ステレオタイプ ーどこにもいない、普通の私

泣村健汰

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7 夏祭り

7-12

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 玲央君にとって私は、まるで意識の対象外なのだと気付かざるを得ない。

 ――馬鹿みたい。

 浴衣の感想、まだ貰ってない。

 ――一人でやきもきして、一人で落ち込んで……、

 水着の時のように、誰かから促されないと、私に目を向ける事なんて無いのだろうか。

 ――一人で頑張って、一人で空回って、

 私の浴衣姿になんて、まるで興味が無いんだろうか……。

 ――私、馬鹿みたい……。

 紗絵の言葉が蘇る。
 そう、一番馬鹿なのは、私だ。
 分かってる、そんな事は分かってる。
 だけど、玲央君の私に対する態度は、あんまりでは無いか?
 玲央君は何も悪く無い。
 そもそも、玲央君は私の気持ちなんて知らないのだから、私に対し素っ気無く接するのは、むしろ当然の事なのかもしれない。
 久喜子の妹としての対応、ただのクラスメートとしての対応、それは当然なのかもしれない。
 だけど、だけど、

 ――ちょっとは気付けよ、馬鹿……。

 他に対象物がいない以上、そのモヤモヤのベクトルが、どうしても目の前の玲央君に向いてしまう。
 二人っきりの空間。
 夏祭りで、浴衣で、花火。
 道子に言わせれば、女がちょっと大胆になる事を許される、特別な時間、らしい。
 意識をそちらに向けた途端、心臓の高鳴りが更に増す。
 玲央君の意識が、少しでもこちらに向くようにと言う願いを込めて、彼の手をそっと握ろうとした。だけど、その手はビニール袋を持っている為、塞がれてしまっている。
 怯みそうになる自分の心を深呼吸で落ち着けて、彼がビニール袋を掴んでる左腕を、そっと両腕で抱きしめた。
 ただそれだけの行為で、より一層心臓の鼓動が勢いを増す。
 彼が腕を掴んだ私の方を振り向いた。

「どうした?」

 緊張した様子も無く、素っ気無く返ってきた彼の声音。

「いや、ほら、二人っきりみたいだし、なんか、ちょっと、心細いな、なんて……」

 言い訳じみた私の返答を聞いて、玲央君は辺りをきょろきょろと見回し始めた。

「玲央君?」
「本当だ、誰もいねぇ。暗くて全然気付かなかった」

 玲央君は一つ溜息を吐いた後に、しょうがねぇなぁ、と呟いて、再び私に振り向いた。

「とりあえず、境内の方に戻ってみるか。向こうもこっちを探してるかもしれないし」

 移動しようとする玲央君の腕を、私は離さなかった。

「もうすぐ花火上がるよ? ほら、向こうも多分、とりあえず花火見る為のいい場所見つけたのかもしれないしさ。何かあったんなら、携帯に連絡来るはずだから、大丈夫だよ」
「大丈夫ったって……」
「大丈夫だってば!」

 腕を離さず、俯きながら叫ぶ私を見て、玲央君は一体どう思ったのだろう?

「一緒に、花火見ようよ……」

 駄々をこねる子供に呆れるように、頭上から玲央君の溜息が聞こえてくる。堪らなく、惨めな気分になった。

「分かったから、手離せよ。痛いんだけど……」
「私がお姉ちゃんだったら、絶対そんな事言わない癖に……」

 ぼそりと呟いた私の言葉を彼は、何だ、と聞き返してきた。幸い玲央君の耳には届かなかったのだろう。
 だけれども、思わず零れ出た黒い感情を、誤魔化す事は出来ない。

 ――もう、いや……。

 自分の汚さが、子供っぽさが、心の底から嫌になる。
 瞬間、玲央君の腕を離し、私はそのまま境内の方へと走りだそうとした。

「おい!」

 その手首を玲央君に掴まれ、逆側へと引っ張られる。

「どこ行くんだよ!」
「離して!」
「何だよ急に!」
「私の事なんてどうでもいいんでしょ! 離してよ!」

 振り向き、おぼろげな輪郭に向けて叫ぶ。

「意味わかんねぇ……」

 面倒くさそうに呟いた彼は、そのまま、私の手首を引いた。私が逃げようとした側に、彼は身体を滑り込ませた。

「ちょっと落ち着けよ。俺、友野になんかしたか?」

 先程までとは違う、こちらを諭すような、静かで優しい声。
 透き通るような彼の声が、今は、堪らなくなる。
 その優しげな態度に、申し訳無い気持ちで一杯になる。

「なにも、してない」
「じゃあ……」
「玲央君は、何もしてくれないんだもん……」

 限界だ。

「ごめん、違うの……」

 頬を涙が伝ってしまう。

「困らせようとかじゃないの、違うの、玲央君は、玲央君は何にも悪く無いの……」

 声に湿り気が増してしまう。

「違うの、私が、勝手に空回ってるだけなの……」

 ――玲央君はどうせ、お姉ちゃんの事が好きなんでしょ?

 そんな疑問が再び頭を過ぎる。
 だけど、本当に私が聞きたい事は、そんな事?
 聞いてもどうにもならない事を聞いてどうするの?
 もっと他に、聞きたい事、伝えたい事があるでしょ?

「どうした、なんで泣いてるんだよ?」

 私が泣いているのを暗闇でも察したのだろうか? 玲央君の声音が、先程までの物よりも、随分と柔らかくなる。
 女の涙は、武器だ、と言われる。
 だけど、それを無意識に、無遠慮に使う私は、どうしようも無い卑怯者なのではないか?
 でも今は、卑怯物でも何でもいい。

「玲央君、あのね……」

 玲央君が、ほんの少しでもこちらに向いてくれるなら、

「私ね……」

 卑怯者にでもなんでもなってやる。

「私……」

 次の瞬間、世界が眩しく煌めいた。
 訝しげにこちらを見つめる玲央君の顔が、光に照らされ浮かび上がる。
 そして光に一瞬遅れ、背後から豪快な爆発音が響いた。
 思わず振り向くと、闇夜を照らす光の花が咲き乱れていた。
 花弁が散ると再び周囲が暗くなり、次の花が咲くと、再び辺りに光が降り注ぐ。

 綺麗。

 悔しいくらい、綺麗だ。

 目元の涙を拭い、玲央君の顔を見る。

「玲央君、花火だよ」
「ああ」

 まるでその儚さを見初めたかのように、彼は花火から目線を逸らさず、ぼんやりと呟いた。
 ふと、光に照らされた彼の足元に、落ちている林檎飴を見つけた。

 ――そっか、さっき手を取られた時に……。

 彼に握られたままになっている自分の手首を見つめ、再び花火に目線を移した。
 次々と咲き誇る花弁の演舞を見ていると、先程までのモヤモヤも、苛立ちも、全部吹っ飛んでいってしまう気がした。
 あんなに愚図り、駄々をこね、さぞ私は、迷惑で面倒くさい女に映った事だろう。
 だけど、散り散りに輝く光の粒が、そんな思いすらも吹き飛ばしていく。
 掴まれた手首をそっと離し、そのまま、彼の手を握る。
 身体を寄せ、その腕をそっと抱きしめる。
 玲央君は抵抗せず、ちらりとこちらを見ただけで、そのまま、私に腕を預けてくれた。

「私、玲央君が好き……」

 花火の音に掻き消されてしまう事を計算の上で、本当にぼそりと、声に出して呟いた。

「玲央君が好き……」

 私に出来る足し引きなんて、精々この程度だ。

「玲央君が、大好き……」

 聞こえない事をいい事に、自分の感情を吐き出す私は、やっぱりどうしようもない卑怯者だろう。
 いつかこの想いを、伝えられる時が来るのだろうか?
 彼が姉よりも、私を見てくれる時が来るのだろうか?
 だけど今、今この瞬間、玲央君は私を拒まずに、傍に置いてくれている。
 その事が、私にとっての、微かな希望だった。
 花火のように、儚く一瞬で散ってしまうとしても、その希望は、私の胸の内に小さく咲いた。
 夏が、過ぎ去っていく……。
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