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其の捌

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 飛龍が背中の華を撫でる。こんな素晴らしい絵は初めて目にすると言った。本当に人間の肌なのか……鮮やかで繊細で、しかし擦ろうが汗をかこうが落ちないのが不思議で仕方ない。

「これは、何というものだ? いつからある? こんなにも肌に馴染んでいるということは、今すぐに描いたものではないな?」
 続け様に質問を投げかけられたが、どこまで答えて良いのか迷っている青蝶に、飛龍は全て話せと言った。

「別にこれが何なのかを知ったところで、其方をどうこうしようなど、考えてはいない。ただ、本当に美しいから気になっているだけなのだ」
 飛龍は微笑むと、青蝶の頭を撫でた。まるで幼い子供をあやすみたいに……。

 きっと洗えば消えると思っているだろう。しかしこの絵は、消えるどころか其の範囲の勢いを増している。青蝶は嘲笑した。自分の未来は決まっている。ここで生きて戻れたとて、病で息絶える人生なのだ。今更、命乞いをする必要など無意味だということに、気付いたのだった。

「殿下。これは、病気によるものです」
「これが病気?」
 案の定、飛龍は虚を突かれた表情を見せた。
「一見綺麗に見えるこの華の絵は、発情期の時にだけ現れます。そして僕の精気を吸収し、より広範囲に広がるのです。最初は左肩に一つの華が咲きました。それが今ではこの様です」
 青蝶は着物を脱ぎ、飛龍に背中全体が見えるように髪を避けた。
 痩せ細った青蝶の背中を覆い尽くす牡丹の華。
 この絵が本当に精気を吸うのか? 飛龍は初めて見るこの現象に、しばし言葉を失っていた。

 青蝶はもう隠すこともなくなり、スッキリとした気持ちになった。
 着物を着直すと、今度は飛龍と向き合う形で立ち上がる。
「この病気を治す方法は見つかっておりません。僕は最期を穏やかに過ごしたいと考えております。もし御慈悲を頂けるなら、自室へ帰して頂きたい」
 青蝶が深く礼をすると、今度こそ飛龍は側近を呼びつけ、青蝶を部屋まで送るよう指示した。

 これでまた穏やかに過ごせると、安堵したのも束の間。飛龍がまたとんでもないことを言い始めた。

「其方の病気は私も聞いたこともないし、初めて見た。もっと詳しく話が聞きたい。今日の夜、また其方を迎えに行く。良いな?」

 さっきまでの態度とは大違いだ。見たこともない青蝶の体に言葉も失っていたのに……。
 青蝶が不治の病にかかったと言ったのが聞こえなかったのかと疑うほど、飛龍は堂々とした態度で言い放った。初めて聞くのならば、その解決策も何もないはずだ。なのに、なぜまた迎えに来るなどと言うのだろうか。青蝶は理解に苦しんだ。そもそも、お忍びで会うような身分でも関係性もない。それをもっと飛龍自信が自覚してほしいとさえ、思ってしまった。
 しかも今度はここではなく、ちゃんとした場所を設けると言うではないか。

「なぜ殿下とあろうお方が、僕のような身分の人間に、そんなにお優しいのですか?」
 一人の針子見習いである青蝶は、確かに飛龍への想いを日々募らせていた。きっと自分だけではないだろう。この後宮に住む多くの女性が、飛龍に想いを寄せているはずだ。しかし、いくら青蝶の舞が気に入ったと言えども、それは恋愛のそれとは別物だ。
 難病と理解し気にかけてくれたのか、それとも病気に対する興味本位か……。

「前々から興味があったのだ」
「僕にですか?」
「ああ、そうだ。こんなにも美しく舞う人だからな」

 飛龍は青蝶の手を取り、引き寄せた。顔が近付く。
 青蝶は目を見開いた。
「あ……そんな……」

 思わず溢した言葉は、飛龍の唇に奪われていた。
 一瞬、何が起きているのか分からなかった。触れるだけの口付けのあと、飛龍は今度こそ青蝶を側近へと預けた。

 長い通路を歩きながら、飛龍との時間が現実だったと実感した。唇がジンと熱を持っている。そっと手を当てた。これがどういう意味を含むものなのか。考えたところで答えは出ない。沈黙のまま歩く側近の後ろを、黙ってついて歩いた。

 空が薄明に変わる頃、自室に帰るなり青蝶は膝から崩れ落ちた。
 それは気が抜けたからでも、飛龍との甘く蕩けるような時間を思い出したからでもない。

「目が……目が、悪くなっている……」
 別れ際に引き寄せられた時、青蝶は飛龍の顔がぼやけていることに気付いてしまった。昼間に踊った時は、ハッキリと見えていた。
 今回のヒートは軽く済むと思っていたが、それはただの羨望でしかなかった。
 病は確実に青蝶の体を侵食している。
 目が見えなければ、仕事さえ出来なくなってしまう。
 飛龍にキスをされたことよりも、飛龍の顔が見えなかったことのショックが勝っている。
 自分の終末は、想像しているよりも早いのかもしれない。
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