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第一話 優しい日常
第一話 一
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まぶたの裏を染め上げる柔らかな白い光に揺り起こされるようにして、意識が浮上する。それに合わせて少女はゆっくりと目を開けた。
最初に視界に映ったのは木格子の天井で、視線を巡らせると外の光を薄く透かした障子ややや日に焼けた畳、古いながらも丁寧に扱われていることをうかがわせる衣装箪笥や棚といった家具があることがわかった。
泥のように重く、怠い身体をのろのろと動かす。少女は寝かせられている布団の間から腕を出し、額に乗せられた濡れた生温い手拭いに手を伸ばした。顔の前にかざした腕で、寝間着代わりだろう浴衣の袖がゆらりと揺れた。
手拭いを取り去り、持ち上げていた腕を布団の上に下ろした少女は、その細い腕を支えにして上体を起こそうとした。しかし体は思うように動かず、僅かに背を浮かせては布団の上に落下することを繰り返す。
何度目かの挑戦でようやく背を起こしきった少女は、枕の上方に木桶が置かれていることに気がついた。木桶の中を覗き込むと水が張られていて、自身の顔が水面にゆらゆらと揺れながら映りこんでた。
長く白い髪と頭部から生えた狐の耳は和室を淡く照らし出す陽光に反射して白銀色に輝いていて、瞳は柘榴石のような美しい赤色に濡れている。よく見ると左目の下に泣きぼくろがあり、小さな顔には整った鼻と口がちょこんと収まっていた。
「……」
水鏡の向こうから無言で見つめ返してくる顔に表情はなく、真っ赤な瞳からは感情の色がうかがえない。対外的に見れば美しいと評されるであろう整った顔立ちをしていることもあって、まるで精巧につくられた人形のようでさえあった。
(私は、こんな顔をしていた?)
妙に現実感が伴わないのは、体と同様に動きの遅い脳のせいか、それとも単に目覚めたばかりだからだろうか。
ひとつ疑問が湧き出せば、次から次へときりなく疑問が溢れ出す。
ここはどこなのか。どうして見知らぬ場所に寝かされていたのか。異常なまでに怠い体と動きの鈍い脳には何か原因があるのか。ここに来る前は何をしていたのか。そして……。
自分は何者なのか。
少女は現状ばかりか過去すらわからず、自身に関する一切を思い出せなかった。
「……」
しかし、奇妙なことに記憶を失ったことや自分の正体がわからないことに焦りや不安は感じなかった。それどころか渇望や執着といった感情すら湧かない。
水面の少女が宝石をはめ込んだような無機質な瞳でこちらを見つめていた。
どれくらいそうしていただろう。ふいに耳に届いたすっと襖を開ける音と「美桜……?」という小さな小さな、それでいてよく通る声での呟きに、少女はそちらへと視線を滑らせる。
最初に視界に映ったのは木格子の天井で、視線を巡らせると外の光を薄く透かした障子ややや日に焼けた畳、古いながらも丁寧に扱われていることをうかがわせる衣装箪笥や棚といった家具があることがわかった。
泥のように重く、怠い身体をのろのろと動かす。少女は寝かせられている布団の間から腕を出し、額に乗せられた濡れた生温い手拭いに手を伸ばした。顔の前にかざした腕で、寝間着代わりだろう浴衣の袖がゆらりと揺れた。
手拭いを取り去り、持ち上げていた腕を布団の上に下ろした少女は、その細い腕を支えにして上体を起こそうとした。しかし体は思うように動かず、僅かに背を浮かせては布団の上に落下することを繰り返す。
何度目かの挑戦でようやく背を起こしきった少女は、枕の上方に木桶が置かれていることに気がついた。木桶の中を覗き込むと水が張られていて、自身の顔が水面にゆらゆらと揺れながら映りこんでた。
長く白い髪と頭部から生えた狐の耳は和室を淡く照らし出す陽光に反射して白銀色に輝いていて、瞳は柘榴石のような美しい赤色に濡れている。よく見ると左目の下に泣きぼくろがあり、小さな顔には整った鼻と口がちょこんと収まっていた。
「……」
水鏡の向こうから無言で見つめ返してくる顔に表情はなく、真っ赤な瞳からは感情の色がうかがえない。対外的に見れば美しいと評されるであろう整った顔立ちをしていることもあって、まるで精巧につくられた人形のようでさえあった。
(私は、こんな顔をしていた?)
妙に現実感が伴わないのは、体と同様に動きの遅い脳のせいか、それとも単に目覚めたばかりだからだろうか。
ひとつ疑問が湧き出せば、次から次へときりなく疑問が溢れ出す。
ここはどこなのか。どうして見知らぬ場所に寝かされていたのか。異常なまでに怠い体と動きの鈍い脳には何か原因があるのか。ここに来る前は何をしていたのか。そして……。
自分は何者なのか。
少女は現状ばかりか過去すらわからず、自身に関する一切を思い出せなかった。
「……」
しかし、奇妙なことに記憶を失ったことや自分の正体がわからないことに焦りや不安は感じなかった。それどころか渇望や執着といった感情すら湧かない。
水面の少女が宝石をはめ込んだような無機質な瞳でこちらを見つめていた。
どれくらいそうしていただろう。ふいに耳に届いたすっと襖を開ける音と「美桜……?」という小さな小さな、それでいてよく通る声での呟きに、少女はそちらへと視線を滑らせる。
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