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塾講師Ωが高校生αの執着愛に救われるお話。
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塾の講師なり三年目。
相手は学生とはいえ、高学歴な彼らの殆どはアルファで、とにかくプライドが高い。
彼らの自尊心を傷付けず、決して厳しく煽ったりせず、褒め続け、激励を飛ばす。
深夜にまで及ぶ業務は過酷ながらも、体以外で頼られたことのなかったオメガの自分は、それだけでも優越感に浸れる材料だった。
恋人とは講師二年目に入った頃に別れたきり、フリーを貫いている。
出会いがないわけではない。
馴染みのバーへ行けば誰かから声がかかる。
発情期には、呼べば来てくれる人も何人かいた。
だから恋人は必要ない。
定期的にバーへ通っては一夜限りの相手を見繕う。
大体はカウンター席に座るやいなや、声をかけられる。
「なぁ、あんたオメガだろ? 今日の相手に俺なんてどう?」
「別にいいけど、今日は泊まりたい気分なんだ」
「残念だが明日は仕事なんだ。またの機械にな」
こんなやりとりを数人繰り返し、ついに本日のお相手を捕まえた。フードを深く被っているが、随分若く見える。
「大学生?」と聞いたが「違う」と答えた。
「ねぇ、俺我慢できない。早くホテルに行こう」
ガッツかれるのも嫌いじゃない。
カクテルを飲み干すと、早々にバーを出た。
なんとなく、どこかで会った気がする。
気のせいかもしれないと思い、確認しなかったのが間違いだった。
ホテルに入りお風呂の準備ををする。手慣れている感じが垣間見れる。
「一緒に入いる?」
フードを取ったその顔に唖然とした。
「お前……」
別れた恋人にそっくりだ。
このアルファは元恋人の弟だった。
兄と自分が別れてから、ずっと自分を狙っていたと言う。
「元恋人の弟なんてごめんだ」と言ったが「別に、そんなの関係ない」と、気にも止めていない。
「今から別の相手なんて探すの面倒でしょ? 今夜は俺に抱かれなよ」
強気の姿勢に、試すように体を重ねた。
こんなに強いアルファ性を感じるのは初めてだった。
ヒートが治る様子はなく、むしろ媚薬でも飲まされたかのように昂りが鎮まらない。
何度も失神し、それでも朝まで抱かれた。
「ね、俺ならいつだって満足させてあげられる。塾でも、ヒートを起こす心配もなくなる」
「塾のことまで知ってるのか」
「なんでも知ってるよ。俺の本気、伝わった?」
こんな年下に主導権を握られる日が来るとは……。
それでも体は正直で、あんなに抱かれたにも関わらず、日頃の疲れも何もかも解消されていた。
「まぁ、悪くはない」
「じゃあ、俺の恋人になってくれる?」
「私はもう恋人は作らない」
こいつの兄には、散々な目に合わされた。
オメガをストレスの吐け口にするようなやつだった。
二回中絶を経験した。
浮気も暴力も当たり前。
恋人というより奴隷だった。
別れられたのは、向こうが俺に飽きたから。
それでもあくまで恋人という立場を譲らないアルファ。
断り続け、なんとかこの日は逃げ切った。
その後、ピタリとバーに顔を出さなくなったアルファ。諦めたのかと思っていたが意外な所に顔を出す。
高校の制服を着て塾に入ってきた。
目が合った瞬間、ヒートを起こす。教室はアルファが二十人はいる。
教室の空気が一瞬で変わった。
「これで分かったでしょ? あんたが、俺をこんなにも求めてるって」
倒れている自分の前でしゃがむ。
「助けて欲しいか?」と目が物語っている。
悔しいが反論できない。
これだけの人数のアルファを前にしても何も反応しなかったのに、このアルファだけにヒートを起こした。
「助けて……ください……」
「うん、いいよ」
軽々と抱え上げ教室を出る。
仕事は解雇は決定だ。
しかも、高校生だなんて聞いていない。
遊びでも本気でもダメだ。
それなのに、体がこのフェロモンを覚えている。
本能に抗えない。
一番近くのホテルに連れ込まれ、ベッドに押し倒す。
「どうして欲しい?」
「家に、帰してくれ」
「素直じゃないね。いけないオメガだな」
目つきが変わっている。
それでも、自分から言うまでは、何もしないで我慢を貫いている。
お互い荒ぶる呼吸での耐久戦。
負けたのは、自分だ。
「抱いてくれ」
言い終わらないうちに唇が重なる。
それからは、無我夢中で相手を求めた。
ずっと気持ちよくて、全身で愛情を注がれているかのような多幸感に包まれた。
どのくらいの時間が経ったのかも、判断できない。
そのうち、そんなことも気にならなくなって、いつまで経っても治らないヒートを彼にぶつける。
アルファもそれを全て受け止めた。
「恋人にしてよ」
「君のせいで、職を失ったんだぞ」
アルファは口角だけを上げて笑い、心配ないと言った。
「俺専用の家庭教師、兼、恋人なんてどう?」
元恋人との付き合いから、この家庭がアルファ一家だと知っている。
それはこの世間において、相当な地位を確立していることを示している。まさに御曹司というに相応しい。
奴隷になっていた時も、我慢していたのは、それなりの額のお金を受け取っていたから。
暴力もなにもかも、それで割り切っていた自分も、どうかしていたのだろう。
それでも、そのお金で質のいい抑制剤か手に入っていたのも事実だ。
「バイトするよりいいだろ?」
なんて言われたことを思い出す。
結局あの頃と同じ、金で買われる日々に戻るだけだ。
血のつながった兄弟。
きっと最初だけ優しく、そのうち本性を出す。それが繰り返されるだろう。
期待した自分が情けない。
『運命』なんて言葉を、まだ信じていたのか? そんな感情は、とっくの昔に捨てたはずだろう。自分に問いかける。
あれだけ昂っていたヒートは瞬く間に収まり正気に戻る。
「……帰る」
「なんで?訳分かんない」
「結局、君たち兄弟はやること成すこと大差ないと気づいただけだ」
ベッドから降りシャワーを浴びる。
「二度と、現れるな」
サイドテーブルに万札を置き、ホテルを出た。
追って来て欲しいなんて思っていない。
でも彼は来る気がした。
いや、嘘だ。来てほしい。
兄とは違うと言って欲しい。
いつの間にか絆されていたと気付く。
今更、気持ちを否定しても無駄だった。
胸が苦しい。
それでもアルファは来なかった。
やはり信じてはいけなかったのだ。
アパートに帰り、年甲斐もなく声を上げて泣いた。
今日、一生分泣こうと決めて何時間も泣いた。
明日からは気持ちを切り替え、どんな甘い言葉にも惑わされない強い信念を持つと心に決める。
新しい仕事も見つけなければいけない。
こんなに辛いなら、最初から寝るんじゃなかった。
しかも相手は高校生。性への好奇心が芽生える頃だ。
奴隷時代の自分を見て、目をつけていたと言っていた。
あれが好意だと勘違いしたのは自分自身。
これで訴えられでもすれば、未成年に手を出した犯罪者だ。
自分を責める言葉しか出てこない。
誰かに必要とされたい。
塾の講師になって、やっとその場所を手に入れたのに、自分自身で壊してしまった。
一からやり直す気力が湧かない。
自暴自棄になっているのも自覚したが、一人でいる時間にとても耐えられない。
結局、一週間ほど泣き続け、腫れ上がった瞼のまま、行きつけのバーへ行った。
マスターも馴染みの客も、自分の変わり果てた顔を見て驚きを隠せない。
でも一斉に心配してくれ、酒を奢ってくれたり慰めてくれたり、分厚い大胸筋に顔を押し付けられて頭を撫でられると、またひとしきり泣いた。
「一人になりたくない」と言うと、何度かベッドを共にしたことのあるベータの男が泊めてくれると名乗り出た。
一泊と言わず、気が済むまでいてくれて構わないと言う。
ここの人たちはいい人ばかりだ。
甘えさせてもらい、ベータのマンションに向かおうと席を立つと、入り口のドアが開いた。
「やっと見つけた」
入って来たのは元恋人の弟。
「アパートに行ってもいなかったから、凄い探した」
「もう会わないと言ったはずだ」
アルファの手を振り解き、ベータと腕を組む。
「今日は彼の家に泊まるから」
見せつけるようにベータの頬にキスをする。これでどうか諦めてくれと願うが、そうはいかなかった。
「おい、もう一回ちゃんと話し合ってこい」そう言ったのはベータだった。
「それで、本当の本当に駄目だった時は、いくらでも慰めてやるから」
背中を押される。
アルファはベータに「ありがとう」と言うと、穏やかに自分の手を取った。
視線は合わせず、仕方なくついて行く。
「連れて行きたい場所がある」と言うと、自分の車に乗せた。
「準備に時間がかかって、迎えに行くのが遅くなった」
しっかりとコチラに視線を送ると、車を走らせた。
着いたのは広い一軒家。
「ここは?」
「俺の親の家の一つ。好きに使っていいって許可もらってるから」
玄関の鍵を開けながら、ここで一緒に住もうと強引に話を進める。
「まだ何も話し合ってもいないのに、勝手に決めるな」
あの時、追いかけても来なかったくせに。何を今更……。
「あの時、確かにこのままじゃ駄目だって思ったんだ。俺はアルファ一家に生まれたとはいえ、まだ学生。でも、これ以上、俺以外の奴があんたに触れるのも許せない。我慢できない」
ホテルのことは謝ってくれた。反省したから許して欲しいと言われ、頷いた。
「ここで挽回させてほしい。んで、高校卒業したら番になってよ」
迎えに来るのが遅くなったのは、ここの準備を進めていたからだと言った。
「あんたの部屋も、もちろん作ったし、仕事のことも親に相談したら事務として働いてくれって」
「そこまでしなくても……」
「どうしても手放したくない。やっとの思いで関係を作ったのに、今更諦められない」
広いリビングに通され、ソファーに座る。
アルファは自分の方に向き両手を握った。
「本気で好き。兄貴と一緒にしないでよ。年下で頼りないかもしれないけど、絶対大切にする」
もう誰も信じないと決めた。次に裏切られたら今度こそ立ち直れない。
「信じるのは怖い」と言った。
「じゃあ信じられるまでここに居て」とアルファが言う。
「恋愛は怖い。いつかは終わりが来る。俺はもうその悲しみには耐えられない。だからもう恋人を作りたくない」
「終わりなんて来ない。愛しても愛しても、その先に終わりなんてないよ。果てしなく続いていく。俺がそれを実証する」
アルファはごめんと謝ると、抱きしめたくて我慢の限界だと微笑んだ。
この要望を受け入れると言うことは、このアルファと一緒になることを意味している。
自分がどうするべきなのかが分からない。
しばらく悩んでいると、アルファはまたごめんと謝った。
「困らせたいんじゃないんだ。でも今夜は泊まってってよ。もう夜遅いし」
立ち上がったアルファの手を握り返した。
「……いいから。抱きしめても」
「今すぐ答えを出さなくてもいいんだよ?」
「もう一回だけ、君を信じてみる」
「本当に?」
アルファは感極まった様子で、目を赤くした。
「振られると思ってた。だから、今夜くらいは一緒にいたいって、思って」
こんな恵まれた家柄のアルファでも、こんなに緊張するものなのかと驚く。
自分を包み込んだアルファは何度も「ありがとう」と言った。
声と手が震えている。
本気なのだと、それだけで理解できた。
「恋人になったんだよね?」
「君はすごくそこに拘るね」
「そりゃそうだよ。二人を繋ぐ名前が必要だ。でも今夜は抱かないから、ゆっくり休んで」
お風呂の後で寝室を案内すると言う。
「抱いてくれ」
「そんな、駄目だよ。確かに最初は強引だったけど、大切にしたいんだ」
「ちが……俺が、抱いて欲しい」
「煽らないでよ」
頭を抱えながらも、浴室まで手を引いて移動すると、シャワーを浴びながら深く求められた。
「満足するまで付き合ってもらうから」
「あぁ」
体の奥からアルファを求めている。
オメガの本能で、この人の子種を欲している。
自分の欲は、フェロモンとなってアルファを誘う。
浴室で散々求め合った後、びしょ濡れのまま寝室へ移動した。
けれども、これでやっと幸せになれると思ったのに、運命はそう簡単にオメガに幸せを与えてはくれなかった。
アルファの家に住み始めて少し経った頃、突然の訪問者があった。
アルファは外出中でいない。
誰かと思いきや元恋人だった。
過去に突き落とされたようなショックに血の気が引く。
自分の姿を確認した元恋人はニヤリと笑った。
「久しぶりだな」威圧感を出す。
オメガを制圧するオーラで押さえつけられる。
元恋人がここに来たのは偶然だったようだが、面白いものを見つけたと言わんばかりの視線を寄越すと「俺が忘れられなかったのか?」と言った。
「そんなハズはない」
「白々しい嘘をつくなよ。素直に言えば、今からでも抱いてやる」
「結構だ」
断ったのが気に入らなかったようだ。
「生意気な。オメガのくせに。あの時、可愛がってやった恩も忘れたか。なら、今から思い出させてやるよ」
寝室に引き摺り込まれた。
「やめろ」
「こんな所で一人で待ってるなんて、俺に会いに来た以外に何の理由がある?」
「ここで、あんたの弟と住んでいる」
「は?」
どうやら弟との仲は良くないらしい。
「俺への当て付けか?」
胸ぐらを掴まれる。
両親は長男ではなく、次男の弟を事業の後継ぎにすると決めたようだ。
子供の頃から優等生で社交的な弟が気に入らなかった上に、完全に親から見放され、それなら一生親の金で遊んでやると、フラフラ暮らしていたらしい。
「俺に捨てられたから弟に行くとは、いい根性してんなぁ」
力では叶わない。
ベッドに押し倒されると、服を破られた。
さっきから無性に気分が悪いのは、元恋人の匂いだと気付く。
兄弟でアルファ。
それなのに、こんなにも匂いが違う事に驚きを隠せない。
弟の匂いはもっと柔らかく、安心できる。
なんだかんだ許してしまうのも、あの匂いに包まれるのが好きだから。
「ぉえ……」
近くにすらいたくない。吐き気まで催した。弟の匂いが嗅ぎたい。
「暴れんじゃねぇよ」
頬に痛みが走る。次にみぞおち。髪を掴まれて罵倒される。
あの頃が、完全再現された。
悪い夢でも見ているようだ。
ハッキリと痛みのある夢。
元恋人は前戯もなく突っ込んだ。
「痛い!!」
「何? まだ弟とはやってねぇの?」
気味悪く笑う。
「オメガなんだからさっさと濡らせ。俺を待たせるな」
乱暴さは昔以上かもしれない。
こんな事態になったなんて、弟には言えない。
幸せになろうとしたのがいけなかった。
体は反応するどころか拒絶している。
シーツに血が滲んだ。
「くっそ、使えねぇな」
元恋人は立ち上がり、腹を蹴り飛ばした。
ベッドから落ちる。
これで解放されるわけがない。この後、気が済むまで暴力は続く。
元恋人がベッドから降り、近づいてきた。
もう犯行する気力も残っていない。
抵抗しても無駄だと体が覚えてしまっている。
元恋人が腕を擦り上げた時、勢いよくドアが開いた。
それと同時に元恋人が吹き飛ばされた。
「もう大丈夫だから」
弟のアルファが素早くシーツで包むと、元恋人に再び殴りかかる。
「お前だけは絶対に許さない」
「俺からこのオメガを奪ったのはそっちだろ」
白々しい濡れ衣を着せる。そんなのは通用しない。
「お前をこの家から追い出してやる」
弟は兄に馬乗りになると、顔が腫れ上がるまで殴り続けた。
「今まで、俺の大切な人を傷つけたのと同じだけの痛みを味わえ」
あまりの迫力に声が出なかった。
やめさせなければいけないのに、この部屋に弟が入ってきた瞬間、求めていた匂いに包まれ完全に気が抜けた。
元恋人よりも、自分の側に居てほしい。
また別の威圧を感じた。
寝室に入ってきたのはどうやら父親。
二人のアルファの親というだけあって、貫禄が違う。
その圧倒的存在感に息を呑む。
弟の肩にそっと手を置いただけでその場を鎮めた。
「後は私に任せて」
一言だけ喋ると、元恋人に顎で合図を送り、ついて来させた。
寝室から出ていく間際、「うちの子が大変失礼を働いた。
「また改めて謝罪させてくれ」と言い、後は弟に託し家を後にする。
嵐が過ぎ去ったかのような静けさが戻ってくる。
「兄貴がここに来るとは思ってなかった。危険な目に遭わせてしまった」
シーツの上から抱きしめられる。直接匂いを嗅ぎたい。
「あいつのお蔭で一つだけ良かったことがある」
片目は腫れ上がり、弟の顔はよく見えない。
「あんな奴、あんたに危害しか加えてないじゃないか」
「違う、そうじゃなくて。元恋人に襲われた時、絶対に君じゃないと駄目なんだって確信した。この匂いじゃないと、俺は安心出来ない。俺の居場所は、ここにしかない」
当たり前だとキツく抱きしめた。
「俺たちの愛は永遠に続くって言っただろ。もう、不安なんて捨てろよ。一生守るから」
「上書きしてくれ。あいつを二度と思い出さないように」
そしてたくさん愛してもらい、弟アルファの高校卒業を待たずに番になった。
おしまい。
相手は学生とはいえ、高学歴な彼らの殆どはアルファで、とにかくプライドが高い。
彼らの自尊心を傷付けず、決して厳しく煽ったりせず、褒め続け、激励を飛ばす。
深夜にまで及ぶ業務は過酷ながらも、体以外で頼られたことのなかったオメガの自分は、それだけでも優越感に浸れる材料だった。
恋人とは講師二年目に入った頃に別れたきり、フリーを貫いている。
出会いがないわけではない。
馴染みのバーへ行けば誰かから声がかかる。
発情期には、呼べば来てくれる人も何人かいた。
だから恋人は必要ない。
定期的にバーへ通っては一夜限りの相手を見繕う。
大体はカウンター席に座るやいなや、声をかけられる。
「なぁ、あんたオメガだろ? 今日の相手に俺なんてどう?」
「別にいいけど、今日は泊まりたい気分なんだ」
「残念だが明日は仕事なんだ。またの機械にな」
こんなやりとりを数人繰り返し、ついに本日のお相手を捕まえた。フードを深く被っているが、随分若く見える。
「大学生?」と聞いたが「違う」と答えた。
「ねぇ、俺我慢できない。早くホテルに行こう」
ガッツかれるのも嫌いじゃない。
カクテルを飲み干すと、早々にバーを出た。
なんとなく、どこかで会った気がする。
気のせいかもしれないと思い、確認しなかったのが間違いだった。
ホテルに入りお風呂の準備ををする。手慣れている感じが垣間見れる。
「一緒に入いる?」
フードを取ったその顔に唖然とした。
「お前……」
別れた恋人にそっくりだ。
このアルファは元恋人の弟だった。
兄と自分が別れてから、ずっと自分を狙っていたと言う。
「元恋人の弟なんてごめんだ」と言ったが「別に、そんなの関係ない」と、気にも止めていない。
「今から別の相手なんて探すの面倒でしょ? 今夜は俺に抱かれなよ」
強気の姿勢に、試すように体を重ねた。
こんなに強いアルファ性を感じるのは初めてだった。
ヒートが治る様子はなく、むしろ媚薬でも飲まされたかのように昂りが鎮まらない。
何度も失神し、それでも朝まで抱かれた。
「ね、俺ならいつだって満足させてあげられる。塾でも、ヒートを起こす心配もなくなる」
「塾のことまで知ってるのか」
「なんでも知ってるよ。俺の本気、伝わった?」
こんな年下に主導権を握られる日が来るとは……。
それでも体は正直で、あんなに抱かれたにも関わらず、日頃の疲れも何もかも解消されていた。
「まぁ、悪くはない」
「じゃあ、俺の恋人になってくれる?」
「私はもう恋人は作らない」
こいつの兄には、散々な目に合わされた。
オメガをストレスの吐け口にするようなやつだった。
二回中絶を経験した。
浮気も暴力も当たり前。
恋人というより奴隷だった。
別れられたのは、向こうが俺に飽きたから。
それでもあくまで恋人という立場を譲らないアルファ。
断り続け、なんとかこの日は逃げ切った。
その後、ピタリとバーに顔を出さなくなったアルファ。諦めたのかと思っていたが意外な所に顔を出す。
高校の制服を着て塾に入ってきた。
目が合った瞬間、ヒートを起こす。教室はアルファが二十人はいる。
教室の空気が一瞬で変わった。
「これで分かったでしょ? あんたが、俺をこんなにも求めてるって」
倒れている自分の前でしゃがむ。
「助けて欲しいか?」と目が物語っている。
悔しいが反論できない。
これだけの人数のアルファを前にしても何も反応しなかったのに、このアルファだけにヒートを起こした。
「助けて……ください……」
「うん、いいよ」
軽々と抱え上げ教室を出る。
仕事は解雇は決定だ。
しかも、高校生だなんて聞いていない。
遊びでも本気でもダメだ。
それなのに、体がこのフェロモンを覚えている。
本能に抗えない。
一番近くのホテルに連れ込まれ、ベッドに押し倒す。
「どうして欲しい?」
「家に、帰してくれ」
「素直じゃないね。いけないオメガだな」
目つきが変わっている。
それでも、自分から言うまでは、何もしないで我慢を貫いている。
お互い荒ぶる呼吸での耐久戦。
負けたのは、自分だ。
「抱いてくれ」
言い終わらないうちに唇が重なる。
それからは、無我夢中で相手を求めた。
ずっと気持ちよくて、全身で愛情を注がれているかのような多幸感に包まれた。
どのくらいの時間が経ったのかも、判断できない。
そのうち、そんなことも気にならなくなって、いつまで経っても治らないヒートを彼にぶつける。
アルファもそれを全て受け止めた。
「恋人にしてよ」
「君のせいで、職を失ったんだぞ」
アルファは口角だけを上げて笑い、心配ないと言った。
「俺専用の家庭教師、兼、恋人なんてどう?」
元恋人との付き合いから、この家庭がアルファ一家だと知っている。
それはこの世間において、相当な地位を確立していることを示している。まさに御曹司というに相応しい。
奴隷になっていた時も、我慢していたのは、それなりの額のお金を受け取っていたから。
暴力もなにもかも、それで割り切っていた自分も、どうかしていたのだろう。
それでも、そのお金で質のいい抑制剤か手に入っていたのも事実だ。
「バイトするよりいいだろ?」
なんて言われたことを思い出す。
結局あの頃と同じ、金で買われる日々に戻るだけだ。
血のつながった兄弟。
きっと最初だけ優しく、そのうち本性を出す。それが繰り返されるだろう。
期待した自分が情けない。
『運命』なんて言葉を、まだ信じていたのか? そんな感情は、とっくの昔に捨てたはずだろう。自分に問いかける。
あれだけ昂っていたヒートは瞬く間に収まり正気に戻る。
「……帰る」
「なんで?訳分かんない」
「結局、君たち兄弟はやること成すこと大差ないと気づいただけだ」
ベッドから降りシャワーを浴びる。
「二度と、現れるな」
サイドテーブルに万札を置き、ホテルを出た。
追って来て欲しいなんて思っていない。
でも彼は来る気がした。
いや、嘘だ。来てほしい。
兄とは違うと言って欲しい。
いつの間にか絆されていたと気付く。
今更、気持ちを否定しても無駄だった。
胸が苦しい。
それでもアルファは来なかった。
やはり信じてはいけなかったのだ。
アパートに帰り、年甲斐もなく声を上げて泣いた。
今日、一生分泣こうと決めて何時間も泣いた。
明日からは気持ちを切り替え、どんな甘い言葉にも惑わされない強い信念を持つと心に決める。
新しい仕事も見つけなければいけない。
こんなに辛いなら、最初から寝るんじゃなかった。
しかも相手は高校生。性への好奇心が芽生える頃だ。
奴隷時代の自分を見て、目をつけていたと言っていた。
あれが好意だと勘違いしたのは自分自身。
これで訴えられでもすれば、未成年に手を出した犯罪者だ。
自分を責める言葉しか出てこない。
誰かに必要とされたい。
塾の講師になって、やっとその場所を手に入れたのに、自分自身で壊してしまった。
一からやり直す気力が湧かない。
自暴自棄になっているのも自覚したが、一人でいる時間にとても耐えられない。
結局、一週間ほど泣き続け、腫れ上がった瞼のまま、行きつけのバーへ行った。
マスターも馴染みの客も、自分の変わり果てた顔を見て驚きを隠せない。
でも一斉に心配してくれ、酒を奢ってくれたり慰めてくれたり、分厚い大胸筋に顔を押し付けられて頭を撫でられると、またひとしきり泣いた。
「一人になりたくない」と言うと、何度かベッドを共にしたことのあるベータの男が泊めてくれると名乗り出た。
一泊と言わず、気が済むまでいてくれて構わないと言う。
ここの人たちはいい人ばかりだ。
甘えさせてもらい、ベータのマンションに向かおうと席を立つと、入り口のドアが開いた。
「やっと見つけた」
入って来たのは元恋人の弟。
「アパートに行ってもいなかったから、凄い探した」
「もう会わないと言ったはずだ」
アルファの手を振り解き、ベータと腕を組む。
「今日は彼の家に泊まるから」
見せつけるようにベータの頬にキスをする。これでどうか諦めてくれと願うが、そうはいかなかった。
「おい、もう一回ちゃんと話し合ってこい」そう言ったのはベータだった。
「それで、本当の本当に駄目だった時は、いくらでも慰めてやるから」
背中を押される。
アルファはベータに「ありがとう」と言うと、穏やかに自分の手を取った。
視線は合わせず、仕方なくついて行く。
「連れて行きたい場所がある」と言うと、自分の車に乗せた。
「準備に時間がかかって、迎えに行くのが遅くなった」
しっかりとコチラに視線を送ると、車を走らせた。
着いたのは広い一軒家。
「ここは?」
「俺の親の家の一つ。好きに使っていいって許可もらってるから」
玄関の鍵を開けながら、ここで一緒に住もうと強引に話を進める。
「まだ何も話し合ってもいないのに、勝手に決めるな」
あの時、追いかけても来なかったくせに。何を今更……。
「あの時、確かにこのままじゃ駄目だって思ったんだ。俺はアルファ一家に生まれたとはいえ、まだ学生。でも、これ以上、俺以外の奴があんたに触れるのも許せない。我慢できない」
ホテルのことは謝ってくれた。反省したから許して欲しいと言われ、頷いた。
「ここで挽回させてほしい。んで、高校卒業したら番になってよ」
迎えに来るのが遅くなったのは、ここの準備を進めていたからだと言った。
「あんたの部屋も、もちろん作ったし、仕事のことも親に相談したら事務として働いてくれって」
「そこまでしなくても……」
「どうしても手放したくない。やっとの思いで関係を作ったのに、今更諦められない」
広いリビングに通され、ソファーに座る。
アルファは自分の方に向き両手を握った。
「本気で好き。兄貴と一緒にしないでよ。年下で頼りないかもしれないけど、絶対大切にする」
もう誰も信じないと決めた。次に裏切られたら今度こそ立ち直れない。
「信じるのは怖い」と言った。
「じゃあ信じられるまでここに居て」とアルファが言う。
「恋愛は怖い。いつかは終わりが来る。俺はもうその悲しみには耐えられない。だからもう恋人を作りたくない」
「終わりなんて来ない。愛しても愛しても、その先に終わりなんてないよ。果てしなく続いていく。俺がそれを実証する」
アルファはごめんと謝ると、抱きしめたくて我慢の限界だと微笑んだ。
この要望を受け入れると言うことは、このアルファと一緒になることを意味している。
自分がどうするべきなのかが分からない。
しばらく悩んでいると、アルファはまたごめんと謝った。
「困らせたいんじゃないんだ。でも今夜は泊まってってよ。もう夜遅いし」
立ち上がったアルファの手を握り返した。
「……いいから。抱きしめても」
「今すぐ答えを出さなくてもいいんだよ?」
「もう一回だけ、君を信じてみる」
「本当に?」
アルファは感極まった様子で、目を赤くした。
「振られると思ってた。だから、今夜くらいは一緒にいたいって、思って」
こんな恵まれた家柄のアルファでも、こんなに緊張するものなのかと驚く。
自分を包み込んだアルファは何度も「ありがとう」と言った。
声と手が震えている。
本気なのだと、それだけで理解できた。
「恋人になったんだよね?」
「君はすごくそこに拘るね」
「そりゃそうだよ。二人を繋ぐ名前が必要だ。でも今夜は抱かないから、ゆっくり休んで」
お風呂の後で寝室を案内すると言う。
「抱いてくれ」
「そんな、駄目だよ。確かに最初は強引だったけど、大切にしたいんだ」
「ちが……俺が、抱いて欲しい」
「煽らないでよ」
頭を抱えながらも、浴室まで手を引いて移動すると、シャワーを浴びながら深く求められた。
「満足するまで付き合ってもらうから」
「あぁ」
体の奥からアルファを求めている。
オメガの本能で、この人の子種を欲している。
自分の欲は、フェロモンとなってアルファを誘う。
浴室で散々求め合った後、びしょ濡れのまま寝室へ移動した。
けれども、これでやっと幸せになれると思ったのに、運命はそう簡単にオメガに幸せを与えてはくれなかった。
アルファの家に住み始めて少し経った頃、突然の訪問者があった。
アルファは外出中でいない。
誰かと思いきや元恋人だった。
過去に突き落とされたようなショックに血の気が引く。
自分の姿を確認した元恋人はニヤリと笑った。
「久しぶりだな」威圧感を出す。
オメガを制圧するオーラで押さえつけられる。
元恋人がここに来たのは偶然だったようだが、面白いものを見つけたと言わんばかりの視線を寄越すと「俺が忘れられなかったのか?」と言った。
「そんなハズはない」
「白々しい嘘をつくなよ。素直に言えば、今からでも抱いてやる」
「結構だ」
断ったのが気に入らなかったようだ。
「生意気な。オメガのくせに。あの時、可愛がってやった恩も忘れたか。なら、今から思い出させてやるよ」
寝室に引き摺り込まれた。
「やめろ」
「こんな所で一人で待ってるなんて、俺に会いに来た以外に何の理由がある?」
「ここで、あんたの弟と住んでいる」
「は?」
どうやら弟との仲は良くないらしい。
「俺への当て付けか?」
胸ぐらを掴まれる。
両親は長男ではなく、次男の弟を事業の後継ぎにすると決めたようだ。
子供の頃から優等生で社交的な弟が気に入らなかった上に、完全に親から見放され、それなら一生親の金で遊んでやると、フラフラ暮らしていたらしい。
「俺に捨てられたから弟に行くとは、いい根性してんなぁ」
力では叶わない。
ベッドに押し倒されると、服を破られた。
さっきから無性に気分が悪いのは、元恋人の匂いだと気付く。
兄弟でアルファ。
それなのに、こんなにも匂いが違う事に驚きを隠せない。
弟の匂いはもっと柔らかく、安心できる。
なんだかんだ許してしまうのも、あの匂いに包まれるのが好きだから。
「ぉえ……」
近くにすらいたくない。吐き気まで催した。弟の匂いが嗅ぎたい。
「暴れんじゃねぇよ」
頬に痛みが走る。次にみぞおち。髪を掴まれて罵倒される。
あの頃が、完全再現された。
悪い夢でも見ているようだ。
ハッキリと痛みのある夢。
元恋人は前戯もなく突っ込んだ。
「痛い!!」
「何? まだ弟とはやってねぇの?」
気味悪く笑う。
「オメガなんだからさっさと濡らせ。俺を待たせるな」
乱暴さは昔以上かもしれない。
こんな事態になったなんて、弟には言えない。
幸せになろうとしたのがいけなかった。
体は反応するどころか拒絶している。
シーツに血が滲んだ。
「くっそ、使えねぇな」
元恋人は立ち上がり、腹を蹴り飛ばした。
ベッドから落ちる。
これで解放されるわけがない。この後、気が済むまで暴力は続く。
元恋人がベッドから降り、近づいてきた。
もう犯行する気力も残っていない。
抵抗しても無駄だと体が覚えてしまっている。
元恋人が腕を擦り上げた時、勢いよくドアが開いた。
それと同時に元恋人が吹き飛ばされた。
「もう大丈夫だから」
弟のアルファが素早くシーツで包むと、元恋人に再び殴りかかる。
「お前だけは絶対に許さない」
「俺からこのオメガを奪ったのはそっちだろ」
白々しい濡れ衣を着せる。そんなのは通用しない。
「お前をこの家から追い出してやる」
弟は兄に馬乗りになると、顔が腫れ上がるまで殴り続けた。
「今まで、俺の大切な人を傷つけたのと同じだけの痛みを味わえ」
あまりの迫力に声が出なかった。
やめさせなければいけないのに、この部屋に弟が入ってきた瞬間、求めていた匂いに包まれ完全に気が抜けた。
元恋人よりも、自分の側に居てほしい。
また別の威圧を感じた。
寝室に入ってきたのはどうやら父親。
二人のアルファの親というだけあって、貫禄が違う。
その圧倒的存在感に息を呑む。
弟の肩にそっと手を置いただけでその場を鎮めた。
「後は私に任せて」
一言だけ喋ると、元恋人に顎で合図を送り、ついて来させた。
寝室から出ていく間際、「うちの子が大変失礼を働いた。
「また改めて謝罪させてくれ」と言い、後は弟に託し家を後にする。
嵐が過ぎ去ったかのような静けさが戻ってくる。
「兄貴がここに来るとは思ってなかった。危険な目に遭わせてしまった」
シーツの上から抱きしめられる。直接匂いを嗅ぎたい。
「あいつのお蔭で一つだけ良かったことがある」
片目は腫れ上がり、弟の顔はよく見えない。
「あんな奴、あんたに危害しか加えてないじゃないか」
「違う、そうじゃなくて。元恋人に襲われた時、絶対に君じゃないと駄目なんだって確信した。この匂いじゃないと、俺は安心出来ない。俺の居場所は、ここにしかない」
当たり前だとキツく抱きしめた。
「俺たちの愛は永遠に続くって言っただろ。もう、不安なんて捨てろよ。一生守るから」
「上書きしてくれ。あいつを二度と思い出さないように」
そしてたくさん愛してもらい、弟アルファの高校卒業を待たずに番になった。
おしまい。
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