上 下
48 / 56

48

しおりを挟む
 海星が叶翔を振り返りながら睨みつけた。
 それでも叶翔の目は座ったまま、海星を捉えている。
「ごめん、もう一回言うけど、伊央に触れないで」

 その威圧に海星は「うっ……」と唸ると、差し出した手を下ろした。
 アルファの格が違う。
 元々、アルファ性が強い上に特殊性だ。その違いがこれほどまでとは、驚きを隠せない。

 海星が腕を下ろすと、叶翔から放たれる圧は和らいだ。
 叶翔は伊央に再び目を向け、「伊央、今は抱きしめてやれないけど、ちゃんと言える?」と促す。

 伊央も、海星には聞かれたくないことも、全て話さなければならないと、ようやく覚悟が決まった。

「僕と、叶翔の相性がいいから叶翔が獣化したって。それで……その……」
「うん、ゆっくりでいいから。深呼吸して」
「僕が……僕が、叶翔を受け入れたいって本能が働いたことで、叶翔のアルファ細胞が馴染んできてる」

 ここまでは知らなかった海星は頭を抱えた。
 やはり、伊央は自分のものにはならなかった。どんなに頑張っても、伊央の心の中から叶翔を消し去ることはできなかった。

 叶翔は驚きながらもまた顔を綻ばせる。
「なんだよ、それって告白じゃん」
「そっ!! そんなんじゃ……」
「でもさ、俺との子供だって言われても、産みたいって思ってくれたんだろ?」
「そうだけど……」
「たとえば、海星には酷な質問になっちゃうけど、もしもお腹の赤ちゃんが海星との子供だって言われたら、二人はどうしてた?」

 叶翔の言葉に、困ったのは海星だった。
 まだ高校一年生。番にはなりたかったけれど、その先までは考えていなかった。
 叶翔の子供だと言われてショックだった。一瞬は自分が父親の代わりに……という考えも浮かんだ。でもそれを口に出せなかったのは、伊央が叶翔への想いを断ち切れていないと悟ったからではなく、自分が父親になれる自信がなかったからだ。

 なのに、叶翔は自分の子供だと言われて手放しに喜んだ。自分との子供を産んで欲しいと言った。
 即答で、なんの躊躇いもなく伊央の気持ちを汲み取った。
 海星は自分の対応をなんて愚かだったのかと悔いた。
 伊央に「別れたいのか」と詰め寄り、責めた。
 自分の望む診断結果じゃなかったからだ。

「———伊央、俺……本当にごめん」
「海星君がなんで謝るの?」
「だって、今一番混乱して、悩んでるのは伊央だし、伊央の体のことを心配して一緒に病院に行ったのに、別れるかどうかなんて、今話すべきじゃない……。俺は、伊央と別れたくなくて、焦ってしまって……」
「そんな風に言わないで。僕はずっと海星君に甘えられて、支えられて、ずっと幸せだった。今日も一緒に病院に来てくれて嬉しかった」
「でも、俺たちの関係は今日で終わりだよ。伊央にはどうしても叶翔が必要で、俺は……友達に戻るしかない」
 海星は伊央から少し離れた。近くにいると、抱きしめたくなるからと言った。
 叶翔は黙って二人を見守っている。海星がどんな決断を出すのか、叶翔は察しているような気もする。
 海星は少しの間、黙り込んで下を向いていたが、大きく息を吐くと伊央を真っ直ぐに捉え「今まで、夢を見させてくれてありがとう」と、精一杯の笑顔を見せる。泣きそうなのをぐっと堪えて笑った。
 どんなに足掻いても自分の居場所はここにはなく、伊央はこれから子供の成長と共に、海星を頼らなくなるだろう。
「一人でも育てる」と言った。海星を頼るとは言わなかった。もう一度噛んでほしいとも言わなかった。
 本能が叶翔のアルファ細胞を受け入れていると言われ、これからはそれをどんどん自覚していくのだ。

「海星君……ごめ……ごめんなさい」
 伊央は最後まで優しい海星に謝ることしか出来ない。それでも海星を目の前にすると、とてもじゃないけれど叶翔との子供を一緒に育てて欲しいなんて言葉は出てこなかった。
 そんな酷な人生を彼に背負わせてはいけない。産むなら、一人で育てるしかない。そう思ってしまった。
 裏切ってごめんなさい。傷付けてごめんさない。番じゃなくなってしまってごめんなさい。
 どんなに謝っても、許されることではない。いや、許さないで欲しい。
 沢山間違えてしまった伊央のことを……。

 泣きながらそう伝えると、海星は「伊央、顔を上げて」と声をかける。

「あのさ……最後くらい、ありがとうって言ってよ。叶翔の前で、俺といて楽しかったとか、幸せだったとか、なんか見せつけないと、悔しいじゃん。今くらい、カッコつけさせて。俺から、去ってくからさ」
 海星はもう涙を止めていた。

「楽しかった。嬉しかった。ありがとう、海星君。……ありがとう……」
「ん、俺も。伊央といた時間、すげー幸せだった。涙は、叶翔に拭いてもらいなよ」

 海星は立ち上がると、テーブルを除け、さっき預かった注射を叶翔に返した。
「伊央のこと泣かせたら、番じゃなくても何がなんでも奪うからな」
「もう、泣かせねぇよ」

 階段を降り、玄関のドアが閉まった。

「———海星君、ありがとう……」
 伊央は泣きたいのを我慢した。ここで泣けば、それこそ海星に対して失礼だと思った。
 海星が「泣くな」と言うなら、伊央はもう決して泣かないと心に誓った。
しおりを挟む
感想 19

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

トップアイドルα様は平凡βを運命にする

新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。 ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。 翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。 運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい

海野幻創
BL
「その溺愛は伝わりづらい」の続編です。 久世透(くぜとおる)は、国会議員の秘書官として働く御曹司。 ノンケの生田雅紀(いくたまさき)に出会って両想いになれたはずが、同棲して三ヶ月後に解消せざるを得なくなる。 時を同じくして、首相である祖父と、秘書官としてついている西園寺議員から、久世は政略結婚の話を持ちかけられた。 前作→【その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました】 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/33887994

真柴さんちの野菜は美味い

晦リリ
BL
運命のつがいを探しながら、相手を渡り歩くような夜を繰り返している実業家、阿賀野(α)は野菜を食べない主義。 そんななか、彼が見つけた運命のつがいは人里離れた山奥でひっそりと野菜農家を営む真柴(Ω)だった。 オメガなのだからすぐにアルファに屈すると思うも、人嫌いで会話にすら応じてくれない真柴を落とすべく山奥に通い詰めるが、やがて阿賀野は彼が人嫌いになった理由を知るようになる。 ※一話目のみ、攻めと女性の関係をにおわせる描写があります。 ※2019年に前後編が完結した創作同人誌からの再録です。

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼第2章2025年1月18日より投稿予定 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。

処理中です...