50 / 59
8章 始
4 始動
しおりを挟む霧島のところにメッセージが届いたのは、その日の深夜のことであった。
「……なんだ?」
そう思い内容を確認すると、それは空山からのものであった。開いてみると、大量の論文や書籍のアーカイブへのリンクと、空山がこれまで行ったシミュレーションのデータが添付されていた。
その膨大さに霧島は絶句する。
「これを……すべて頭にいれろということか?」
スクロールしてみても、それはすこしも止まることなく下へと続いていった。同時に、ひとつひとつの表題に目を通しても、その内容は幅広く、測定や機器の使用方法まで雑多であった。
霧島は、その最後に短いメッセージが付いていることに気づいた。
それを開くと、
『最低限読んでおいてくれ』
という、空山からの要望が記されていた。
「…………あの野郎」
その日から、霧島の勉強漬けの日々が始まった。
空山の送付した最低限リストの上から順に手を付け、論文を読破していく。
最初は順調にみえたものの、分野が霧島の専門から離れていけばいくほど、なぜかひとつ読み終わるたびあたらしいものが四つ増えるという、悪循環に陥ってしまった。
そういうこともあって、たまたま図書館でひとり本を開く空山を見かけた際、
「空山、論文って……筋トレの負荷みたいだな」
というと、
「ようやくそこまで来たか」
と彼はにやりと呟いたのである。
「…………は?」
霧島がその返答を解釈するまえに、空山は机の上に広げていた端末に手を伸ばした。すると霧島のもとに一通のメッセージが届く。
「これは?」
「シミュレーションのリンクだ。これから必要になるから、一応共有しておく」
そうして、ようやく霧島は自分が認められたことを知ったのである。
以来、ふたりは一日の多くの時間を肩を並べてすごすことになった。
比較的朝型の霧島は、まだ肌寒い時間にひとり研究室に向かうと、教授のモニターの電源を入れねずみ色のテーブルに自分の端末を広げる。
『霧島君、おはよう』
「おはようございます。教授、今日もよろしくお願いします」
そうして午前中は関連する論文を探してもらったり、プレゼンの発表練習を見てもらう。
昼頃になるとようやく空山が姿を現し、
「お疲れさまです」
そう言い、昨日から走らせていたシミュレーションの結果を持ってくるので、そのデータを教授に読み込ませ、ふたりは軽食取ることにしていた。
自販機で購入した、チューブに入ったゼリー状飲料を飲みながら、今回の計算条件の共有を行ったあと、三人で議論を交わすのである。そうして次のパラメーター設定を決める頃には、大抵窓の外は暗くなっていた。
大学院は二十一時に電源が落とされてしまうので、以降は寮に移動し学生ラウンジで続きを行うのが日課であった。
殺風景な、コンクリートがむき出しのラウンジには、最低限のものしかない。また、多くの学生達は出歩いていていないため、広々としたこの場所を占領するように、デジタルボードをならべて進捗を書き連ねていた。
嗜好性飲料を口にしながら、空山はところどころ消えかけた研究課程の表に、進捗を書き加えたり、傍線を引いて終わったものを消していく。
そうしているあいだに、新たに知識を補完しなければならない内容や、新しい仮説が浮かび上がってくることがある。霧島は、自分がそれについて行けていることに気づき、驚いた。
――ほんとうに、彼とならできるかもしれない。
ひとりでは漠然としていた道が、彼とならすっきりと開けているように思えた。確かに、まだまだ前途多難ではあるものの、霧島はすこしまえとの変わりように、改めて感嘆した。
裏付けされた努力によって生み出された視点や発想は、嘘にまみれたものではない。
――空山は……本物だ。
霧島がそう静かに確信していると、
「おい、聞いているのか?」
と、空山が声をかけた。
「もちろん聞いてるって」
「あと少しで初めての資金調達なんだ。俺は学会が被っているから、その日はお前のプレゼンにかかっている」
「……わかってるって。お前こそ、そんな上から目線じゃ学会で誰も質問してくれないぞ」
ぴしゃりと軽い口調で言うと空山が急に黙ったので、霧島は気になって彼の方をみる。
――お。
どうやら本人も気にしているらしい。
見るからに消沈している様子に、空山がすこしだけ自分の身近な存在になったようで、霧島は嬉しくなる。
「……そもそも、空山は年齢的にひとつ下だろ?俺のことはお前じゃなくて、ちゃんと先輩と呼んで敬え」
すると、なぜか彼は小さく吹き出した。
「空山、お前……笑ったな」
「笑ってない。――いや、笑ってませんよ。偉大なる霧島先輩殿」
「くそー!わざとらしいな」
「ははは」
それは、空山がはじめて見せた年相応の笑顔であった。
その後、霧島が想像していた通り、はじめての資金調達は無事にうまくいった。金額にして三千万円、これだけあればシミュレーションではなく、実際に実験を行うことができる。
「先輩、やりますね」
「当たり前だろ!空山のあのしごきに耐えて、いまもそれについていけてる俺だぞ。あんな質疑応答なんてぬるいぬるい!」
実際にその通りで、コンペ参加者の専門外からの質問よりも、霧島にとって普段の空山の指摘のほうが何倍も恐ろしいものであった。
――それに。
「……実際さ、空山の理論がデータも多いしずば抜けているんだ。だからほかの薄っぺらい仮説なんて簡単に論破できるんだよ。俺は、嘘が言えないから本当に助かる」
それは霧島が会場で感じたことであった。
裏付けされたものがどれだけ力強いのか。うわべだけ取り繕った真理のないまやかしに、負けるはずがない。そう思えたことは、霧島のなかで大きな自信となった。
「先輩は……本当に信じているんですね」
突然、空山はぼそりと言った。
しかし霧島にとってそれは当然のことであったので、
「当たり前だ。よし!これで俺も実物を使った実験ができるぞ。やっとマウスが買える!初マウスだ!」
と一人盛り上がっていると、空山も微笑みながら口を開く。
「それもいいですけど、量子検出器とかほかの機械も欲しいですし、足りない薬剤のリストもこれだけあるんです。あまり羽目を外しすぎないようにしてくださいね」
「わかってるって!これだけの金額があれば、外にある程度回収に行ってもらえるだろ。それに、資金ならまた調達すればいいじゃないか」
「……ずいぶん簡単に言いますね」
「まあな!」
――おそらく、ほかの申請者の内容との間に、どれだけの差があるのか空山はわかっていない。
いまの内容がどれだけの資金を引っ張ってこれるかも、当の本人は考えたことがないのだろう。それだけ研究に集中しているとも言えたが、霧島はそれをもったいないと思った。
「そうだ、空山!会社をつくろう」
「……それは法人化ということですか?」
「ああ。実際、資金を提供するほうもされるほうもメリットが大きいと思う」
法人化の話は、霧島が資金調達コンペで融資側から提案されたものであった。今回学生枠で出場したものの、調達が成功しやすい反面、投資額が少ないという短所が挙げられた。
空山の目標を理解している霧島にとって、法人成りは、より早くそこに到達できる手段に思えた。
――分子標的薬が発展し、病気で死亡する確率は減少傾向にある。けれど俺たちの時間は限られているし、早いに越したことはない。
そう考えていた霧島は、もうひとつの提案を口にする。
「それでさ、次も無事に成功したらなんだけど……裏に俺達の研究室を作らないか?」
「……正気ですか?」
その発言とはまるで合わない穏やかな表情で、空山はどこか嬉しそうに言った。
霧島は頷く。
「ああ。俺達の実験最前線基地を作ろう。設備をすべて持ってくれば、ここで機械も作れるだろ」
「ははは。先輩がいうとほんとうにやりかねないから怖いですね」
そのことばどおり、ふたりの設立したベンチャー企業株式会社リンカーネイトは、すぐに二回目の出資を取り決め、校舎裏に研究所を新設することになったのであった。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。
【完結】相談する相手を、間違えました
ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。
自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・
***
執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。
ただ、それだけです。
***
他サイトにも、掲載しています。
てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。
***
エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。
ありがとうございました。
***
閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。
ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*)
***
2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。
【完結】塩対応の同室騎士は言葉が足らない
ゆうきぼし/優輝星
BL
騎士団養成の寄宿学校に通うアルベルトは幼いころのトラウマで閉所恐怖症の発作を抱えていた。やっと広い二人部屋に移動になるが同室のサミュエルは塩対応だった。実はサミュエルは継承争いで義母から命を狙われていたのだ。サミュエルは無口で無表情だがアルベルトの優しさにふれ少しづつ二人に変化が訪れる。
元のあらすじは塩彼氏アンソロ(2022年8月)寄稿作品です。公開終了後、大幅改稿+書き下ろし。
無口俺様攻め×美形世話好き
*マークがついた回には性的描写が含まれます。表紙はpome村さま
他サイトも転載してます。
男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。
カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。
今年のメインイベントは受験、
あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。
だがそんな彼は飛行機が苦手だった。
電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?!
あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな?
急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。
さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?!
変なレアスキルや神具、
八百万(やおよろず)の神の加護。
レアチート盛りだくさん?!
半ばあたりシリアス
後半ざまぁ。
訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前
お腹がすいた時に食べたい食べ物など
思いついた名前とかをもじり、
なんとか、名前決めてます。
***
お名前使用してもいいよ💕っていう
心優しい方、教えて下さい🥺
悪役には使わないようにします、たぶん。
ちょっとオネェだったり、
アレ…だったりする程度です😁
すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞
愛しい番の囲い方。 半端者の僕は最強の竜に愛されているようです
飛鷹
BL
獣人の国にあって、神から見放された存在とされている『後天性獣人』のティア。
獣人の特徴を全く持たずに生まれた故に獣人とは認められず、獣人と認められないから獣神を奉る神殿には入れない。神殿に入れないから婚姻も結べない『半端者』のティアだが、孤児院で共に過ごした幼馴染のアデルに大切に守られて成長していった。
しかし長く共にあったアデルは、『半端者』のティアではなく、別の人を伴侶に選んでしまう。
傷付きながらも「当然の結果」と全てを受け入れ、アデルと別れて獣人の国から出ていく事にしたティア。
蔑まれ冷遇される環境で生きるしかなかったティアが、番いと出会い獣人の姿を取り戻し幸せになるお話です。
【完結】ここで会ったが、十年目。
N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化)
我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。
(追記5/14 : お互いぶん回してますね。)
Special thanks
illustration by おのつく 様
X(旧Twitter) @__oc_t
※ご都合主義です。あしからず。
※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。
※◎は視点が変わります。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる