【完結】発情しない奴隷Ωは公爵子息の抱き枕

亜沙美多郎

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第二章

14、パトリス先生

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 パトリスの研究室は綺麗に掃除が行き届いていて、大きな窓からは校内が見渡せる開放的な空間だった。
 几帳面な性格ゆえ掃除を人に任せられず、自分で全てを行なっているのだそうだ。

「凄いですね、お忙しいでしょうに」
「人に任せられないのは損な時が多い。紅茶でいいかい?」
「いえ、お気になさらず」
「この時間に図書館でいるということは丸々空いているのだろう? 遠慮することはない」
「では、紅茶を頂きます」
 奥に簡易的なキッチンがあるらしく、移動した。

 研究室には来客用のソファーもなく、テーブルもない。
 パトリスが使うための大きなデスクに、棚には図書館でも見かけないような本が並んでいた。
「表紙が木で出来てる。初めて見た」

 しゃがんで眺めていると「気になったものがあれば手に取ってくれて構わない」背後から声がし、振り向くと両手にティーカップだけを持ち、戻ってきた。
 デスクに置くと椅子の代わりになりそうな適当なカゴをおいてくれた。

「君が中等部の頃から、よく図書館で見かけていたんだ」
「そうなんですね。全員の顔を覚えているのですか?」
「そんな特殊な能力はないよ。ただ君は、年頃には相応しくない本を選んでいたから覚えていただけだ」
 確かにあの頃は少し難しい本が読めるようになり、いっそう本好きになっていた。
 
 中等部の頃は周りの生徒の成長が著しく、顔立ちもぐんと大人びていく頃だった。
 そんな中で僕はすでにおおよその成長期を終え、いつの間にか一番幼く見えるようになっていた。

 貴族階級ともなればアルファが多く占めているだろうから、そういうのも相まって大人になる速度が速いのかもしれないと思っていた。
 
 中等部でも先生にも僕が元奴隷でオメガだとは知られていたが、高等部ではそうではないのか。本当にあの頃の僕を中等部の年齢だと思っていたようだ。

「僕は同級生よりも八歳も年上なんです。多分、噂でそのうち耳にすることがあるかもしれませんが、十三歳までは奴隷商で育ちました。オメガというのもあって、処分されるギリギリの年齢まで売れ残っていたのをラングロワ公爵様が僕を買ってくれ、息子のエリペール様と共に教育を受けさせてくれたのです」

 簡単に説明すると、パトリスは声には出さず何かを考えているようだった。
 そうして堂々と僕の顔を覗き込む。

「奴隷商だって? 君が? 失礼だが両親はどうして君を奴隷商になんか売ってしまったんだい?」
「僕は何も……生まれて間もなく売られたのではないかと思います。物心ついた時には石積みの塔にいましたから。両親の顔も名前も、どこで生まれたのかさえ知らないです」
「そんな……」
 パトリスはショックを受けていたが、生い立ちを聞いて……というよりも何か別の理由がありそうな面持ちだった。

 こんな時になんと声をかけるのが正解なのかが分からず、黙ってしまう。少なからず、今の説明でパトリスを落胆させてしまったのには違いない。

 気まずい空気が流れたが、パトリスが気を持ち直し、話題を変えた。

「普段はどんな本を好んで読んでいるんだ?」
「特に決まってはいないんです。図書館をうろうろと歩いているだけの時もありますし、その時気になったものを手に取って読む……という感じです」
「本当に好きなんだね。大抵は好みのジャンルが決まっているものだ」
「知らなかった知識が増えるのが楽しくて。読んだ内容を全て覚えられると良いのですが、子供の頃に勉強というものに触れられなかったせいか、忘れてしまうんです。だから何度も読み返す本もあります」

 パトリスは肩の力を抜き、声を出して笑った。
「あれだけの量の本の内容など、誰も覚えきれないさ。人間は必要な記憶が大きく残る。そういうものだ」
「なるほど……。先生の本棚には見たことのない本が並んでいますね」
「これらはほとんど芸術品に近い。書かれているのは本が作られた街の歴史が多いが、字が消え掛かっているのも沢山ある。本が作られ始めた時代のものでね、一つ一つにいろんな職人の手が加わっている」

 パトリスは本棚から何冊かを抜き出し、デスクに置いて見せてくれた。
 表紙には細かく刺繍なども施されていて、本当に芸術的だと思った。
「汚すといけないので、しまってください」
 いつまでも眺めていたいが、こんな貴重なものをもし傷つけてしまってはいけないと思い、名残惜しいながらも返した。

「日頃読んでいるものは別室にある。見せてあげよう」
 立ち上がると、隣の部屋へと続いているドアを開けた。
 その奥にはずらりと本が並べられた部屋がある。本棚に収まりきらないものはテーブルや棚に置かれていた。

「これを全て読んだのですか?」
 紙の匂いがして、吸い寄せられるように部屋に入る。
「テーブルの上にあるのはまだ読めていないが、他は読んだかな。まぁ、何年もかけてだけどね」
「こんなにも沢山!!」
 ぐるりと見渡す限りの本に歓迎されているような気持ちになり法悦となる。

 授業の時は変な人かと疑っていたのに、すっかり心を開いていた。
「いつでも読みに来るといい」
「他の生徒も訪ねてくるのでしょうか?」
「いや、君が初めてだ。大切なものをぞんざいに扱われるのは許せない質でね。その点、君なら心から本を大切にしているのが伝わってくる。読んだ本の感想を話し合う相手が欲しいと思っていたのだ」

 警戒心は無用だったと思い直した。
 それにエリペールとブリューノだけが選択している授業の間、僕が一人で過ごすことを過度に心配されていたが、ここにいると分かれば安心してもらえるのではないかと考えた。

「ありがとうございます。先生の邪魔にはならないように気をつけます。すみません、僕はてっきり先生は怖い人なのかと思っていました」
「厳しい時は厳しくする。それは君も例外でなくね」
「はい、勿論です。でも良い人だって知ってしまいましたから、怖くはないと思います」
「それはそれで困る」指で頭を掻きながら言った。

 部屋を出ようとした時、パトリスから呼び止められる。

「君の生い立ちも話してくれたから、私の秘密も一つ教えておこう。実は、私はベータだ」
「まさか、この学校の先生はアルファしかなれないと聞いています」
「その通り、ここにはアルファの教員しかいない。でも私はどうしてもここに勤めたかった。都合よく、婿養子に入った家がここの学園長と親しくてね、口利きをしてもらったんだ。これは学園長しか知らない。君はオメガだと言ったが、例え急にヒートを起こしても襲うことはないから安心してくれ」
「ありがとうございます」

 オメガだと知って尚、気を使ってくれる。
 ラングロワ公爵家の人以外で、親切にしてくれる人はブリューノくらいだ。
 
 僕は専攻していない授業をメモに記し、研究室を後にした。
 学校でこんなに親しく話せる人ができて、浮かれていた。
 
 早くエリペールにも話したい。
 早足で待ち合わせの図書館へと向かうと、二人は先に到着していた。

「マリユス、図書館にいたんじゃなかったのか」
「パトリス先生に呼ばれて、研究室へお邪魔していました。すごく沢山の本があって、楽しかったです。また読みにきてもいいと言ってくれて……」
「マリユス」
 エリペールに話を切られる。手をキツく握りしめ、眉根に皺を寄せていた。

「どうかしましたか」
「私に断りもなく、勝手な行動は慎んでくれたまえ」
「パトリス先生は、良い人でしたよ」
 必死に取り繕うが、その表情は険しかった。エリペールがこんな怖いオーラを出すのは初めてだ。

 しかし悪いことをしたとは到底思えない。
 何も知らないで、真っ向否定されたのが悲しいと思った。
 言い返せなくて、俯く。

「次の授業に、急がなくてはならない」
 エリペールは僕の手も取らずに、行ってしまった。
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