ステレオタイプ ーどこにもいない、普通の私

泣村健汰

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4 夏休み

4-7

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「で、どっち?」

 玲央君の声で、もうすぐ商店街を抜ける位置まで来ていた事に気付いた私は、こっち、と右側を指差した。
 商店街のアーケードから外れるだけで、人の気配は極端に少なくなる。暗闇に浮かび上がる街灯が、すぐ先の公園の入り口を照らしていた。

「あの公園。昔、よくお姉ちゃんと遊んだんだ」
「へぇ、いくつ位の時?」
「たしか小学校に上がる前だから、私が5歳位の時まで」
「ふぅん。何してたの?」
「別に普通の事だよ? お砂場遊びとか、おままごととか。お姉ちゃんは、逆上がりの練習とかもしてたけど」
「逆上がり?」
「うん、お姉ちゃんってああ見えて、実はあんまり運動神経は良く無くてさ。でも負けず嫌いだから、随分練習してた」
「へぇ、何か意外だな」

 場を繋ぐ為に呟いた事に、玲央君が存外食いついて来てくれたのでありがたかった。
 先程までの気まずさが少し緩和された状態で、私達は公園の入り口に到着した。この公園に来たのは本当に久しぶりだったけど、何も変わって無くて安心した。鉄棒や砂場も昔のまま残っている。
 同じように少し古びた程度で、特に変化の無いベンチに玲央君を促し、二人並んで座る。
 商店街の明かりから外れ、外に光る星が明るく見え、隣には上弦の月が優しく微笑んでいる。遠くから微かに聞こえてくる、車の音や人の笑い声、そして周りの家から漏れ出てくる生活音や蛍光灯の明かりが、公園の静けさを更に誇張する。
 西瓜に塩を振るのと同じ理屈だ。
 隣を見つめると、玲央君は公園を見渡していた。そのまま、ぼそりと呟く。

「ここ、初めて来た」
「そうなんだ。玲央君って、ずっとこっちなの?」
「こっちって?」
「小さい時から、この辺りに住んでるのかなって?」
「いや、俺が小5の時に、両親離婚してさ。俺は父親に引き取られて、それでこの街に来た」
「そうなんだ……、ごめん」
「そこで謝るのは寧ろ失礼」

 玲央君は私を見て、穏やかな口調でそう言った。

「え? あ、ごめん……」

 二の句が継げ無くなり、結局謝ってしまう私に向け、玲央君は無表情のまま視線を前に戻した。

「もう昔の話だし、別に気にしてないし」

 そう呟く玲央君の口調は、普段と全く変わらず、淡々としていた。本当に気にしていないのか、それとも気にしていないふりをしているのかは、区別がつかなかった。
 静けさに紛れ、烏の鳴き声が一つ聞こえてきた。
 薄暗い公園の闇が、少しだけ濃くなった気がした。

「あのさ……」

 時間も遅い。
 私は本題を切り出す事にした。

「どうして、今日不機嫌だったの?」

 決意の籠った私の声が、闇の中に吸い込まれていく。
 玲央君は一つ嘆息してから、ベンチの背もたれに背中を預け、夜空を見上げた。

「今日は、悪かったな」

 彼はそこで、何故か私に謝罪をした。

「機嫌悪くて?」
「違う、下手なもん聞かせちまって……」

 彼の言っている事が、私にはまるで理解出来なかった。

「下手なもんって? もしかして、ライブの事?」
「他に何があんだよ……」

 穏やかな声に、苛つきが混ざる。

「え? だって、凄かったよ? 私、今日のライブ、すっごく良かったと思ったよ?」
「あれでか?」

 鋭い目が、こちらに向けられる。その目に射竦められ、私は身体が強張るのを感じた。私の緊張を感じ取ったのか、玲央君は目を伏せ、悪い、と呟いた。

「え、だって、本当の本当に、すっごく良かったって思ったんだもん。寧ろ、何が駄目だったのさ?」
「一曲目のAメロの入り、グラついた」

 彼は、訥々と告げた。

「サビの伸びが、思ったよりも響かなかった。あれじゃ弱い。二曲目は全体的に声がぶれた。あれは酷かった。特にサビ前、あそこは完全に俺のスタミナ不足だ。前に一曲目だった時は大丈夫だったのに、回数重ねるとすぐこれだ。三曲目は、まぁまだよかったけど、全体的に収まり過ぎてて、疾走感が足りなかった。まぁ、これは俺だけじゃなく、バンド全体の雰囲気もある……」

『ちょっと、音楽に対してストイックになり過ぎててね』

 順哉さんの言葉が、頭を掠めた。

「玲央君、そんなの、聞いてても分かんないよ? そんな、ちょっとのミスじゃないの?」
「うるっせぇなぁ!」

 突如、玲央君は吠えた。

「みんなそうだよ……。まぁ、友野は、まだお客さんだから、仕方ないだろうけど。みんな、仁さんも順哉さんも、そんなに気にすんなって……。みんな、本気でやってんじゃねぇのかよ? 今日聞いてくれたお客さんに、失礼だって思わないのかよ……」

 玲央君の呟きが、闇に吸い込まれていく。
 それが私には、玲央君の心に抱えた闇から、少しずつ零れて行くように感じた。
 玲央君は、真面目なのだ。
 玲央君は、素直なのだ。
 だけど、それが彼を苦しめているのかもしれない……。

「玲央君……」
「悪い、こんな事お前に……」

 私は首を横に振る。

「ここからなら、一人で帰れるだろ?」

 私は、首を縦に振る。
 玲央君はそんな私の顔を見てから、じゃあとだけ告げ、ヘッドホンをつけて、商店街の明かりへと向かって行った。
 まるで、逃げるように……。
 彼の背中を暫く見つめた後、私はそこで漸く、流れ続けていた涙を掌で拭った。
 それでも止まらないこの子達は、何の為に零れ出てくるのだろう。
 どうして、私の内側から零れ出てくるのだろう。

「……っく、ひっく」

 嗚咽しか零れて来ない自分がもどかしい。
 玲央君に言葉を掛けられない自分が恥ずかしい。
 そして、今日確かに、彼の歌に感動していた自分を全否定されたような気がして、誰に向ければいいのか分からない怒りの逃げ場が分からない。
 いや、その怒りが、涙となって零れ出ているのかもしれない……。
 自分の心が落ち着くまで、そうして私は、夜の公園で一人で泣いていた。
 去り際の、玲央君の申し訳無さそうな顔が、頭から離れる事は無かった。
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