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1章 世

9 社

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 霧島がドーム「かぐら」を出て、自分の居住区のあるドーム「やしろ」へと戻るころには、天の人工太陽は西へと動き、赤く燃え上がっていた。

 高くそびえ立つ集合住宅のおよそ半ばくらいに、霧島の区画――すなわち部屋がある。その自動扉の前で認証をすませると、中へと入った。
 白塗りの壁に覆われた居住空間には、椅子とテーブルと植木鉢がひとつずつ、そして寝台、鑑賞用端末と、必要最低限である。まるで、病院を思わせるような、清貧な空間であった。
 霧島は部屋に入るやいなや、壁の小さな扉に手を伸ばした。
 扉の奥は配給管である。この管は、生産プラントであるプラント「みずち」へと繋がっていおり、その日、その分の食事が管を通り、それぞれの部屋へと配給される仕組みになっている。
 今日の晩の分の食事を取り出すと、霧島は密閉されたふたを開けた。中には冷たい米と、人工肉を煮込んだものと、葉物野菜が理路整然と並んでいた。
 それを冷たいまま淡々と口に入れながら、霧島は不意に思った。
 ――そういえば、忘れていた。
 霧島の視線の先、窓辺に置かれた植木鉢は、とある友人からの貰い物――いや、勝手に押し付けられたものであった。その押し付け主である花角はなずみヨウカが渡すものがある、と連絡をくれていたはずだった。
 ――あれは、いつのことだっただろうか?
 霧島は静かに記憶を辿たどりはじめた。自分の身体が何年目くらいのときで、季節はいつ頃だっただろうか。
 しかし考えても、メッセージを貰ったときの状況のひとつとして、思い出せなかった。
 三ヶ月は経ってしまったのだろうか、と心のなかで呟きながら、そういえば最近、物忘れが激しくなってきたと、不思議に思いはじめた。
 かつての霧島は無限になった時間に歓喜し、デジタルアーカイブを漁り、むさぼるように知識を頭に入れていたはずであった。
 しかしいまはその内容が思い出せないことはもちろん、それが何世代前の自分のことなのかも、わからなかった。
 ――次はもう少し、早いタイミングで交換しようか。
 実際、役所でも指摘されていた通り、素体交換の適正サイクルは十年とされている。それに対し、霧島は七十年間同じ素体を使い続けているので、記憶の問題は、素体の老化によるものではないかと考えられた。
 霧島は、空になったトレーを配給管のなかにしまうと、もらった安定剤を一杯の水で流し込み、寝台に身体を横たえた。
 大きな窓からは、薄紫に染まりゆくドームの天井が見えた。一日が終わろうとしている。
 霧島はそれを見送りながら目を閉じ、思った。
 ――まあ、いいか。たとえ覚えていたとしても、記憶に意味はない。
 霧島は知っていた。
 このかごのなかの世界では、生き続けること以外にまるで価値はないということを。
 
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