【完結】プシュケの彼方ー死ぬことが許されなくなった未来社会。仮の肉体を継いでなお、生きる理由はあるのだろうか?ー

上杉裕泉

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9章 再

1 邂逅

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 振り返ると、そこにいたのは、霧島が一緒にすごしてきたあの千逸であった。
 こちらを見つめる黒曜石の瞳は、確かめるように大きく開かれ月光に輝いている。
 そのどこか吹っ切れた様子に、自分と同様彼自身も覚悟を決めたと霧島は悟った。
「空山……」 
 かつて彼を呼んでいたように名を呼んだ。
 しかし、そこから壊れたように涙が溢れて、次のことばを発することはできなかった。
 すると千逸はゆっくりと歩み寄り、手を腰に伸ばすと、無言で霧島を腕の中に抱いた。それはまるで壊れものを守るように優しく、彼のぬくもりに全身が包み込まれるようであった。
 そんなすべてを受け止められる感覚に、霧島のこころはついに決壊した。
「……ごめん。俺、ずっと忘れていた。お前とあれだけ一緒にすごして、苦しい思いもして。ようやくふたりで成し遂げたことだったのに」
 出会ったことも、かけがえのない時間をともにすごしたことも。ひとり忘れて他人のように、ただの霧島として生きていた。
「俺は、すべてを忘れて……しかも人生がつまらないから死にたいなんて言っていた。本当に馬鹿だ。俺達は、あんなにも生きたいと願って、血の滲むような努力をしていたのに」
 千逸はなにも言わなかった。
 ただ、回された腕は優しく背中をさすった。まるで幼子を愛しむように。
「俺は……本当に駄目なやつだよ。お前がひそかに俺の願いを叶えてくれていることに気づかずに、俺は、お前が願ったことすら忘れていたんだ」
 千逸の身体がかすかに震えた気がした。
 霧島は胸に身体を預け、目を閉じあの光景を思い出しながら呟くように言う。
「……桃の木の下の酒も、浜辺のバーベキューも。すこし、爛れてはいたけど、ちゃんと青春だったよ。千逸。俺は本当に幸せものだ」
「…………先輩」
 その声は小さく、聞こえないほどであった。
 おそらく、霧島が意図に気づくとはまったく想像していなかったのだろう。
 春の桃園も、夏の浜辺も。すべて霧島の願いを叶えるために、彼が計画していたことを。
 不意に背中に回された腕が離れ、千逸が手で自分の目を押さえはじめたとき。今度は霧島が彼を包むように腕を回した。
 そうして、俯く彼の頭を自分の胸に抱き寄せる。
「空山……いや、千逸。本当にありがとう。諦めないでくれて」
 するとしばし沈黙があったのち、千逸は下を向いたまま震える声で言った。
「……先輩なら……きっと昔のことを忘れずに……こころのどこかで覚えてくれていると思ってました。口では……死にたいなんて言っていても……絶対に……欠片のように残っているって」
 そのことばを聞き、霧島は確かにそのとおりだとひとり納得した。
 ずっと夢だと思っていたあの光景は、実際に素体交換が行われたときの記憶と、そのときの気持ちが混ざり合ったものであった。
 同時に、自分が同じ素体ばかりを好んで選んでいたことも、こころの片隅に残されたかすかな記憶が、無意識に彼を思っていたのではないかと思えた。
「……確かに千逸の言う通りで、記憶はずっと俺の中にあったけれど、ずっと端に追いやられていたように思う。――ただ、ここに来たらすぐに表に現れたけれど」
 白く無機質で無駄のない現実世界では、すべてが色を失いどこか淡々としていた。
 それと比べると、この場所は朽ちつつあるものの、人間の最後の熱がいまも息づいているように思えた。
 生きるために知識を取得し、貪欲に時間をすごした毎日。いまでは二度と送ることのできない、かけがえのない大切な時間をすごしたこの場所は、霧島の眠った記憶を呼び起こすのに相応しい場所であった。
 不意に霧島は千逸が胸のなかで落ち着きを取り戻したことに気づく。
 黒髪を包むように回していた腕を優しく解くと、きょとんとする千逸の前に立ち、彼と目を合わせて言う。
「空山。
「…………先輩?」
 なにを言っているかわからない、そんな表情を浮かべる千逸に、霧島はことばを続ける。
「――俺達の開発したものは無事に成功して、人類はなんとか生き残ることができた。そして紆余曲折あったけれど、お前は俺を見つけ出し、そしてようやく正気に戻してくれた」
 ――死にたいと言い、生きる意味を見失っていたあの頃の自分はもういない。
 あのときの続きを、始めるなら今だと霧島は思った。
「三百年かけてしまってごめん、空山。お前のおかけで俺はいま生きてるよ。無事に、お前は成し遂げたんだ。…………だから、あのときの続きをいまから始めよう」
 そのことばに、千逸は赤く腫れた目を見開いた。
「あの日、始めて素体交換を実行した日。あのとき言っていたお前の願いを――生きていたら伝えたいと言っていたことを、俺に教えてくれないか?」
「………………先輩は……意地悪ですね」
 千逸はそう呟き微笑むと、再びまぶたをさっと拭って姿勢を正した。
 そして自分を落ち着けるように数回呼吸をしてから、黒曜石の眼差しをこちらに向けて言った。
「俺は……先輩が好きです。ずっとずっと、ずっと昔から。だからこれからも――進む目標がなくなってしまったいまも、先輩と一緒に先輩の隣で生きていきたいです。それが、俺のずっと伝えたかったことです」
 その瞳は、これまで見たことのないほど期待に満ち、堂々と輝いていた。
 霧島は、噛み締めるように優しく笑顔を浮かべてから、ゆっくりと答える。
「……ああ、もちろん。俺も、お前と一緒にこれからの長い人生を生きていきたいよ。千逸」

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