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5章 我
1 想い
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月夜である。
薄紫の淡い光が街を照らし、居住区画の最上階に設けられたとある部屋にもそれは差し込んでいた。
明かりはなく、寝台だけが置かれた生活感のない空間に、ひとりの男――千逸が現れる。薄闇のなかを歩くと、寝台へ腰掛け、そのまま後ろへ倒れ込む。
音ひとつなく静寂に包まれたその部屋で、天井にぼんやりと映る月光の影を見ながら、千逸はとある光景を思い浮かべていた。
ふくろうの鳴き声と、水音がかすかに聞こえる闇夜。
桃の花の甘い香りがふわりと広がる寝台の上。
愛しいあの人は、生まれたままの姿をさらけ出しながら、目を閉じ横になっている。
肌は透き通るように白くなめらかで、そのなかにぽっと赤く色づく場所がある。それを優しく愛でると、あの人はいい声で鳴く。
――昔から、いろいろとわかりやすいひとだった。
そのなかでもとりわけ感情の動きに機敏だったのが、声色だった。本人は、あの凛と響く声を効果的に使っていたと思っていただろう。しかし、それは想像以上に感情に伴い揺れていたことを、千逸は知っていた。
――それを思うと、彼があの素体を使い続けていてよかった。
素体が一般的になったこの世界では、顔が同じでも別人であったり、別人だと思っても中身が同じ、なんてことはざらである。
「とこよ」で気を失いそうな姿を見たとき、はじめは中身のことなどまったく気にせずに反射的に声をかけた。そのあとで、名前も、仕草も声色も確かにあの人だということがわかり、いまとなっては考えていることすら読めるようにわかる。
――本人は、絶対に気づいていないだろうな。
無音の空間のなかで、千逸のかすかな笑い声が響き、それは次第に闇の中に消えていく。
――そういえば、最近は死にたいと言わなくなった。
はじめて出会ったあの夜、彼は暗い顔で死にたいと心のうちを語った。
その可能性をずっと模索していた自分としては、微妙な気持ちになった。やはり、あなたも自分と同じなのかと。
ただ、夢にまで見たあの人と出会ってしまったことで、自分のなかの何かが壊れたのは確かだった。必死に言いくるめて行為に及び、死ぬ方法を教えると言い関係を作った。
過去、どれだけ夢見て口に出すことすら叶わなかった願いが、唐突に叶ったその瞬間。次に訪れたのは、いつこれが終わってしまうのかという恐怖だった。
最近のあの人は随分いい顔をしていて、憧れていた昔の面影と言動を端々に感じる。だからこそ素が出て、楽しい時間をすごすたび、隙ができる。
――このくらいにしておかなければ。いつぼろが出て、あの人が過去を思い出してしまうかもわからない。
そうしてしまえば、あの人に自ら死ぬ方法を教えなければならない。
それだけは許せなかった。
なぜなら、命を継ぐことは、自分たちが必死に努力し、願い、ようやくふたりで叶えたものだったから。
ただ、そう思う反面、思い出してほしいという気持ちも少なからずあった。願わくば、あのあと――約束を交わしたあのあとから、もう一度人生をやり直したい、と。
千逸は突然手で顔を覆い、生み出した暗闇のなかで自分に言い聞かせる。
――欲を出すな。いまの関係ですら、ありあまる幸せだろう。
できる限り自分の感情を隠せ。
あの過去のかけがえのない時間、記憶はもう自分だけのものだ。
思い出させてはいけない。
あの人に面影を求めてはいけない。
これからは過去の思い出を大切に抱き、好きだという気持ちを抑えて生きていくのだ。
薄紫の淡い光が街を照らし、居住区画の最上階に設けられたとある部屋にもそれは差し込んでいた。
明かりはなく、寝台だけが置かれた生活感のない空間に、ひとりの男――千逸が現れる。薄闇のなかを歩くと、寝台へ腰掛け、そのまま後ろへ倒れ込む。
音ひとつなく静寂に包まれたその部屋で、天井にぼんやりと映る月光の影を見ながら、千逸はとある光景を思い浮かべていた。
ふくろうの鳴き声と、水音がかすかに聞こえる闇夜。
桃の花の甘い香りがふわりと広がる寝台の上。
愛しいあの人は、生まれたままの姿をさらけ出しながら、目を閉じ横になっている。
肌は透き通るように白くなめらかで、そのなかにぽっと赤く色づく場所がある。それを優しく愛でると、あの人はいい声で鳴く。
――昔から、いろいろとわかりやすいひとだった。
そのなかでもとりわけ感情の動きに機敏だったのが、声色だった。本人は、あの凛と響く声を効果的に使っていたと思っていただろう。しかし、それは想像以上に感情に伴い揺れていたことを、千逸は知っていた。
――それを思うと、彼があの素体を使い続けていてよかった。
素体が一般的になったこの世界では、顔が同じでも別人であったり、別人だと思っても中身が同じ、なんてことはざらである。
「とこよ」で気を失いそうな姿を見たとき、はじめは中身のことなどまったく気にせずに反射的に声をかけた。そのあとで、名前も、仕草も声色も確かにあの人だということがわかり、いまとなっては考えていることすら読めるようにわかる。
――本人は、絶対に気づいていないだろうな。
無音の空間のなかで、千逸のかすかな笑い声が響き、それは次第に闇の中に消えていく。
――そういえば、最近は死にたいと言わなくなった。
はじめて出会ったあの夜、彼は暗い顔で死にたいと心のうちを語った。
その可能性をずっと模索していた自分としては、微妙な気持ちになった。やはり、あなたも自分と同じなのかと。
ただ、夢にまで見たあの人と出会ってしまったことで、自分のなかの何かが壊れたのは確かだった。必死に言いくるめて行為に及び、死ぬ方法を教えると言い関係を作った。
過去、どれだけ夢見て口に出すことすら叶わなかった願いが、唐突に叶ったその瞬間。次に訪れたのは、いつこれが終わってしまうのかという恐怖だった。
最近のあの人は随分いい顔をしていて、憧れていた昔の面影と言動を端々に感じる。だからこそ素が出て、楽しい時間をすごすたび、隙ができる。
――このくらいにしておかなければ。いつぼろが出て、あの人が過去を思い出してしまうかもわからない。
そうしてしまえば、あの人に自ら死ぬ方法を教えなければならない。
それだけは許せなかった。
なぜなら、命を継ぐことは、自分たちが必死に努力し、願い、ようやくふたりで叶えたものだったから。
ただ、そう思う反面、思い出してほしいという気持ちも少なからずあった。願わくば、あのあと――約束を交わしたあのあとから、もう一度人生をやり直したい、と。
千逸は突然手で顔を覆い、生み出した暗闇のなかで自分に言い聞かせる。
――欲を出すな。いまの関係ですら、ありあまる幸せだろう。
できる限り自分の感情を隠せ。
あの過去のかけがえのない時間、記憶はもう自分だけのものだ。
思い出させてはいけない。
あの人に面影を求めてはいけない。
これからは過去の思い出を大切に抱き、好きだという気持ちを抑えて生きていくのだ。
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