惑う霧氷の彼方

雪原るい

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1話「喪失の欠片」

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神代かじろに向けて手で合図すると、一同が落ち着いたのを見計らって神代かじろは再び口を開いた。

「……里長、しばらくは様子見としませんか?」
「馬鹿を言うな!貴様もわかっているだろう?この集落にかかっている呪いが……」
「……わかっていますよ?しかし、早過ぎるんです。まだ…――」

里長と神代かじろの意見は、平行線のままだ。
集まっている者達もそれぞれで「里長の言うとおりだ」と言う者、「まだ決めるには早い」と言う者と同じく平行線を辿っている状態であった。

「……どちらにせよ、この事は表沙汰にできないんだ。神代かじろの言うとおり、判断は慎重にするべきだと私も思うのだが……どうかな、里長殿?」

退屈そうに欠伸をして立ち上がった十紀ときは、窓辺へ向かうと襖を開けて窓の外に視線を向ける。
――外は夜の闇に包まれ、星月の明かりに照らされた濃い霧に包まれていた。


クスクス……

クスクス……


誰もいないはずの外では虫の音色に混ざり、小さな笑い声がたくさん響いていた――

「…………」

窓辺に座った十紀ときは静かに外の様子をうかがいながら、窓を少しだけ開けてくわえた煙草に火を点けた。

「…今夜も賑やかそうで……嫌ですわ」

外から聞こえてきた複数の笑い声に、女性は自分の身体を抱きしめて小さく震えている。
今までそれぞれの意見を言い合っていた者達も、外から聞こえる笑い声にシーンと静まり返っていた。

「……いいだろう。神代かじろ…お前の言うとおり、数日だけ待ってやろう……」
「さ、里長っ!?」

里長の言葉に、黙って菓子を食べていた青年が驚きの声をあげると持っていたお菓子をすべて床に落とす。
その様子を横目で見ていた里長は、たいして気に留めた様子もなく神代かじろへ向けて言葉を続けた。

「ただし、その間は貴様が何とかしろ。それが条件だ…」
「………わかりました。ありがとうございます、里長」

神代かじろは里長に向けて頭を下げると立ち上がり、一同が集まっている部屋を後にする。
それに続くように、部屋を出る従者の青年と十紀ときの2人――

「……いいんですか?」

床に落としたお菓子はそのままに、口の中にある菓子を咀嚼する青年は里長の顔色をうかがいながら訊ねた。
里長は鼻で笑うと、囁くように答える。

「……いい。お前も、神代かじろ十紀ときに手は出すなよ………あぁ、はお前に任せるぞ。目障りだ、早々に始末しろ……」

里長の言葉に、ゆっくり菓子を飲み込んだ青年は小さく頷いて返事をした。
それを見ていた女性が、青年の頭を強かに叩くと叱りつける。

「あの方に手を出せば、お前であろうとわたくしは許しはしないですわ」
「っ、ふん。お前の片思いなんか、知らねーって……」

菓子の食べかすを口のまわりにつけた青年は頭をおさえながら、床に落としていた菓子袋数個を抱えると部屋を出ていった。
それを睨みつけるように見ていた彼女は、彼の落としたままにしたお菓子を片付けながら呟く。

「…まったく、自分の事ばかりなんですから。わたくしは、あの者の世話人ではないというのに……」
「…そう言うでない……あれはあれなりに、お前に気を使っておるのだ」
「あら、それは初耳ですわ……ありがたくもありませんし。では、お養父とう様。わたくしは、先に休ませていただきます…それでは皆様、失礼いたしますね」

養父ちちである里長の言葉に驚いた様子の女性は、里長と他の者達に頭を下げると部屋を出ていった。

「まったく…あの者達は、性格が合わぬのだろうな……」

深くため息をついた里長は、小声でひとり愚痴る。
そして、お茶を飲むと集まっている者達に向けて言った。

「先ほど、神代かじろに言ったとおりだ。数日後の夜、祠にて儀式をおこなう……祭りについては、例年通りで良いな?」

その言葉に、一同は頷く。

「里長殿の決めた事ならば……」
神代かじろ様も納得なさっておられる事だし…なぁ」

里長は皆の様子をうかがうと、もう一度深いため息をつくとひとり言のように呟いた。

「…早くどうにかせぬといかんな……この国の為に――」


***


「……目を覚ましたぞ」

煙草をくわえながら、十紀とき神代かじろに伝える。

「知ってますよ…会いましたから」

木の枝で地面に何かを描きながら、神代かじろは答えた。

「…何時いつだ?」
何時いつ……十紀ときが里長の雷を受けている時に、ですね」

少し考え込んだ十紀ときは、ゆっくりと頷いて納得する。

「……あぁ、あの時にか――」
「驚いてましたよ?彼女……」
「だろうな……」

苦笑する十紀ときは、傍に生えている樹木に寄りかかった。

「たまには、休息が欲しいんだ」
十紀ときの場合、『たまには仕事』でしょう?」
「…失礼な事を言うな。これでも、きちんと仕事はしている」

地面に描き終えた神代かじろは、持っていた枯れ枝を放り投げる。

「そうですね、そういう事にしておいてあげますよ………では、はじめます――」

地面に描かれたものの上に立った神代かじろは、静かに目を閉じた。


***
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