ステレオタイプ ーどこにもいない、普通の私

泣村健汰

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5 初恋

5-5

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「あいつがさ、ヘッドホンで何聞いてるか知ってる?」
「あの、海の音ですよね」
「うん。じゃあさ、あいつがどうしていつもあの音聞いてるかは?」
「え? 知りません」
「あいつはね、才能があるんだよ。絶対音感って分かる?」
「聞こえてくる音の音階が全部分かるって、あれですか?」
「そう、それ。でも、それって日常生活を送るには結構ストレスらしいんだ。それを誤魔化す為に、いつも聞いてるんだって」

 私には、そんな力が無いから分からない。だけど、日常の音が全て、音符として聞こえてくると言うのは、どういう気持ちなのだろう。ノイローゼになってしまう人もいると言う、情報だけは知っている。だけど、それがどういうものなのかは、きっと本人にしか分からないだろう。
 きっと、玲央君の気持ちも、私には分からない。

「だから、俺達には分からないちょっとの違いとかも、あいつにはかなり気持ち悪いらしくてさ。俺は、あのメンバーで音楽やってるのが楽しい。だけど、玲央はそれだけじゃ嫌だって事なんだよな~。まぁキコさんは、俺達の事をもっと有名にしたいって思いが強いから、発破かけようとしてくれてるのかもしれないんだけど……」

 そうやってため息を吐く順哉さんからは、その見た目の爽やかさとは裏腹に、中間管理職のおじさんのような疲労が感じられた。
 その時、私の中で一つの疑問が浮かぶ。

「順哉さん、その話聞いたのって、いつですか?」
「え? え~っとね、俺がその話を仁から聞いたのは、この間のライブのちょい前かな?」
「ちょい前、ですか?」

 ――それは、ちょっとおかしい……。

 私が玲央君から話を聞いたのは、当然ながらライブの後、つまり3日前だ。
 そして姉が帰って来たのは、今日。
 ライブの前からその喧嘩が既に飛び火していたのなら、今日突然戻ってきた姉の行動が気にかかる。
 つまり、あのライブから今日までの間に、言ってしまえば何かもうひと悶着あったんじゃないか、そう考えられる。

「順哉さん、その話を聞いてから、更に何かあったか、とか聞いてませんか?」
「え? 聞いてないけど、どういう事?」
「順哉さんが話しを聞いたのが3日前だとして、お姉ちゃんが家に来たのが今日だったので、その間に何かあったんじゃないかって……」

 そう言うと、順哉さんは口の下に手を当てて、何かを考える仕草をした。

「ん~、成程ね。俺は聞いてないけど、確かにそれは考えられるかもな」
「順哉さんが聞いてない事とか、あるんですか?」
「え? そりゃあるさ。まぁ、本当は情報は共有した方がいいだろうけど、うちは仁で回ってるからね。あいつはああ見えて抱え込むから、トラブルとかを自分だけで解決しようとする事もたまにある」
「それって、大丈夫なんですか?」
「いんや、かなりまずい。それが大きくなって、活動出来なくなりそうだった事もあるし……」
「お姉ちゃんが、スティグマの解散を防いだって、奴ですか?」
「あ、知ってるんだ。それもキコさんが言ったの?」
「いえ、玲央君から……」

 私の言葉に、順哉さんの目が丸くなる。その後、あの穏やかな目に変わる。

 ――ああ、止めて欲しい……。

「そっか、玲央がか~。うん、いいと思う」
「え? 何がですか?」
「いやいや、何でもないよ」

 ――その目とそのリアクションで、何でもない訳ない……。

「俺は俺で、ちょっと仁に確認してみるよ」

 順哉さんが穏やかな目を解除して、目の前のカフェオレを飲み干した。
 順哉さんがグラスを再びテーブルに置いた所で、私はもう一つの目的を果たそうと試みた。

「あの、玲央君の連絡先とか、教えてもらえませんか?」

 私のお願いに、順哉さんは驚いたような声を出す。

「え? 知らないの?」
「はい」
「どうして?」
「どうしてって、機会が無かったからですかね?」
「あ~、そうなんだ、いや、俺はてっきり……」

 そこで順哉さんは、半笑いのまま口籠ってしまった。お姉ちゃんの入れ知恵なのか、それとも穏やかな妄想なのか、それは分からないにしても、順哉さんのてっきりの先は、容易に想像が出来た。
 順哉さんから玲央君のアドレスと番号を、ついでに順哉さんの連絡先も手に入れ、私達はそこで店を後にした。
 冷房で冷え過ぎた身体に、夕暮れとは言えこの気温の高さは確実に毒だろう。
 私は順哉さんにお礼を言い、一先ず家へと戻る事にした。
 電車に揺られながら、玲央君に一本メールを打ってみる。

『玲央君。順哉さんからアドレス聞きました。和葉です。

 良かったら、近い内に会って貰えませんか?』
 色気もそっけもない、簡素なメールだけど、まずは相手のリアクションを待つことにした。
 高く照らしていた太陽は、今ではすっかり赤みがかっていた。薄闇に沈んでいく街を、電車の窓越しにぼんやりと眺めながら、私は自分の携帯を強く握りしめた。
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