを一遍に亡くしてしまった。
悲しくて、寂しくて、悔しくて、言い尽くせない感情が胸に押し寄せる。
(こんなときこそ、強くなくちゃいけない。前を見て、遺された私は生きなくちゃいけない。だけど、どうか今だけは、涙を流すのを許して……)
あたたかだった日常を思い返し、涙にぬれながら、あかりは知らず眠りについた。
まつ毛を震わせ、重い瞼を持ち上げると見覚えのない岩の天井が目に入った。次第に頭がはっきりしてくる。滞留する空気は息苦しく、どこからか入り込む微風はじめじめとして気持ち悪い。手足の感覚は曖昧で、上手く力が入らない。身体は鉛のようにずっしり重く、起き上がることはできなかった。
耳の感覚は頭部にあり、尾てい骨のあたりからはふっさりとした尾が生えている。
身体のだるさといい、半妖姿から戻れないことといい、まるで大きな儀式をして力を使い果たした後のようだった。
(……儀式! そうだ、私儀式をやって……!)
直後、キンとした頭痛が襲った。同時に南朱湖で目にした光景がフラッシュバックする。動悸が速まり、呼吸が浅くなる。ありもしない水におぼれているような錯覚を起こした。
「……っ、ぅ」
「やっとお目覚めか。つーか生きてたんだな。半月も反応ないから死んでるかと思った」
あかりの気配か呼吸の変化に気づいた男が、あかりに声をかける。揶揄するような、嫌悪するような声だった。なんとか頭を動かして声の方向を見ると、何本もの鉄の柱の向こうに人がいた。目を向けた方向が眩しくて、あかりは目を細めた。そして、自分が牢のなかに囚われていることを悟った。
「ここ、は……」
喉はからからで、上手く声が出せない。絞りだした声は蚊の鳴くような小さなものだった。当然男には聞こえない。もしかしたら聞く気もないのだろうが。
「まったく、なんで半妖なんて気味悪いもんを式神に下したがるのか理解できないな。ま、見た目は悪くないが」
卑下た笑みを浮かべる男を、あかりは鋭く睨み返した。
今の発言で男が陰の国に所属する者だということ、そしておそらくこの牢屋があるのは陰の国であるということがわかった。
「おっと、そんな反抗的な態度をとるもんじゃない。うっかり餌をやり忘れちまう」
(この人、私のことを式神みたいに見てくる!)
一瞬であかりの背筋は凍った。陰の国の式神の扱いは、戦いで相対するなかで嫌というほど目にしてきた。負の念を押し付けられ、使いつぶす。霊威を借りて好き勝手に式神として使うのも罰当たりだが、妖を使役して式神として道具のように扱うのはなお許せなかった。式神についた邪気を払うために霊剣を振るう度、あかりの胸はひどく痛んだ。どうしてこんな仕打ちができるのか悲しくなり、陰の国の式神使いに恐怖を抱いた。
(早く、早く逃げないと!)
何を考えているか理解できない、何をされるか予測できない。
(でも、どうやって)
現状もよく把握していない。陽の国は大丈夫なのか、幼い御上は守れているだろうか。南の地はあのあとどうなったのか、水中で見た符は結局なんだったのか。両親からもらったお守りも失くしてしまったようだし、半妖の自分でこれなら妖の結月や秋之介は無事だろうか。人間とはいえ四家の一人である昴の安否も気にかかる。
運よくここから出られたところで、その先どうすればいいかわからなかった。
あかりが考え込んで大人しくなったのを、抵抗をやめたと受け取った男が水と干し飯を投げ入れてくる。男はあかりが目覚めたことを報告してくると言って、その場を去っていった。
(毒とか呪詛とか……ないよね?)
時間をかけて起き上がって、食餌に手を伸ばす。念のため九字でも切っておこうかと「青柳、白古、朱咲、玄舞、空陳、南寿、北斗、三体、玉女」と消え入りそうな声で唱えたが、思うように気が入らない。気を失うまでの疲労と、男が立ち去る際に置いていった符に力を奪われているからだろう。清めは諦めて、とにかく食べることにした。
(何があっても、最後まで諦めちゃいけない。今はとにかく命をつなぐこと。……生きなくちゃ)
動作は緩慢だったのにも関わらず、食餌の時間は四半刻とかからなかった。しかし、量が少ないなどと言っていられない。食べられるだけ、まだましなのだ。
起き抜けより冷静になった頭で状況を整理する。
ここは陰の国の牢屋。彼らはあかりを式神に下したいようだが上手くいっていないようだ。ここに来て半月ほど経っているらしい。
あかりは力を奪われていて、半妖姿から人間姿に戻れずに、ろくに術も使えない。唯一の救いは言霊は感知できるということだ。
服はそのままで、白い上衣に赤の袴。袴には赤糸で刺繍された鳳凰が大きく舞っている。袂に入れてあった両親からのお守りはなかったが、幼なじみで作ったお守りだけは残っていた。気を集中させると、弱々しい赤と確かな青、白、黒がまぶたの裏にちらつく。結月たちが無事な証拠だった。
最後に暗い気持ちで考えたのは、はやり南の地のことだった。最悪南の地の民は皆亡くなっただろう。母の死体はこの目で確認した。父の姿は見つけられなかったが、あれではおそらく……。
「うっ、うぅ……」
敬愛していた両親、親愛なる家臣、成長を見守り慕ってくれた町民。愛していた人たちを一遍に亡くしてしまった。
悲しくて、寂しくて、悔しくて、言い尽くせない感情が胸に押し寄せる。
(こんなときこそ、強くなくちゃいけない。前を見て、遺された私は生きなくちゃいけない。だけど、どうか今だけは、涙を流すのを許して……)
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