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8章 始
6 あの日
しおりを挟むあの日も、月の光が目映くふたつの巨大な管を照らしていた。
そのうちの奥のほうは、すでに蛍光色の黄色く光る液で満たされ、なかにはひとりの青年が目を閉じ安らかな表情を浮かべていた。
青年は、霧島の遺伝子からクローニングされた素体であった。
眠ったように水中を漂う自分の姿を見つめながら、霧島はぼんやりと考える。
――いまの身体を捨て、培養したあたらしい身体に魂を移動する。それはなんて非現実なことに思えるのだろう。
しかし、霧島に失敗ということばは存在しなかった。それは空山とともに長い間やってきた年月と、ここに至るまで様々な苦難を乗り越えてきた自信があった。
――俺は自分たちを信じている。
ただ何故だろう。直前になって、一歩踏み出すことを恐れている自分に気づいた。
万が一失敗があれば、これで人生は終わってしまう。そう思うと足が動かなくなった。
――恐れるな。絶対に大丈夫だ。
そう自分を鼓舞していた霧島は、後ろから人の気配を感じ振り向いた。そこにいたのは空山であった。
「……もし、うまく行ったら、先輩は何かしたいことはありますか?」
突然そう言われ、霧島は考える。
「うーん、そうだな。素体交換の初成功者として大々的に取り上げてもらいたいな。それで、開発者のお前と俺で、この世界に名を残すんだ」
「……ほかには?」
「ひとまず、遊びじゃないか?」
「遊び?」
「ああ。俺達はまじめに勉学に励んでいたし、すこしも学生らしいことができなかっただろ?昔の学生たちは、勉強と遊びの両方を満喫していたらしい」
「そう言われればそうですね。まあ……俺たちも充実してましたけど」
「……青春したいな。とびっきりのやつ。例えば花見をしながら酒を飲んだり、海で好きなだけ泳ぎ回るのもいい。浜辺でみんなでバーベキューとかな。ほかには――」
「先輩。海はきっと無理じゃないですか?核汚染の浄化には相当時間がかかりますし、水浴びくらいにしておきましょう」
「ははは。確かにそうだな」
「とりあえずわかりました。先輩は青春がしたいんですね」
それがなぜか呆れを含んでいるように聞こえた霧島は、空山にも聞いてみたくなった。
「んで空山。お前は?」
「俺、ですか?」
「ああ。お前だ」
「そうですね。……迷います」
「ははは。迷うなんて、お前は欲まみれだな」
「何を言っているんですか。花見に水浴び、バーベキューとか言ってた先輩ほどじゃあないですよ」
「確かに、そうかもな」
霧島のことばは、どこか寂しく響いた。
月光が室内を群青に染め上げるなか。
しばし沈黙が訪れたあとで、空山は機械にもたれかかりながら言う。
「……先輩」
「ん?」
「……もし、生きていたら……先輩に伝えたいことがあります」
そのことばに霧島は笑う。
「……それ、失敗して俺が死ぬフラグか?」
「違いますよ。不吉なこと言わないでください。大丈夫。僕たちのマシンを信じてください」
「そんなこと言ったってなあ……」
霧島は、不意に空山のほうへ顔を向ける。
「そうだ!……いま言えよ」
「うーん、それはちょっと」
「はあ?」
すると空山は自ら視線を逸らしたので、霧島はそれ以上追求することができなかった。
再び沈黙がその場を支配しはじめた頃。
「……わかったよ。じゃあ、終わったあとに聞くから待っていてくれ」
霧島がそう言うと、
「……はい」
と、小さく返事が聞こえた。
そのとき、彼がどんな表情をしているのか、霧島にはわからなかった。
そうして最後の時間はあっけなく過ぎた。
沈黙が続く中、窓から差し込む白い光が夜明けを告げた。
――いよいよ、だな。
霧島は最低限の服をまとった姿となり、管のなかに入ろうと意気込んだ。そのとき、後ろから空山の呼ぶ声がした。
「先輩」
「……おう」
「先輩」
「…………なんだよ」
そう言って振り返るも、空山は俯いていて目は合わなかった。
ただ、震える握り拳を差し出して、
「…………待ってますからね」
と言った。
霧島はなにも言わなかった。
軽く拳を作り、空山のそれに触れる。
「ん」
それが、最後のことになった。
霧島は透明な管のなかに入り、それが閉ざされると黄金の液体が下から満ちていった。
そのひやりとする液体に埋もれながら、霧島は思った。
――死ぬのは怖くない。どうせ皆いつか死ぬ。命ある限り、平等に死は迫っている。
いま死ぬのも、病気で死ぬのも。事故で死ぬのも、老衰で死ぬのも、すべて同じこと。
――そう頭ではわかっているはずなのに。
空山の姿がちらりと視界に入るたび、なぜか自分に存在したはずの未来が目に浮かんだ。
生き続けることができたなら。
きっと満開の桜の木の下で、空山と花見をしながら酒を交わすことができるだろう。
青空の波打ち際で、他愛もない話をして時間をすごすことも。
満月の下で火を囲み、バーベキューをすることだって簡単に叶う。
ああ。死にたくない。
空山と、もっといろんなことがしたかった。
いろいろな未来を、ふたりで描いてみたかった。
――そうして、黄金の泡に包みこまれたあと、素体交換は成功した。
並んだ機材を見つめながら霧島はすべてを悟った。
やはり、あの夢は失われた記憶の一部であり、千逸の願いは、このときのことを差していたのだ、と。
そして彼の願いは――。
霧島が記憶を呼び起こそうとしたときであった。
「先輩!」
響いた声は、空山千逸本人のものであった。
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