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第一章 カーヴァネス編
1 薔薇の偽姫
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ゴッ…鈍い音が響き頭を押さえた美丈夫が、微かに呻きながら少し後ろをちまちまと歩く女の子の背中を押して壇上に立つ。どうやら女王陛下用の壇上は、国王代理には低いらしい。
「諸侯令嬢諸君、次期女王候補第一位アーリア姫殿下にあらせられる」
腰に響く低い声に鷲鼻な凛々しい顔立ち、そして長身に前髪を上げた黒髪が知的な男らしさを見せ、琥珀色の瞳がやや流し目になり集まった令嬢のため息を誘う。男らしい端正な顔、なんだろうなあ。悔しいけれど。
誰もがアーリア姫殿下を見ていず、国王代理の殿下を見つめていた……僕は別に興味なく小さな小さな未来の女王陛下を見つめる。
自分に視線が集まるのに気づいたからか、国王代理は赤毛琥珀目の大きな瞳のアーリア姫陛下がちょこんと可愛らしく玉座に腰掛けるのを手伝うと、
「私はアーリアの兄デューク。アーリア姫殿下が五歳で即位するまでの国王代理だ」
と腰に響く声で明朗に言い放った。
集められたのは、半年前に十六の年になる、国の社交界ダンスデビュー、プロムナード舞踏会で城に集められた娘たちばかり。ダンス会場で見たことのある顔は半分ほど。
社交界デビュー姫君たちは、春の流行病悪性感冒で国の三分の一ほどが亡くなった。それこそアーリア姫殿下の御母上である女王陛下も亡くなり、僕の元々身体の弱かった姉上も亡くなって、国中が悲しくなったのだけれど、僕がここで白いドレスを着せら未来の女王陛下の前に立っているのは絶対に間違っている気がする。
でも、こうして諸侯令嬢諸君と同じ並びにいるのは、理由があるんだ。その理由を生んだ兄上は澄ました顔をして、アーリア姫殿下とデューク国王代理の後ろに控えている。
事の顛末は、僕にとっては最悪だ。
「アーリア姫殿下のお側付き兼お世話係のご令嬢を選別する」
あー、はじまりましたか。早く終わらないかなあ。
可愛らしい柔らかな赤髪の女の子…アーリア姫殿下はまだ三歳だ。ピンクのシフォンフリルドレスを着て裾を踏まないように、ゆっくりと階段を降り、令嬢たちが立ち並ぶ赤絨毯を歩いて、品定めを始める。
とにかく、この儀式が終われば僕は姉上の眠る田舎の城で楽しくローカルライフを満喫するんだ。
「アーリア、どうだ?」
一人一人の顔を見上げるアーリア姫殿下がデューク国王代理殿下の声掛けに首を横に振った。僕まではまだまだ遠い。左右二列に並ぶ令嬢たちの中、僕は目立たないように後方左側に位置しているから、幼い姫殿下が飽きてこちらに来ないと踏んだ位置。
僕の住むこの伝説のアルカディアの皇子とガリアの姫君が築いたとされるローゼルエルデ王国は、開国以来女帝制で比較的男女の差別がないし、同性婚も認められていて平等なような国だと僕は思う。
かと言って、しがない貴族の次男坊の僕は他国なんて行ったことはないし、行く予定もないから比べられず分からないのだけれど。
しかし偽令嬢を演じるほど、男女差別がないわけではない。六つ離れた兄上は宮廷のデューク殿下のお側付き近衛として過ごしつつ、父上の跡目を継いで領地を治めるから僕としては田舎の領地でのんびりライフを考えていた。
はず…だった。
「ルーネ、頼みがある」
次男坊の僕は、二つ年上の姉の墓参りを終え少し悲しみから復帰したところだった。
「兄上のお願いは、もう聞きません」
六歳年上の兄上は、宮廷の近衛制服を着ていて、悔しいほど格好良かったし、いつかは僕も…と思っていたら、兄上は得意顔で僕に真っ白なドレスを差し出す。
「……だから、半年前に言いました!もう姉上の身代わりはしませんと」
姉上がまだ一度も袖を通したことのない、宮廷用の白いドレスを二回も着る気はない。その姉上は亡くなってしまったのだから。
「だってルーネ可愛らしいし。見事な背中まである金の巻き毛に、澄んだ青い生意気そうな大きな瞳、まるで凛々しい中に可愛らしく可憐な小鳥のようだよ」
また、始まった。
僕は十三にして、十五で亡くなった姉上によく似た容姿にコンプレックスを持っているのに、男らしい魅力的だろう容姿の兄上はそれを逆なでしたいらしい。
額で別れたコシのない柔らかい巻き毛をなんとか跳ねないようまとめるために伸ばしている金髪と、睫毛ふっさりとした青い瞳の女の子顔は姉上も持っていたが、姉上はその持ち合わせを外には一切発せなかった。
姉上は病弱で田舎の領地の寝たきりの生活で、僕は自分の命とほぼ引き換えに産んでくれた母代わりにのんびりと姉上に付き添っていた。
未来の女王と同じ名前を持つ姉上は、成人の儀式、淑女のお目見えプロムナードにも行けず、流行り病であっけなく亡くなってしまい、僕は田舎の領地の暖かな日差しの当たるリンデルの木の下に姉上を埋葬し、父上の元に参ったわけで。
「姉上の代わりにプロムナードに行ったのは、姉上のたってのお願いもあったからです。僕には女装の趣味は…」
「とりあえず兄上を立てると思って…。アーリア姫殿下のお側付きの選別があるのだよ、我が愛しのルーネ…おっと…父上!」
書斎にいつもいる父上も居間へ部屋へ入ってきて、僕らは慌てて立ち上がり胸に左手を当て礼を取った。
「久しぶりだな、我が息子たち。まあ、座りなさい。今回正式にルーネ嬢にと招集がかかっている」
「姉上にではないのですか?」
「ああ、そうだ。あの子は田舎で静養し続け、お前も田舎で産まれた。宮廷の情報として、どうやらあの子とお前は一体となってしまい、わしにはこのアーサーが息子で、ルーネと言う娘がいることになっているようだ」
禿げ上がった頭をぺしぺしと叩く父上に、自分の未来を重ねてしまいそうになるけど、幸い僕は姿絵で見る母上にそっくりだ。父上似の兄上…いつか禿げるぞ、ざまあみろ。
「しかし、僕は今年十三になりました。髭だって生えてくるかもしれません。いつまでも女装で誤魔化せるなどと…」
父上は取りつく島もなく、
「とりあえず、我が家の面目を立ててくれ。わしのアーリアが亡くなり、あちらはルーネを要求した。しかし、王命に逆らうだけの家柄でもない。貧乏男爵の面目、形だけでも、宮廷に行ってくれないか」
と言われてしまい、父上には到底逆らえず。
首都の端に小さな城を持ち、田舎に少しばかりの領地を持つ下級貴族なんて王族の権威に比べたら吹けば風、こんなものかもしれない。
だから真っ白なドレスを二回も着て、ここにいるわけなんだけど。
前列の令嬢の挨拶が終わり、二列目が前に出た…デューク国王陛下代理……背が高い……兄上より背が高い。僕は発展途上だからいつかは背が高くなるはずだけど…だけどこんなに背が高くはなりそうにはないなあ。
長めの黒髪が額にかかり、煩わしそうに無骨な指でかきあげ、アーリア姫殿下横にいるデューク国王陛下代理は、兄上と同じ幼年士官学校から叩き上げた武人で、指には剣だこがある。
僕も剣はかなり好きな方で、地方の領地の騎士団長にこっそり父上に内緒ではあるが教えまくってもらっていた。純白レースの手袋の下の指には、令嬢にあるまじき剣だこありったりして。
「ルーネです。アーリア姫殿下」
デューク国王陛下代理にではなくて、頑張って立っているアーリア姫殿下に少し腰をかがめて、両手でスカートをつまみ挨拶をした。
お気の毒だよなあ。三歳になりたての小さなお姫様が、ずっとずっと令嬢の挨拶を聞いていて、しかも令嬢の目線は全部デューク国王陛下代理に向いている。確かに世話係を選ぶのはデューク国王陛下代理かもしれないけれど、みんなアーリア姫殿下をお世話するはずなのに、アーリア姫殿下を無視しているみたいだ。
アーリア姫殿下…亡くなってしまった僕の姉上と同じ名前。僕らは同じ悲しみの中にいる…だからこそ、アーリア姫殿下に瞳を向けた。
「お…かあ…さま…」
「……へ?」
変な声が出る。
アーリア姫殿下が我慢出来なかったのか、琥珀の瞳を潤ませてぽろぽろと涙を零して、僕のドレスにしがみついてきたからだ。
「あ…かあ…さ…っひ…っう…」
こんなに小さな子どもが大声をあげずに泣いていて、しがみつく姿を見降ろして抱きしめないなんてありえない。僕はしがみつくアーリア姫殿下に膝をついて抱きしめ、母上を知らずに育った僕にしてくれた姉上の手のようにアーリア姫殿下の背中をとんとんと撫でた。
「ふむ。これにて終了とする。ルーネ嬢、ついて参れ」
え…えええ~~っ!
壇上に控える兄上を見るとすっ……と目をそらして、吹き出しそうになっているし、アーリア姫殿下はしがみついて離れないし……僕は恐れ多くもアーリア姫殿下を抱っこすると、デューク国王陛下代理の後を歩く。王族のみが許される赤絨毯を踏みしめて、壇上に上がるように深い低い声で告げられると、そのままアーリア姫殿下を抱き上げたまま五段の階段を上がった。
うわ…この景観…。
何百人もの人に見上げられ、何百人もの人を見下すプレッシャー。これに三歳になりたての小さな姫殿下は毎日晒されているのか。
デューク国王陛下代理は平気そうだけど、母親を亡くしたばかりの子どもには辛いだろうな……なんて考えていると、
「アーリア姫殿下の世話係は、ルーネ令嬢に依頼することにする。ルーネ令嬢の父君には子爵の称号を与え、禄と領地を与えるものとする」
僕は何かを言いたくて、デューク国王陛下代理を見上げるが、デューク国王陛下代理は僕なんか省みなくて、まるで一つの作業でも終わったみたいにマントを翻し、
「心して姫殿下が五歳になるまで、未来の女王に仕えよ」
と言い残して、奥に行ってしまった。
なーにが、『心して未来の女王に仕えよ』だ!
午睡のアーリア姫殿下のお世話係として、アーリア姫殿下のぷくっぷくの横顔を見つめていた僕は、立ち上がると剣を持つ仕草のままシャドウで剣を振るう。
ああ…剣を交わしたい。
あれから王城に拘束されたまま兄上とも父上にも会えず、アーリア姫殿下のお世話係という名のおしゃべり相手のような、母君代わりのようなよくわからない状態で、アーリア姫殿下がいっときも離してくれないから、タオルであちこち拭いてるけど、三日間着た切り雀の状態で……自分でも臭くなりそうな気がしてくる。
一緒に入るわけにはいかないし、でも浴槽の横でシャボン玉遊びや、アーリア姫殿下に請われてふわふわ巻き毛の赤髪を洗って差し上げたりもした。もちろんアーリア姫殿下は湯あみ用の薄い肌着を召されていたから、素肌を見ているわけではないけど、男の僕には罪悪感もある。
午睡の間に湯浴みを済ませに行きたいのだけど、アーリア姫殿下は僕が出ていこうとすると起きちゃうんだよな。
不安…そう、不安なのかもしれない。
なのに、アーリア姫殿下の兄上であるデューク国王陛下代理は任せたとばかりに会いに来ないし、女官たちもなんだかそっけない。
アーリア姫殿下の一日は、朝六時に起床から始まり、寝台で顔洗いをしてから、着替えと朝食。朝の学者教師が来て学んだ後は、昼食に午睡、軽食の後に礼儀や作法、ダンスの教師に学び、入浴して着替えて夕食、そして寝巻きに着替えて就寝。
毎日毎日、これを繰り返しているという。
女官はほとんど無言だし、一人で食事、三歳児にこれ?
話し相手は僕だけでこんな小さな子を一人ぼっちにするなんて、あのデューク国王陛下代理はひどすぎる。
「っとぅ……!」
デューク国王陛下代理のわき腹に入れる蹴りのポジション満足した僕は、誰かが部屋に入ってくるなんて想像していなかった。
「ドロワーズが丸見えだ、ご令嬢」
シャドウで蹴りを入れた相手、デューク国王陛下代理が兄上を伴って音もなく入ってくる。
「全くはしたない子でして、失礼を……。ルーネ、足を降ろして」
笑いの沸点が低い兄上が吹き出しそうになりながら、固まった僕の足をつんと突いて降ろした。
「アーリア姫殿下ご拝顔に参られたのだよ。少しここにいるから、自分の部屋にお戻り。香湯に浸かり髪を洗っておいで。ルーネ、少し臭うよ、君」
兄上に気にしていることを言われて、僕は顔が赤くなるのが分かった。クッ…と笑うような息の吐くのが、僕から背後になるデューク国王陛下代理から聞こえて来たような気がする。
笑われたんだ、臭いって…。
「お…恐れながら申し上げますデューク国王陛下代理」
「なんだ」
振り向きもせず視線はアーリア姫殿下に向けたままの、デューク国王陛下代理に僕は言った。
「アーリア姫殿下のお側にもう少しいられませんか。姫殿下はお寂しいのです。せめて夕食だけでも」
「おい、ルーネ、失礼を……」
兄上は黙って下さいと目で睨み、デューク国王陛下代理の沈黙があった後、
「考えておこう」
とだけ言われた。
国王陛下代理だろうが、なんだろうが、アーリア姫殿下を一人にしているデューク国王陛下代理なんて、大、大、大っ嫌いだ!
絶対に僕なんか下々の進言なんて耳を貸すはずないと思っていたら、デューク国王陛下代理は夕食どきにアーリア姫殿下の部屋に現れた。
「食事を今お持ちします」
慌てる女官を尻目に、食事をしているアーリア姫殿下のテーブルの前に書類を並べまるで、アーリア姫殿下と会話することがない。
「アーリア姫殿下、もっと食べないと大きくなれませんよ」
臣下である僕はお側にはいるけど、アーリア姫殿下とご一緒して食べてるわけじゃないから、デューク国王陛下代理なら一緒に食べらるっていう、家族団らん的な食事会話を期待した僕が浅はかだった!近衛の兄上は扉の向こうだし、沈黙に耐えられない。
「もう…食べられない…」
「お待たせいたしました、デューク国王陛下代理」
遅ーい!
ほとんど食べなかったアーリア姫殿下を一瞥し、デューク国王陛下代理が、
「アーリア姫殿下は食事を終わられた。持ってきてくれたが、私の自室で食べるとしよう」
と席を立つ。
「次からはアーリア姫殿下の夕食に間に合わせくれ。アーリア姫殿下お側付きのルーネ嬢のご命令だ」
しかも、嫌味付きだ!やな方、やな人、やな奴!
その晩からずうっと、デューク国王陛下代理がアーリア姫殿下と夕食を共にし、会話のない食事が続いて、見ている僕の方が憂鬱で、夕食前に胃が痛くなった。
当のアーリア姫殿下はなんだかご機嫌がよくって。しかも少しずつ食も戻ってきているし、午睡の時に少し離れても泣かなくなり、勉強もしっかりとこなして、女王への道を歩いている。
それなら偽物の令嬢である僕は必要がないんじゃないか?
僕はこんな茶番はもうやめようと、アーリア姫殿下が午睡に入ってから湯浴みをした僕自身を鏡で見た。十三歳の男に見えない顔…眉も細く顎も小さくて、どこもかしこも華奢だ。女みたいなんて田舎の領地でも散々言われたし、でも、剣には自信があったんだ。
だから田舎の領地へ帰ろう…姉上が眠る領地を守り慎ましくたまには勇ましく生きる方がいい。アーリア姫殿下には本当に姉と呼べるべき、優しい令嬢がそばにいるべきだよ。
その夜もデューク国王陛下代理は、書類を片手に食事をまるで義務のようにこなし、アーリア姫殿下に視線を移すことなく、食事を終わらせる。どうにも胸糞悪い食事が終わり、アーリア姫殿下の服を女官が着替えさせ、眠りに着くように僕はアーリア姫殿下の横に座った。
「アーリア姫殿下はいつもお食事は女王陛下と召し上がられたのですか?」
アーリア姫殿下が首を横に振ると、ふんわりとした赤毛が揺れる。
「ばあやと食べるの。お母様もお兄様もお忙しいから…」
すう……と小さく寝息を立てたアーリア姫殿下には乳母がいて、乳母が一緒に食べていたらしいけど、その乳母もまた流行病で亡くなった、と。
忙しいのはわかるけど、こんなに小さな子を一人にして、あと二年で女王即位なんて。やっぱり、ちゃんとした令嬢が必要だ。
僕はアーリア姫殿下の部屋を出て、初めて三階の国王陛下代理の部屋に渡った。部屋の前には二人の近衛がいたけど、兄上らしい人はいなくて、
「アーリア姫殿下のお世話をいたしていますルーネと申します。あの…アーリア姫殿下のことで、デューク国王陛下代理に御目通りを…」
とふわりとドレスの裾を持ち腰を少し下げた。
近衛は困った顔をしてそれから、重厚な黒檀の扉に吸い込まれ、それからしばらくして出てくる。
「お会いくださるようです。ルーネ子爵令嬢」
扉を開けてくれた先には、高い天井と、足首まで隠れそうな赤い絨毯。黒檀の広い机は書類の山で、食べかけの軽食やワイングラスもあった。
「ルーネ子爵令嬢、して、要件とは?」
そうだ、一発言ってから辞めよう。落ち込んでいた僕は、それに奮起した。
「アーリア姫殿下との夕食会ありがとうございます。ただ、もう少し会話をしてもらえれば」
「会話…善処はするが、私は仕事以外に話すことのない男だ。幼児相手に何を聞き出せばよいか…」
聞き出せばってねえ……尋問じゃないんだから。
「それにアーリア姫殿下にはよき姉となり友人となる令嬢が必要です」
「あなたがいるではないか、ルーネ子爵令嬢」
僕は男だからダメですなんて言ったら、どうなる?偽証罪とかになるのかな?だって女王陛下になる女の子と、二十四時間ずうっといたんだ。
「もっと優しい姉のような母のような抱擁力のあるご令嬢を」
「確かにあなたは少し痩せ気味だ」
「いえ…あの…はい、アーリア姫殿下のお母様がわりにはなれません。だから辞めます」
その一言は想定されていなかったのが、デューク国王陛下代理は目をまん丸くして、いつもの理性的な顔じゃなくなっていて、僕は満足した。散々だったけど、もういいや。
一ヶ月弱の王宮勤め…ああ、子爵返上とかどうするんだろう。兄上や父上が怒るだろうか、ごめんなさい。
ぺこりと頭を下げて踵を返した僕は、
「待て、待ってくれ」
と、デューク国王陛下代理に腕を掴まれた。
もう少しで扉なのに、デューク国王陛下代理の腕は振るってもビクともしない。
「あなたはアーリアを見捨てるつもりか!」
「見捨てるなんて!姫殿下にはもっとふさわしい令嬢が」
「あなたは…ふさわしくないと?」
あまり前だ、僕は男なんだから。
「はい。だから、別の…」
「ああ、もう、いい。うるさい口だな。黙りなさい」
言った唇が近付いてきた。食べられる…。一度…二度…触れられ、三度目は生温かい肉のような物を押し込まれ、ぬるりと唇を舐めた。
デューク国王陛下代理の唇を押し当てられた…接吻…されたのを理解したのは、片手で抱き上げられ、黒い染め絹の寝台に放り込まれたあと。
「では、ルーネ子爵令嬢、あなたがここにいなければならないような既成事実を作り上げよう。私の手付きになることで」
押し潰されそうなほど体重をかけられた挙句、やっと我に返った僕は白いローヒールのドレスシューズで蹴り飛ばす勢いで、デューク国王陛下代理の腹を蹴り上げようとしたが、そのくるぶしを掴まれてドロワーズのリボンを解かれた。
「やっ…!」
そのままずるずるとドロワーズを下げられれば…。
見られた…兄上…父上…!
僕は全く身動きが出来ずに、下腹をデューク国王陛下代理に晒し肩で息をした。
「これが…アーリアのそばにいられない理由か…」
冷たい冴え冴えとした低い声が僕に降り注ぎ、僕はしでかしてしまった後悔に震えながら頷く。
「ふ…。性別など些細なことだ。だが、あなたは私たちとの心の関係を断とうとした。それは許しがたい裏切りだ。その報いを受けてもらおう」
ドロワーズごとドレスシューズも転がり落ちるほどの勢いで脱がされると、剥き出しになった下肢を割り開かれてまるでカエルの仰向けの姿になり、僕ははっきりと理解した。デューク国王陛下代理は心の関係を壊した僕に、体の関係を強いる気なんだ。
「やっ…いやっ…だ!」
大人の…もう男のしかも長身のデューク国王陛下代理の体格差に勝てるわけもなく、赤ん坊のオムツを替えるみたいな仕草の中で尻の奥に冷たい何かを塗り込まれる。
「やめっ…やめてくださいっ…デューク国王陛下代理っ…やっ…う…ううっ…!」
塗り込まれた所がじんじんして熱い…むず痒いような…ぞわぞわするような気がして叫ぶと、デューク国王陛下代理に唇を再び塞がれ、肉の塊のようなもので口の中をかき回されて、頭がぼうっ…としてきた。
また…深く接吻される。息を…したい…苦しい…。
唇が離され、はあっ…と息を吸い込んだ瞬間、熱い灼熱の何かに身体が引き裂かれるような…異物感を感じて、
「ひっ…!」
と僕は声をあげた。
「女王を傷つけない破瓜の秘薬を使っても、この締まりか…。すまんな、納め切る」
痛みは一度ではなくて、二度、三度、ぐいっ…ぐいっ…ときて、脳が痛みに喘いでいる。
「痛い…痛い…っ…もう…やめて…くだ…ひぁっ…!」
割り開かれる痛みと、押し込んでくる熱の苦しさが僕を朦朧とさせ、ただ体内を行き過ぎる嵐に翻弄されるだけで、僕は自分が泣いていることすら理解できていなかった。
早く…早く…デューク国王陛下代理の怒りが収まればいい…祈るように身体の力を抜いた僕の真ん中には、デューク国王陛下代理の灼熱が深々と刺さり、
「アーサーを介してあなたに送った白いドレス。私には脱がす権利がある」
と背中の真珠留め具をちぎるようにして脱がせ、シルクシュミーズを裂かれた。
全てを見られた…乳房もなく、ただの男の姿を…だけどデューク国王陛下代理はその男の僕を抱き潰そうとして、膝裏に腕をかけ決して足が閉じないよう固定すると、つながる部分を音を立てて掻き混ぜ始める。
「あなたの中は暖かい…とてもいい気持ちだ…包まれている…そんな感じがする」
太くて大きくて苦しいのに、僕の身体はデューク国王陛下代理の言葉に反応してした。挿入してくる灼熱の塊に犯されて、むず痒いのも違和感も消えて純粋に気持ちいい。
「気持ち…いい…」
思わず口に出してしまい、手で口を塞ごうとしたら、デューク国王陛下代理の唇で塞がれた。身体の中を駆け巡る快楽に耐えられなくて、デューク国王陛下代理の差し込んで来た舌を噛んでしまい、逃げようとしたけど顎を掴まれて泣き出しそうになりながら、なんだか分からない衝撃に背が仰け反る。
「ん、ん、んん~~っ……!」
ぬるりと僕の胸を濡らす体液は粘着質で、僕は腰が抜けたようになり…背を抱きしめたデューク国王陛下代理の座った膝に抱きとめられていて…。
いつの間にか…座ってる…。
「あなたとはとても感性が合う。互いに初性のはずが、私をこんなにも翻弄する」
何を言って…ああ…デューク国王陛下代理も服を脱いでいらして…暖かい…。
肌って…こんなに…暖かいんだ…。
尻肉を掴まれて上下前後に揺さぶられて、凪いでいた満足しが再び飢えたようになり、僕はデューク国王陛下代理の首にしがみつき、黒髪をかき回すように指で絡めてしまう。
「全く…あなたは…私を翻弄させる…感じてくれているか?」
「あっ…あっ…や…っ…おかしくなる…」
「くっ…締まる…ルーネ…」
擦られるゾクゾク感とおかしくなりそうな気持ち良さに僕は多分…気を失ったんだと……思う。三歳のアーリア姫殿下、兄上と同じなら十九歳のデューク国王陛下代理…。
甘く痺れたような感覚に支配されたまま、僕は誰もが幸せになれればいいなあ…と薄れた意識の中で思った。
明るい光が差して来た。さあ、アーリア姫殿下を起こさなくちゃ…それにしても明るい…寝坊した?
「ん…」
なんだか…暖かい…水…ああ…涙…涙?
「ルーネ…死んじゃ…やだあ…」
アーリア姫殿下が寝間着のまま僕の手にしがみついていて、僕は僕の現状を把握しきれてなくて…ええと…黒い…敷布…寝台…デューク国王陛下代理のご寝所っ!
ああ…そうか…僕は…服!
シルクの真新しい白い寝間着と、身体は綺麗にされているみたいで、アーリア姫殿下の前で醜態を晒すことはなくて…よかった…。
「……こんなことでは死にません、アーリア姫殿下」
僕は跳ね起きたつもり…だった。
「熱は下がったみたいだな。身体は…どうだ?」
身体…目の前にデューク国王陛下代理…目の下に青黒いような寝不足のあとが見える。
「大丈夫…です。心配ありません」
あれれ…力が入らなくて…起き上がれない…。僕は仰向けに寝転んだまま、横の椅子に座るデューク国王陛下代理の言葉に耳を傾けるしかなかった。
「発熱したのだ、あなたは。医師はショック性だと話していたが」
デューク国王陛下代理は、怒りが凪いだように静かに話していた。
「あなたの純潔を力任せに奪ったことは詫びるが、しかし、あなたをどうしても繋ぎ止めたかったのだ」
いつもは偉そう…偉い人なんだけど…肩を落として静かに語る言葉は、まるでアーリア姫殿下のためだけではないような錯覚すら感じて…。
「あなたは私たちにとって必要な人だ。私たちには家族の情が薄い。私たちは離れすぎていた。だから私とアーリア姫殿下の鎹(かすがい)になってはくれないだろうか。あなたにしかできないことだ」
口にはしたくなかったけれど、僕はもう一度否定しようとした。男の僕にはそんな価値はない。僕が知っているのは下々の習慣であり、貴族的ではないことくらいわかっていたし、第一アーリア姫殿下には『母たる者』が必要なんだって。
「ルーネ…いなくなって…しまうの…?」
アーリア姫殿下は不安だったんだ、また、近しい者がいなくなることに。だけど…アーリア姫殿下の泣いた瞳が…ええと、ダメだ、ここでほだされちゃあ…。
アーリア姫殿下に迷う僕に、
「アーリア姫殿下には大切なのだ。あなたの明るさも強さも。この宮廷で生き抜き生き残り、女王として即位したのちも、市井(しせい)を詳しく知るあなたがいることにより、無知な女王ではなくなる」
とデューク国王陛下代理が厳かに告げてくる。
「アーリア姫殿下にはデューク国王陛下代理がいます」
「私はアーリア姫殿下の…アーリア女王陛下の盾であり剣なのだ。役割が違う」
それから、威厳なんてないような声で、
「私は黒髪であり、ローゼルエルデでは不吉の影とされている。あなたも知っているだろう、アルカディア国物語の悲劇を」
ローゼルエルデの人間なら一度は耳にする昔話だけど、なに、それ、王族の人って迷信とか信じるたちなの?僕は馬鹿馬鹿しくて少し笑った。
「黒い悪魔レェード皇子の迷信なんて…今はそんな古い時代じゃないですよ。デューク国王陛下代理、あなたは誰です?あなたはあなた自身でしょう?自身を自身で傷つけてどうするんですか?」
デューク国王陛下代理は、また驚いたような瞳をまん丸にして僕を見つめてくる。あーもう、だめだよ…この兄妹って…二人は髪の色も違うのに、同じなんだ……表情が…。泣いている瞳と、泣きそうな瞳に、僕は降参した。
「デューク国王陛下代理、力づくという卑怯な行為は二度とおやめ下さい。アーリア姫殿下、兄上様とはいえ、お寝間着のままでお部屋に参られるのは…」
動けないぶん、口で仕返しをすることにしたら、
「アーリア姫殿下はあなたの部屋で泣いていたのだ。だから…私がこちらへ連れてきた」
放ったらかしにしなくて、連れてきたのなら…。
「では、不問にいたしましょう」
デューク国王陛下代理が泣きそうな顔をして破顔した。
「諸侯令嬢諸君、次期女王候補第一位アーリア姫殿下にあらせられる」
腰に響く低い声に鷲鼻な凛々しい顔立ち、そして長身に前髪を上げた黒髪が知的な男らしさを見せ、琥珀色の瞳がやや流し目になり集まった令嬢のため息を誘う。男らしい端正な顔、なんだろうなあ。悔しいけれど。
誰もがアーリア姫殿下を見ていず、国王代理の殿下を見つめていた……僕は別に興味なく小さな小さな未来の女王陛下を見つめる。
自分に視線が集まるのに気づいたからか、国王代理は赤毛琥珀目の大きな瞳のアーリア姫陛下がちょこんと可愛らしく玉座に腰掛けるのを手伝うと、
「私はアーリアの兄デューク。アーリア姫殿下が五歳で即位するまでの国王代理だ」
と腰に響く声で明朗に言い放った。
集められたのは、半年前に十六の年になる、国の社交界ダンスデビュー、プロムナード舞踏会で城に集められた娘たちばかり。ダンス会場で見たことのある顔は半分ほど。
社交界デビュー姫君たちは、春の流行病悪性感冒で国の三分の一ほどが亡くなった。それこそアーリア姫殿下の御母上である女王陛下も亡くなり、僕の元々身体の弱かった姉上も亡くなって、国中が悲しくなったのだけれど、僕がここで白いドレスを着せら未来の女王陛下の前に立っているのは絶対に間違っている気がする。
でも、こうして諸侯令嬢諸君と同じ並びにいるのは、理由があるんだ。その理由を生んだ兄上は澄ました顔をして、アーリア姫殿下とデューク国王代理の後ろに控えている。
事の顛末は、僕にとっては最悪だ。
「アーリア姫殿下のお側付き兼お世話係のご令嬢を選別する」
あー、はじまりましたか。早く終わらないかなあ。
可愛らしい柔らかな赤髪の女の子…アーリア姫殿下はまだ三歳だ。ピンクのシフォンフリルドレスを着て裾を踏まないように、ゆっくりと階段を降り、令嬢たちが立ち並ぶ赤絨毯を歩いて、品定めを始める。
とにかく、この儀式が終われば僕は姉上の眠る田舎の城で楽しくローカルライフを満喫するんだ。
「アーリア、どうだ?」
一人一人の顔を見上げるアーリア姫殿下がデューク国王代理殿下の声掛けに首を横に振った。僕まではまだまだ遠い。左右二列に並ぶ令嬢たちの中、僕は目立たないように後方左側に位置しているから、幼い姫殿下が飽きてこちらに来ないと踏んだ位置。
僕の住むこの伝説のアルカディアの皇子とガリアの姫君が築いたとされるローゼルエルデ王国は、開国以来女帝制で比較的男女の差別がないし、同性婚も認められていて平等なような国だと僕は思う。
かと言って、しがない貴族の次男坊の僕は他国なんて行ったことはないし、行く予定もないから比べられず分からないのだけれど。
しかし偽令嬢を演じるほど、男女差別がないわけではない。六つ離れた兄上は宮廷のデューク殿下のお側付き近衛として過ごしつつ、父上の跡目を継いで領地を治めるから僕としては田舎の領地でのんびりライフを考えていた。
はず…だった。
「ルーネ、頼みがある」
次男坊の僕は、二つ年上の姉の墓参りを終え少し悲しみから復帰したところだった。
「兄上のお願いは、もう聞きません」
六歳年上の兄上は、宮廷の近衛制服を着ていて、悔しいほど格好良かったし、いつかは僕も…と思っていたら、兄上は得意顔で僕に真っ白なドレスを差し出す。
「……だから、半年前に言いました!もう姉上の身代わりはしませんと」
姉上がまだ一度も袖を通したことのない、宮廷用の白いドレスを二回も着る気はない。その姉上は亡くなってしまったのだから。
「だってルーネ可愛らしいし。見事な背中まである金の巻き毛に、澄んだ青い生意気そうな大きな瞳、まるで凛々しい中に可愛らしく可憐な小鳥のようだよ」
また、始まった。
僕は十三にして、十五で亡くなった姉上によく似た容姿にコンプレックスを持っているのに、男らしい魅力的だろう容姿の兄上はそれを逆なでしたいらしい。
額で別れたコシのない柔らかい巻き毛をなんとか跳ねないようまとめるために伸ばしている金髪と、睫毛ふっさりとした青い瞳の女の子顔は姉上も持っていたが、姉上はその持ち合わせを外には一切発せなかった。
姉上は病弱で田舎の領地の寝たきりの生活で、僕は自分の命とほぼ引き換えに産んでくれた母代わりにのんびりと姉上に付き添っていた。
未来の女王と同じ名前を持つ姉上は、成人の儀式、淑女のお目見えプロムナードにも行けず、流行り病であっけなく亡くなってしまい、僕は田舎の領地の暖かな日差しの当たるリンデルの木の下に姉上を埋葬し、父上の元に参ったわけで。
「姉上の代わりにプロムナードに行ったのは、姉上のたってのお願いもあったからです。僕には女装の趣味は…」
「とりあえず兄上を立てると思って…。アーリア姫殿下のお側付きの選別があるのだよ、我が愛しのルーネ…おっと…父上!」
書斎にいつもいる父上も居間へ部屋へ入ってきて、僕らは慌てて立ち上がり胸に左手を当て礼を取った。
「久しぶりだな、我が息子たち。まあ、座りなさい。今回正式にルーネ嬢にと招集がかかっている」
「姉上にではないのですか?」
「ああ、そうだ。あの子は田舎で静養し続け、お前も田舎で産まれた。宮廷の情報として、どうやらあの子とお前は一体となってしまい、わしにはこのアーサーが息子で、ルーネと言う娘がいることになっているようだ」
禿げ上がった頭をぺしぺしと叩く父上に、自分の未来を重ねてしまいそうになるけど、幸い僕は姿絵で見る母上にそっくりだ。父上似の兄上…いつか禿げるぞ、ざまあみろ。
「しかし、僕は今年十三になりました。髭だって生えてくるかもしれません。いつまでも女装で誤魔化せるなどと…」
父上は取りつく島もなく、
「とりあえず、我が家の面目を立ててくれ。わしのアーリアが亡くなり、あちらはルーネを要求した。しかし、王命に逆らうだけの家柄でもない。貧乏男爵の面目、形だけでも、宮廷に行ってくれないか」
と言われてしまい、父上には到底逆らえず。
首都の端に小さな城を持ち、田舎に少しばかりの領地を持つ下級貴族なんて王族の権威に比べたら吹けば風、こんなものかもしれない。
だから真っ白なドレスを二回も着て、ここにいるわけなんだけど。
前列の令嬢の挨拶が終わり、二列目が前に出た…デューク国王陛下代理……背が高い……兄上より背が高い。僕は発展途上だからいつかは背が高くなるはずだけど…だけどこんなに背が高くはなりそうにはないなあ。
長めの黒髪が額にかかり、煩わしそうに無骨な指でかきあげ、アーリア姫殿下横にいるデューク国王陛下代理は、兄上と同じ幼年士官学校から叩き上げた武人で、指には剣だこがある。
僕も剣はかなり好きな方で、地方の領地の騎士団長にこっそり父上に内緒ではあるが教えまくってもらっていた。純白レースの手袋の下の指には、令嬢にあるまじき剣だこありったりして。
「ルーネです。アーリア姫殿下」
デューク国王陛下代理にではなくて、頑張って立っているアーリア姫殿下に少し腰をかがめて、両手でスカートをつまみ挨拶をした。
お気の毒だよなあ。三歳になりたての小さなお姫様が、ずっとずっと令嬢の挨拶を聞いていて、しかも令嬢の目線は全部デューク国王陛下代理に向いている。確かに世話係を選ぶのはデューク国王陛下代理かもしれないけれど、みんなアーリア姫殿下をお世話するはずなのに、アーリア姫殿下を無視しているみたいだ。
アーリア姫殿下…亡くなってしまった僕の姉上と同じ名前。僕らは同じ悲しみの中にいる…だからこそ、アーリア姫殿下に瞳を向けた。
「お…かあ…さま…」
「……へ?」
変な声が出る。
アーリア姫殿下が我慢出来なかったのか、琥珀の瞳を潤ませてぽろぽろと涙を零して、僕のドレスにしがみついてきたからだ。
「あ…かあ…さ…っひ…っう…」
こんなに小さな子どもが大声をあげずに泣いていて、しがみつく姿を見降ろして抱きしめないなんてありえない。僕はしがみつくアーリア姫殿下に膝をついて抱きしめ、母上を知らずに育った僕にしてくれた姉上の手のようにアーリア姫殿下の背中をとんとんと撫でた。
「ふむ。これにて終了とする。ルーネ嬢、ついて参れ」
え…えええ~~っ!
壇上に控える兄上を見るとすっ……と目をそらして、吹き出しそうになっているし、アーリア姫殿下はしがみついて離れないし……僕は恐れ多くもアーリア姫殿下を抱っこすると、デューク国王陛下代理の後を歩く。王族のみが許される赤絨毯を踏みしめて、壇上に上がるように深い低い声で告げられると、そのままアーリア姫殿下を抱き上げたまま五段の階段を上がった。
うわ…この景観…。
何百人もの人に見上げられ、何百人もの人を見下すプレッシャー。これに三歳になりたての小さな姫殿下は毎日晒されているのか。
デューク国王陛下代理は平気そうだけど、母親を亡くしたばかりの子どもには辛いだろうな……なんて考えていると、
「アーリア姫殿下の世話係は、ルーネ令嬢に依頼することにする。ルーネ令嬢の父君には子爵の称号を与え、禄と領地を与えるものとする」
僕は何かを言いたくて、デューク国王陛下代理を見上げるが、デューク国王陛下代理は僕なんか省みなくて、まるで一つの作業でも終わったみたいにマントを翻し、
「心して姫殿下が五歳になるまで、未来の女王に仕えよ」
と言い残して、奥に行ってしまった。
なーにが、『心して未来の女王に仕えよ』だ!
午睡のアーリア姫殿下のお世話係として、アーリア姫殿下のぷくっぷくの横顔を見つめていた僕は、立ち上がると剣を持つ仕草のままシャドウで剣を振るう。
ああ…剣を交わしたい。
あれから王城に拘束されたまま兄上とも父上にも会えず、アーリア姫殿下のお世話係という名のおしゃべり相手のような、母君代わりのようなよくわからない状態で、アーリア姫殿下がいっときも離してくれないから、タオルであちこち拭いてるけど、三日間着た切り雀の状態で……自分でも臭くなりそうな気がしてくる。
一緒に入るわけにはいかないし、でも浴槽の横でシャボン玉遊びや、アーリア姫殿下に請われてふわふわ巻き毛の赤髪を洗って差し上げたりもした。もちろんアーリア姫殿下は湯あみ用の薄い肌着を召されていたから、素肌を見ているわけではないけど、男の僕には罪悪感もある。
午睡の間に湯浴みを済ませに行きたいのだけど、アーリア姫殿下は僕が出ていこうとすると起きちゃうんだよな。
不安…そう、不安なのかもしれない。
なのに、アーリア姫殿下の兄上であるデューク国王陛下代理は任せたとばかりに会いに来ないし、女官たちもなんだかそっけない。
アーリア姫殿下の一日は、朝六時に起床から始まり、寝台で顔洗いをしてから、着替えと朝食。朝の学者教師が来て学んだ後は、昼食に午睡、軽食の後に礼儀や作法、ダンスの教師に学び、入浴して着替えて夕食、そして寝巻きに着替えて就寝。
毎日毎日、これを繰り返しているという。
女官はほとんど無言だし、一人で食事、三歳児にこれ?
話し相手は僕だけでこんな小さな子を一人ぼっちにするなんて、あのデューク国王陛下代理はひどすぎる。
「っとぅ……!」
デューク国王陛下代理のわき腹に入れる蹴りのポジション満足した僕は、誰かが部屋に入ってくるなんて想像していなかった。
「ドロワーズが丸見えだ、ご令嬢」
シャドウで蹴りを入れた相手、デューク国王陛下代理が兄上を伴って音もなく入ってくる。
「全くはしたない子でして、失礼を……。ルーネ、足を降ろして」
笑いの沸点が低い兄上が吹き出しそうになりながら、固まった僕の足をつんと突いて降ろした。
「アーリア姫殿下ご拝顔に参られたのだよ。少しここにいるから、自分の部屋にお戻り。香湯に浸かり髪を洗っておいで。ルーネ、少し臭うよ、君」
兄上に気にしていることを言われて、僕は顔が赤くなるのが分かった。クッ…と笑うような息の吐くのが、僕から背後になるデューク国王陛下代理から聞こえて来たような気がする。
笑われたんだ、臭いって…。
「お…恐れながら申し上げますデューク国王陛下代理」
「なんだ」
振り向きもせず視線はアーリア姫殿下に向けたままの、デューク国王陛下代理に僕は言った。
「アーリア姫殿下のお側にもう少しいられませんか。姫殿下はお寂しいのです。せめて夕食だけでも」
「おい、ルーネ、失礼を……」
兄上は黙って下さいと目で睨み、デューク国王陛下代理の沈黙があった後、
「考えておこう」
とだけ言われた。
国王陛下代理だろうが、なんだろうが、アーリア姫殿下を一人にしているデューク国王陛下代理なんて、大、大、大っ嫌いだ!
絶対に僕なんか下々の進言なんて耳を貸すはずないと思っていたら、デューク国王陛下代理は夕食どきにアーリア姫殿下の部屋に現れた。
「食事を今お持ちします」
慌てる女官を尻目に、食事をしているアーリア姫殿下のテーブルの前に書類を並べまるで、アーリア姫殿下と会話することがない。
「アーリア姫殿下、もっと食べないと大きくなれませんよ」
臣下である僕はお側にはいるけど、アーリア姫殿下とご一緒して食べてるわけじゃないから、デューク国王陛下代理なら一緒に食べらるっていう、家族団らん的な食事会話を期待した僕が浅はかだった!近衛の兄上は扉の向こうだし、沈黙に耐えられない。
「もう…食べられない…」
「お待たせいたしました、デューク国王陛下代理」
遅ーい!
ほとんど食べなかったアーリア姫殿下を一瞥し、デューク国王陛下代理が、
「アーリア姫殿下は食事を終わられた。持ってきてくれたが、私の自室で食べるとしよう」
と席を立つ。
「次からはアーリア姫殿下の夕食に間に合わせくれ。アーリア姫殿下お側付きのルーネ嬢のご命令だ」
しかも、嫌味付きだ!やな方、やな人、やな奴!
その晩からずうっと、デューク国王陛下代理がアーリア姫殿下と夕食を共にし、会話のない食事が続いて、見ている僕の方が憂鬱で、夕食前に胃が痛くなった。
当のアーリア姫殿下はなんだかご機嫌がよくって。しかも少しずつ食も戻ってきているし、午睡の時に少し離れても泣かなくなり、勉強もしっかりとこなして、女王への道を歩いている。
それなら偽物の令嬢である僕は必要がないんじゃないか?
僕はこんな茶番はもうやめようと、アーリア姫殿下が午睡に入ってから湯浴みをした僕自身を鏡で見た。十三歳の男に見えない顔…眉も細く顎も小さくて、どこもかしこも華奢だ。女みたいなんて田舎の領地でも散々言われたし、でも、剣には自信があったんだ。
だから田舎の領地へ帰ろう…姉上が眠る領地を守り慎ましくたまには勇ましく生きる方がいい。アーリア姫殿下には本当に姉と呼べるべき、優しい令嬢がそばにいるべきだよ。
その夜もデューク国王陛下代理は、書類を片手に食事をまるで義務のようにこなし、アーリア姫殿下に視線を移すことなく、食事を終わらせる。どうにも胸糞悪い食事が終わり、アーリア姫殿下の服を女官が着替えさせ、眠りに着くように僕はアーリア姫殿下の横に座った。
「アーリア姫殿下はいつもお食事は女王陛下と召し上がられたのですか?」
アーリア姫殿下が首を横に振ると、ふんわりとした赤毛が揺れる。
「ばあやと食べるの。お母様もお兄様もお忙しいから…」
すう……と小さく寝息を立てたアーリア姫殿下には乳母がいて、乳母が一緒に食べていたらしいけど、その乳母もまた流行病で亡くなった、と。
忙しいのはわかるけど、こんなに小さな子を一人にして、あと二年で女王即位なんて。やっぱり、ちゃんとした令嬢が必要だ。
僕はアーリア姫殿下の部屋を出て、初めて三階の国王陛下代理の部屋に渡った。部屋の前には二人の近衛がいたけど、兄上らしい人はいなくて、
「アーリア姫殿下のお世話をいたしていますルーネと申します。あの…アーリア姫殿下のことで、デューク国王陛下代理に御目通りを…」
とふわりとドレスの裾を持ち腰を少し下げた。
近衛は困った顔をしてそれから、重厚な黒檀の扉に吸い込まれ、それからしばらくして出てくる。
「お会いくださるようです。ルーネ子爵令嬢」
扉を開けてくれた先には、高い天井と、足首まで隠れそうな赤い絨毯。黒檀の広い机は書類の山で、食べかけの軽食やワイングラスもあった。
「ルーネ子爵令嬢、して、要件とは?」
そうだ、一発言ってから辞めよう。落ち込んでいた僕は、それに奮起した。
「アーリア姫殿下との夕食会ありがとうございます。ただ、もう少し会話をしてもらえれば」
「会話…善処はするが、私は仕事以外に話すことのない男だ。幼児相手に何を聞き出せばよいか…」
聞き出せばってねえ……尋問じゃないんだから。
「それにアーリア姫殿下にはよき姉となり友人となる令嬢が必要です」
「あなたがいるではないか、ルーネ子爵令嬢」
僕は男だからダメですなんて言ったら、どうなる?偽証罪とかになるのかな?だって女王陛下になる女の子と、二十四時間ずうっといたんだ。
「もっと優しい姉のような母のような抱擁力のあるご令嬢を」
「確かにあなたは少し痩せ気味だ」
「いえ…あの…はい、アーリア姫殿下のお母様がわりにはなれません。だから辞めます」
その一言は想定されていなかったのが、デューク国王陛下代理は目をまん丸くして、いつもの理性的な顔じゃなくなっていて、僕は満足した。散々だったけど、もういいや。
一ヶ月弱の王宮勤め…ああ、子爵返上とかどうするんだろう。兄上や父上が怒るだろうか、ごめんなさい。
ぺこりと頭を下げて踵を返した僕は、
「待て、待ってくれ」
と、デューク国王陛下代理に腕を掴まれた。
もう少しで扉なのに、デューク国王陛下代理の腕は振るってもビクともしない。
「あなたはアーリアを見捨てるつもりか!」
「見捨てるなんて!姫殿下にはもっとふさわしい令嬢が」
「あなたは…ふさわしくないと?」
あまり前だ、僕は男なんだから。
「はい。だから、別の…」
「ああ、もう、いい。うるさい口だな。黙りなさい」
言った唇が近付いてきた。食べられる…。一度…二度…触れられ、三度目は生温かい肉のような物を押し込まれ、ぬるりと唇を舐めた。
デューク国王陛下代理の唇を押し当てられた…接吻…されたのを理解したのは、片手で抱き上げられ、黒い染め絹の寝台に放り込まれたあと。
「では、ルーネ子爵令嬢、あなたがここにいなければならないような既成事実を作り上げよう。私の手付きになることで」
押し潰されそうなほど体重をかけられた挙句、やっと我に返った僕は白いローヒールのドレスシューズで蹴り飛ばす勢いで、デューク国王陛下代理の腹を蹴り上げようとしたが、そのくるぶしを掴まれてドロワーズのリボンを解かれた。
「やっ…!」
そのままずるずるとドロワーズを下げられれば…。
見られた…兄上…父上…!
僕は全く身動きが出来ずに、下腹をデューク国王陛下代理に晒し肩で息をした。
「これが…アーリアのそばにいられない理由か…」
冷たい冴え冴えとした低い声が僕に降り注ぎ、僕はしでかしてしまった後悔に震えながら頷く。
「ふ…。性別など些細なことだ。だが、あなたは私たちとの心の関係を断とうとした。それは許しがたい裏切りだ。その報いを受けてもらおう」
ドロワーズごとドレスシューズも転がり落ちるほどの勢いで脱がされると、剥き出しになった下肢を割り開かれてまるでカエルの仰向けの姿になり、僕ははっきりと理解した。デューク国王陛下代理は心の関係を壊した僕に、体の関係を強いる気なんだ。
「やっ…いやっ…だ!」
大人の…もう男のしかも長身のデューク国王陛下代理の体格差に勝てるわけもなく、赤ん坊のオムツを替えるみたいな仕草の中で尻の奥に冷たい何かを塗り込まれる。
「やめっ…やめてくださいっ…デューク国王陛下代理っ…やっ…う…ううっ…!」
塗り込まれた所がじんじんして熱い…むず痒いような…ぞわぞわするような気がして叫ぶと、デューク国王陛下代理に唇を再び塞がれ、肉の塊のようなもので口の中をかき回されて、頭がぼうっ…としてきた。
また…深く接吻される。息を…したい…苦しい…。
唇が離され、はあっ…と息を吸い込んだ瞬間、熱い灼熱の何かに身体が引き裂かれるような…異物感を感じて、
「ひっ…!」
と僕は声をあげた。
「女王を傷つけない破瓜の秘薬を使っても、この締まりか…。すまんな、納め切る」
痛みは一度ではなくて、二度、三度、ぐいっ…ぐいっ…ときて、脳が痛みに喘いでいる。
「痛い…痛い…っ…もう…やめて…くだ…ひぁっ…!」
割り開かれる痛みと、押し込んでくる熱の苦しさが僕を朦朧とさせ、ただ体内を行き過ぎる嵐に翻弄されるだけで、僕は自分が泣いていることすら理解できていなかった。
早く…早く…デューク国王陛下代理の怒りが収まればいい…祈るように身体の力を抜いた僕の真ん中には、デューク国王陛下代理の灼熱が深々と刺さり、
「アーサーを介してあなたに送った白いドレス。私には脱がす権利がある」
と背中の真珠留め具をちぎるようにして脱がせ、シルクシュミーズを裂かれた。
全てを見られた…乳房もなく、ただの男の姿を…だけどデューク国王陛下代理はその男の僕を抱き潰そうとして、膝裏に腕をかけ決して足が閉じないよう固定すると、つながる部分を音を立てて掻き混ぜ始める。
「あなたの中は暖かい…とてもいい気持ちだ…包まれている…そんな感じがする」
太くて大きくて苦しいのに、僕の身体はデューク国王陛下代理の言葉に反応してした。挿入してくる灼熱の塊に犯されて、むず痒いのも違和感も消えて純粋に気持ちいい。
「気持ち…いい…」
思わず口に出してしまい、手で口を塞ごうとしたら、デューク国王陛下代理の唇で塞がれた。身体の中を駆け巡る快楽に耐えられなくて、デューク国王陛下代理の差し込んで来た舌を噛んでしまい、逃げようとしたけど顎を掴まれて泣き出しそうになりながら、なんだか分からない衝撃に背が仰け反る。
「ん、ん、んん~~っ……!」
ぬるりと僕の胸を濡らす体液は粘着質で、僕は腰が抜けたようになり…背を抱きしめたデューク国王陛下代理の座った膝に抱きとめられていて…。
いつの間にか…座ってる…。
「あなたとはとても感性が合う。互いに初性のはずが、私をこんなにも翻弄する」
何を言って…ああ…デューク国王陛下代理も服を脱いでいらして…暖かい…。
肌って…こんなに…暖かいんだ…。
尻肉を掴まれて上下前後に揺さぶられて、凪いでいた満足しが再び飢えたようになり、僕はデューク国王陛下代理の首にしがみつき、黒髪をかき回すように指で絡めてしまう。
「全く…あなたは…私を翻弄させる…感じてくれているか?」
「あっ…あっ…や…っ…おかしくなる…」
「くっ…締まる…ルーネ…」
擦られるゾクゾク感とおかしくなりそうな気持ち良さに僕は多分…気を失ったんだと……思う。三歳のアーリア姫殿下、兄上と同じなら十九歳のデューク国王陛下代理…。
甘く痺れたような感覚に支配されたまま、僕は誰もが幸せになれればいいなあ…と薄れた意識の中で思った。
明るい光が差して来た。さあ、アーリア姫殿下を起こさなくちゃ…それにしても明るい…寝坊した?
「ん…」
なんだか…暖かい…水…ああ…涙…涙?
「ルーネ…死んじゃ…やだあ…」
アーリア姫殿下が寝間着のまま僕の手にしがみついていて、僕は僕の現状を把握しきれてなくて…ええと…黒い…敷布…寝台…デューク国王陛下代理のご寝所っ!
ああ…そうか…僕は…服!
シルクの真新しい白い寝間着と、身体は綺麗にされているみたいで、アーリア姫殿下の前で醜態を晒すことはなくて…よかった…。
「……こんなことでは死にません、アーリア姫殿下」
僕は跳ね起きたつもり…だった。
「熱は下がったみたいだな。身体は…どうだ?」
身体…目の前にデューク国王陛下代理…目の下に青黒いような寝不足のあとが見える。
「大丈夫…です。心配ありません」
あれれ…力が入らなくて…起き上がれない…。僕は仰向けに寝転んだまま、横の椅子に座るデューク国王陛下代理の言葉に耳を傾けるしかなかった。
「発熱したのだ、あなたは。医師はショック性だと話していたが」
デューク国王陛下代理は、怒りが凪いだように静かに話していた。
「あなたの純潔を力任せに奪ったことは詫びるが、しかし、あなたをどうしても繋ぎ止めたかったのだ」
いつもは偉そう…偉い人なんだけど…肩を落として静かに語る言葉は、まるでアーリア姫殿下のためだけではないような錯覚すら感じて…。
「あなたは私たちにとって必要な人だ。私たちには家族の情が薄い。私たちは離れすぎていた。だから私とアーリア姫殿下の鎹(かすがい)になってはくれないだろうか。あなたにしかできないことだ」
口にはしたくなかったけれど、僕はもう一度否定しようとした。男の僕にはそんな価値はない。僕が知っているのは下々の習慣であり、貴族的ではないことくらいわかっていたし、第一アーリア姫殿下には『母たる者』が必要なんだって。
「ルーネ…いなくなって…しまうの…?」
アーリア姫殿下は不安だったんだ、また、近しい者がいなくなることに。だけど…アーリア姫殿下の泣いた瞳が…ええと、ダメだ、ここでほだされちゃあ…。
アーリア姫殿下に迷う僕に、
「アーリア姫殿下には大切なのだ。あなたの明るさも強さも。この宮廷で生き抜き生き残り、女王として即位したのちも、市井(しせい)を詳しく知るあなたがいることにより、無知な女王ではなくなる」
とデューク国王陛下代理が厳かに告げてくる。
「アーリア姫殿下にはデューク国王陛下代理がいます」
「私はアーリア姫殿下の…アーリア女王陛下の盾であり剣なのだ。役割が違う」
それから、威厳なんてないような声で、
「私は黒髪であり、ローゼルエルデでは不吉の影とされている。あなたも知っているだろう、アルカディア国物語の悲劇を」
ローゼルエルデの人間なら一度は耳にする昔話だけど、なに、それ、王族の人って迷信とか信じるたちなの?僕は馬鹿馬鹿しくて少し笑った。
「黒い悪魔レェード皇子の迷信なんて…今はそんな古い時代じゃないですよ。デューク国王陛下代理、あなたは誰です?あなたはあなた自身でしょう?自身を自身で傷つけてどうするんですか?」
デューク国王陛下代理は、また驚いたような瞳をまん丸にして僕を見つめてくる。あーもう、だめだよ…この兄妹って…二人は髪の色も違うのに、同じなんだ……表情が…。泣いている瞳と、泣きそうな瞳に、僕は降参した。
「デューク国王陛下代理、力づくという卑怯な行為は二度とおやめ下さい。アーリア姫殿下、兄上様とはいえ、お寝間着のままでお部屋に参られるのは…」
動けないぶん、口で仕返しをすることにしたら、
「アーリア姫殿下はあなたの部屋で泣いていたのだ。だから…私がこちらへ連れてきた」
放ったらかしにしなくて、連れてきたのなら…。
「では、不問にいたしましょう」
デューク国王陛下代理が泣きそうな顔をして破顔した。
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