薔薇の寵妃〜女装令嬢は国王陛下代理に溺愛される〜完結

クリム

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第二章 レディ・ブリュー編

12 薔薇の離姫

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  遅れてしまった。完全に遅刻している僕は王宮敷地内とは言いながら馬車で十分程度の元老院へ行くのに、目の前の馬車に乗り込むのを躊躇った。

 馬車より短縮できるもの…。

 王宮玄関の横を、脚力強化のために近衛兵の馬達が行き過ぎる。

 馬…単騎なら…。

 兄上の近衛隊の一部と…アン女近衛隊の…今日は僕の馬ローチャがいるはず…って、いた!

「カーリン!ローチャを!」

 カーリンが手綱を離して白馬のローチャがやって来る。

「ルーネ様?」

 口はみもあぶみもしっかり乗っているローチャは、気品に溢れた顔で僕に気づくと擦り寄った。

「カーリン、ローチャを借りるよ!あとで返す」

 僕はローチャにひらり跨ると、僕用の女馬車を横目に走り出す。

 事の発端はデューク様が招かねている元老院での毎月一度の昼食会に、僕も呼ばれたことだ。

 アーリア姫殿下ではなく、カーヴァネスである僕がデューク様とご一緒することにアーリア姫殿下はひどく心を痛められ、泣かれてしまわれたんだ。

「わたし…わたしは…呼ばれてない…」

 女王であろうとする意思が御生誕祭以降出ていらしたアーリア姫殿下は、ご自身だけが元老院に呼ばれないことに不満ではなく不安をかんじているようだった。

 女王として認められていない…。

 それを感じ取ってはだめだ。

「アーリア姫殿下、お昼時にお一人にして申し訳ありません。わたくしが参加して見てまいります。包み隠さず元老院とアーリア姫殿下にお伝えします」

 何度か話してからアーリア姫殿下はお泣き止みになり頷いて、僕は部屋の時計を見て、遅刻が確定したのを知り今に至るわけなんだ。

 食後のお散歩で中庭散策を日課にしたアーリア姫殿下は、そこに連れてきたローチャを一目見て気に入られ、ローチャもアーリア姫殿下を認めたみたいで、僕はアーリア姫殿下をローチャに乗せて引き馬をしたりしていた。

 おかげでローチャは我慢強く安定した馬に仕上がって、機微に聡い馬になり、僕の無茶も聞いてくれる。

「ローチャ、垣根を飛び越せ」

 目の前の垣根を軽々飛び越え、そのまま元老院の建物にたどり着いた。

「ルーネ?」

「兄上、ローチャをお願いします」

 兄上たちデューク様の近衛は元老院に入ることはかなわず、外でデューク様の乗ってきた馬車を囲んでいる。

 豪華な扉を開けてもらうと、飛び込んだ廊下に人影を見つけた。

「すみません!元老院の食事会の場所を!遅れてしまいまして…わっ…っ…!」

 慌てすぎてよろめき背中に鼻をぶつけてしまって、しかもややふくよかな背中に跳ね飛ばされた。

「う…わ!す…すみません!」

「少し…落ちたらどうかしら。遅刻したもの同士ゆるりと歩きましょう」

 老齢の女性の声は柔らかく深みがあって、僕はふうっ…と息を吐いた。

「あの…」

「アーリアのカーヴァネスね。私はエディーラよ」

 エディーラ…女…伯爵…!

 女伯爵は珍しい訳ではないけど、元老院には唯一だ。

 先に言われしかも挨拶まで…僕は慌ててドレスの裾を摘んで礼をする。

「は、はい。あの…わたくしはルーネと申します」

 間の抜けた挨拶は…エディーラ伯爵はくすりと笑い、

「昼食に遅れているわね。参りましょう」

「え?」

「元老院会は昼食を兼ねているのよ」

 あ、そうだった。

 笑われた感じがしたのは多分勘違いじゃなく、歩き出したエディーラ伯爵の後に続きながら、僕は僕を回し蹴りしたい気分だった。

 元老院の紅一点だって言うのに、デューク様の立場を悪くしないだろうか。

「あの、遅刻してしまい…本当にご迷惑を…」

「あら、私も遅刻だわ」

 短い返事に…ああ…撃沈…。

 僕はエディーラ女伯爵の後を歩いて行き、古いけれど重厚な扉へ向かう。

 既にデューク様は質素な食事を済まされており、僕が席に着くと、パンと薄い葡萄酒を用意してくれたのはサヴナだ。

「毒味は済ませてある」

 エディーラ女伯爵のところにも置かれたそれを、老夫人は千切って葡萄酒に浸すと口に入れる。

「それで、デュークに対するお話は終わったの?」

「全く反応をせんが、急進過ぎると話をしてやった」

「アーリアの後見人に過ぎんのに」

「黒の若造が…忌々しい」

「全くだ」

 老人たちは食べ終わり口々にエディーラ女伯爵に告げ、僕は必死でパンと葡萄酒を飲み込む。

「あらあら今日も御機嫌斜めね、殿方は」

 どうやら食べ終わるのが退出のルールらしい部屋を後にしたのは、僕が無言で食べ終わってからだ。

「デューク様、おまたせ致しました」

 デューク様は頷き、僕はよくわからない集まりにレディの礼を取る。

「アラバスタの娘か。ほんにアルカディアの方々に似ているな」

 …は?

 老人の一人が顎をしゃくりあげるように、壁を見るように僕の視線を誘導した。

 僕が目線を上げると…うわっ…絵…かあ…。

「等身大のレティーシア様とアーレフ様よ。この地にたどり着いた時の絵姿ですって。見ると…カーヴァネス殿は、アーレフ様に似ているのね」

 エディーラ女伯爵はふ…っと誰かに似た顔で笑われる。

 月一あると言う元老院の食事会が終わると、僕は待っている馬車とローチャとどちらに乗るべきか悩んでいて、結局カーリンが押さえていたローチャが僕に擦り寄って来たから、僕はローチャに跨る。

 カーリンと並んで馬を歩かせ、デューク様の馬車を追いながら話した。

「一体なんの会合か…全く分からないよ」

 僕は元老院の食事会についてカーリンに話を持ちかける。

「アーサー近衛隊長に言わせると、国王陛下代理に不満をぶつける会…だとか…噂では。で、どうでした?」

 カーリンは眉をひそめてそう言った。

 やっぱり…そうか。僕は腹が立った。聞こえて来たのはデューク様の悪口ばっかりだった。

 続いて並足で寄るとカーリンが小さな声で話して来た。

「元老院は急進派の国王陛下代理を良くは思っていません。今を守る旧体制維持のガリア寄りですから」

「やっぱりね……。でも…エディーラ女伯爵は違う気がする」

「比較的新しい伯爵様ですね。元老院ではあまり意見を言われませんし…権力がないとも聞いています」

 たしかに…デューク様を責めをしなければ、守りもしなかった。

「そろそろ王宮ですね。ローチャをお預かりします」

 王宮の入り口に差し掛かり、カーリンに手綱を預けると、僕はデューク様の降りるのを待つ。

「うん、お願いするね、カーリン」

 それから、デューク様のところにいこうとしたんだけど、デューク様は書類の山に向かって行き、呼び止めてお話ししようとしたら出来たんだけど、あんなひどい言われ方に傷ついていないかと気後れして、夜でいいかな…と思ってしまった。

 僕はデューク様と別れてアーリア姫殿下のお部屋に行き、もうお昼の食事を終えられたアーリア姫殿下がお席から立ち上がるのを見て、ドレスの端を持つと、礼を取る。

「ただ今戻りました」

「ルーネ、おかえりなさい。どうだった?」

 本来ならばアーリア姫殿下が元老院の糞じじいどもの悪口歯牙に掛かるところなわけで…。

「硬いパンと薄いワインが出ました」

「まあ、大変」

「ワインにひたすと食べられますよ」

「私、ワインは苦手だわ」

「ワインは薄くて飲みやすいですよ」

「そうなの?でもマーシーのスープより美味しいかしら」

 美味い不味いは関係なく儀式なんだからなあ…来年からアーリア姫殿下があの制裁を受けるんだ。

 多分僕も同席するんだから、今日みたいな遅刻は厳禁だな、うん。

「さあさ、ダンスの練習ですわよ、姫殿下」

 マーシーの声に僕らは身を引き締めた。だってアルビオンのダンスのレッスンなんだ。はじめてのアルビオン式ダンス…それはヒューチャー王弟殿下から『命のお礼』として教師を派遣された…していただいたとは言わない。

 だって、僕らはガリア式のダンスすらまだマスターしていないからだ。

「はじめまして、姫殿下」

 老齢のレディのアルビオン語をアーリア姫殿下に通訳しながら、ダンスのレッスンを受ける。

「本当にアルビオンにご招待されるのかしら、ルーネ」

「アーリア姫殿下がアーリア女王陛下になられたら、外交として行かれるかもしれませんね」

「その時はルーネも一緒よ」

「はい」

 言いながら僕は、デューク様はアルビオンに行けるのだろうかと考えてしまった。

 デューク様はローゼルエルデのために全力を尽くしている。元老院から嫌味の応酬をされても、急進派と言われようとも前へ進んでいる。

 ローゼルエルデの国王陛下代理なんて言ったら、それだけで権限もあり凄いはずなんだけど…それなのにひどい言われようで…。

 デューク様が気の毒でたまらない。

 ダンスが終わり、ティータイムにも夕食にもデューク様は現れず、僕はアーリア姫殿下の残り湯をもらい寝間着に着替えていた。

 今日は視察なんて聞いていないんだけど…。

「ルーネ、今日の本は物語がいいわ」

 アーリア姫殿下の最近のお気に入りは、恋愛物語だ。

 読んでいるとアーリア姫殿下はすぐにうとうと…。眠り始めるアーリア姫殿下に掛布を掛け直し、ろうそくの火を消すとデューク様の部屋へ入る。

 遅いなと思いながら、剣を一人で振るう練習なんてしたくなくって、寝台にぼんやりと座っていた。

 突然、内扉からサヴナが入って来て、「レディ」と小さな声で囁いてくるように話す。

「サヴナ、なに?」

「グランからだ。デュークが大変だ。大広間に来て欲しい」

「え、デューク様が?」

「今日のデュークは匂いが違った。レディにはなにも話さなかったが、デュークは苦しんでいた」

 匂いに敏感な獣人ならではの発言だけど、こっちはただの人間だ。

「グラン侯爵殿下はなんて…ええと…」

「とにかくレディに来てくれって」

「わかった、すぐ行くよ」

 どうしようかと思ったけど、寝間着にコートローブを羽織り、扉を出る。あれ…今日は兄上が扉番のはずなのに…いない?

 サヴナと階下に走った。

 僕はサヴナの話ではよく分からなかった部分をどうにか推理しようとして…。なにが起こったにしろローゼルエルデのことなんだとしか考えられない。

 でも…どうして一階の大広間に?ああ、もう、どうして僕は馬車にご一緒しなかったんだろう。そうすればデューク様のお気持ちを知り、お慰め出来たかもしれないのに。

「ここだ、レディ」

 大広間の扉を開くと、キ…ンッと高い音がして、剣の鍔迫り合いの鈍い音が重なり、僕はそっと扉を閉めた。

 大広間の真ん中で剣を交わしているのは、デューク様とアーサー兄上で、練習用の刃潰しの剣で手合わせをされていた。

 部屋の隅の階段状の段差に座っているグラン侯爵殿下が、手招きで僕とサヴナを呼び、僕は足音を殺してグラン侯爵殿下のところへ行く。

 デューク様は兄上に剣を渡すと酒を煽り、アルカディアの剣を抜いて…ああ…奉納剣舞だ…。

 引き…刺して…抜く…摺り足…伸び上がり…回転…剣の舞は、デューク様の中に溢れている感情をさらけ出し、顕現させている。

 もどかしさと苦しさと…辛さ…デューク様の魂が訴えていて…デューク様がこの世に存在する意味を問うような…だめだ、これ以上は…迷いのある剣は怪我を生み…穢れを纏う。

 僕は僕の剣を手にするとデューク様の横で、奉納剣舞を行なってみた。回転し…おっと…デューク様はしたたかに飲んでいたらしくよろめかれて剣を落としそうになり、

「デューク様」

 デューク様は驚いた風に首を少し竦め、酔いに任せてどこか焦点の合っていない感じの目で僕を見つめると、ぼんやりと笑った。

「ルーネ…」

「はい、僕です」

 その瞬間デューク様の見せたふわりとした蕩けそうな微笑みが、僕の心臓を一瞬凍らせる。デューク様らしくない笑顔…酔っているだけのはずなんだけど…僕はぐっと堪えて笑みをたたえた。

「お部屋にお戻りください。寂しゅうございます」

「…そうか…」

 立ったていてもゆらゆらと身体の動くデューク様を兄上とグラン侯爵殿下が両脇から抱え、僕はアルカディアの剣を持って三階の部屋に戻る。

 デューク様は力なく寝台に座っていて、兄上とグラン侯爵殿下に呼ばれて迷いながらデューク様から離れた。

 扉の向うに身体を滑り込ませ、廊下で話を聞いつい。

「今日のジジイどもは辛辣だったからな。ニールスは保守派だ。ジジイどものハートを掴んじまった。急進派のデュークの存在すら否定してきやがった」

 グラン侯爵殿下は口がお悪いんだけど、今宵はさらに悪くいらして、サヴナがグラン侯爵殿下の脛を蹴り上げる。

「…っ!いっ…てぇ!」

「レディに汚い言葉を吐くな、グラン。耳が穢れる」

 あっ…はは…素の僕も同じ感じなんだけど…サヴナは僕を敬い過ぎて…いや、ここで考えることは別だ。

 つまり…ニールスはガリア寄りで、デューク様はアルビオン寄り…って訳だけど…一般的な考え方だと今をときめくガリアの方が頼り甲斐がある。

 でもアルビオンは争っていたブリタニア三国を平定させ、今はアンジュリカ女王の元で一気に発展をし始めていた。

 僕は兄上とグラン侯爵殿下サヴナに礼を取り、部屋に入るとふわりと香るお酒の…デューク様…普段は全く飲まれないのに。

 ブランデーを瓶からあおるように飲んで、ふう…とため息を突かれている。

「私は…何故黒髪なのだろう」

 不意にデューク様が話し始めた。

「黒髪は本来我が血筋になない色だ。王家が受けた呪いのようなものだろうか…」

 呂律の狂いもない話し方だ。

 黒い悪魔レェードは、レティーシア様の配偶者であるオリビェール様の兄ではあるが、アルカディア王の子ではなく、妃と神官長の不義の子であると伝え聞く。

 ローゼルエルデ王はレティーシア様とオリビェール様の血筋だ。だからこそ、王の間に続く廊下の肖像画には、黒髪なんて一人もいない。

「私はあなたが羨ましてたまらないのだ。あなたは元老院にある絵姿の真祖によく似ている。レティーシア様の美しさと、弟君の気高さが」

 僕は頷いて、デューク様の言葉を待った。

「私は時々…なぜ生まれてしまっのだと、母を恨むことがある」

 デューク様は酔っていないような…むしろ醒めた声で静かに告げる。

「特に元老院に行くたびにそう思えてならない」

「デューク様…」

 僕はデューク様の横に座って、デューク様の大きな手を握りしめた。

「母は生前私を見てはくれなかった。まるで疎むような顔をしていた…。あなたのように愛されて育ったわけではない」

 僕は少し笑って見せる。

「母は僕が生まれて少しだった頃、亡くなりました」

 そう答えて、驚いた表情をしたデューク様はもっと詳しく聞きたがっていたから続けた。

「父は王都住みで忙しく滅多に会えませんでしたが、僕はジーン隊長やマーシー…姉上に囲まれていて、幸せでした」

 そう…違いがある。

 僕は愛されていた。

 デューク様だって愛されていたはずだ。

 僕の兄上だとか、グラン侯爵殿下、アン隊長…アン隊長の兄君…。

 でもそれはデューク様の欲しい愛情ではないんだろう。デューク様はお母上様の愛情…いや、黒髪であることを認めてもらえる至高を求めている。

 それは僕ではなく、唯一無二の親族であらせられる、母君と血を分けたアーリア姫殿下…。しかし姫殿下は幼くいらして、まだご自身で精一杯だ。

 僕はデューク様の頭を抱いて寝台に伏せさせた。

「デューク様は甘えん坊さんです」

 僕はデューク様の頭を抱きしめる。デューク様はひとりぼっちなんだと理解する。

 デューク様の本当に欲しい愛情は…もうないのだから。

 あえて考える。花の女王は誰を娶りデューク様をお産みになったのか…。

 デューク様の鷲鼻や上背の高さからフランク王国の貴族ではないかと考えるんだけど…あの貧しい国からローゼルエルデに大使が誰かが来るとは考えにくい。

 でも…花の女王の在位は長い。早くに即位された花の女王…そしてデューク様は二十歳でいらして、花の女王の享年は三十五歳…デューク様は早い頃に授かっているんだ。

 デューク様の悲しみは母である花の女王からの愛情でしか埋められない。

 あとは…だめだ。それは考えちゃだめだ。

 僕は僕の膝に頭を預けて熟睡なさっているこの国を支えている人の顔を見やった。いつもはオールバック気味に整えられた前髪が鼻先にかかり…優しい表情で眠っていた。

 好きだな…この顔が。

 そっと髪に接吻をした。

 僕はデューク様のなんの力にもなれないのに…でも僕の傍で無防備に眠るデューク様…。

 好きだ…愛している…。

 デューク様を敬愛し、心から愛している僕でも…御心を救えない。

 酒が憂さ晴らしになったのか、僕の膝で寝ていらっしゃるからか、とにかく満足されていて…僕もうたた寝をしてしまった。

 そして明け方…僕は、僕の下半身が…痺れて痺れて…しまって…。

「いっ…たあ…!デューク様、触らないで…」

 僕は痺れてしまいすぎた脚をデューク様に触られるたびに寝台で悶える『泣きっ面に蜂』みたいな気分で悶えた。

 ちくしょう…無礼な元老院の奴ら、全員切っていいですか……あのエディーラ女伯爵以外は。

 僕はしばらく動けなくて、デューク様を心配させたんだけど、デューク様はすっきりされた感じで…まあ、いいかと思ったんだ。





 そんな午後、兄上がアーリア姫殿下の部屋に飛び込んで来た。

 僕は驚きと同時に兄上と一緒に馬車に乗り込んだ。行き先は父上の屋敷。父上が賊に狙われ倒れたと伝令が早馬を飛ばして来たんだ。

 飛ばす馬車に揺られながら、僕はアーリア姫殿下とデューク様にどのように挨拶をしたのだろうかとか、デューク様のお側を離れてよかったのだろうか…なんて父上そっちのけで考えていた。

 僕は僕の身代わりにソレスの剣をデューク様のお手元に残して来て、まあ…何かあったら兄上に盾になってもらうさ。

 王都の端っこにある父上の屋敷は貴族でありながら小さくて、玄関から入るとすぐに応接間になってしまう。玻璃がアーチ状に珍しく、日差しが差し込む作りだ。夏は暑いんだけど、夏はまあ、南だけど山風が涼しい田舎の城に逃げちゃうし。

 古い絨毯と、多分数世代前からあるソファセット。父上は左腕を吊った状態で座っていて、その横には髭親父…。

「ジーン隊長っ!」

 僕が唯一勝てない…今は唯一じゃないけど…僕にとっては師匠であり、半分以上育ててくれた父上みたいな人だ。

「おお、ルーネ様、お美しくなられましたな」

「……だって、ルーネ」

 だって、じゃねーよ、兄上!

 くっく…と笑うジーン隊長は落ち着き払った感じでソファに座って…。

「って…笑っている場合ではないでしょう、父上、傷は?」

 二人は飄々としているし、流石に兄上が珍しく僕より先にいきり立って叫んだ。

「ジーンが通りかかってくれてな、なあに…肩に一刺しで済んだ」

 落ち着き払っているのは、父上もジーン隊長も一緒だった。

「二人とも奥へ来なさい」

 父上とジーン隊長に連れて行かれて、奥の食堂に入る。使用人が誰もいないのが気になった。どうしたんだろう。

「使用人は全て暇を出した。大丈夫だ、新しい仕事場に行かせた」

「どうして…」

「屋敷を売るためだ。保守派が動き出したから、しばらく南に身を潜めようと思う」

「屋敷を…?」

と、兄上。兄上にとってはこちらの屋敷は思い出深いはずだ。僕は…南の別邸ばかりで、こちらへの思い入れはあまりないから、結構冷静だった。

「家財のほとんどは南の屋敷に移した。ガリア王国と繋がる王国保守派が動いていて厄介だ」

 どきりとした。兄上は何か思い当たる節があるのか、考え込んでいる。

「ガリアが動き出しているのですか、父上?」

 僕の言葉に父上は曖昧に笑った。

「そう考えてもおかしくない。ガリア王国は低迷している。そこで今王権を担うルカ家が保守派の頂点であるニュートリア姫殿下側に接触しているという噂もある」

 ニュートリア姫殿下の後ろにいるニールスは…ガリアに…ルカ家に踊らされている…と思う。ガリア王国は僕らに何を求める?

「お館様がアーリア姫殿下側だから襲われた…に、しては、少々雑な仕事だった。たまたま俺がお館様の屋敷に向かわなくてもお館様自身で切り抜けられだだろうがね」

 ジーン隊長が言った。まあ…そうだろうけどね…。

 父上はハゲのくせに、太めのくせに、強い。多分…ジーン隊長より強い。

「お前たちには心配をかけた。まあ、今日は泊まっていきなさい。お構いはできないが。ジーン、お茶を」

 うわ…お茶だけ…か。

 兄上も僕も料理なんて…ああ、カーリンを連れてこれば…いや、それは駄目だろう。

 空腹感を感じながら僕は兄上より先に二階へ上がった。

 久々の僕の部屋はそれなりに整っていた。天蓋の無い寝台なんて久しぶりで、クローゼットには男物の服が数着…僕が着てもいいのだろうけど…身体に合わせると、もう小さくなっている。

 それらを投げ出してやっぱり父上には悪いんだけど、城に戻ろうなんて考えていた。

 だって存外元気だし…でも…大体地位も低い子爵である父上がどうして狙われたんだろうか。だって改革派の貴族は増えている。

 でも…デューク様のお心の方が心配で心配で…すみません、父上。

 城に戻ろうと家族の居住スペースである二階から降りると、話し声が聞こえて来たのは食堂で…まだ、兄上と話していた。

「父上、近衛隊の数名を屋敷に配備します」

「駄目だ、アーサー。近衛隊は王のための兵だ。私のことは気にしないでいい、それより…」

 そこから声が聞き取りにくい。僕が廊下から部屋に入ろうとすると肩を掴まれて、身を下げ剣に手をかけようとし、僕はソレス・レプリカを置いてきたのを思い出す。

「いけませんなあ、子爵令嬢ともあろうものが盗み聞きなど」

 足音もさせないジーン隊長の猫足は、盗賊時代の賜物らしいけど…男爵ですよね、ジーン隊長?

「こちらへ」

 う…僕は広間へ逆戻りだ。

 がらんとした広間でジーン隊長が、荷物の中から小さな短剣を出して僕に寄越した。革ベルトが付いた鞘に包まれた短剣の柄は見たことがある。

「ジーン隊長…これって…」

「折れた短剣を打ち直し隠し短剣にしました。ルーネ様のドロワーズの中、腿につけて下さい。レディのドロワーズに手をかける騎士はおりますまい」

 あの…ジーン隊長から預かって僕が折ってしまった…亡くなった息子さんのための大切な剣…。

 嬉しさ反面…ううっ…レディか…僕はそうなるんだ。

 ジーン隊長に促され、なめし皮の柔らかな裏当ての短剣を太腿に巻きつけると、シルクのドロワーズの下に隠す。

「では、剣合わせをしながら話し合ってみますか」

 ……え?

 ジーン隊長の剣が凪ぐように横から剣を…膝をついて低い姿勢からドロワーズをめくりあげ、左太腿の短剣を逆手に握るとジーン隊長の刃を左手で持つ短剣で天に向けた。柄同士が鍔鳴りをし金属音が響く。

「お見事ですが、次の一手を考えないと」

 って、短剣だぞ?

 でも僕はその戦い方を知っていた。身体を小さくしてジーン隊長の足の間から背後に滑り込み、頸動脈を狙う…がそれを当然読まれていた。腰を引かれ背後に行けなかったんだ。

「さあさあ、短剣での受け流しですぞ、ルーネ様」

 ガガガ…ッ…鈍い音の応酬を短剣の柄を使って止める。

「子爵様はアーサー様に子爵号をお譲りいたします」

「………は?うわっ…」

 僕は思わず短剣を持つ手を緩めてしまった。両ききになるよう訓練してきたけれど、僕は右利きだ。だから気を抜くと…打ち負ける。

「私も男爵号を養子のザフルスに渡しました。これでお館様のお供が出来ます」

 兄上が…子爵…?ジーン隊長が…ザフルスを養子…あのザフルスが男爵位を…?

 頭上から打ち込まれる剣を寸手でかわし、息を吐いた。

 何が起こっている…?

 考えろ…考えるんだ、ルーネ。

 父上は何かヒントになる発言をしていなかったか?昨日の会議…デューク様の様子…アーリア姫殿下…いや…父上の言葉だ。

「注意散漫っ!」

「…くっ!」

 ブン…ッ…とジーン隊長の刃が横から切り結ぶ形になり、僕は短剣で刃を受け止めたけど、その風圧に負けて吹っ飛ばされた。

「受け身を!」

 僕だってガラスに背中からぶち当たるのはごめんだ!

 腹に力を入れて重心を変えると、足爪先に力を込めて床を踏む。低い体勢のままでジーン隊長の脇腹を狙って飛び込ん…。

「ルーネ様、私はあなたにとにかくどうであれ相手を倒す剣を教えました。ともすれば騎士として卑怯な手であれ…です」

 確実に脇腹から心臓を突く刺し口だったはずだが、ジーン隊長の長剣は僕の短剣をその腹で止めていた。

 読まれていた…まあ…この戦い方はジーン隊長の受け売りだし。

「……それを全部忘れて下さい」

 ジーン隊長は剣を鞘に戻すと床膝をついた僕に手を差し伸べて来る。

 隙あり…で鞘ごと背後から首絞め…って訳ではなくて、 ジーン隊長は僕を立ち上がらせると、騎士の礼を取り片膝をついた。

「王兄妃殿下になられるルーネ様には簡単に剣を抜かぬようにしていただきたいのです」

 抜か…ない…?

 見下ろしたジーン隊長は本気の本気で…。

 僕は訳がわからなくて頭が真っ白になりかけ、短剣を握りしめてその柄の感触でなんとか自分を保った。

 僕は貴方から騎士として戦いを学び、行く行くは南部方面の要として男爵領を拝領して…。

「それは…戦いに…加わるな…と言うことですか…」

 何かがあっても…後ろにいろと…。

「そうではなくてですね…ああ、なんというか…言葉が足らないですね」

 ジーン隊長は俯いて呟く僕に最大なため息をつき、どかりと胡座をかいて、僕の腕を思いっきり引っ張って僕を座り込ませた。

「う…わっ…」

 床に僕は座り込み…足を投げ出し、ドロワーズが丸出しだけど構うもんか。

「ルーネ様、あなたはお強い。だが未来の王兄妃となり、女王のカーヴァネスであるあなたが剣を抜く…剣を振るう、それは王国を背負っていると自覚して下さい」

「僕が剣を抜くことが…王国の…?どういう意味だ?カーヴァネスは女王を守ることもあったと聞いていたぞ」

 ええい、女言葉は終わりだ。

「そうではありますが、ここからは私の独り言としてお聞き下さい」

 独り言…って、宣言して話すもんだっけ?

 ジーン隊長は無精髭を撫でながら僕を見ずに呟くようにして告げる。

「お館様方改革派はアーリア姫殿下が即位されたのち、成人なされるまでは、デューク国王陛下代理に宰相として政権を担って貰おうと画策しています。今の代理の形ではなく政務を執ることになるでしょう」

 宰相と…して?

 デューク様が初めて持つ地位…になる。嬉しい!デューク様の居場所だ!でも…でも…!

「そんなの……そばかすが許すはずはない」

「そう。黒色不吉を振りかざす保守派は認めてはいない。万が一元老院が宰相を選ぶなら順位的にはニールス公爵殿下だ。しかもそこに付け入ってきているのが、ガリア王国のルカ家なのです」

 ジーン隊長の言葉に、僕はカーリンが話してくれた市井の噂を思い出した。

「ガリア王国は市井による革命が起こりつつある…って…」

 ガリア…革命…。

「ええ…。それを背後から操作しているのはブルーノ家です。遠からずルカ家はガリア王国を追い出されます」

 ジーン隊長はそこで言葉を切って僕を見る。

 まさか…いや…まさかだと思いたい。アーリア姫殿下と王国史を学んだから分かるんだ。ルカ家は初代女王レティーシア様の母方の祖に当たる。つまりはすっごく先は繋がっていて…。それを利用されたとしたら?

 いや…でも北のケルト王国だってルカ家には婚姻関係があるはずだ。

「ケルト王国の可能性は…」

 しかしジーン隊長は僕の言葉をあっさりぶった切った。

「ケルト王国は貧しい。ルカ家はそれよりは多少豊かなローゼルエルデ王国に着目しているはずでしょう」

「では…ではアーリア姫殿下をお守りするために」

 剣が必要なんだ。

「ええ、確かに。だからこそ、王国の中心にいるルーネ様には王国宮中騎士の剣技を学んでいただきたい。正しい剣技を学び、剣を抜くだけで皆が引くような…そう、剣舞をされたように圧倒される気迫を持って剣をお抜き下さい」

 ジーン隊長の言っていることの半分も分からず、ただ…王族を守るために剣を抜き振るう覚悟がいるってことにしか感じられなくて…。

 無言の僕に肩をすくめると、それからジーン隊長は立ち上がり裏口へ僕を招く。

 裏口にはローチャが繋がれていて、僕は驚いてジーン隊長を見上げた。

「なあに、あの程度の傷、お館様ならすぐに治ります。アーサー様がいらっしゃるから、ルーネ様は王宮にお戻りください。お供いたします」

 ああ…ジーン隊長のブチ馬もいる。僕はローチャの背に飛び乗ると、夜の街の端から王宮へ走って行く。






 白馬ローチャはまだ若馬で、ジーン隊長の愛馬茶腹の壮年斑馬を離して王宮に着き、僕は明け方の陽を背に衛兵に挨拶もそこそこに王宮の中に飛び込んだ。

 まだアーリア姫殿下はお眠りになっているはずで、デューク様は僕らが出てからすぐに視察に行かれていないらしい。

 忙しいんだなと少しだけ拍子抜けしながら、なんだか気ぜわしいようなざわつくような感じがしていて、僕は階段を駆け上がった。

「姫殿下、お離れください!」「姫殿下!」「姫殿下、おやめ下さいましっ!」

 女近衛隊とマーシーの緊張感に満ち満ちた高い声が、廊下に響く。

「だめ!」

 アーリア姫殿下の声だ。僕は扉が半開きになった部屋に飛び込んだ。

 アーリア姫殿下の部屋には女近衛隊のカーリンと今年入隊した年下の女の子…そしてアーリア姫殿下がいて、アーリア姫殿下はタオルに包んだ剣を誰かと取り合いをしていた。

「だめ!離して!これはルーネのなの!」

 誰だ…へんな白ずくめの男はターバンのように頭から白い布を巻きつけ、皺のある目出しのみの風体でアーリア姫殿下から剣を…ソレスの剣を奪おうとしている。

「アーリア姫殿下っ!」

 叫んだのは僕で、アーリア姫殿下は弾かれたようにぐるりと扉の方に体ごと向き直ると、

「ルーネ!」

と叫びながら僕の胸に飛び込んできた。

 ごめん、ソレス。アーリア姫殿下の方が大切なんだ。

「ルーネ、ルーネの剣が…っ」

 お寝巻きのままのアーリア姫殿下を僕は僕の背後に回すと、カーリンに目配せをした。

 背後の扉からこいつの仲間が来たら、アーリア姫殿下が危ないからだ。

 カーリンがゆっくりと扉に近づいていくのを見て、僕は太腿の短剣に手を掛けてやめる。

「ソレス…これがソレスか…」

 タオルを外して剥き身になったソレスを眺め回す賊の狙いはソレスの剣らしい…。

 じゃあ、こいつは目的を果たして逃げるだけで、部屋には女近衛隊とマーシーがいるんだから、僕が無理して出てもアーリア姫殿下を巻き込むだけだ。

 僕は今アーリア姫殿下の代理として、毅然としなきゃならない。

「あなたの目的はそのソレスレプリカですか?偽物の宝剣とは言え、売って金銭に変えることなど、このローゼルエルデでまかり通ることはないでしょう」

 ターバン男は唯一見えている血走った目で、初めて僕を見て唸り声を上げた。

「う…あああ…っ!レティーシア様…アーレフ様…そんな…そんなつもりではなく…私は…私は…っ!」

 男がフラフラと僕とアーリア姫殿下の方に歩いてくる。まるで狂気をはらんだように呻きながら、

「私はソレスを使い…この国を…お二人の祖国を…守りたいのです…」

 ソレスを抱いて距離を詰める男を、僕は作り声ではなく低い声で恫喝する。

「あなたはアーリア姫殿下に手を掛けました!それこそが国を揺るがす大罪です!」

 男は一瞬黙ってしまい、僕を見つめる。そこには僕なんか映っていなくて、僕を通り越していた。

「…この国の女王はレティーシア様です。その赤毛の小娘は誰なのだ?」

 アーリア姫殿下を…未来の女王を知らない?誰だ、この無礼者は!

「貴様…っ!」

 僕の頭に血が上り始めて来たのを認める。

 僕はローゼルエルデ王国の新女王を侮辱する人間を許すことは出来ない。カーヴァネスでもあり、アーリア姫殿下の唯一の肉親であるデューク様を慕う者として妹君であるこの小さき高貴は、僕の新しい家族になるんだ。

「失礼にもほどがあるっ!この方は、次期女王であらせられるアーリア姫殿下であるぞ!」

 僕はずい…っと賊に踏み出し、アーリア姫殿下が背中にしがみついているのを感じながら、更にもう一歩踏み出す。

「その剣はローゼルエルデ王国の物だ。返せっ!」

 男の方へ更に一歩踏み出すと、

「ひっ…」

と呻きながらソレスの剣を落とした。それから尻餅をついた男の革靴に剣の塚が当たり、慌てた男が足を振り上げ剣は高く上がって…。

「…っ!」

 僕の伸ばした手の中に戻り、ソレスはまるで自分で戻ってきたような錯覚さえ感じた。

 男にもそう見えたのかもしれない。

「…お帰り、ソレス」

 少し神がかったような物言いは、僕なりの演出だった…と思う。

と言うのは、心が沸き立つようなへんな高揚感があって…ソレスが僕のところに帰ってきたって。

「何をしている。近衛隊捕らえなさい」

 低い落ち着いた声が聞こえる。ジーン隊長の声だ。アーリア姫殿下を背後に貼り付けてお守りしながら、僕は扉の方に片目をやった。

 ジーン隊長はなんとデューク様とサヴナを扉の前で止めていたんだ。

「父上、どうして」

「カーリン、早くしなさい」

「は、はい、父上。取り押さえます!」

 カーリンが女近衛の一人と、デューク様の背後に控えていたリカルド近衛副隊長に立たされた男は腰が抜けたようになり、無抵抗のまま両脇を抱えてられて部屋から出て行く。

 僕はアーリア姫殿下に向き直り膝をつくと、アーリア姫殿下を見上げた。

「お怪我はありませんか?」

 アーリア姫殿下はオレンジ蜂蜜色の瞳をまん丸にして、

「ないわ、ルーネ」

と事の重大さを理解しておられない。臣下の剣を守る女王って…ないだろ、普通。

「あのような無茶は…」

 おやめくださいというより先に、デューク様が室内に入りアーリア姫殿下を抱き上げた。

「素晴らしい行動だったぞ、アーリア」

「お兄様!」

 デューク様がひょいとアーリア姫殿下を抱き上げ頬にキスをする。デューク様はアーリア姫殿下に対して幸せなスキンシップをなさるようになった。僕はホッと肩の力を抜く。

「だって…」

 そのあとは少し小さな声だった。

「ルーネの大切な剣だったもの…」

 お二人は笑いながら僕を見る。僕は剣を手にして、ジーン隊長に向き直る。

 確かに今回は剣を振るうことなくアーリア姫殿下を守ったけれど、僕には合わない戦い方だ。

「ジーン男爵、わたくしは王宮剣技を学びます。そして女王を守ります」

 ジーン隊長…僕のもう一人の父上とも呼べる人へのある意味の決別…ジーン隊長の戦い方は野盗のそれで、僕はその剣技を忘れなければならない。王宮の守り手故に。

 だからこそ僕は片膝をつき、降ろされたアーリア姫殿下の左手の甲に恭しく唇をつけた。

「アーリア姫殿下に永遠の忠誠を。私はカーヴァネスであると共に、アーリア姫殿下の刃となりましょう」

 片膝をつくなんて騎士のそれと同じだけれど、僕は騎士としてもカーヴァネスとしても、アーリア姫殿下に仕えようと思う。

 するとアーリア姫殿下は真っ赤になって手を引っ込め、それから片膝をついたまま驚いた僕の頰に接吻をなさったんだ。

 え…?

「ずっとよ、ルーネ。絶対よ、絶対」

 真っ赤な顔で破顔したアーリア姫殿下のお顔は、本当に可愛いらしくて、

「はい」

と思わずこちらも赤くなって破顔してしまう。

 ゴホン…とデューク様が咳払いをするのを見上げると、アーリア姫殿下が僕の腕に抱きついて、僕を立ち上がらせた。

「あら、お兄様、焼いているの?」

 アーリア姫殿下のおませな口調は、近頃お読みしている恋愛物語の影響です、はい。

「アーリア姫殿下、お戯れを」

 僕が苦言したませた口調にジーン隊長とマーシーは臣下ながら吹き出し、デューク様は片手でお顔を覆って笑いを堪えていて…。

 すっかり日の高くなったお部屋がパッと明るくなった気がした。

 僕がデューク様の部屋に戻ったのは、夜も更けた頃だった。

 半日しか離れてなかったんだけど、デューク様は夜半にもかかわらず書類にサインをしていた。

 どうやら春の雪解けで橋が流されたらしく、デューク様にあのアーチ型の橋の打診が来たようで、その段取りに苦慮しているらしい。

 最低限の生活空間という王族にあるまじき部屋の中に入ると、デューク様の姿が見えた。

 早朝…あれから僕はデューク様に会っていないけれど…ああ…デューク様がいる。

 書類にサインをしている後ろ姿を眺めた。

 デューク様はアーリア姫殿下の職務を代行していて、とても豪胆に見えて繊細な人で…でも僕を求めて見やる瞳はとても熱情的で…。

 美しく気高い騎士らしい振る舞いは、デューク様の黒髪の不吉だって言っている輩の意識を払拭できるものだと僕は考える。

 そんなデューク様は国を旧体制とガリア寄りの政務をやめて、アルビオン寄りの新体制に持って行こうとしている。もちろん元老院含め王族と貴族は反対しているけれど。

 でも、時代は変わり始めている。長い間ガリアを牛耳ってきたルカ家がバランスを崩し始めていて、王族末席ブルーノ家が市井を扇動し『革命』を起こそうとしていた。

 革命の後は…?

 ブルーノ家が王位に就くのか?

 王族による支配からの脱却を考えて革命は起こされるはずだ。ならばブルーノ家の台頭なんてあり得るだろうか…。その波はローゼルエルデをも巻き込みはしないか。

 僕らの国は堅牢ではなく脆弱だ。しかも人口は激減している。そこに落ち延びたルカ家が入って来たらどうなるんだろう。

 デューク様も多分お考えだ。しかも黒髪が王族にいる…それをマイナスにお考えになっている。眉をひそめるのはそんな時だ。

「デューク様」

 頃合いを見て僕は声をお掛けした。

「ルーネ、そんな所に立って」

「お仕事が終わるのをお待ちしていました」

 もちろん終わるなんてないんだけど、一息つかなきゃ擦り切れてしまいそうなデューク様の胸元に飛び込んで、唇に触れるだけの接吻をする。

「根を詰めすぎるといけないのは分かっているが…」

「ええ、そうです。たまには僕を構って下さい」

 片眉を少し上げて僕を膝に抱き上げると腹合わせに抱き寄せてこられたデューク様の下肢は昂ぶっていらして…。

「では…離れていた寂しさを埋めてもらおう」

 ナイトドレスの中のドロワーズのウエストリボンを緩めると、尻を性急に触れてくる。

 そこまでは…いつも通りだったのに、まるで飢え切った獣のように口を塞がれ、僕を求めて来た。

 解けてはいない狭間に入り込むデューク様の熱さは、香油の助けを借りながらも痛みを伴い僕を串刺しにして。

「う……くっ…!んっ…あっ!」

 中を擦る痛みを伴いながらそれを上回る気持ち良さに、僕は腰を揺らしてすぐに来てしまう悦さに、

「デューク様っ…!」

と小さく叫びながら、デューク様の膝の上で仰け反ってしまう。とっさに支えられてデューク様の解放を感じ、僕はその体液の熱さに膝を寄せた。

 小刻みな痙攣は僕がデューク様を感じている証で、デューク様の大きさは僕に感じてくださった証で…嬉しくて…ぐったりと弛緩しながらデューク様の肩に頭を預けた。

「痛くはなかったか?」

「………はい」

「すまない。性急過ぎて。あなたとこうなる前の自分を想像出来ない」

 ふふ…つまり、そうなさる気すらなかったのかな?

「あなたはどうだろうか?」

 おっと、僕ですか!

「馬鹿にされるとは思いますが、そういったことには全く興味もなく、野山を駆け回っていました。男性はデューク様だけで、女性とは……まだ」

「私だけでよかろう」

 なんて嬉しそうな返事が。

「もちろん、デューク様だけです」

 あなただけだと誓う僕の唇を、デューク様が深く深く貪り愛されて、僕はデューク様に誓いを立てる。

 どんなことがあっても、デューク様を守っていこうと。僕がアルカディア姉弟の化身であろうが無かろうがそう見えようが、この全身を利用して守ってみせる。

 だが…気になるのは、ニールスの背後に忍び寄るルカ家だ。

 僕はガリア王国ルカ家を知らない。歴史でもガリア王国と一括りに学ぶからだ。

「私はこれから湯を浴びるが、あなたもどうだろうか?」

 僕は返事変わりにそっとデューク様に抱きついた。





 リシャール公爵殿下が早朝にもかかわらず王宮に来たのは、その次の日だった。

 眠そうだけれど美麗なお顔立ちに憂いをたたえ、驚くことに地下牢にいた賊を連れて一階の謁見の間に来ていた。

 実は僕も眠い。

 デューク様ったら湯船で…それから寝台で…って…明け方うとうとしていた頃に近衛から連絡を受け、アーリア姫殿下のご準備に合わせて、僕は身支度をしたんだけど…眠い。

 謁見の間には僕の父上と兄上がいて、リシャール公爵殿下と賊を見やっていた。

「アーリア姫殿下には早朝よりお出まし頂き恐縮の極みであります。こちらは我が父であります」

 謁見の間…ダンスホールになったり、たつた御前試合の場になったりする一階の大広間は、五段の階段がある。

 アーリア姫殿下はその玉座に腰掛け足置きに足を置いていて、その左側に僕は立っていた。

 デューク様は一段下の場に立ち、臣下である形を取っている。アーリア姫殿下が四歳になられてからの『型』となる形式は、デューク様が宰相となる布石だ。

 明け方の賊…リシャール公爵殿下の父上らしきは、ぶつぶつと呟きながらそんな僕を見上げてきた。

「…私は…私は…アルカディアの双子の魂を受け継ぐあなた様に忠誠を誓います。運命の剣はあなた様といることを選んだ。もはや私には引き離すことは出来ない。あなたに…あなた様に忠誠を誓います…誓わせて下さい…誓う…誓うのだ…」

 アーリア姫殿下やデューク様を無視した形になるんだけど、リシャール公爵殿下父君はアーリア姫殿下の横に控えた僕だけを見ていて…。

 最下段のリシャール公爵殿下が一人心地の父上を軽く諌める。

「すみません、父は流行性感冒で心が壊れていて…。私どもの北の領土では二人に一人が亡くなり、我が屋敷は病人で溢れかえり、助けられなかった人が遺体となり穴を掘る間も無く凍り腐り果てました。父は辛かったのか心を病みアルカディア教団に入会してしまいました」

 北ローゼルエルデの国境にあるアルカディア教団…噂ではヴァチカン王国のヴァチカン教とは違い、失われたアルカディア王国を理想郷として崇める教団らしい…。

「父は教団よりローゼルエルデにあるソレスの剣を持ち帰るように言われていました」

 え…?

「表向きの理由はガリアの王家の至宝はガリアに返すべき。裏の理由はその剣が持つ悪言とも言われるものです」

 ああ…あれか。僕は前にリシャール公爵殿下から言われたことを思い出した。

 ソレスの持ち主は国を滅ぼす…だっけ。たしかにアルカディア王城はソレスの肉鞘であったアーレフ様が物質的に壊したようなもんだけど、アルカディア王国そのものはしばらく国として存在してたし、それっておかしくないかな?と思ったんだ。

 そんな風に考えていると、グラン侯爵殿下が元老院のじじい…いや、老博たちを引き連れて大広間に入って来る。

「皆さんお揃いのようね」

 女性で伯爵号を持つエディーラ女伯爵が一段階段を登り、アーリア姫殿下の視線に邪魔にならない配慮のその位置で階下の人々を見下ろした。

 父上も当然臣下の片膝をつき、リシャール公爵殿下もそれにならい、罪人であるお父君だけは両膝を地につけている。

「女王陛下となられる御体を損ねる恐れもあったが、狂人の管理監督不行き届きのためリシャール、公爵より伯爵へ降号します。そしてアラバスタ、娘御の働きに応じ、伯爵へ推挙します。リシャール伯爵の南の地をもらい受け、南方方面警備指揮官を拝命なさいませ」

 父上がつった腕を押さえて頭を下げ、

「家督号は息子アーサーに譲りました」

と告げると、エディーラ女伯爵は片眉を少し上げ、

「それならばアーサー伯爵が治めればよい。リシャール伯爵北のローゼルエルデを統治管理して復興に励みなさい」

と元老院の代表の言葉として話し、

「元老院の協議は以上となります。アーリア、よろしくて?」

って、デューク様ではなく、アーリア姫殿下に意見を伺ってきたんだ。

 アーリア姫殿下は一瞬デューク様を見て、僕を見上げてから少し目を閉じてから、小さな唇を開く。

「概ねはそちらの提案で構いません。こちらからは、かねてより議題に出していたカーヴァネス・ルーネと我が兄デュークとの婚約の件、ルーネが伯爵令嬢となった今、私が容認します。元老院よろしいですね」

 淀みない言葉に元老院のじじいどももエディーラ女伯爵もニコリともせず頷いた。

 すごい…アーリア姫殿下が毅然と元老院に言い放つ姿はまさに女王で…。

「よいよい。そこのカーヴァネスは悪性感冒で石女になったと聞く。そうであったな、アラバスタ」

 父上が

「…はい」

と悲しみを湛えたような声で答え、その横で兄上が俯いたまま肩を震わせている。

 …あれは笑いをこらえてるんだ、絶対。

 元老院のじじいの一人が、

「デューク、ゆめゆめ忘れるでない。このカーヴァネス以外と共寝(ともね)をするでないぞ」

と侮蔑の眼差しでデューク様を睨みつけ

「不吉な黒髪め」

と小さく吐き捨てた。

 腹が立って仕方がないけれど、エディーラ女伯爵がパンと手を打ち鳴らし、元老院のじじいが黙る。

「ねえ、グラン。レディカーヴァネスはどんな色が似合うかしら」

 グラン侯爵殿下は考えるふりをしながら、

「……青(ブリュー)がよろしいかと」

と告げられた。

 王族と王族二位までの夫人には色が割り当てられ、その色を身につける。他の貴族はドレスの色は被ってはならない決まりで、たしかそばかすの母君は黄色をお召しだ。

 僕はすでに青色をデューク様より内々に賜っていて…。

「…そうね、お似合いだわ。レディカーヴァネス、本日より白服を脱ぎ、青をお召しなさい」

 やれやれと言った風に、元老院のじじい達は出て行き、エディーラ女伯爵がアーリア姫殿下を片眉を上げながら見上げてから、クスリと笑う。

「アーリア、淀みのない発言だったわ。誰の入れ知恵かしらね、グラン?」

 グラン侯爵殿下は

「ご想像にお任せ致します」

エディーラ女伯爵をエスコートするために手を伸ばした。

「ありがとう。でも遠慮するわ。男性に寄り掛かかる人生は終わったの」

 エディーラ女伯爵が大広間を出て行ってしまうと、父上がリシャール伯爵殿下と何やら話していて、ジーン隊長が廊下で兄上と話している。

「アーリア姫殿下、お疲れでしょう。お部屋に…」

「そこのあなた!泥棒さん!だめなのよ!ソレスはね、ルーネのなのよ!」

 緊張が解けたのかポロポロと涙を流しながら壇上で叫ぶアーリア姫殿下を抱き上げて、僕は不遜ながら抱きしめた。

 多分…グラン侯爵殿下の考えた内容を暗記してお話しされたんだろうけれど…よくお頑張りになられました。

「ありがとうございます、アーリア姫殿下」

「ルーネ、今晩は一緒に寝てくれる?」

「ええ、ではデューク国王陛下代理にお伝えして…」

「違うの。ルーネが私の部屋に来るのよ」

 つまり…アーリア姫殿下の寝台に…僕ももう十四歳で…。

 アーリア姫殿下はしがみついて離れない。

 でも、ご本を読んで差し上げれば寝てしまわれるアーリア姫殿下より後に寝て、先に起きれば身体を取り繕うことも出来るかもしれない。

 近頃の僕の身体は起き抜けに熱くなっていることがあり、デューク様に宥められることも多くて…。

 グラン侯爵殿下は男性には当たり前のことだと話されていたんだけど…アーリア姫殿下の寝台でそのようなことになったら…それを見られたら…全てが終わる。

「よかろう、では私もアーリアの寝台に招いてくれないか?」

 困り果てた僕にデューク様が助け船と共に、アーリア姫殿下を抱っこする手を差し伸べてくれた。

「お兄様、焼きもちなの?」

「そうだな…焼きもちだ」

 クッ…と笑ったデューク様の茶目っ気に、僕も破顔した。
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