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第四章

49 、逆抱き枕

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 バルテルシーは奴隷商の書類を見ても尚、エレノアが僕を売ったとは信じたくない様子だった。
 その口振りから、確かに子供を無碍に扱うような人には思えない。

 けれども現実問題、わざわざ奴隷商に売れる年齢になるまで待っていたことを踏まえると、エレノアが計画的に動いたと考えるのが自然の流れである。

「たとえば、その侍女がお金に困っていた……とか……」
 パトリスの予想に、バルテルシーは「それは考え難い」と一言返した。

「エレノアには家族はいませんでしたし、賭け事や派手な遊びも一切しない人でした。給料は他の従者よりも多く払っていたました。マリユスを全面的に押し付けている状態だったので」

 聞けば聞くほど素晴らしい人格のように思える。
 僕と共もに姿を眩まし、その足で奴隷商へ赴き、商人相手に値段交渉をした……。

 一一一本当にしたのだろうか。というよりも、そんな真面目な人が値段の交渉など出来ないのではないか。

「もしもエレノアさんが本当に奴隷商にマリユスを連れて行ったとすれば、貴族の誰かが付き添ったはずなのですが、心当たりはありませんんか?」

「待ってください。話が急すぎて……」
 バルテルシーはもう冷めてしまったハーブティーを一気に流し込み、ゆっくり長く息を吐く。
 こちらと同じように、バルテルシーからしてみても、今日という日は衝撃の連続なのだ。

 二八年間探していた子供が目の前に現れ、運命の番であるイレーネの実弟までいた。
 専属の侍女エレノアは無断でバルテルシーの子供を拐い、奴隷商に売っていた。
 そのエレノアは通り魔に遭い命を落としている。

「……話が出来すぎている」
 エリペールと僕が同時に声にした。
 バルテルシーの話を並べてみても、最初からそんなシナリオがあったような気がしてならない。

「せめてエレノアさんが生きていれば、全て解明できたのでしょうが……」ゴーティエの後に、エリペールが「誰かが陥れたとしか考えらない」と続けた。
 
 どんなに頭を捻っても、それを打ち砕く事実が出てくる。
 奴隷商に売り飛ばされるような隠し子を陥れて、どんなメリットがあるというのか。なんの特にもならないではないか。

「あ……」
 何気に立ちあがろうとした時、くらり……と眩暈がして床に蹲ってしまった。
「マリユス!」
 エリペールが駆け寄る。
「マリユスに負担がかかっている。今日のところは、これで解散だ」
 合議を無理矢理終わらせると、僕を抱えて自室へと向かう。

「あの、大丈夫です。話を続けましょう」
「どちらにせよ、時間をおいた方がいい。あのまま行き詰まっていても解決にはならない」
 全員が頭を冷やす必要があるとエリペールは言う。
 リリアンに夕食は部屋に運ぶよう伝え、寝室のベッドに寝かせられる。

「我慢はしない約束だ、マリユス」
「本当に、大丈夫です。でも……」
「あぁ。言いたいことは私にも分かる」

 バルテルシーが、誰かから恨まれるような人物ではないのは確定した。
 イレーネを死なせてしまったことも、パトリスに深く詫びていた。
 領民からも、伯爵家の人間からも、人望があるようにしか思えなかった。

 最初はバルテルシーの自作自演かとも疑ったが、それもない。
 それと、もう一つ引っかかる発言があった。

「あんなにも平和な街で、本当に通り魔なんて出たのでしょうか」

 いつもは僕が抱き枕の係なのに、今日は僕からエリペールの腕にしがみついている。
 こうしているだけで、目眩も精神的にも落ち着く気がする。
 エリペールも、いつもこんな風に感じていると嬉しいと思った。

 しかし大丈夫とは言ったものの、どこか恐怖心は拭えないでいた。
 もしかすると、本当は僕も命が狙われていたのではないかと……そう思ってしまうのは間違えているだろうか。

「マリユス、こっちを見て」
「はい?」
「考え込んで、眠れなくなるだろう」
「やはり、何でもお見通しですね」
「マリユスが不安に思っていることは、全て違うから安心したまえ」

 この一言が僕に安心感を与える。

「夕食まで、少し寝るといい」
「そうします。いつも考えすぎるのは、僕の悪い癖です」
「マリユスは優しすぎるのだ」
 エリペールの腕を抱きしめたまま、目を閉じる。

「マリユス」
 名前を呼ばれ、薄らと目を開くと間近にエリペールの眸がある。
「キス、したい?」
「……したいです」
 少しくらい乱暴にされて頭をぐちゃぐちゃに掻き乱しても良かったのに、エリペールは限りなく優しいキスをした。

 ゆっくりと舌が歯列を辿り、口中を懐柔していく。
 ヒートを起こさないよう配慮してくれているのだと思った。
 寝かしつけるような、幼い子供をあやすような口付けに、脳髄から蕩ける感覚を覚える。
 そして、食いしばっていた奥歯の力が抜けると、いかに自分が我慢していたかを自覚した。
 バルテルシーの話を聞きながら、問題は僕の方にある気がして怖かったのだ。

 夢虚になっていく過程で、エリペールが「分かったかもしれない」と呟いた気がした。
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