52 / 140
7話「死の宴への招待状」
9
しおりを挟む
二度目の……何かがぶつかるような鈍い音が聞こえてきた後、女性の笑い声は、ゆっくりと遠ざかっていった。
静寂が訪れるのを待ち、俺と右穂は鍵を開けて扉の外――通路の様子をうかがってみる。
そこには、もう誰もおらず…ただ、通路には再び静寂が訪れているだけだった。
ふと、床の方に視線を向けると…そこには、力なく倒れている軍人の姿があった。
慌てて近寄ると、その軍人は七弥だった。
上着に血がついていたので『何処か怪我をしているのではないか?』と診るが、頬のかすり傷以外の外傷はない。
おそらく、強く壁に身体を打ちつけられた事で失神しているだけだろう。
……相変わらず、頑丈な奴だよな。
七弥が無事だった事に、俺は苦笑しながら安堵した。
しかし、このままコイツを放置していてもいいんだが……
放置したら、また嫌味のひとつを言われてしまうかもしれない。
そう考えた俺は右穂に頼んで、先ほどまで俺達が隠れていた部屋のベッドに七弥を寝かせた。
……本当は俺ひとりで七弥を運ぼうとしたんだが、コイツ…意外に重いんだ。
身体を鍛えていたからな、コイツは特に。
あの七弥を倒した女性は――おそらく、狂ってしまった織葉だろうな。
今まで、玖苑で『薬』を使われた織葉は狂気と正気の狭間にいたんだろう。
それを、新たに作られたものを与えられた事て完全にその精神が狂気に支配されたか。
とにかく、早く織葉を見つけなければ……この飛行艇内にいる全員の身が危険だろう。
どうやら右穂も同じ考えに至ったらしく、俺達は織葉を追う事となった。
気を失っている七弥を起こさぬように、静かに部屋から出て扉を閉める。
「まだ…そんなに遠くへ行っていないはずだ。追うぞ、右穂」
「はい、倉世様」
銃を手に、俺達は狂気に支配された織葉を探す。
床には赤い液体が点々と、壁には赤い手形が続いているので居場所はすぐにわかるだろう。
その赤い目印を頼りに走ると織葉に追いついた。
真っ赤に染まる衣服に、同じくその手を赤く染めた狂気の淑女――腰まである髪がぼさぼさな彼女は、ゆらゆらと歩いていた。
だが、俺と右穂の気配に気づいたのか立ち止まった。
そして、ゆっくり振り返ると焦点の合わぬ瞳を俺達に向けて口元に歪んだ笑みを作る。
「あら…また会ったわね、貴方達。あの子が言っていたの、貴方達は邪魔でしかないって……」
彼女の言葉の意味が、俺には理解できなかった。
確か、あの時…七弥が言っていた。
彼女の子供は玖苑の事件で死んでいる、と。
…いや、違う。
俺達の前に立つ彼女の正体は――
そうだ、この方は……
その事を思い出したら、誰が織葉様を狂わせたのか気づいてしまった。
その人物が一体何を考えているのか、俺にはわからない。
……いや、わかりたくもない。
その人物が自分の肉親を使って恐ろしい実験を行ったという事に。
…俺達が恐れていた以上の結果を出しているようだ。
「うふふ…」
狂気な笑みを浮かべる織葉様の声を聞いて、俺は…いや、俺と右穂はこの方の説得は無理だと判断した。
前の段階だと、なんとか抑えられ…少し時間はかかるが、治療する事もできたかもしれない。
だが…新たに作られたもので、それが適わない状態にされたのだから――
笑っている織葉様は急に無表情となり…突然、こちらとの間合いを取ると体術を仕掛けてきた。
咄嗟の事で俺は避ける事はできなかったが、右穂が俺の前に立つとそれを腕で防いだ。
かなりの衝撃だったらしく、右穂は苦痛に顔を歪めた。
「っ、倉世様…今の内に――」
「ぁ、ああ…」
織葉様の攻撃を防ぎながら言う右穂の言葉に、俺はゆっくりと銃口を織葉様に向ける。
――まずは、動きを止めなければ。
ゆっくり狙いを定めると、蹴り技を繰りだそうとしている織葉様の左肩を撃った。
狙い通り、左肩を撃ち抜かれた織葉様はバランスを崩し座り込んだ。
銃口を向けたまま、織葉様の様子をうかがいながら右穂に怪我はないか訊ねると、右穂は頷いて答える。
「……はい、大丈夫です」
「そうか、よかった…」
たいした怪我はしていない様子の右穂に、俺は安堵した。
左肩を撃たれた織葉様の出血はひどく、浅い呼吸を繰り返しているようだった。
危険な状態ではあるが、この状態ならば暴れる心配は……
「っ…!?」
突然立ち上がった織葉様に、俺は咄嗟に彼女の足を撃った。
右穂も、銃口を向けると俺とほぼ同時に織葉様の腹を撃っていた。
2発の銃弾を受けた織葉様は、そのまま仰向けに倒れ込んだ。
そして、何もない宙に手を伸ばすと掠れる声で囁くように呟いた。
「――…ち、ぐ、さ……」
――…知草。
それが、織葉様の最期の言葉だった……
愛する息子の名前を口にすると、宙に伸ばしていた手から力が抜けて床に落ちた。
……ただ、狂ってしまった織葉様は最後まで『ある事実』を知らなかったのだから幸せだろう。
自分が、その大切な者に利用されていたという事実――
この方が信じていた『愛する息子は死んでしまった』という偽り……
それと、自分が恐ろしい犯罪を犯してしまったという事も、何も知らない状態で死ねたのだから。
…そう、考える事しかできなかった。
――織葉様…申し訳ありません。
どうか…貴女は、あの偽りだけを信じてお眠りください。
そして、恨むのだとしたら…俺だけにしてください。
心の中で自ら殺めた淑女に向けて、鎮魂の祈りを捧げた。
これは…俺が背負うべき咎、なのだろう。
――全てを明らかにし、罪を贖う為には……記憶を完全に取り戻さないとならない。
七弥…お前も、本当は気づいているんだろう?
何が真実で、何が偽りなのかを……
織葉様の大切な者が誰で、それがお前にとってどういう存在なのかを……
「――…探さないといけないな」
無意識に出た俺の呟きに、右穂は静かに頷いた。
「はい、我が主――倉世様……」
静寂が訪れるのを待ち、俺と右穂は鍵を開けて扉の外――通路の様子をうかがってみる。
そこには、もう誰もおらず…ただ、通路には再び静寂が訪れているだけだった。
ふと、床の方に視線を向けると…そこには、力なく倒れている軍人の姿があった。
慌てて近寄ると、その軍人は七弥だった。
上着に血がついていたので『何処か怪我をしているのではないか?』と診るが、頬のかすり傷以外の外傷はない。
おそらく、強く壁に身体を打ちつけられた事で失神しているだけだろう。
……相変わらず、頑丈な奴だよな。
七弥が無事だった事に、俺は苦笑しながら安堵した。
しかし、このままコイツを放置していてもいいんだが……
放置したら、また嫌味のひとつを言われてしまうかもしれない。
そう考えた俺は右穂に頼んで、先ほどまで俺達が隠れていた部屋のベッドに七弥を寝かせた。
……本当は俺ひとりで七弥を運ぼうとしたんだが、コイツ…意外に重いんだ。
身体を鍛えていたからな、コイツは特に。
あの七弥を倒した女性は――おそらく、狂ってしまった織葉だろうな。
今まで、玖苑で『薬』を使われた織葉は狂気と正気の狭間にいたんだろう。
それを、新たに作られたものを与えられた事て完全にその精神が狂気に支配されたか。
とにかく、早く織葉を見つけなければ……この飛行艇内にいる全員の身が危険だろう。
どうやら右穂も同じ考えに至ったらしく、俺達は織葉を追う事となった。
気を失っている七弥を起こさぬように、静かに部屋から出て扉を閉める。
「まだ…そんなに遠くへ行っていないはずだ。追うぞ、右穂」
「はい、倉世様」
銃を手に、俺達は狂気に支配された織葉を探す。
床には赤い液体が点々と、壁には赤い手形が続いているので居場所はすぐにわかるだろう。
その赤い目印を頼りに走ると織葉に追いついた。
真っ赤に染まる衣服に、同じくその手を赤く染めた狂気の淑女――腰まである髪がぼさぼさな彼女は、ゆらゆらと歩いていた。
だが、俺と右穂の気配に気づいたのか立ち止まった。
そして、ゆっくり振り返ると焦点の合わぬ瞳を俺達に向けて口元に歪んだ笑みを作る。
「あら…また会ったわね、貴方達。あの子が言っていたの、貴方達は邪魔でしかないって……」
彼女の言葉の意味が、俺には理解できなかった。
確か、あの時…七弥が言っていた。
彼女の子供は玖苑の事件で死んでいる、と。
…いや、違う。
俺達の前に立つ彼女の正体は――
そうだ、この方は……
その事を思い出したら、誰が織葉様を狂わせたのか気づいてしまった。
その人物が一体何を考えているのか、俺にはわからない。
……いや、わかりたくもない。
その人物が自分の肉親を使って恐ろしい実験を行ったという事に。
…俺達が恐れていた以上の結果を出しているようだ。
「うふふ…」
狂気な笑みを浮かべる織葉様の声を聞いて、俺は…いや、俺と右穂はこの方の説得は無理だと判断した。
前の段階だと、なんとか抑えられ…少し時間はかかるが、治療する事もできたかもしれない。
だが…新たに作られたもので、それが適わない状態にされたのだから――
笑っている織葉様は急に無表情となり…突然、こちらとの間合いを取ると体術を仕掛けてきた。
咄嗟の事で俺は避ける事はできなかったが、右穂が俺の前に立つとそれを腕で防いだ。
かなりの衝撃だったらしく、右穂は苦痛に顔を歪めた。
「っ、倉世様…今の内に――」
「ぁ、ああ…」
織葉様の攻撃を防ぎながら言う右穂の言葉に、俺はゆっくりと銃口を織葉様に向ける。
――まずは、動きを止めなければ。
ゆっくり狙いを定めると、蹴り技を繰りだそうとしている織葉様の左肩を撃った。
狙い通り、左肩を撃ち抜かれた織葉様はバランスを崩し座り込んだ。
銃口を向けたまま、織葉様の様子をうかがいながら右穂に怪我はないか訊ねると、右穂は頷いて答える。
「……はい、大丈夫です」
「そうか、よかった…」
たいした怪我はしていない様子の右穂に、俺は安堵した。
左肩を撃たれた織葉様の出血はひどく、浅い呼吸を繰り返しているようだった。
危険な状態ではあるが、この状態ならば暴れる心配は……
「っ…!?」
突然立ち上がった織葉様に、俺は咄嗟に彼女の足を撃った。
右穂も、銃口を向けると俺とほぼ同時に織葉様の腹を撃っていた。
2発の銃弾を受けた織葉様は、そのまま仰向けに倒れ込んだ。
そして、何もない宙に手を伸ばすと掠れる声で囁くように呟いた。
「――…ち、ぐ、さ……」
――…知草。
それが、織葉様の最期の言葉だった……
愛する息子の名前を口にすると、宙に伸ばしていた手から力が抜けて床に落ちた。
……ただ、狂ってしまった織葉様は最後まで『ある事実』を知らなかったのだから幸せだろう。
自分が、その大切な者に利用されていたという事実――
この方が信じていた『愛する息子は死んでしまった』という偽り……
それと、自分が恐ろしい犯罪を犯してしまったという事も、何も知らない状態で死ねたのだから。
…そう、考える事しかできなかった。
――織葉様…申し訳ありません。
どうか…貴女は、あの偽りだけを信じてお眠りください。
そして、恨むのだとしたら…俺だけにしてください。
心の中で自ら殺めた淑女に向けて、鎮魂の祈りを捧げた。
これは…俺が背負うべき咎、なのだろう。
――全てを明らかにし、罪を贖う為には……記憶を完全に取り戻さないとならない。
七弥…お前も、本当は気づいているんだろう?
何が真実で、何が偽りなのかを……
織葉様の大切な者が誰で、それがお前にとってどういう存在なのかを……
「――…探さないといけないな」
無意識に出た俺の呟きに、右穂は静かに頷いた。
「はい、我が主――倉世様……」
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
他国から来た王妃ですが、冷遇? 私にとっては厚遇すぎます!
七辻ゆゆ
ファンタジー
人質同然でやってきたというのに、出されるご飯は母国より美味しいし、嫌味な上司もいないから掃除洗濯毎日楽しいのですが!?
【完結】聖女ディアの処刑
大盛★無料
ファンタジー
平民のディアは、聖女の力を持っていた。
枯れた草木を蘇らせ、結界を張って魔獣を防ぎ、人々の病や傷を癒し、教会で朝から晩まで働いていた。
「怪我をしても、鍛錬しなくても、きちんと作物を育てなくても大丈夫。あの平民の聖女がなんとかしてくれる」
聖女に助けてもらうのが当たり前になり、みんな感謝を忘れていく。「ありがとう」の一言さえもらえないのに、無垢で心優しいディアは奇跡を起こし続ける。
そんななか、イルミテラという公爵令嬢に、聖女の印が現れた。
ディアは偽物と糾弾され、国民の前で処刑されることになるのだが――
※ざまあちょっぴり!←ちょっぴりじゃなくなってきました(;´・ω・)
※サクッとかる~くお楽しみくださいませ!(*´ω`*)←ちょっと重くなってきました(;´・ω・)
★追記
※残酷なシーンがちょっぴりありますが、週刊少年ジャンプレベルなので特に年齢制限は設けておりません。
※乳児が地面に落っこちる、運河の氾濫など災害の描写が数行あります。ご留意くださいませ。
※ちょこちょこ書き直しています。セリフをカッコ良くしたり、状況を補足したりする程度なので、本筋には大きく影響なくお楽しみ頂けると思います。
貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後
空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。
魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。
そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。
すると、キースの態度が豹変して……?
好きだと言ってくれたのに私は可愛くないんだそうです【完結】
須木 水夏
恋愛
大好きな幼なじみ兼婚約者の伯爵令息、ロミオは、メアリーナではない人と恋をする。
メアリーナの初恋は、叶うこと無く終わってしまった。傷ついたメアリーナはロメオとの婚約を解消し距離を置くが、彼の事で心に傷を負い忘れられずにいた。どうにかして彼を忘れる為にメアが頼ったのは、友人達に誘われた夜会。最初は遊びでも良いのじゃないの、と焚き付けられて。
(そうね、新しい恋を見つけましょう。その方が手っ取り早いわ。)
※ご都合主義です。変な法律出てきます。ふわっとしてます。
※ヒーローは変わってます。
※主人公は無意識でざまぁする系です。
※誤字脱字すみません。
豪華地下室チートで異世界救済!〜僕の地下室がみんなの憩いの場になるまで〜
自来也
ファンタジー
カクヨム、なろうで150万PV達成!
理想の家の完成を目前に異世界に転移してしまったごく普通のサラリーマンの翔(しょう)。転移先で手にしたスキルは、なんと「地下室作成」!? 戦闘スキルでも、魔法の才能でもないただの「地下室作り」
これが翔の望んだ力だった。
スキルが成長するにつれて移動可能、豪華な浴室、ナイトプール、釣り堀、ゴーカート、ゲーセンなどなどあらゆる物の配置が可能に!?
ある時は瀕死の冒険者を助け、ある時は獣人を招待し、翔の理想の地下室はいつのまにか隠れた憩いの場になっていく。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しております。
貧乏冒険者で底辺配信者の生きる希望もないおっさんバズる~庭のFランク(実際はSSSランク)ダンジョンで活動すること15年、最強になりました~
喰寝丸太
ファンタジー
おっさんは経済的に、そして冒険者としても底辺だった。
庭にダンジョンができたが最初のザコがスライムということでFランクダンジョン認定された。
そして18年。
おっさんの実力が白日の下に。
FランクダンジョンはSSSランクだった。
最初のザコ敵はアイアンスライム。
特徴は大量の経験値を持っていて硬い、そして逃げる。
追い詰められると不壊と言われるダンジョンの壁すら溶かす酸を出す。
そんなダンジョンでの15年の月日はおっさんを最強にさせた。
世間から隠されていた最強の化け物がいま世に出る。
ペットたちと一緒に異世界へ転生!?魔法を覚えて、皆とのんびり過ごしたい。
千晶もーこ
ファンタジー
疲労で亡くなってしまった和菓。
気付いたら、異世界に転生していた。
なんと、そこには前世で飼っていた犬、猫、インコもいた!?
物語のような魔法も覚えたいけど、一番は皆で楽しくのんびり過ごすのが目標です!
※この話は小説家になろう様へも掲載しています
転生幼女の攻略法〜最強チートの異世界日記〜
みおな
ファンタジー
私の名前は、瀬尾あかり。
37歳、日本人。性別、女。職業は一般事務員。容姿は10人並み。趣味は、物語を書くこと。
そう!私は、今流行りのラノベをスマホで書くことを趣味にしている、ごくごく普通のOLである。
今日も、いつも通りに仕事を終え、いつも通りに帰りにスーパーで惣菜を買って、いつも通りに1人で食事をする予定だった。
それなのに、どうして私は道路に倒れているんだろう?後ろからぶつかってきた男に刺されたと気付いたのは、もう意識がなくなる寸前だった。
そして、目覚めた時ー
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる