【完結】プシュケの彼方ー死ぬことが許されなくなった未来社会。仮の肉体を継いでなお、生きる理由はあるのだろうか?ー

上杉裕泉

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8章 始

4 始動

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 霧島のところにメッセージが届いたのは、その日の深夜のことであった。
「……なんだ?」
 そう思い内容を確認すると、それは空山からのものであった。開いてみると、大量の論文や書籍のアーカイブへのリンクと、空山がこれまで行ったシミュレーションのデータが添付されていた。
 その膨大さに霧島は絶句する。
「これを……すべて頭にいれろということか?」
 スクロールしてみても、それはすこしも止まることなく下へと続いていった。同時に、ひとつひとつの表題に目を通しても、その内容は幅広く、測定や機器の使用方法まで雑多であった。
 霧島は、その最後に短いメッセージが付いていることに気づいた。
 それを開くと、
『最低限読んでおいてくれ』
 という、空山からの要望が記されていた。
「…………あの野郎」
 その日から、霧島の勉強漬けの日々が始まった。
 空山の送付したの上から順に手を付け、論文を読破していく。
 最初は順調にみえたものの、分野が霧島の専門から離れていけばいくほど、なぜかひとつ読み終わるたびあたらしいものが四つ増えるという、悪循環に陥ってしまった。
 そういうこともあって、たまたま図書館でひとり本を開く空山を見かけた際、
「空山、論文って……筋トレの負荷みたいだな」
 というと、
「ようやくそこまで来たか」
 と彼はにやりと呟いたのである。
「…………は?」
 霧島がその返答を解釈するまえに、空山は机の上に広げていた端末に手を伸ばした。すると霧島のもとに一通のメッセージが届く。
「これは?」
「シミュレーションのリンクだ。これから必要になるから、一応共有しておく」
 そうして、ようやく霧島は自分が認められたことを知ったのである。

 以来、ふたりは一日の多くの時間を肩を並べてすごすことになった。
 比較的朝型の霧島は、まだ肌寒い時間にひとり研究室に向かうと、教授のモニターの電源を入れねずみ色のテーブルに自分の端末を広げる。
『霧島君、おはよう』
「おはようございます。教授、今日もよろしくお願いします」
 そうして午前中は関連する論文を探してもらったり、プレゼンの発表練習を見てもらう。
 昼頃になるとようやく空山が姿を現し、
「お疲れさまです」
 そう言い、昨日から走らせていたシミュレーションの結果を持ってくるので、そのデータを教授に読み込ませ、ふたりは軽食取ることにしていた。
 自販機で購入した、チューブに入ったゼリー状飲料を飲みながら、今回の計算条件の共有を行ったあと、三人で議論を交わすのである。そうして次のパラメーター設定を決める頃には、大抵窓の外は暗くなっていた。
 大学院は二十一時に電源が落とされてしまうので、以降は寮に移動し学生ラウンジで続きを行うのが日課であった。
 殺風景な、コンクリートがむき出しのラウンジには、最低限のものしかない。また、多くの学生達は出歩いていていないため、広々としたこの場所を占領するように、デジタルボードをならべて進捗を書き連ねていた。
 嗜好性飲料を口にしながら、空山はところどころ消えかけた研究課程の表に、進捗を書き加えたり、傍線を引いて終わったものを消していく。
 そうしているあいだに、新たに知識を補完しなければならない内容や、新しい仮説が浮かび上がってくることがある。霧島は、自分がそれについて行けていることに気づき、驚いた。
 ――ほんとうに、彼とならできるかもしれない。
 ひとりでは漠然としていた道が、彼とならすっきりと開けているように思えた。確かに、まだまだ前途多難ではあるものの、霧島はすこしまえとの変わりように、改めて感嘆した。
 裏付けされた努力によって生み出された視点や発想は、嘘にまみれたものではない。
 ――空山は……本物だ。
 霧島がそう静かに確信していると、
「おい、聞いているのか?」
 と、空山が声をかけた。
「もちろん聞いてるって」
「あと少しで初めての資金調達なんだ。俺は学会が被っているから、その日はお前のプレゼンにかかっている」
「……わかってるって。お前こそ、そんな上から目線じゃ学会で誰も質問してくれないぞ」
 ぴしゃりと軽い口調で言うと空山が急に黙ったので、霧島は気になって彼の方をみる。
 ――お。
 どうやら本人も気にしているらしい。
 見るからに消沈している様子に、空山がすこしだけ自分の身近な存在になったようで、霧島は嬉しくなる。
「……そもそも、空山は年齢的にひとつ下だろ?俺のことはお前じゃなくて、ちゃんと先輩と呼んで敬え」
 すると、なぜか彼は小さく吹き出した。
「空山、お前……笑ったな」
「笑ってない。――いや、笑ってませんよ。霧島先輩殿」
「くそー!わざとらしいな」
「ははは」
 それは、空山がはじめて見せた年相応の笑顔であった。
 
 その後、霧島が想像していた通り、はじめての資金調達は無事にうまくいった。金額にして三千万円、これだけあればシミュレーションではなく、実際に実験を行うことができる。
「先輩、やりますね」
「当たり前だろ!空山のあのしごきに耐えて、いまもそれについていけてる俺だぞ。あんな質疑応答なんてぬるいぬるい!」
 実際にその通りで、コンペ参加者の専門外からの質問よりも、霧島にとって普段の空山の指摘のほうが何倍も恐ろしいものであった。
 ――それに。
「……実際さ、空山の理論がデータも多いしずば抜けているんだ。だからほかの薄っぺらい仮説なんて簡単に論破できるんだよ。俺は、嘘が言えないから本当に助かる」
 それは霧島が会場で感じたことであった。
 裏付けされたものがどれだけ力強いのか。うわべだけ取り繕った真理のないまやかしに、負けるはずがない。そう思えたことは、霧島のなかで大きな自信となった。
「先輩は……本当に信じているんですね」
 突然、空山はぼそりと言った。
 しかし霧島にとってそれは当然のことであったので、
「当たり前だ。よし!これで俺も実物を使った実験ができるぞ。やっとマウスが買える!初マウスだ!」
 と一人盛り上がっていると、空山も微笑みながら口を開く。
「それもいいですけど、量子検出器とかほかの機械も欲しいですし、足りない薬剤のリストもこれだけあるんです。あまり羽目を外しすぎないようにしてくださいね」
「わかってるって!これだけの金額があれば、外にある程度回収に行ってもらえるだろ。それに、資金ならまた調達すればいいじゃないか」
「……ずいぶん簡単に言いますね」
「まあな!」
 ――おそらく、ほかの申請者の内容との間に、どれだけの差があるのか空山はわかっていない。
 いまの内容がどれだけの資金を引っ張ってこれるかも、当の本人は考えたことがないのだろう。それだけ研究に集中しているとも言えたが、霧島はそれをもったいないと思った。
「そうだ、空山!会社をつくろう」
「……それは法人化ということですか?」
「ああ。実際、資金を提供するほうもされるほうもメリットが大きいと思う」
 法人化の話は、霧島が資金調達コンペで融資側から提案されたものであった。今回学生枠で出場したものの、調達が成功しやすい反面、投資額が少ないという短所が挙げられた。
 空山の目標を理解している霧島にとって、法人成りは、より早くそこに到達できる手段に思えた。
 ――分子標的薬が発展し、病気で死亡する確率は減少傾向にある。けれど俺たちの時間は限られているし、早いに越したことはない。
 そう考えていた霧島は、もうひとつの提案を口にする。
「それでさ、次も無事に成功したらなんだけど……裏に俺達の研究室を作らないか?」
「……正気ですか?」
 その発言とはまるで合わない穏やかな表情で、空山はどこか嬉しそうに言った。
 霧島は頷く。
「ああ。俺達の実験最前線基地を作ろう。設備をすべて持ってくれば、ここで機械も作れるだろ」
「ははは。先輩がいうとほんとうにやりかねないから怖いですね」
 そのことばどおり、ふたりの設立したベンチャー企業株式会社リンカーネイトは、すぐに二回目の出資を取り決め、校舎裏に研究所を新設することになったのであった。
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