【完結】発情しない奴隷Ωは公爵子息の抱き枕

亜沙美多郎

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第二章

26、終わらない苦しみの果てに

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 公爵邸の敷地内に医院がある。
 街から呼び出しては時間がかかり過ぎるからと、先先代が棟の一つを医院にしたのだと以前ブランディーヌが教えてくれた。

 リリアンが医師を呼びに行っている間に始まったヒートは、彼女が戻ってくる間に最悪の状態に陥っていた。
 ドアを開けた瞬間、咽せ返るような匂いに彼女は思わず後退りをした。
 医師はリリアンを部屋から遠ざけると、内側からドアの鍵をかけ、手早くベッドサイドのテーブルの上に持参した鞄を広げた。

「昨日から発情期だと聞いたが、症状は今の方が酷い?」
 初老くらいの男性医師は、この強いフェロモンを僅かほども感じ取っていないあたり、ベータなのだと判断した。
 優しい口調で、且つ的確に確信をつく質問を投げかける。
「昨日は……平気でした。さっき……急に……」
「エリペール様と突然引き剥がされたことに、きっと本能が反応しているんだ。少し痛むが、注射を打たせてくれ」
 力なく腕を差し出すと「抑制剤だから」手短に説明をし、針を刺す。

 血管に流されたそれはアルファでも効果があるとされる薬だそうだ。
 エリペールも学校へ行く前には念には念をで、同様の薬を飲んでいたらしい。
「それでも君たちはバース性を発症した。余程強い絆で結ばれた運命の番なんだね」
「もう、関係ありません」

 どんな深い絆で結ばれていても、会えなければ意味がない。

 エリペールは僕の知らない誰かと結ばれる。
 結婚した後は絵に描いたような家族を作るのだろう。その中に、僕は存在していない。

「抑制剤じゃなくて、毒でも良かったのに」
 思わず声に出してしまった。
 エリペールの側にいられないのであれば、生きている意味はない。
 どんなに忘れようとしても、本能はエリペールだけを求めて何度でもヒートを繰り返す。
 運命の番から愛される喜びを知ってしまった今、もう無感情だった頃には戻れない。
 生きている限り、苦境から逃れられることはない。

「君はまだ若い。今は苦しいだろうが、発情期が終わればまた日常が戻ってくる。この先のことは、とりあえず元気になってから考えれば良いんじゃないのかい?」
「一番大切な人に仕えられない人生の、どこに光を見れば良いんですか」
 医師は微苦笑を浮かべ、涙と汗を拭いてくれた。
「君自身が輝いていれば、きっとそのうち見つけ出してくれるさ。さぁ、即効性のある薬だから少し眠くなってきただろう。今は体を休めなさい」
 医師のシワシワの分厚い手は優しかった。
 エリペールがしてくれていたのと同じように、頭を撫でてくれる。
「よく頑張った」と褒めてくれているみたいで、肩の力が抜けた僕はぐっすりと眠ることができた。

 夢は見なかった。真っ暗闇な世界は何も考えなくてむしろ今の自分には良かった気がする。
 色々とネガティブに考えすぎているのだろうとは思うが、宝物を突然奪われた悲しみは早々に癒えるものではない。

 運命を引き剥がされ、道を閉されてしまっては、これからどこへ向かっていけば良いのか検討もつかない。
 この部屋から出られる日が来るのかさえ、今の僕には絶望にしか思えなかった。

 その嫌な予感は的中してしまう。

 発情期は七日どころか、その倍以上の十五日も二十日がすぎても、ヒートが軽くなる傾向すらなかった。
「これ以上、強い抑制剤を打つのは危険だ。内臓が保たない」
「苦しいんです。先生、どうか少しでも良いのでお願いします」
「いけない。取り返しがつかなくなってからでは遅いんだ。もしもこれ以上投薬を続ければ、妊娠できなくなる危険性だってある」
「そんな相手もいないから、今楽になれる手段を選びたいです」
「自暴自棄になりたい気持ちは分かるが、耐えなさい。君ならできる」

 医師は時間を見つけては顔を出して励ましてくれた。
 最初は戸惑っていたリリアンも少しずつ落ち着きを取り戻し、合間で湯浴みを手伝ってくれる。
 誰の口からもエリペールの名前は出さなかった。
 僕に気を使ってくれていると分かるからこそ、申し訳なさと寂寥感に苛まれる。

 ヒートが落ち着けば部屋で仕事ができるよう準備してくれているのに、こんなにも使えないオメガだとはブランディーヌも落胆しているに違いない。

 学生時代が一番輝いていたように思えて仕方ない。
 思い出したくもない奴隷商の商人たちの声が蘇る。
「オメガは周りに害しか与えないクソだ」
 顔も声も思い出せなくとも、細胞の一つに刻み込まれたこの言葉に、潜在意識の中で支配されていたのかもしれないと思った。

 満月が一周する頃、僕はようやくヒートが治りつつあった。
 医師はオメガ用の薬を沢山渡してくれた。
「どれも見た目がよく似ているから、間違わないようにね。この少し楕円形のが一番即効性はあるが、副作用も強いから、別に置いておくと良い。こっちは普段に飲むといいハーブをブレンドした茶葉だ。後は……」
 医師の説明をメモをとりながら確認していく。
「少しでも体調が悪い時は医院に来るといい。決して無理はしないようにね」
「はい、長い間、本当にありがとうございました。先生がいなければ立ち直れていなかったと思います」
「それは嬉しいねぇ。でも頑張ったのはマリユスくん自身だ。もっと自信を持って良いんだよ」
 先生を見送る。
 
 部屋で一人になると、もらったばかりの薬をまとめ始めた。
 一度に沢山くれたのは幸いだった。しばらくは無理せず過ごせそうだ。
 軽く湯浴みを済ませ、服を着替える。着替えを持っていくには鞄が見当たらなくて断念した。
「薬があれば、なんとかなるはずだ」
 袋いっぱいに入った薬の中に、さっきメモした服用の注意書きメモを入れた。
 それだけを持ち、部屋を出る。

 動けない間に立てていた計画を、実行に移す時が来たのだ。
 僕はこっそりと隔離されている棟から外で出ると、公爵家の正門ではなく、従者が普段出入りしている裏口へと向かう。
 食事時間は一斉に人がいなくなるのを、ブランディーヌと仕事を始めてから知った。

「さようなら、エリペール様」
 沢山名前を呼んでくれと言われてから、今日までは長いようであっという間だった。
 二度呼ぶことはないのだと思うと立ち止まってしまいそうになるが、彼の将来を思うなら、自分から身を引くべきだと奮い立たせ、公爵邸を後にした。

 行く宛などあるものか……と思いつつ、頭の中にはたった一人だけ浮かぶ顔がある。
 烏滸がましいが、あの人なら一時的でも助けてくれるような気がする。
 もしも受け入れてもらえなければ、その時考えるしかない。
 振り向かずに、歩き始めた。
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