平成の御用聞き

萩原伸一

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「私は、九州から出てきました。東京には身内が居ません。竜吉さんの様な方と、お知り合いになれて喜んでいます。竜吉さんには、ご迷惑だと思いますが」
「自分も越後から来ています。東京には身内は居ません。仕事が終ると仲間は皆、家族のもとに帰ってゆきます。ここに来ると町子ちゃんも居ます。それでつい、ここに足が向いてしまいます」

 美枝子は、竜吉も寂しいのだと思った。自分は四つ年上で、子供も居る。セーターをプレゼントしたのも、決して下心が有ったわけではなかった。
 美枝子は、死に別れた夫の他に男は知らなかった。男を見る眼もなかった。竜吉は、初めて店に来た時と変わらず、ゆっくり時間をかけ、銚子を一本空け、二歳になった町子の話し相手をして帰っていった。そんな竜吉に釣られるように、少しずつ客が入る様になって来た。
 そんな竜吉の、気取らず、目立たぬ姿を見ていて美枝子は、初めて男の誠実さが解った様な気がした。美枝子も女ざかり、竜吉ともっと親しくなりたくなってきた。

「竜吉さんは、休みの日は何をされているのですか」
「今の季節は鮎が取れるので、鮎捕りをしている。自分の育った村は、みんな貧しかったので、子供たちは学校から帰ると、みんな川で魚とりをしていた。欲と二人ずれで毎日川に行き、夢中で魚を捕った思い出が、東京に来た今も忘れられず、多摩川や荒川まで出向いて、今も続けています」

 美枝子は竜吉の、思いもかけない一面の見た様な気がした。若いが小さな土建屋を営んでいると聞いた。そんな男が川で泥臭い遊びをしていたとは思いもしなかった。
 美枝子にも、九州の山村で過ごした子供の頃の思い出が有る。

「懐かしいわ。私の父もうなぎ捕りが得意でした。でも父は毎日仕事に行かなければならないので、餌にするどじょうを取る暇が無い、そこで私が昼間、どじょうをすくいによく行っていました。 女の私が、どじょうすくいは、恥ずかしかったので、小さい弟を連れて行きました」
「驚きました。垢抜けした東京のお姉さんが、まさかどじょうすくいをした事が有ったとは思いもしなかった」

 この事が有ってから二人は、急に親しくなった。美枝子はもっと早く竜吉に出会いたかった。竜吉となら、きっと幸せに成れただろうと思った。それでも美枝子は、自分を抑え切れないほど竜吉が、欲しくなってしまった。

「私も川え連れて行ってほしいな!でも子ずれの小母さんを連れて行くのは、ご迷惑でしょうね…」

 勇気を出して美枝子が誘うと、竜吉は喜んで応じてくれた。美枝子はまるで、憧れていた初恋の人と、初めてデートをする少女の様に舞い上がって、その日は早く起き、お握りと、竜吉の好きな焼き魚を用意して、竜吉の乗ってきた小型トラックに乗って、荒川に向かった。

「まあ、大きな川、釣り人も沢山います」
「うん、俺、ここに来ると、子供に戻ってしまう。この感じが好きだ」

 竜吉は、裸になると、水中眼鏡をかけ、先に、大きな釣り針の様な針の付いた、一メートル余りの細い竹竿を持って、川に入った。
 水中眼鏡で、川底を見ていた亀吉は潜った。一分ほど過ぎても竜吉は上がってこない。
 心配になった美枝子が川底を覗くと、透き通った川底に、石を抱いて竹ざをを構え、動かない竜吉がみえた。動かない竜吉に安心したのか、鮎が近づいた。その瞬間、しゃくる様に竹竿が動いて、竜吉が浮かんできた。竹ざおの先で銀鱗が躍っていた。
 竜吉は、捕った鮎を美枝子の居る川原に投げると、また川底に沈んだ。竜吉の投げる鮎を、町子と競いあって拾い、生簀に入れる美枝子は楽しかった。こんな幸せなひと時は東京に来てから無かった。
 その日は三十匹の立派な鮎が捕れ、家路に急いだ。

 この日から美枝子は、竜吉が忘れられなくなってしまった。四歳も年上で子持ちの美枝子は、若い将来のある竜吉に、言い寄るのは気が引けたが、竜吉を誰にも渡したくない気持ちを、抑える事が出来なくなり、ついに店に来た竜吉に言った。

「一度、竜吉さんの家に行きたいけれど、私などが伺ったらご迷惑でしょうね」
「いつでも来て下さい。汚くしていますが」

 竜吉は、何のこだわりも無く、自分の申し出を受け入れてくれたが、美枝子は逆に不安になった。竜吉は自分を、女として見てくれているのだろうか。ただの気の合う、子持ちのおばさんと思っているのでは、と心配になってきた。

「来て下さる日は前の日に電話して下さい。迎えに来ます」

 竜吉は、休みは自由に取れるのか、美枝子が休みの日を知らせると竜吉が車で迎えに来てくれた。竜吉の自宅は、田舎風で重みの有る、立派な大きな家だった。

「凄い家ですね。土木の請負をしておられると聞いていましたが、その若さで、社長さんですか」
「そんな大したものでは無い。生まれた家が、ボロ家だったので、大きい家に憧れていたのでつい、見栄を張ってしまった」

 美枝子も竜吉が、見栄を張った気持ちが良く判った。ボロ家で生まれた美枝子も、この様な立派な屋敷に嫁ぎ、奥様と呼ばれる自分を、どれほど夢見たか。

「竜吉さんは偉いな!初心な娘のとき竜吉さんに出会いたかった」

 玄関を入ると、客間になっていた。町子が喜び駆け回り、奥の部屋に消えた。慌てて町子を追い、次の部屋に入って驚いた。汚れた作業着などが散乱していた。悪いと思ったが、その奥の部屋を覗くと、もっと酷かった。

「竜吉さん、川へ連れて行って下さったお礼に、今日はお掃除させて戴きます」

 美枝子は、自分の女らしさを竜吉に見せたかった。

「いや、せっかく来て頂いたのだ。今日はゆっくりしていって下さい。掃除は今度の休みに、私がしておきます」

 美枝子は、竜吉も、この家も、自分を押さえ切れないほど欲しくなった。それには掃除や洗濯をする事が一番の近道に思えた。竜吉も手伝い、夕刻には片付いた。町子は疲れたのか眠った。
 美枝子も女ざかり、勇気を出して竜吉を誘うと、美枝子の心配をよそに、竜吉は喜んで受け入れた。その期を逃さず美枝子が、結婚して欲しいと求めると、竜吉はまた、快く受け入れてくれた。
 思えば竜吉は、これまで美枝子の求めたものは皆、気持ちよく受け入れてくれた。

 そうして三十年の幸せな年月が流れたが、竜吉が五十二歳になった日に突然、不幸のどん底に叩き落とされた。竜吉が少女のアパートで、少女と共に死体で発見された。
 当初は、殺人と無理心中の両面で、捜査されていたが、一年が過ぎた今も、犯人らしき姿は浮かんでいない。警察は無理心中と考えているのか、捜査もお役目程度に縮小された。
 美枝子は、どう考えても納得出来なかった。自分の知る竜吉は、裏表の無い、真っ直ぐな男だった。今日は、四谷警察署の立花刑事課長を訪ね、ずいぶんきつい事を言ってしまったが、このままあの、仏の様な夫が、年端も行かぬ少女を道ずれに無理心中したことにされるのは、耐えられる事では無かった。
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