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其の壱

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 鏡に向かって白粉おしろいを塗ると、青蝶チンディエの顔から痣が消えていく。
「はぁ……」
 子供の頃の真っ白い肌に戻れたような気持ちになり、感嘆の声を漏らす。
 目元には赤いライン、そして真っ赤な紅。自分の顔を鏡に映すと、再びため息を零した。


 繚国りょうのくに後宮。広大な土地の一番奥、見上げるほど高い城壁の下の小さな殿舎に、青蝶は幽居している。
 とても人が住むような建物には見えない。周りは竹藪になっていて、後宮で働く誰もがその殿舎にすら気付いていない。そんなとても後宮とは思えないような場所で、青蝶は一人黙々と仕事をこなしていた。

 元々はもっと田舎の出であるが、入宮にゅうぐうしたのち、今では刺繍の腕を見込まれ、それを専門としている。

 青蝶は針房チムバンであるが、実はもう一つの顔があった。
 祭祀で舞踏をする踊り子である。
 化粧は舞を披露する時にだけ行う。

 青蝶はこの時間がとても好きだ。醜い顔から美しい別人に生まれ変わったような錯覚に陶酔する。
 半顔を痣で埋め尽くされた容姿ゆえ、周りの人から『化け物』と忌み嫌われてきた。そんな悲しみを、唯一忘れられるのが痣が消えるこのひと時だ。

 顔を隠すために長く伸ばした真っ黒な髪も、この時ばかりは美しく惹き立ててくれる。
 椿油の染み込んだ櫛で梳かすと、乾燥した髪が輝きを放つ。
「あぁ、これが本来の姿ならどんない良いか……」
 本当なら白い肌。せめてこの痣が着物で隠れる場所にあれば、全く違う人生だっただろう。
 しかしそんな戯言などはすぐにねじ伏せた。
 殿舎の中はいつも薄暗いが、天気の良い日は南側の窓を開けると明るい日差しが差し込む。
 窓枠の外に広がる庭の景色も、青蝶は気に入っている。竹の間を舞う蝶は、まるで自分のようだと感じていた。

 後宮に住めて、仕事まである。
 醜く、しかもΩの自分がこれ以上の幸せなど望んではいけないと、日々感謝した。

 それに、青蝶は人と接するのが苦手だ。できれば顔も見られたくはない。
 青蝶にとっては、こんな所でも仕事にも集中できる良い環境だと思っている。

「わっ! 大変。“華”が出てきちゃった。今日は本番なのに」
 着替えようと裸になった時、自分の肩に牡丹の華の絵が浮き出ているのに気が付いた。

 青蝶は、特殊な病気にかかっている。発情期に入ると、背中に刺青のように鮮やかな華の絵が浮かび上がる。最初に気付いた時は、左の肩にポツンと一つだけ。しかし、発情期が来る度その華は増えていった。今では青蝶の背中一面で華が咲き乱れるのだ。

 これが一見とても美しいのだが、医務官が調べた結果、【百花瘴気】と言う難病だと判明した。この華が全身を埋め尽くした時、精気を奪われ息絶える。そんな病気だ。
 顔の痣もこの病気が原因だと分かったのは、そのもっと後のことになる。身体には華が咲き、顔から枯れていく。もっと病気が進めば、失明や難聴といった症状も出るかもしれないと、説明された。

 百花瘴気と診断されてから二年が経っている。たったの二年で痣と華がここまで広がるとは、青蝶でも予想していなかった。
 きっとあと三年も経たないうちに、この毒牙に犯され命尽きるだろう。

 青蝶、二十二歳。入宮八年目の春。


「今日は絶対に踊らなきゃいけないんだ。薬、確か今日の分くらいは残っていたはず……」
 箪笥の引き出しを開けると、紙で包まれた薬を取り出した。これには数種類の薬草が配合されている。詳細は秘密だと、医務官が話していた。

 青蝶が飲む薬は二種類ある。何も催事がない時の発情期用。そして、今回のようにαの中で舞を披露する時用。後者の時は、本当ならば青蝶の華奢な体格では強すぎる。しかし、αの前でヒートなどを起こせば大問題では済まされない。

 医務官である暁明シャミンが祭祀の時だけ飲んでもいいと、許可をしてくれたのだ。

 椀に水を汲み、苦い薬を一気に流し込む。
 咽せそうなほど薬草臭い。後に鼻の奥にツンとした匂いが残るのも苦痛だ。
 
 少しの時間、ゆったりと横たわっていた。
 次第に身体の華は薄れていく。

「やっと薬が効いてきたかな」
 上肢しか映らない鏡で背中を確認すると、ようやく舞踏の衣装に着替える。
 後頭部で結った髪にかんざしを挿せば、遠目からでは男なのか女なのかも分からない。
 実は青蝶は入宮した時、その容姿から女と間違われた。成長しても華奢な身体のラインに長い髪、真っ黒の大きな瞳から男だとは思われたことがない。真実を誰にも言えないまま、今に至る。

 この病気にかかってからは、最低限の人(暁明、そして針子見習いの同僚)としか顔を合わせないため、性別など何方でも良くなった。それよりも、青蝶には生活の方が大切だからだ。

 準備が整うと、早く舞を披露したくてうずうずする。舞で使う薄布を手に取った。
 羽衣のような薄布には睡蓮の刺繍が施されている。これは『王に捧げる舞』の印。青蝶が手がけた刺繍だ。

「青蝶、準備はできたかい?」
「暁明!! おはよう。今、準備が整ったところだよ」
「そうか、じゃあ医務室を通って表へ出ろ」
「いつもありがとう、暁明。いってきます!」

 “暁明”は自分の父親くらいの年齢の医務官だ。病気の知識も薬の知識にも長けている。
 青蝶が第二次性の検査をした時から世話になっている先生で、唯一なんでも喋れる相手でもあった。

「体調はどうだ?」
「それが、発情期に入ったみたいで……。でも薬はちゃんと飲んだから、大丈夫だよ!!」
「青蝶、無理は良くない。危険だと思った時はかまわず逃げるんだぞ」
「分かっているよ、先生!」

 外に出ることが許されない青蝶は、医務室へと続く通路を通り、表へ出る。『化け物』の青蝶と踊り子が同一人物だとは、この暁明にしか話していない。もし他の人にバレてしまえば、きっともう祭祀で踊らせてもらえなくなるだろう。

 青蝶は長い通路を早足で歩きながら暁明を時折振り返る。
「ほら、ワシに構わず行きなさい」
 眉を八の字に下げ、暁明が笑った。
「はーーい!!」
 青蝶はもう、振り返らずに走り去った。

「この時だけだな。青蝶が笑うのは」
 長い髪と薄布が靡く様は、まさに“蝶”のようだと暁明は呟いた。
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