ステレオタイプ ーどこにもいない、普通の私

泣村健汰

文字の大きさ
上 下
47 / 86
6 キャンプ

6-12

しおりを挟む
 男女で分けられたテントの中で夜中、私はふと目を覚ました。
 傍らでは道子と紗絵が、寝袋と毛布を敷きつめた上ですやすやと寝息を立てている。
 寝息は穏やかで、深い眠りについているだろう事が分かる。はしゃぎ過ぎて疲れたのだろう。
 Tシャツのまま一度テントの外に出る。
 海は穏やかで、その上には満天の星を従えた夜空が、燦然と輝いている。
 ほぅっと、思わずため息が零れる。
 目が覚めた理由を解決するべく、砂浜を歩き仮設のトイレへと向かった。
 野暮用を済ませ戻ってくると、男性用のテントから、誰かが出て来るのが目に映った。順哉さんのアコースティックギターを片手に持ち、海へと向かって行く。砂浜に腰掛けたその後ろ姿が、月明かりに照らされる。
 その毛色は、金だった。

 ――玲央君だ。

 彼は暫くぼんやりと海を眺めていたかと思えば、抱えていたギターに手を掛け、穏やかにつま弾き始めた。
 アルペジオの連なりが、凪いだ潮騒と混ざりあう。
 星空の下、まるで海と語り合うように、柔らかな旋律が彼から放たれる。
 曲のきりのいいところを待ち、手櫛で髪を軽く整えて、はしゃぐ心臓に深い呼吸を与えてから、そっと近づいて声を掛けた。

「玲央君?」

 振り向いた玲央君は、私の顔を見ると、よぅ、どうした、と短く言葉を返してくれた。

「目が覚めちゃったから、ちょっとトイレに。玲央君、ギター弾けたんだね?」
「そんなに上手く無いけどな」
「隣、いい?」

 頷きを待ち、隣に腰掛ける。
 砂浜に座った途端、波の音がより一層大きくなったように感じた。

「玲央君は、どうして起きてるの?」
「何か目が覚めて。んで、順哉さんのギターが目に入ったから」
「そうなんだ」

 弦の上に指を滑らせながら、玲央君はドレミを順番に一つずつ鳴らした。そのまま弦の緩み具合を調節し、音のチューニングをする。
 そう言えば玲央君は、絶対音感を持っているんだった。この位の事は、きっと朝飯前なのだろう。

「何か弾いて、聞かせてよ」

 思わず、おねだりをしてみる。

「何かって、何がいい?」
「玲央君が何を弾けるか分からないよ」
「そうだよな。何でもいいか?」
「何でもいいよ」

 ――玲央君の唄なら、何でも。

 心の奥で鳴った本当の音には、申し訳ないが黙ってて貰おう。

「ん~、じゃあ……」

 少し逡巡した後、玲央君はギターに手を掛け、再びアルペジオを奏で始める。
 自らの指から生まれる音達の一粒一粒に応えるように、彼はそっと声を乗せた。
 柔らかな音に、玲央君の透き通った歌声、そしてスティグマとは違う柔らかな曲調に、綺麗な日本語の歌詞。
 過ぎ去りし夢を語っているような、叶わなかった理想を語っているような、温かく、穏やかで、だけど、切なくも冷たくもある、不思議な歌。
 星々がまるで、彼の唄声に呼応するように、儚げに明滅する。
 紡がれた一音一音がスローになり、最後に和音を奏で、その歌は終息した。
 拍手を打つと、玲央君は照れくさそうに首だけで一礼した。

「綺麗な曲、だけど、なんか切ないね」
「俺、この曲好きなんだよ」
「何て言う曲なの?」
「田舎の生活、って曲」
「タイトルも面白いね。初めて聞いたよ」
「割と有名だけど、結構古い曲だしな」
「誰の曲なの?」
「スピッツ」
「スピッツかぁ……」

 本当の事を言うと、スティグマの曲よりも、こういう綺麗で爽やかな曲の方が、玲央君の唄声には合ってるんじゃないかと、思ってしまった。
 勿論、おくびにも出せないけれども。
 姉や順哉さんには悪いが、どうやら私はスティグマの音楽のファンでは無く、大藤玲央と言うボーカリストのファンのようだ。

「そう言えば、海に来てからヘッドホンしてないね。やっぱり暑いから?」
「いや、まぁそれもあるけど、流石に浜辺でヘッドホンは変だろ。それに、本物の音が近くにあるんだから……」

 そう言って、玲央君は視線を海に向けた。

「玲央君さ、絶対音感持ってるんだって?」
「ああ」
「それってどんな感じなの? 聞いただけで、その音が、ドとかレとか分かるって事なんでしょ?」

 自分で口に出してみても、それがどういうものなのか、今一つピンと来なかった。

「音楽続けるなら、武器になる。だけど、普段は、結構しんどい」
「しんどいんだ。どうして?」
「聞こえてくる音が、全部頭の中で勝手に音符になっちまう。気にしなくていい事も、聞き流したい事も、全部音になって襲ってくる。だから、しんどい……」

 玲央君は声を落として、そう言ってくれた。だけどやっぱり、私にはその辛さが、今一つ掴めずに居た。
 それはきっと、実際に味わってみなければ分からないものなのだろう。それに対して、分かった風な態度を取るのは、失礼に当たる気がした。

「俺の母親さ、ピアノの先生やってんだよ」
「お母さんが?」
「そう、小さい頃は、よく母さんの弾いてるピアノに合わせて唄ってた。母さんも俺と同じで、絶対音感のある人でさ、俺が唄ってるのを、優しく、今の音は高くとか、もっと低くとか言ってくれたんだ。それをずっと繰り返してたら、いつの間にか、俺の頭にも音符が流れるようになってた。だけど、俺は別にそうなりたくてなった訳じゃ無く、ただ、上手く唄うと、母さんが褒めてくれるのが嬉しかったんだ」

 確か玲央君は、両親の離婚の末、父親に引き取られてこの街に来たと言っていた。それはつまり、今ではお母さんと離れて暮らしていると言う事だろう。

「お母さんとは、連絡は取ってるの?」
「年に、一、二回かな?」
「そっか、寂しいね……」
「まぁ、でも、仕方ない。母さんには、もう新しい家族が居る訳だし。俺が今更、顔見せてもなぁ……」

 そう呟く玲央君は、力無く笑って見せた。

「でも玲央君、辛いんじゃないの?」
「俺が辛いかどうかなんて、別にどうでもいいんだよ」
「それは、駄目だよ……。そう言うのは、誰も幸せにならないよ?」
「そっか、まぁ、そうだわな……」

 玲央君は星空を見上げるように、ギターを傍らに置いてその場に寝転がった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

忙しい男

菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。 「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」 「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」 すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。 ※ハッピーエンドです かなりやきもきさせてしまうと思います。 どうか温かい目でみてやってくださいね。 ※本編完結しました(2019/07/15) スピンオフ &番外編 【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19) 改稿 (2020/01/01) 本編のみカクヨムさんでも公開しました。

最後の恋って、なに?~Happy wedding?~

氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた――― ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。 それは同棲の話が出ていた矢先だった。 凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。 ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。 実は彼、厄介な事に大の女嫌いで―― 元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――

私の入る余地なんてないことはわかってる。だけど……。

さくしゃ
恋愛
キャロルは知っていた。 許嫁であるリオンと、親友のサンが互いを想い合っていることを。 幼い頃からずっと想ってきたリオン、失いたくない大切な親友であるサン。キャロルは苦悩の末に、リオンへの想いを封じ、身を引くと決めていた——はずだった。 (ああ、もう、) やり過ごせると思ってた。でも、そんなことを言われたら。 (ずるいよ……) リオンはサンのことだけを見ていると思っていた。けれど——違った。 こんな私なんかのことを。 友情と恋情の狭間で揺れ動くキャロル、リオン、サンの想い。 彼らが最後に選ぶ答えとは——?

処理中です...