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9章 再会そして
7 終幕
しおりを挟む手の榮霞が荒々しく鳴く様子に、晃閃は驚き戸惑った。
これまで穏やかに歌うように声を上げていた霊剣が、ここまで感情的になるなんて。おそらく晃閃が契約を交わした主―英千の気持ちに応じているのだろう。剣からは声以上に強く、荒々しい思いが流れてくる。
それは二十年前から続く怒りと憎しみ、そして愛。
今の晃閃には、なぜ彼が不名誉な称号を得てまで、二十年前の元凶を探すために奔走したのか理解出来た。
すべては自分―暁燿世のために行ったことなのだ。
王妃殺害、大量殺戮。かつて降りかかった罪の真の原因がどこにあるのか、彼は明らかにした。それで血に汚れた手が変わる訳ではないが、確かにあの日を後悔する思いは少しだけ軽くなった。
彼の望みは、力に縛られていた暁燿世が新しい人間として、未来のために生きることなのだ。
剣が伝える紛れもない感情に、晃閃は胸がいっぱいになる。
あの幼い少年がどれだけ自分を思ってくれたのか。自分との時間を大切にしていてくれたか。なぜかつての自分は気づけなかったのだろうと申し訳なくなった。
―早く、伝えなければならない。そう思うと同時に彼は足を早めた。
このままでは英千帝は夙克静を殺めてしまうかもしれない。暁燿世を陥れた男を、彼は許しはしないだろう。燃えるような憎しみは剣から流れ続けている。
絶対に止めなければならなかった。たとえどんなに彼が罪悪感を感じていようと、暁燿世のためであろうと、彼が自らの手を血で染める必要はないのだから。
王の間に入り、玉座に続く階段の下から見上げれば二人の姿が見えた。英千帝は玉座の前に立ち、天窓から差し込む光で煌々と照らされている。そしてその足元に倒れ込み、両手を付いて身体を支えているのは夙克静の後ろ姿だった。
よく見れば階段を彩る赤い絨毯の上には、彼に続く黒い血痕が尾を引いている。尚書令の微かに震える後ろ姿を見た晃閃は納得した。おそらく王は兵から奪い取った剣で逃げる彼を切りつけたのだろう。
その王の表情は逆光となり、こちらから全く見えなかった。
「英千様!」
そう声をかけるも耳には届いていないようで、英千帝は座り込む尚書令を見下ろしたまま会話を交わしているように見えた。
―間に合え。
晃閃は王の元へと続く階段を昇るほかなかった。
※※※※
「まさかここまで剣を使えるとは……王ではなく武官が向いてるのではないですか?」
両足首の健を切られ床に座り込んだ夙克静は、青い顔をするも口元に笑みを浮かべて言った。
「余計な口を開くな。お前は……私が殺してやる。霽国最期の王に殺されてそなたも本望だろう?」
氷のような冷たい声の英千帝とは対極に、彼は乾いた笑い声をあげる。
「ははは。まあ、あなたがここまでやるとは想定外でしたね。昔から愛想のない言葉も発しない子どもだと思っていましたが、意外と熱いものを持っていらっしゃる。まともに政事をやればよかったのに。……何故そうしなかったのか、折角ですから最期に教えてください」
そう問われた英千帝は言葉を詰まらせる。
何故かと聞かれたとき、いつも思い浮かぶのは自分にはそんな資格がないという劣等感だった。自分は幼い頃に行った軽率な行動によって、一人の人間に重い罪を負わせてしまったのだ。そんな自分が王として民を導いていいのだろうか、と。
ただこの問いに答えたのは将軍來戰景だった。彼は気にするなと一言呟いたあと、このように言った。
過去の行いは変えられない、ただそうした分だけ未来でよい行いをするしかない、と。
確かにそれは正しいと英千も理解していた。しかし正論では納得できないことも世の中にはあるのだ。この疑問は彼の中でその部類に入っており、今も静かに渦巻いていたのだった。
そうして沈黙する若き王に向かって、夙克静はほくそ笑みながらひとり話を続けた。
「それは彼―暁燿世のためだったりするのでしょうか」
その言葉に王は彼を睨み付ける。
―この男はもう逃げられない。だからこちらを怒らせて最後まで邪魔をするつもりなのだ。そう頭ではわかっていたが、これだけ大切な彼を侮辱された今、王は冷静さを保っていられなくなっていた。
それを見た夙克静はわざとらしく甲高い声をあげる。
「はっ!あれはそんなに気にかけることはない小物ですよ。稀代の大悪党と言われていたから期待したというのに、なんたる腑抜けでしょう。あれがもっと使えたのならば、今頃すっかり上手くいっていたのに!」
「……黙れ」
「そもそも、あの男は死んだことになっている過去の遺物でしょう。気を使う必要などないはずです。彼に何か負い目でもあるのでしょうか?」
「黙れ!」
「ああ……まさか二十年前のあの夜のことでしょうか?幼いあなたはあの場にいたそうですね。暁燿世が紅剡の指示に背いて一人擁珱宮へと向かったのは……王妃を殺させたのは、まさか―」
夙克静が甲高い声を上げるのと、英千帝が剣を振り上げるのはほぼ同時だった。狂ったように笑う男を前に、彼の脳はすでに思考を止めてしまっていた。
そうして男の首もと目がけ剣を振り下ろそうとしたときだった。後ろから彼の身体を抱きしめるようにふたつの腕が伸びたのは。
それは優しく、しかし強く英千の身体を制した。
黒い裾から見える腕は、彼がずっと大切にしていたあの人の、見まごうことのない傷だらけの両腕。
「―英千様!」
顔は見えないが、確かに耳の脇から聞こえる晃閃の声に、彼は剣を振り上げたままで振り絞るように答えた。
「……晃閃」
「はい。ここに」
彼のすべてを理解したような優しい声色に、英千は泣きそうになった。しかし剣を握る両手を下げることはできなかった。あの男を自分の手でどうにかしなくては。
するとそれを察したように晃閃は強い口調で言った。
「英千様、今すぐこの剣を下ろしてください。あなたがそのように力を振るってはなりません」
彼が自分のためを思って言ってくれているのはもちろん理解できた。しかし―。
「いくらそなたの願いでも……それは叶えられない」
「!駄目です!貴方が血で手を染めてはいけません」
「嫌だ!私は……私は、そなたと同じになりたいのだ!」
その言葉に晃閃は戸惑う。
「それはどういう……」
「……そなたはずっと、損をしてきたではないか。誰かの代わりに手を血で染め、ずっと昔から傷ついてきただろう。何故、そなたばかりが貧乏くじを引かねばならない?私にも……少しくらい負わせてくれ」
それは英千帝がずっと彼に言いたかった言葉。
昔から厳しい遠征に派遣されるのはいつも暁燿世ばかり。そうして疲弊した顔で帰ってくる彼を労うものは誰ひとりとしていなかった。
だから次は自分が彼のために背負うと決めていたのだ。彼が晃閃として新しい人生を踏み出せるように。それを邪魔するものは自分が切り捨てればいい。
しかし等の本人はそれを受け入れなかった。身体を制する腕は緩んだかと思えば、それは優しく包み直された。そして首元に彼の顔が埋められると同時にか細い声が聞こえた。
「貴方がそう言ってくれるだけで……その気持ちだけで、もう私は十分なのです」
その言葉に英千はゆっくりと剣を下ろすしかなかった。青ざめる夙克静を前に晃閃は英千帝の脇に立つと再度王に伝えた。
「貴方が今剣をふるってしまったら、朝廷や民からの信頼は失われてしまいます。どうか、時機を逃さないでください。ようやくここまで来たのですから。貴方こそが民主制を形にし、この国を変える王になるのです」
その有無を言わさない優しい眼差しに、英千は頷く。
「……そなたの言う通りだ。この男は厳正な裁きのもと、しかるべき処置を受けさせよう」
こちらを弱々しく睨む夙克静を二人が見下ろしたとき。突然王の間の扉が軋みながら開けられたと思えば、そこには正規軍を率いた來戰景たちと、無事な様子の尚書たちの姿があった。
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