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第二章
17、マリユスの葛藤
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翌朝、すっきりと目覚めたエリペールに起こされて目が覚めた。
「珍しいな、マリユスの寝起きが悪いのは初めてな気がする。眠れなかったのか?」
「いえ、大丈夫です。昨日読んだ本の続きが気になってしまい、今後の予想を考えていたら寝るのが遅くなってしまったのです」
「パトリス先生のところで読んだという本だな。それはまた直ぐにでも研究室へ行きたいと言っているようだ」
「いえ、そんなことはありません。こうして自分なりの予想をするのも楽しみ方の一つなんですよ。そう言えば、パトリス先生がエリペール様も誘ってみてはどうかと仰ってました。図書館にはない本もあって楽しいので是非行きましょう」
エリペールは眉根を寄せたがマリユスの誘いならと、渋々了承してくれた。
「リリアン、朝湯の準備を頼む」
「先に準備を済ましておりますので、いつでも入れますよ。浴室に別の侍女がいるはずです」
「そうか、分かった。着替えを後から持ってきてくれたまえ」
「畏まりました」
エリペールが部屋から出たタイミングを見計らい、リリアンを呼び止める。
「どうなさいました?」
「ちょっと、その……訊きたいことがあるのですが、良いですか?」
「私に答えられるなら何なりと」
「えっと……エリペール様の想い人は随分前からいたのでしょうか」
僕からの質問にリリアンは目を瞠り、手で口を押さえた。
「そんなの、子供の頃から決まってますよ! マリユスさん」
愚問すぎて笑われてしまった。
やはり知らないのは自分だけで、従者にまで知れ渡っていたと知る。
「エリペール様は、ちょっとは独占欲が強い一面もあるとはマリユスさんも見ていて感じていると思いますけれど。でもそれは、とても大切に思っているからこそですよ」
にっこりと微笑んだ。
僕も会ったことがあるような口振りが気に触る。
まさか、この屋敷内に? 公爵邸に出入りする人は多すぎて見当もつかないが、意識してないところで挨拶くらいは交わしているかもしれない。
リリアンは嬉しそうに、エリペールが意中の人をどれだけ好いているかを語っているが、何も頭に入ってこなかった。
そもそもキスだって練習でしているだけで他意はない。百も承知で引き受けた任務だ。
自分から訊いておいて、聞くんじゃなかったと後悔した。
「マリユスさん、どうかなさいました? 顔色が悪いですが」
「いえ、大丈夫です。エリペール様のお着替え、持って行きます」
落ち込んではいけない。
リリアンと共に祝福しなくてはいけない場面だった。自分ではない他の誰かだと言われ、頭を殴られたほどのショックを受けている場合ではない。
最初からエリペールは僕に恋愛感情など向けてはいなかったのに、僕は自分でも気付かないうちに、彼と触れる時間が長くなるほど、心を占領されていたのだと気付いた。
しかしあくまで自分の中にしかない、形のないものである。
本人にさえ暴露しなければ良いのだ。そうすれば迷惑をかけたり困らせたり、嫌われたりしなくて済む。
『慣れ』とは怖い。
石積みの塔で過ごした日々は完全に色褪せ、番人の顔すら思い出せない。
公爵邸で過ごす時間の方が短いのに、モノクロの世界が色鮮やかに塗り替えられ、感情というものが生まれてしまった。
YESと言ってひたすら下を向いていたあの頃の感覚には、戻れない。
「いけない。僕にはエリペール様に仕えるという大事な任務を言い渡されている。ご主人様の言うことが全てで、自分の欲など捨ててしまわなければ……」
激昂して壁を叩く。湧き出る感情を抑えなければ、エリペールに向ける顔がない。
貴族の屋敷で住めているのさえ奇跡なのだ。あの時、天と地がひっくり返った。それを自ら元に戻す行為は愚行でしかない。
深呼吸をして精神を整える。
浴室へ着替えを届けると、廊下でエリペールの支度が整うのを待った。
前を通り過ぎる従者たちと挨拶を交わしているうちに、どうにか平常心を取り戻した。
「マリユス、今日早速、出向かうとしよう」
「どこへです?」
「パトリス先生の研究室だ。私も連れてこいと申したのだろう?」
「はい……はい! 直ぐに先生の授業の確認を致します」
「後で構わない。先に朝食だ」
さり気なく僕の背中を支え、ダイニングへと向かう。
「珍しいですね」
「何がだ?」
「エリペール様が意見を変えるだなんて」
「変えてなどいない。行かないとは一言も言っていないだろう」
「そうですが、顔が嫌だと物語っていたので。無理強いは致しませんし、断っても先生は怒ったり成績に影響させたりしないと思いますよ」
「パトリス先生に会いたいのではない。ただ、気になるのはマリユスがどんな様子で研究室で過ごしているかだ」
右上に視線を送る。
エリペールは寝ている以外の時も、僕が左側にいる方が落ち着くらしい。
僕がじっと見詰めていると、不意にエリペールもこちらを見た。
「黙り込んで、何かおかしなことを言ったかな?」
「いえ。そうではなくて……僕に興味を持ってくださったのが嬉しく思ったのです」
「変なマリユスだな。私は昔から君のことしか見ていない」
一日中、付き添っているのだから当たり前の発言であるが、それでも嬉しかった。
「はい」口元が緩むのをなんとか抑え、返事をした。
「珍しいな、マリユスの寝起きが悪いのは初めてな気がする。眠れなかったのか?」
「いえ、大丈夫です。昨日読んだ本の続きが気になってしまい、今後の予想を考えていたら寝るのが遅くなってしまったのです」
「パトリス先生のところで読んだという本だな。それはまた直ぐにでも研究室へ行きたいと言っているようだ」
「いえ、そんなことはありません。こうして自分なりの予想をするのも楽しみ方の一つなんですよ。そう言えば、パトリス先生がエリペール様も誘ってみてはどうかと仰ってました。図書館にはない本もあって楽しいので是非行きましょう」
エリペールは眉根を寄せたがマリユスの誘いならと、渋々了承してくれた。
「リリアン、朝湯の準備を頼む」
「先に準備を済ましておりますので、いつでも入れますよ。浴室に別の侍女がいるはずです」
「そうか、分かった。着替えを後から持ってきてくれたまえ」
「畏まりました」
エリペールが部屋から出たタイミングを見計らい、リリアンを呼び止める。
「どうなさいました?」
「ちょっと、その……訊きたいことがあるのですが、良いですか?」
「私に答えられるなら何なりと」
「えっと……エリペール様の想い人は随分前からいたのでしょうか」
僕からの質問にリリアンは目を瞠り、手で口を押さえた。
「そんなの、子供の頃から決まってますよ! マリユスさん」
愚問すぎて笑われてしまった。
やはり知らないのは自分だけで、従者にまで知れ渡っていたと知る。
「エリペール様は、ちょっとは独占欲が強い一面もあるとはマリユスさんも見ていて感じていると思いますけれど。でもそれは、とても大切に思っているからこそですよ」
にっこりと微笑んだ。
僕も会ったことがあるような口振りが気に触る。
まさか、この屋敷内に? 公爵邸に出入りする人は多すぎて見当もつかないが、意識してないところで挨拶くらいは交わしているかもしれない。
リリアンは嬉しそうに、エリペールが意中の人をどれだけ好いているかを語っているが、何も頭に入ってこなかった。
そもそもキスだって練習でしているだけで他意はない。百も承知で引き受けた任務だ。
自分から訊いておいて、聞くんじゃなかったと後悔した。
「マリユスさん、どうかなさいました? 顔色が悪いですが」
「いえ、大丈夫です。エリペール様のお着替え、持って行きます」
落ち込んではいけない。
リリアンと共に祝福しなくてはいけない場面だった。自分ではない他の誰かだと言われ、頭を殴られたほどのショックを受けている場合ではない。
最初からエリペールは僕に恋愛感情など向けてはいなかったのに、僕は自分でも気付かないうちに、彼と触れる時間が長くなるほど、心を占領されていたのだと気付いた。
しかしあくまで自分の中にしかない、形のないものである。
本人にさえ暴露しなければ良いのだ。そうすれば迷惑をかけたり困らせたり、嫌われたりしなくて済む。
『慣れ』とは怖い。
石積みの塔で過ごした日々は完全に色褪せ、番人の顔すら思い出せない。
公爵邸で過ごす時間の方が短いのに、モノクロの世界が色鮮やかに塗り替えられ、感情というものが生まれてしまった。
YESと言ってひたすら下を向いていたあの頃の感覚には、戻れない。
「いけない。僕にはエリペール様に仕えるという大事な任務を言い渡されている。ご主人様の言うことが全てで、自分の欲など捨ててしまわなければ……」
激昂して壁を叩く。湧き出る感情を抑えなければ、エリペールに向ける顔がない。
貴族の屋敷で住めているのさえ奇跡なのだ。あの時、天と地がひっくり返った。それを自ら元に戻す行為は愚行でしかない。
深呼吸をして精神を整える。
浴室へ着替えを届けると、廊下でエリペールの支度が整うのを待った。
前を通り過ぎる従者たちと挨拶を交わしているうちに、どうにか平常心を取り戻した。
「マリユス、今日早速、出向かうとしよう」
「どこへです?」
「パトリス先生の研究室だ。私も連れてこいと申したのだろう?」
「はい……はい! 直ぐに先生の授業の確認を致します」
「後で構わない。先に朝食だ」
さり気なく僕の背中を支え、ダイニングへと向かう。
「珍しいですね」
「何がだ?」
「エリペール様が意見を変えるだなんて」
「変えてなどいない。行かないとは一言も言っていないだろう」
「そうですが、顔が嫌だと物語っていたので。無理強いは致しませんし、断っても先生は怒ったり成績に影響させたりしないと思いますよ」
「パトリス先生に会いたいのではない。ただ、気になるのはマリユスがどんな様子で研究室で過ごしているかだ」
右上に視線を送る。
エリペールは寝ている以外の時も、僕が左側にいる方が落ち着くらしい。
僕がじっと見詰めていると、不意にエリペールもこちらを見た。
「黙り込んで、何かおかしなことを言ったかな?」
「いえ。そうではなくて……僕に興味を持ってくださったのが嬉しく思ったのです」
「変なマリユスだな。私は昔から君のことしか見ていない」
一日中、付き添っているのだから当たり前の発言であるが、それでも嬉しかった。
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