【完結】発情しない奴隷Ωは公爵子息の抱き枕

亜沙美多郎

文字の大きさ
上 下
34 / 68
第三章

34、幻覚か、現実か

しおりを挟む
 仰向けになり、ただ一点だけを見詰め、虚に瞬きを繰り返しているエリペールの焦点は合っていない。
 頬は痩け、唇は乾き切っている。美しく艶を放っていた髪も、今では見る影もない。
 たった一年で人はこんなにも変わってしまうのかと愕然としてしまった。
「……僕のせいだ」
 一人では寝られないと、あれだけ言っていたのに。それを誰よりも知っていたはずなのに。
 後悔は後から後から押し寄せる。
 
 謝って済む問題ではない。どんな罰を受けたとしても、エリペールが回復しなければ意味はないのだ。
 
 もしもブリューノと偶然再会していなければ、もしもあのまま逃げていれば……きっとエリペールはこのまま衰弱の一途を辿り、やがて命尽きるだろう。
 
 自分に出来ることが何なのか、考えようにも頭が混乱しすぎていて思い浮かばない。
 名前を呼ぼうにも声を出そうとするだけで喉が詰まってしまう。
 触れても良いのだろうか。
 隣に行っても良いのだろうか。

 直ぐ隣に立っているのに、こちらに気がついておらず視線は変わらない。
 僕だけが体の中に燻っている熾火を抱いている。
 しかしこれはエリペールが生きている・・・・・という証なのだ。

 何もせずには助からない。
 気持ちを切り替えベッドへと上がり、顔を覗き込む。
 膜が張られたように光を失った眸には、何も写っていないように感じてしまう。

 しかしエリペールは僅かに瞼をヒクリと動かした。
「っ!? エリペール様?」
「マ……リ、ユス……」
 喉が渇いていて、はっきりとは聞き取れない。しかし今、名前を呼ばれた気がした。
「エリペール様」
 ゆっくりとした口調で呼びかける。
 エリペールは曇った眸を僕に向けた。
「……幻覚……か……ついに、幻を見てしまっているのか……」
 譫言のようにポツリと言う。
 一瞬こちらを見た視線はすぐに離れてしまった。目を閉じそうになってしまうが、閉じられない。
 眠れないエリペールは目を閉じることすら叶わないようだった。

「マリユスです。エリペール様……僕、マリユスです……」
 もう一度こっちを見てほしい一心で呼びかける。
 シーツの上に置かれている手を取り、自分の頬に当てた。
「エリペール様。一人にしてごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい……」
 涙が乾いた皮膚に吸収される。
 エリペールは指を引くつかせ、頬を撫でた。
「マリユス……声を、聞かせてくれ」
「エリペール様、ここにおります。マリユスはここにおります」
 叫びたいくらい、悔しくて、悲しくて、怖かった。
 エリペールは目の前の僕を幻覚としか思っていない。
「マリユスの声まで聞こえるとは……」
 自嘲するように吐き捨てる。
 目線は合っているようで合っていない。二人の間に靄がかかっているような感覚がする。

 アルファのフェロモンはしっかりと届いているのに、僕のフェロモンは感じていないのか。
 それとも衰弱が激しくて反応できないのか。
 頬に当てている手の平に唇を押し当てる。せめて感触だけでも伝わって欲しい。
 さっき少し反応があった。神経は今でも正常のはずだ。

 エリペールの隣に横になり、両方の手を手繰り寄せる。
 それを顔や体に這わせた。
「分かりますか? エリペール様。僕に触れているのを感じますか? フェロモンは届いていますか? 僕は、感じていますよ。エリペール様のアルファのフェロモンに早く包まれたくて、体が熱を帯びています」
 絶えず話しかけた。少しずつだが、エリペールに変化を感じていた。まだ気のせいかもしれないと思うほど、ほんの僅かではあるが、正気を取り戻しつつあるような気配を感じる。
 僕が隣に横になったことで、細胞が、本能が覚えている、抱き枕の体温と圧を感じているのかもしれない。

 きっと眠れていないから、意識は混濁しているだろう。しっかりと眠ってほしい。
 ただその前に、マリユスは幻覚じゃないとだけ分かってほしい。

「エリペール様、失礼します」
 こんな行為が許されるとは思っていない。罰なら後でいくらでも受けると決意し、仰向けのエリペールの上に跨る。
 大きく深呼吸をし、エリペールに口付けた。
 キスなどバース性を発症したあの夜以来なので、全く上達していない。それどころか、いまだに正しい吸い方なども知らない。
 自分の唇を押し付けているだけで精一杯だった。
 それでもエリペールの唇の感触に、ラングロワ公爵家に帰ってきた実感と、目の前にエリペールがいる現実を噛み締められた。

「帰ってきました、エリペール様の元に。だから、目を覚ましてください。起きて愚かな僕を叱ってください。エリペール様……」
 再び唇を押し付けた。
 体の熱が上がっていく。ヒートが加速していく。
 これは、これはきっと、目を覚ます前兆に違いない。
 
 息が上がる。一年ぶりのエリペールのフェロモンに、細胞の全てが反応しているようだ。
 こんな時になって気付いたのは、自分はエリペールのフェロモンしか感じられないと言うこと。
 バース性が発症し、学校であれだけアルファがいる空間にいても発情期以外にヒートを起こしたことはない。
 なのに意識が朦朧として動かないエリペールを目の前にしただけで、こんなにも昂っている。
 早く触れられたくて、アルファの精を体内に注いで欲しくて堪らない。
 自分の中心で芯を通し始めたそれを、エリペールの腹に擦り付けたくなってしまう。

「あぁ、だめ。だめだ。エリペール様は苦しんでらっしゃるのに、僕一人で欲情するなんて。こんなの、きっとお仕置きされてしまう」
 しかし意識とは全く別の次元で昂っているこの体の鎮め方など分かるはずもない。

 形の整った唇を見詰める。微動だにしないそれが、やけに官能的に見え、吸い込まれように顔を寄せる。
「んっ……ん、はぁ……」
「っく……ふぅ……ん……」
 驚いて慌てて顔を離す。
 今、確かにエリペールからの反応があった。

「エリペール様……」
「マリユス、本物なのか」
「……はい……はい……」
「こっちへ来たまえ」
 曇った眸は変わらないが、今度はしっかりと目が合った。
 一年間も患ったエリペールの腕に力は入らないが、それでもしっかりと抱きしめてくれた。

「夢でも良いから会いたいと思っていた。けれど私は眠れなかった。僅かな望みも絶たれ、絶望しかなかった。しかしマリユスは、必ず私の所へ帰ってきてくれると信じていた」
 エリペールはブリューノと同じように言う。
『エリペールだから信じる』『マリユスだから信じる』
 答えは実に単純だった。自分の過去も身分も関係ない。
 僕たちだから信じられる関係でいられる。

「私は今、眠っているのか。それでマリユスを見られたのか」
「違います。エリペール様の目の前におります。あなただけの、マリユスです」
 じっと見詰め合う。
「キスをしてくれ。とても心地良いのだ」
「なんなりと」
 意識を取り戻したばかりで存分に動けないエリペールに、改めて僕からキスを贈る……。
 
しおりを挟む
感想 56

あなたにおすすめの小説

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

出来損ないのオメガは貴公子アルファに愛され尽くす エデンの王子様

冬之ゆたんぽ
BL
旧題:エデンの王子様~ぼろぼろアルファを救ったら、貴公子に成長して求愛してくる~ 二次性徴が始まり、オメガと判定されたら収容される、全寮制学園型施設『エデン』。そこで全校のオメガたちを虜にした〝王子様〟キャラクターであるレオンは、卒業後のダンスパーティーで至上のアルファに見初められる。「踊ってください、私の王子様」と言って跪くアルファに、レオンは全てを悟る。〝この美丈夫は立派な見た目と違い、王子様を求めるお姫様志望なのだ〟と。それが、初恋の女の子――誤認識であり実際は少年――の成長した姿だと知らずに。 ■受けが誤解したまま進んでいきますが、攻めの中身は普通にアルファです。 ■表情の薄い黒騎士アルファ(攻め)×ハンサム王子様オメガ(受け)

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭

処理中です...