【完結】プシュケの彼方ー死ぬことが許されなくなった未来社会。仮の肉体を継いでなお、生きる理由はあるのだろうか?ー

上杉裕泉

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9章 再

4 霧島の願い

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 互いの体液で濡れたからだを拭くと、ふたりはほこり臭い毛布を被り、ソファに座り込んだ。
 霧島はいまだ現在と記憶のはざまでぼうっとしていたものの、それはどうやら千逸も同じようにみえた。ふたりは毛布のしたで手を繋いだまま、過去の遺物が乱雑に置かれたままのそこを、ぼんやりと眺めていた。
 すると千逸が何かに気づいたようにぽつりと口を開いた。
「……先輩は、むかし俺のことをどう思ってたんですか?」
 突然そう言われ霧島は驚くも、つい先程蘇ったばかりの記憶を辿りながら答える。
「俺は……研究室で初めて会ったときから、お前のこと凄いやつだと思っていたよ。噂は聞いていたけど実際にそのとおりだったし、頭の中の知識はもちろん自分で実験もしていて。俺はその努力を間近で見ていたから、こういうのが本物なんだって思っていた」
 霧島にとって空山の生来の頭のつくりはもちろん、後天的な努力の量や、目標に近づくための現状の把握力や判断力など、挙げればきりがなかった。
「――だから、お前のやっていることのうわべだけ見て、おべっか言うやつもねたむやつもいて。……そういうやつを実際目にしたときは、俺だけがお前の凄さをわかっているっていう、優越感もあった」
 それはもちろん研究内容のすごさのような長所だけではなかった。彼がひとに話すことが苦手でそれをひそかに気にしているところも、淡々としているけれど、意外と感情が声色に現れることも。
 そのすべてを知っているのはおそらく自分だけ、という自負が当時の霧島のなかにはあった。
「――初号機を完成させたときは、誰もお前を信じていなかっただろ?実用段階になって突然国から許可が降りなくなって。周りもみなそれに流されて一時中断しろとばかり。あのときは、脇でみていた俺だけが信じていた。……だから、お前が突然病気になって、俺がやらなくてはと思ったんだ。お前が本物であることを俺が証明するって」
 空山千逸の光が消えるかもしれないと思われたあのとき。
 自分の――霧島至旺の人生の役割は、このためにあったのかと思えた。
「もちろん……気がかりだったさ。死ぬのは怖くなかったけれど、誰も試したことがなかったし。万が一があったらお前に会えなくなって、これまでみたいに傍で助けられなくなってしまう」
 そのことばに、千逸も頷いた。
「……それは、確かに俺もありました。自分の作り上げたものに自信はありましたけど、先輩に会えなくなるのは怖かった。失敗したら、自分が先輩を殺してしまうのと同じでしたから」
「…………そう思っていたなら、やっぱりあのとき言ってしまえばよかったのに」
 そうぼそりと霧島が言ってしまったのは、ほぼ無意識であった。
 ――あ。
 そう自分の発言に気づいた頃には、千逸は顔を背けて口を開いていた。
「それは……その…………言ってしまったら、先輩の答えによっては、起動を続けられない可能性があったからです。もし、あの場で気持ちを受け入れてもらっていたら……俺はきっと残りの時間を確実に先輩といたくて、途中で止めてしまっていたと思います」
 霧島はそれを聞いてすこしだけ安心した。
 ――あのとき彼も葛藤していたのだ。自分の感情と目標とのはざまで。
「確かに……そうかもな。……ただ、俺達は結果的にうまくいったからこそ、離れ離れになってしまった」
 互いに気持ちを振り払い、なんとか始めた試験は無事に成功し、霧島は魂を移動することが叶った。そうして、自分たちはようやくやり遂げたのだと、実感し喜んでいたときだった。
 ふたりは人類を救った英雄として、祭り上げられてしまったのである。
 実績ができた瞬間、それを聞いた政府はひらりと手のひらを返した。「わたしを次の被験体に」と言う手も続々と上がり、株式会社リンカーネイトに注目が集まった。国家予算もつぎ込まれて組織は肥大化し、また死にかけの高齢者たち――おもに余命宣告の出ていた政府要人たちが声を荒らげたこともあり、激務のなかでふたりはまったく顔を合わせることがなくなってしまった。同じ会社に所属していたにも関わらず。
 しかも霧島のなかに存在する記憶は、そこで途絶えてしまっていた。
 ――だからもしあのとき千逸が口にしていたら、いまとは違う別の未来があったかもしれない。
 そう霧島は思っていた。
 あのとき、千逸が気持ちを伝えていたら、きっと自分はそれに応えただろう。苦楽をともにした自分の片割れのような男の願いを、叶えないわけがない。
 そしてこれまでやってきたことのすべてを諦めて、いのちのある限り千逸とともに生きたのだろう。滅びゆく人類のひとりとして、静かに生を終えることも厭わずに。
 ただ、それはふたりの出会いも大学ですごした時間も、すべて否定して生きることと同じであった。それがお互いにわかっていたから、あのとき千逸は口を閉ざし、自分もそれ以上問わなかった。そうしてこちらの道を選ぶことになったのだ。
 ――そしてようやく、俺たちは振り出しに戻ってきた。
 三百年がたち再開が叶って、空山はいまあのときのように自分のとなりにいる。
 そんな霧島の視線に気づいたように、千逸はこちらを向いた。
「……そういえば、花角――花角さんは、厚労省からの派遣部隊ですよね?」
「ああ。そうみたいだな。医師の資格を持っていて、俺のチームのオブザーバーとして口を出していたらしい。ただ、その頃の記憶は俺の中に残ってなくて、花角のことも彼から聞いた話なんだ」
「俺が覚えている限り、ほとんどの人間が一度目の交換を終えたあとのことでしたね。……自殺者数が急増してしまい、それを未然に防ぐ方法を考える対策チームが編成された気がします」
「……今思えば、もうその頃には俺のこころも精神も壊れていたのかもしれないな」
「先輩……」
「……そのくらいのときから、ずっと無意識に死にたいと思い続けていたのかもしれない」
 ひびが入った瓶から水がすこしずつ漏れていくように。一滴一滴と雫のように記憶が薄れていくたび、同時に生への執着も失われていったのだろう。
 おだやかな沈黙のなかで、千逸は静かに口を開く。
「一応確認しますけど……先輩はもうそうは思ってはいませんよね?」
 その問いに霧島は答えることができなかった。
 途端千逸は声を荒らげ立ち上がった。
「……っ……どういうことですか?」
 明るくなり始めた空間のなかで、そのことばは響き渡った。
 窓から光が差し込み、その光芒が朝の訪れを示したときだった。
 霧島はその温かさを感じながら、口を開いた。
「……死にたいとは、いまも思い続けているんだ。ただ、その内容がこれまでとは少し違う」
 千逸の、疑問に細められた眼差しがこちらに向けられていた。
 霧島はそれを受け止め、不敵に微笑む。
「――空山千逸。お前に手伝ってもらいたいことがある。……残りの人生、俺の願いを叶えるために力を貸してくれないか?」
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