26 / 86
4 夏休み
4-7
しおりを挟む
「で、どっち?」
玲央君の声で、もうすぐ商店街を抜ける位置まで来ていた事に気付いた私は、こっち、と右側を指差した。
商店街のアーケードから外れるだけで、人の気配は極端に少なくなる。暗闇に浮かび上がる街灯が、すぐ先の公園の入り口を照らしていた。
「あの公園。昔、よくお姉ちゃんと遊んだんだ」
「へぇ、いくつ位の時?」
「たしか小学校に上がる前だから、私が5歳位の時まで」
「ふぅん。何してたの?」
「別に普通の事だよ? お砂場遊びとか、おままごととか。お姉ちゃんは、逆上がりの練習とかもしてたけど」
「逆上がり?」
「うん、お姉ちゃんってああ見えて、実はあんまり運動神経は良く無くてさ。でも負けず嫌いだから、随分練習してた」
「へぇ、何か意外だな」
場を繋ぐ為に呟いた事に、玲央君が存外食いついて来てくれたのでありがたかった。
先程までの気まずさが少し緩和された状態で、私達は公園の入り口に到着した。この公園に来たのは本当に久しぶりだったけど、何も変わって無くて安心した。鉄棒や砂場も昔のまま残っている。
同じように少し古びた程度で、特に変化の無いベンチに玲央君を促し、二人並んで座る。
商店街の明かりから外れ、外に光る星が明るく見え、隣には上弦の月が優しく微笑んでいる。遠くから微かに聞こえてくる、車の音や人の笑い声、そして周りの家から漏れ出てくる生活音や蛍光灯の明かりが、公園の静けさを更に誇張する。
西瓜に塩を振るのと同じ理屈だ。
隣を見つめると、玲央君は公園を見渡していた。そのまま、ぼそりと呟く。
「ここ、初めて来た」
「そうなんだ。玲央君って、ずっとこっちなの?」
「こっちって?」
「小さい時から、この辺りに住んでるのかなって?」
「いや、俺が小5の時に、両親離婚してさ。俺は父親に引き取られて、それでこの街に来た」
「そうなんだ……、ごめん」
「そこで謝るのは寧ろ失礼」
玲央君は私を見て、穏やかな口調でそう言った。
「え? あ、ごめん……」
二の句が継げ無くなり、結局謝ってしまう私に向け、玲央君は無表情のまま視線を前に戻した。
「もう昔の話だし、別に気にしてないし」
そう呟く玲央君の口調は、普段と全く変わらず、淡々としていた。本当に気にしていないのか、それとも気にしていないふりをしているのかは、区別がつかなかった。
静けさに紛れ、烏の鳴き声が一つ聞こえてきた。
薄暗い公園の闇が、少しだけ濃くなった気がした。
「あのさ……」
時間も遅い。
私は本題を切り出す事にした。
「どうして、今日不機嫌だったの?」
決意の籠った私の声が、闇の中に吸い込まれていく。
玲央君は一つ嘆息してから、ベンチの背もたれに背中を預け、夜空を見上げた。
「今日は、悪かったな」
彼はそこで、何故か私に謝罪をした。
「機嫌悪くて?」
「違う、下手なもん聞かせちまって……」
彼の言っている事が、私にはまるで理解出来なかった。
「下手なもんって? もしかして、ライブの事?」
「他に何があんだよ……」
穏やかな声に、苛つきが混ざる。
「え? だって、凄かったよ? 私、今日のライブ、すっごく良かったと思ったよ?」
「あれでか?」
鋭い目が、こちらに向けられる。その目に射竦められ、私は身体が強張るのを感じた。私の緊張を感じ取ったのか、玲央君は目を伏せ、悪い、と呟いた。
「え、だって、本当の本当に、すっごく良かったって思ったんだもん。寧ろ、何が駄目だったのさ?」
「一曲目のAメロの入り、グラついた」
彼は、訥々と告げた。
「サビの伸びが、思ったよりも響かなかった。あれじゃ弱い。二曲目は全体的に声がぶれた。あれは酷かった。特にサビ前、あそこは完全に俺のスタミナ不足だ。前に一曲目だった時は大丈夫だったのに、回数重ねるとすぐこれだ。三曲目は、まぁまだよかったけど、全体的に収まり過ぎてて、疾走感が足りなかった。まぁ、これは俺だけじゃなく、バンド全体の雰囲気もある……」
『ちょっと、音楽に対してストイックになり過ぎててね』
順哉さんの言葉が、頭を掠めた。
「玲央君、そんなの、聞いてても分かんないよ? そんな、ちょっとのミスじゃないの?」
「うるっせぇなぁ!」
突如、玲央君は吠えた。
「みんなそうだよ……。まぁ、友野は、まだお客さんだから、仕方ないだろうけど。みんな、仁さんも順哉さんも、そんなに気にすんなって……。みんな、本気でやってんじゃねぇのかよ? 今日聞いてくれたお客さんに、失礼だって思わないのかよ……」
玲央君の呟きが、闇に吸い込まれていく。
それが私には、玲央君の心に抱えた闇から、少しずつ零れて行くように感じた。
玲央君は、真面目なのだ。
玲央君は、素直なのだ。
だけど、それが彼を苦しめているのかもしれない……。
「玲央君……」
「悪い、こんな事お前に……」
私は首を横に振る。
「ここからなら、一人で帰れるだろ?」
私は、首を縦に振る。
玲央君はそんな私の顔を見てから、じゃあとだけ告げ、ヘッドホンをつけて、商店街の明かりへと向かって行った。
まるで、逃げるように……。
彼の背中を暫く見つめた後、私はそこで漸く、流れ続けていた涙を掌で拭った。
それでも止まらないこの子達は、何の為に零れ出てくるのだろう。
どうして、私の内側から零れ出てくるのだろう。
「……っく、ひっく」
嗚咽しか零れて来ない自分がもどかしい。
玲央君に言葉を掛けられない自分が恥ずかしい。
そして、今日確かに、彼の歌に感動していた自分を全否定されたような気がして、誰に向ければいいのか分からない怒りの逃げ場が分からない。
いや、その怒りが、涙となって零れ出ているのかもしれない……。
自分の心が落ち着くまで、そうして私は、夜の公園で一人で泣いていた。
去り際の、玲央君の申し訳無さそうな顔が、頭から離れる事は無かった。
玲央君の声で、もうすぐ商店街を抜ける位置まで来ていた事に気付いた私は、こっち、と右側を指差した。
商店街のアーケードから外れるだけで、人の気配は極端に少なくなる。暗闇に浮かび上がる街灯が、すぐ先の公園の入り口を照らしていた。
「あの公園。昔、よくお姉ちゃんと遊んだんだ」
「へぇ、いくつ位の時?」
「たしか小学校に上がる前だから、私が5歳位の時まで」
「ふぅん。何してたの?」
「別に普通の事だよ? お砂場遊びとか、おままごととか。お姉ちゃんは、逆上がりの練習とかもしてたけど」
「逆上がり?」
「うん、お姉ちゃんってああ見えて、実はあんまり運動神経は良く無くてさ。でも負けず嫌いだから、随分練習してた」
「へぇ、何か意外だな」
場を繋ぐ為に呟いた事に、玲央君が存外食いついて来てくれたのでありがたかった。
先程までの気まずさが少し緩和された状態で、私達は公園の入り口に到着した。この公園に来たのは本当に久しぶりだったけど、何も変わって無くて安心した。鉄棒や砂場も昔のまま残っている。
同じように少し古びた程度で、特に変化の無いベンチに玲央君を促し、二人並んで座る。
商店街の明かりから外れ、外に光る星が明るく見え、隣には上弦の月が優しく微笑んでいる。遠くから微かに聞こえてくる、車の音や人の笑い声、そして周りの家から漏れ出てくる生活音や蛍光灯の明かりが、公園の静けさを更に誇張する。
西瓜に塩を振るのと同じ理屈だ。
隣を見つめると、玲央君は公園を見渡していた。そのまま、ぼそりと呟く。
「ここ、初めて来た」
「そうなんだ。玲央君って、ずっとこっちなの?」
「こっちって?」
「小さい時から、この辺りに住んでるのかなって?」
「いや、俺が小5の時に、両親離婚してさ。俺は父親に引き取られて、それでこの街に来た」
「そうなんだ……、ごめん」
「そこで謝るのは寧ろ失礼」
玲央君は私を見て、穏やかな口調でそう言った。
「え? あ、ごめん……」
二の句が継げ無くなり、結局謝ってしまう私に向け、玲央君は無表情のまま視線を前に戻した。
「もう昔の話だし、別に気にしてないし」
そう呟く玲央君の口調は、普段と全く変わらず、淡々としていた。本当に気にしていないのか、それとも気にしていないふりをしているのかは、区別がつかなかった。
静けさに紛れ、烏の鳴き声が一つ聞こえてきた。
薄暗い公園の闇が、少しだけ濃くなった気がした。
「あのさ……」
時間も遅い。
私は本題を切り出す事にした。
「どうして、今日不機嫌だったの?」
決意の籠った私の声が、闇の中に吸い込まれていく。
玲央君は一つ嘆息してから、ベンチの背もたれに背中を預け、夜空を見上げた。
「今日は、悪かったな」
彼はそこで、何故か私に謝罪をした。
「機嫌悪くて?」
「違う、下手なもん聞かせちまって……」
彼の言っている事が、私にはまるで理解出来なかった。
「下手なもんって? もしかして、ライブの事?」
「他に何があんだよ……」
穏やかな声に、苛つきが混ざる。
「え? だって、凄かったよ? 私、今日のライブ、すっごく良かったと思ったよ?」
「あれでか?」
鋭い目が、こちらに向けられる。その目に射竦められ、私は身体が強張るのを感じた。私の緊張を感じ取ったのか、玲央君は目を伏せ、悪い、と呟いた。
「え、だって、本当の本当に、すっごく良かったって思ったんだもん。寧ろ、何が駄目だったのさ?」
「一曲目のAメロの入り、グラついた」
彼は、訥々と告げた。
「サビの伸びが、思ったよりも響かなかった。あれじゃ弱い。二曲目は全体的に声がぶれた。あれは酷かった。特にサビ前、あそこは完全に俺のスタミナ不足だ。前に一曲目だった時は大丈夫だったのに、回数重ねるとすぐこれだ。三曲目は、まぁまだよかったけど、全体的に収まり過ぎてて、疾走感が足りなかった。まぁ、これは俺だけじゃなく、バンド全体の雰囲気もある……」
『ちょっと、音楽に対してストイックになり過ぎててね』
順哉さんの言葉が、頭を掠めた。
「玲央君、そんなの、聞いてても分かんないよ? そんな、ちょっとのミスじゃないの?」
「うるっせぇなぁ!」
突如、玲央君は吠えた。
「みんなそうだよ……。まぁ、友野は、まだお客さんだから、仕方ないだろうけど。みんな、仁さんも順哉さんも、そんなに気にすんなって……。みんな、本気でやってんじゃねぇのかよ? 今日聞いてくれたお客さんに、失礼だって思わないのかよ……」
玲央君の呟きが、闇に吸い込まれていく。
それが私には、玲央君の心に抱えた闇から、少しずつ零れて行くように感じた。
玲央君は、真面目なのだ。
玲央君は、素直なのだ。
だけど、それが彼を苦しめているのかもしれない……。
「玲央君……」
「悪い、こんな事お前に……」
私は首を横に振る。
「ここからなら、一人で帰れるだろ?」
私は、首を縦に振る。
玲央君はそんな私の顔を見てから、じゃあとだけ告げ、ヘッドホンをつけて、商店街の明かりへと向かって行った。
まるで、逃げるように……。
彼の背中を暫く見つめた後、私はそこで漸く、流れ続けていた涙を掌で拭った。
それでも止まらないこの子達は、何の為に零れ出てくるのだろう。
どうして、私の内側から零れ出てくるのだろう。
「……っく、ひっく」
嗚咽しか零れて来ない自分がもどかしい。
玲央君に言葉を掛けられない自分が恥ずかしい。
そして、今日確かに、彼の歌に感動していた自分を全否定されたような気がして、誰に向ければいいのか分からない怒りの逃げ場が分からない。
いや、その怒りが、涙となって零れ出ているのかもしれない……。
自分の心が落ち着くまで、そうして私は、夜の公園で一人で泣いていた。
去り際の、玲央君の申し訳無さそうな顔が、頭から離れる事は無かった。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。

忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
最後の恋って、なに?~Happy wedding?~
氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた―――
ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。
それは同棲の話が出ていた矢先だった。
凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。
ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。
実は彼、厄介な事に大の女嫌いで――
元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――
私の入る余地なんてないことはわかってる。だけど……。
さくしゃ
恋愛
キャロルは知っていた。
許嫁であるリオンと、親友のサンが互いを想い合っていることを。
幼い頃からずっと想ってきたリオン、失いたくない大切な親友であるサン。キャロルは苦悩の末に、リオンへの想いを封じ、身を引くと決めていた——はずだった。
(ああ、もう、)
やり過ごせると思ってた。でも、そんなことを言われたら。
(ずるいよ……)
リオンはサンのことだけを見ていると思っていた。けれど——違った。
こんな私なんかのことを。
友情と恋情の狭間で揺れ動くキャロル、リオン、サンの想い。
彼らが最後に選ぶ答えとは——?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる