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 先生は、噛み痕もいずれ薄くなって消える可能性が高いと言った。
「特殊性の人は決まったパターンがあるわけじゃない。もちろん、過去に事例のある場合だって珍しくなくあるんだけど、基本的には人それぞれだ。時田君の相手の……天海君だっけ? その子の場合は、多分、独占欲……」

「叶翔の独占欲で番を解消したと言うんですか?」

「時田君を縛り付けると言うよりも、きっと他のアルファへの牽制が著しいね。森島君のアルファ性だって決して弱くはない。なのに、それを抹消しようとしている。ヒートに当てられちゃったのは番になる前なんでしょ?」

「そうです。でもその時は、僕自身に異変はありませんでした。叶翔は獣化の後遺症が残ってしばらく治療していましたけれど」

 あの日の状況を再び先生に説明した。事後直ぐは伊央にも分かる事が少なすぎた。今は落ち着いて、あの時よりもしっかりと説明できる。とはいえ、殆どが海星から聞いた内容であるが。

『獣化』という言葉に対し、先生は「ほう」と顎に手を添える。

「アルファが獣化するなんて、余程相性がいいんだね。きっと妊娠もその時だろう。一度は番が成立したように思えた。けれども、先に体内に入っていた天海君の細胞が反応し、森島君のアルファの細胞を抹消しようと働き始めた……」

「待ってください。もしその説が当たっていたとすれば、例えば今後、再び海星君に頸を噛んでもらっても無駄だと言うことですか?」

「きっとね。そりゃ、やってみないと分からないけれど。出産予定日からして、お腹の赤ちゃんの父親は天海君で間違いない。森島君のアルファ細胞よりも先に、天海君のアルファ細胞が入っていた。それを森島君の子供だとは誤魔化しようもないし、現に森島君のアルファ細胞は如実に減っている。この状況でも、彼はまた噛みたいと言うだろうか? 時田君が良くても、森島君がどう感じるかは話してみないとね。厳しい意見だけど」

「いえ、はっきり言ってくれる方が有難いです……」

 そう言いながらも俯いた顔を上げられない。
 番が解消されている可能性があるため、海星はオメガ病棟には同席できない。先生から突きつけられた事実を一人で受け止めるには、あまりに衝撃的な内容であった。

 先生は伊央の顔色だけを伺いながらも話を続ける。
「産むか産まないかも早く決めた方がいい」

「先生は、僕も天海君も高校生なのに産むなって言わないんですか?」

「一昔前ならね、言っていたかもしれない。でも今の時代、そんなこと言う医者はいないよ。今は何よりも当人同士の意見が尊重されている。ヒートセックスだから不可抗力だけど、この場合ね、時田君が天海君を好きだからこその結果だと私は思っている」

「何で、そう思うんですか?」

「君の細胞が、天海君を拒否していないからだよ。それどころか馴染もうとしている。それに、いくらヒートセックスだったとはいえ、一度の……しかも、途中で引き剥がされたようなセックスで妊娠までしていた。これはお互い思い合ってこそだと思うけどな。どうだい?」

 ———どうだい。と聞かれ、黙り込んでしまう。
 ここまで専門的に、医学的に説明されたなら、それを認めない方がおかしいことのように感じる。先生に上手く言いくるめられたか。それでも、ずっと押し殺してきた叶翔への想いを、もう隠すことも消すこともできないところまで来てしまったのかもしれない。

 けれども「上書きしたい」と言った叶翔を、断っている。なのに、妊娠したからやっぱり番になってくださいなんて、都合が良すぎないか?
 もしも、このお腹の赤ちゃんが叶翔の子と海星が知っても、それでもいいと言ってくれたなら……僕はどうする…?
 だめだ、それじゃあまた逃げることになる。

 伊央は考えれば考えるほど、答えが分からなくなってしまった。

 先生の言う通り、まずは海星に真実を話さなければならない。
 叶翔も心配してくれているだろう。
 
 お腹には新しい命が芽生えている。もう、甘えられる環境に逃げてはだめだ。
 こんな時になって、ようやく決意することができた。

「先生、ありがとうございました」と、頭を下げる。
 先生は、よく話合って焦らずに決めなさい。とアドバイスをしてくれた。
 
 緊張している。
 ドアを閉め、ゆっくりと息を吐き切る。

 海星なら真剣に聞いてくれる。今までだってそうだった。海星を信じて、真実の全てを打ち明けようと、診察室を出て一般病棟へと向かう。

 そこで、海星が待っている。
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