堕ちし記憶の森は

雪原るい

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7話「死の宴への招待状」

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二度目の……何かがぶつかるような鈍い音が聞こえてきた後、女性の笑い声は、ゆっくりと遠ざかっていった。
静寂が訪れるのを待ち、俺と右穂うすいは鍵を開けて扉の外――通路の様子をうかがってみる。
そこには、もう誰もおらず…ただ、通路には再び静寂が訪れているだけだった。

ふと、床の方に視線を向けると…そこには、力なく倒れている軍人の姿があった。
慌てて近寄ると、その軍人は七弥ななやだった。
上着に血がついていたので『何処か怪我をしているのではないか?』と診るが、頬のかすり傷以外の外傷はない。
おそらく、強く壁に身体を打ちつけられた事で失神しているだけだろう。

……相変わらず、頑丈な奴だよな。

七弥ななやが無事だった事に、俺は苦笑しながら安堵した。
しかし、このままコイツを放置していてもいいんだが……
放置したら、また嫌味のひとつを言われてしまうかもしれない。

そう考えた俺は右穂うすいに頼んで、先ほどまで俺達が隠れていた部屋のベッドに七弥ななやを寝かせた。
……本当は俺ひとりで七弥ななやを運ぼうとしたんだが、コイツ…意外に重いんだ。
身体を鍛えていたからな、コイツは特に。

あの七弥ななやを倒した女性は――おそらく、狂ってしまった織葉おりはだろうな。

今まで、玖苑くおんで『薬』を使われた織葉おりはは狂気と正気の狭間にいたんだろう。
それを、新たに作られたものを与えられた事て完全にその精神が狂気に支配されたか。
とにかく、早く織葉おりはを見つけなければ……この飛行艇内にいる全員の身が危険だろう。
どうやら右穂うすいも同じ考えに至ったらしく、俺達は織葉おりはを追う事となった。

気を失っている七弥ななやを起こさぬように、静かに部屋から出て扉を閉める。

「まだ…そんなに遠くへ行っていないはずだ。追うぞ、右穂うすい
「はい、倉世くらせ様」

銃を手に、俺達は狂気に支配された織葉おりはを探す。
床には赤い液体が点々と、壁には赤い手形が続いているので居場所はすぐにわかるだろう。
その赤い目印を頼りに走ると織葉おりはに追いついた。

真っ赤に染まる衣服に、同じくその手を赤く染めた狂気の淑女――腰まである髪がぼさぼさな彼女は、ゆらゆらと歩いていた。
だが、俺と右穂うすいの気配に気づいたのか立ち止まった。
そして、ゆっくり振り返ると焦点の合わぬ瞳を俺達に向けて口元に歪んだ笑みを作る。

「あら…また会ったわね、貴方達。あの子が言っていたの、貴方達は邪魔でしかないって……」

彼女の言葉の意味が、俺には理解できなかった。
確か、あの時…七弥ななやが言っていた。
彼女の子供は玖苑くおんの事件で死んでいる、と。

…いや、違う。
俺達の前に立つ彼女の正体は――

そうだ、この方は……

その事を思い出したら、誰が織葉おりは様を狂わせたのか気づいてしまった。
その人物が一体何を考えているのか、俺にはわからない。
……いや、わかりたくもない。

その人物が自分の肉親を使って恐ろしい実験をおこなったという事に。
…俺達が恐れていた以上の結果を出しているようだ。

「うふふ…」

狂気な笑みを浮かべる織葉おりは様の声を聞いて、俺は…いや、俺と右穂うすいはこの方の説得は無理だと判断した。
前の段階だと、なんとか抑えられ…少し時間はかかるが、治療する事もできたかもしれない。
だが…新たに作られたもので、それが適わない状態にされたのだから――

笑っている織葉おりは様は急に無表情となり…突然、こちらとの間合いを取ると体術を仕掛けてきた。
咄嗟の事で俺は避ける事はできなかったが、右穂うすいが俺の前に立つとそれを腕で防いだ。
かなりの衝撃だったらしく、右穂うすいは苦痛に顔を歪めた。

「っ、倉世くらせ様…今の内に――」
「ぁ、ああ…」

織葉おりは様の攻撃を防ぎながら言う右穂うすいの言葉に、俺はゆっくりと銃口を織葉おりは様に向ける。
――まずは、動きを止めなければ。
ゆっくり狙いを定めると、蹴り技を繰りだそうとしている織葉おりは様の左肩を撃った。
狙い通り、左肩を撃ち抜かれた織葉おりは様はバランスを崩し座り込んだ。

銃口を向けたまま、織葉おりは様の様子をうかがいながら右穂うすいに怪我はないか訊ねると、右穂うすいは頷いて答える。

「……はい、大丈夫です」
「そうか、よかった…」

たいした怪我はしていない様子の右穂うすいに、俺は安堵した。

左肩を撃たれた織葉おりは様の出血はひどく、浅い呼吸を繰り返しているようだった。
危険な状態ではあるが、この状態ならば暴れる心配は……

「っ…!?」

突然立ち上がった織葉おりは様に、俺は咄嗟に彼女の足を撃った。
右穂うすいも、銃口を向けると俺とほぼ同時に織葉おりは様の腹を撃っていた。
2発の銃弾を受けた織葉おりは様は、そのまま仰向けに倒れ込んだ。
そして、何もない宙に手を伸ばすと掠れる声で囁くように呟いた。

「――…ち、ぐ、さ……」

――…知草ちぐさ
それが、織葉おりは様の最期の言葉だった……
愛する息子の名前を口にすると、宙に伸ばしていた手から力が抜けて床に落ちた。

……ただ、狂ってしまった織葉おりは様は最後まで『ある事実』を知らなかったのだから幸せだろう。
自分が、その大切な者に利用されていたという事実――
この方が信じていた『愛する息子は死んでしまった』という偽り……
それと、自分が恐ろしい犯罪を犯してしまったという事も、何も知らない状態で死ねたのだから。
…そう、考える事しかできなかった。

――織葉おりは様…申し訳ありません。
どうか…貴女は、あの偽りだけを信じてお眠りください。
そして、恨むのだとしたら…俺だけにしてください。

心の中で自ら殺めた淑女に向けて、鎮魂の祈りを捧げた。
これは…俺が背負うべき咎、なのだろう。
――全てを明らかにし、罪を贖う為には……記憶を完全に取り戻さないとならない。


七弥ななや…お前も、本当は気づいているんだろう?
何が真実で、何が偽りなのかを……

織葉おりは様の大切な者が誰で、それがお前にとってどういう存在なのかを……

「――…探さないといけないな」

無意識に出た俺の呟きに、右穂うすいは静かに頷いた。

「はい、我が主――倉世くらせ様……」
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