【完結】発情しない奴隷Ωは公爵子息の抱き枕

亜沙美多郎

文字の大きさ
上 下
39 / 68
第四章

39、パトリスの過去と姉についての記実

しおりを挟む
 ラングロワ邸を訪れたパトリスは緊張の面持ちだった。
 学校ではいつも沢山の資料を持ち歩いている印象があるが、今日は鞄一つで手持ちぶたさなのか、落ち着きがない。

「パトリス先生、突然いなくなってしまい申し訳ありませんでした」
 深々と頭を下げる。ブリューノが訪ねてくれたあの日、パトリスに一言の挨拶もせずに出ていってしまったのに、謝罪も何もできていなかった。
 ブリューノが事情を説明してくれ、その後、ゴーティエも忙しい合間を縫ってパトリスの研究室へ顔を出してくれたのだと言っていた。

 パトリスは出迎えたゴーティエを見て、少し顔の強張りが和らいだように感じた。

「ご足労かけたね。どうぞ中へ」ゴーティエが声を掛け、「お邪魔致します」一言返事をしてパトリスが後に続いた。
 客室にはエリペールとブリューノ、ブランディーヌが先に待機していた。
 パトリスが入室すると、三人揃ってお辞儀をする。
 話の内容は概ねブリューノから話してくれていたので、着席次第、合議を始めた。

「まずは謝罪をさせてください。私はマリユス君がラングロワ公爵家の家族であると知りながら、預かっている旨を知らせませんでした。そのことでエリペール様に悪影響を及ぼすなど、考えが至りませんでした。本当に、申し訳ありませんでした」
 全員に向かってパトリスは頭を下げる。

 全員がその様子を黙って見ていたが、エリペールだけは違った。
「理由があるのだろう。この際、連絡をしなかった理由でも言い訳でも洗いざらい話したまえ」
 パトリスに対して苛立ちを抑えるのに必死な様子を見せた。
 しかしそれは全員が気になっていることでもあったので、パトリスに注目する。

「……自分の欲求を優先してしまいました」
 少しの間目を伏せて黙り込んでいたが、観念したように話し始める。

「マリユス君がもしかすると身内かもしれないと思っているのは、皆様既にご存知かと思います」
「あぁ、今回の件で共有させてもらった」エリペールの口調はパトリスを攻めているようだった。

 パトリスは敵の陣地にで送り込まれたように狼狽した面持ちで、それでも話を続ける。
「希望を捨てきれませんでした。マリユス君に失踪した姉を重ね合わせていたのもあります。それほどマリユス君は姉にそっくりなんです。生き写しのようで……。私はもう実の家族を亡くしていますから、マリユス君との生活は失った時間を取り戻したような気持ちにさせてくれていたのです」

 パトリスは遠い視線の先に、失踪した姉を見ているようだった。
 僕に姉を重ね合わせ、もし元気でいてくれれば、こんな生活を送っていたのではないかと幻想を抱いていたのだろう。

「マリユス君が学生時分に私の身の上を話してしまい、混乱させてしまったのは後悔もしました。それ以来、交流もなくなってしまったのでね。しかし、もう嫌厭されているかと思っていたマリユス君から頼りにされ、断る理由はなかった。ラングロワ公爵家から連絡があれば、その時は素直に従おうと決めていました。ただ、それまでは……」

 パトリスの言葉にエリペールは「身勝手な理由だ」と一喝した。
「分かっています。自分の過誤は認めます。もう充分、夢は見させてもらいましたから」
 悄然とした表情で目を伏せ、何とか口角だけを上げる。

「エリペール様、パトリス先生を責めないでください。僕から先生に、どうか公爵家には連絡しないでくださいと頼んだのです。先生は僕の気持ちを汲んでくれただけで……」

 横から庇護しようとしたところ、ブリューノが口を挟む。
「結果的にマリユスが危険な目に遭わなくて済んだのだから、もう良しとしようではないか。今からもっと大事な話をしなければならない。最初からギクシャクしていては、いつまで経っても前に進めないぞ、エリペール」
 
 いつまでも敵対心を剥き出しにしているエリペールに、注意を促す。
「あ、あぁ……すまない。また私が暴走しそうになった時は止めてくれ」エリペールは眉根を寄せつつ、ブリューノの正論に従った。

「パトリス先生に悪意がなかったのだから、水に流すべきだ」
 続けて言った言葉にも「あぁ」と呻るような返事をして頷いた。

「では、本題に入ってもいいかな? 先生のお姉様が失踪したと……」
 ゴーティエがパトリスに話しかけると、パトリスはピシッと姿勢を正した。

「はい。おおよその内容はエリペール様やマリユス君から聞いていると思います。私も日記を見つけたのが両親が他界して数年経ってからだったので、情報を集めるのに随分難航していまして」
 パトリスは説明しながら鞄を開き、その日記を取り出す。中に手紙らしきものが一通挟まっているのも見受けられた。

 ゴーティエが受け取り、中に目を通していいかとパトリスに訊ねる。
「是非、見てください。何か気になることがあれば何でも仰ってください」

 そこには姉であるイレーネのについてが主に記されていた。
 パトリスから聞いた話と一致している。
 一通り読んだゴーティエが日記帳を閉じ、「特に違和感は感じられなかった」とテーブルにそっと置く。

 パトリスはため息を吐き背凭れに身を預けた。
 「しかし、立派な日記帳だね。パトリス先生のご両親のものだということだが……こんな物、どうやって手に入れたのだろうか」
 ゴーティエが日記帳をブランディーヌに見せると、隈なく細部まで注視していた。

 綺麗な花の刺繍の装飾が施された表紙は、パトリスの研究室で見た美術品のような本である。
 確かに、中々手に入るものではない。
 パトリス自身は本を集めるのが趣味であるが、両親から譲り受けたのものなのだろうか。

「実は私の両親は、貴族街に店を数店舗構える商人でした。姉は私と違い社交的な人で、よく店を手伝っていました。オメガ特有の美しい人でしたから、貴族のパーティーにも誘われていたそうです。バルテルシー伯爵様ともそこで出会ったと、日記に書かれていたので知りました。私はこの通り商売気のない人間ですから、もう店は全て親戚に譲っています。私の結婚もその当時の伝手があったからです。ルブラン伯爵家の末っ子は幼い頃の病気が原因で、妊娠ができないと言われていました。でも結婚願望はあった。それで、子供が産めなくても良いと言ってくれる相手を探していたのです。その話を聞いた時、瞬時に名乗り出ました。私は子供が苦手だし、恋愛の経験もない。形だけの結婚で、あとは好きな研究や、姉の捜索を続けられると思ったのです」

 時間をかけて説明をした後、挟まっている手紙を見て欲しいと促す。
 そこには、姉に一人の男の子が生まれた旨が記されていた。
 名前が書かれていないのは子供を探させないためか……出生日を確認する。

「……ブランディーヌ、確かマリユスを奴隷商から引き取った時の書類に、出生日が書かれていたのではなかったか」
「確認してみますわ」
 ゴーティエに話を振られ、ブランディーヌは急いでその書類をテーブルに置いた。
 手紙に記されていた日付と、奴隷商の書類に記されている日付は全く違っていた。

「売るときに出鱈目を書いた可能性も考えられる。バルテルシー伯爵が、子供を奴隷商に売ったのを隠蔽するために」
 ブリューノの案に、エリペールも深く頷く。

「その書類を見ても構いませんか」
 今度はパトリスがマリユスのデータを見たいと言い、手に取ると小さな丸眼鏡越しに一点だけをじっと見詰めていた。

「パトリス先生? 何か、気になることが書かれていましたか?」
「……マリユス君、君の本当の名前は……」
「すみません。売られるときに聞いたきりだったので覚えていなくて……そこにはなんと書いてありますか?」
「……マリユス……ロネ……。私の姉の名前は『イレーネ・ロネ』……」
 全身が粟立った。

「なっ……」
 エリペールも誰も彼もがパトリスに注目した。

「いや、しかし……」
 パトリスの渋面は晴れなかった。
しおりを挟む
感想 56

あなたにおすすめの小説

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

運命の息吹

梅川 ノン
BL
ルシアは、国王とオメガの番の間に生まれるが、オメガのため王子とは認められず、密やかに育つ。 美しく育ったルシアは、父王亡きあと国王になった兄王の番になる。 兄王に溺愛されたルシアは、兄王の庇護のもと穏やかに暮らしていたが、運命のアルファと出会う。 ルシアの運命のアルファとは……。 西洋の中世を想定とした、オメガバースですが、かなりの独自視点、想定が入ります。あくまでも私独自の創作オメガバースと思ってください。楽しんでいただければ幸いです。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

竜王陛下、番う相手、間違えてますよ

てんつぶ
BL
大陸の支配者は竜人であるこの世界。 『我が国に暮らすサネリという夫婦から生まれしその長子は、竜王陛下の番いである』―――これが俺たちサネリ 姉弟が生まれたる数日前に、竜王を神と抱く神殿から発表されたお触れだ。 俺の双子の姉、ナージュは生まれる瞬間から竜王妃決定。すなわち勝ち組人生決定。 弟の俺はいつかかわいい奥さんをもらう日を夢みて、平凡な毎日を過ごしていた。 姉の嫁入りである18歳の誕生日、何故か俺のもとに竜王陛下がやってきた!?   王道ストーリー。竜王×凡人。 20230805 完結しましたので全て公開していきます。

処理中です...