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9章 再会そして
5 再会そして
しおりを挟む腰の榮霞が鳴き始めたのは、夙克静が自分の名を呼ぼうと口を開いたときだった。
優しく、囁くように響く音色に晃閃は覚えがあった。それは西区画の闘技場で熊を前に剣を求めていたときのこと。そして郭家で一晩をすごした翌朝のこと。この霊剣は血の契約を交わした主の到来を告げて鳴いていたのだ。
扉の外には霽英千の姿が見える。
豪商の若君として振舞っていたときとは異なるその出で立ちに、晃閃は目を奪われた。
淡く長い巻き毛は今は少しも目立たずに、美しくまとめ上げられて冠の下にある。その金と銀の装飾豊かな冠は小さいものの、彼の肌の白さを引き立たせ輝いていた。かつて人懐っこく細められていた金の瞳はいまは鋭くそこにあり、凛とした表情が朝廷の空気を引き締めた。
蔡瑶千として生きていたときとはまるで異なる表情に、晃閃は彼が覚悟を決めたのだと悟った。
牢を出たばかりの晃閃は、英千帝は復讐の機会を得るために失踪したのだと思っていた。しかし夢の中での光凛の言葉を聞いた今、それは誤りであることがわかる。
そして失踪した理由の本命は、おそらくここに入ってきたときから揺るがぬ視線の先にいる男―夙克静なのだろう。
二十年前から続くすべての事件の黒幕に辿り着いた霽英千は、ようやくあるべき姿に戻ったのだ。
ただ、その姿を目の当たりにした晃閃は、安堵よりもむしろ寂しさを感じていた。英千帝の姿をまじまじと見る度、なぜか旅の記憶が次々と浮かび上がり、晃閃の感情を揺らした。
郭家を離れる豪奢な馬車の中で、酒を酌み交わしたこと。
春の穏やかな朝、彼の温もりを感じながら目覚めたこと。
澄んだ空気の高地を、会話を交わしながら歩いたこと。
剣を打ち合い、時に火を囲って皆で野宿をしたこと。
蔡瑶千とすごした他愛もない毎日。彼が英千帝へと戻った今、あのような時間をすごすことはもう二度と叶わないのだ。
晃閃のそんな視線に気づいたのだろうか、帝は一瞬こちらに向かって一瞥し、微笑んだ。
「見ていてくれ」
そう言わんばかりの堂々とした表情だった。
英千帝が再度視線を尚書令へと戻すと、夙克静は淡々と口を開いた。
「これはこれは、我が君。もうずっとあなたの行方を国中で探しておりました。ご無事で何よりです。……これまで一体どこで何をされていたのでしょうか?」
「ああ。西方を中心に見聞を広めに」
その冷たい応酬に朝廷は凍りついたように静まり返った。
夙克静は笑みを浮かべ口を開いた。
「その一言だけで済むとお思いですか、閣下?今後の私の無礼を、どうかお許し下さい。貴方様はどれだけ私たちが迷惑を被ったかご存知ですか?」
「ああ、勿論。皆には心配をかけた上、大変な事をしたと思っている。―ただ、それはかつて闇に消えた罪人を炙り出すためだったのだ」
その言葉に朝廷はどよめいた。
「王よ、それはどういうことですか?」
咄嗟に口を開いた燦雨皐とともに、いてもたってもいられず叫んだのは兵部の席にひとりで座っていた参謀官だった。
「まさか來将軍が関わっているというのですか!?」
その発言にしばし英千帝は答えなかった。おそらく場を落ち着けるためだろう。ややあって帝は優しい眼差しで兵部の男を見やった。
「……安心しろ。そなたの上司は何も関与していないし、初めから今に至るまで私の忠実な部下だ。まあ……なぜ今牢に入れられているかはわからないがな。一体誰が私の大将軍を捕らえたのだ?」
その問いに答えるものは誰もいなかった。
ただ英千帝の揺るがぬ鋭い視線が、すべてを語っていた。
「―夙克静」
「はっ」
「……そなたの企みはわかっている」
冷たい、氷のような声だった。それを向けられた当の本人はおどけた口調で言う。
「閣下、なにを馬鹿なことを仰るのでしょうか。この国を思う私が無意味な企てをする訳がないでしょう」
「―しかし、二十年前に当時民主派の会合で暉紅琰をそそのかし、あのクーデターの当日も王の居場所へ導いたのはそなたなのだろう?」
その発言に、晃閃の中で記憶が蘇る。山の中の庵であのときのことを紅琰に問いかけたあと、目を覚ますと前にいたのはこの男だった。
克静は静かに言った。
「……確かに私は彼に伝えました。民のため世のためを考え彼らに民主化を説いたのです。しかし、それだけです。私は何もしておりません。誰かを傷つけたり手にかけることなど、しておりません」
その言葉は晃閃に火を付けた。しかしそれより先に彼が気づいたのは、英千帝の憤怒で燃えたぎる顔だった
「……ああ、來戰景の件も私が捕らえた訳ではありませんよ。王は彼を忠実な部下と仰いますが、あの男は自分の罪を認め自ら牢の中に入っていったのです。―まあ、今どうしているかはわかりませんがね」
自分の手が自然と剣に伸びるのを、晃閃はなんとか防いだ。
―ここで力に頼ってはいけない。それでは相手の思うつぼだ。
そうして必死に堪えながら、先程怒りに燃えていた王を思い出した晃閃は、彼の姿をちらりと確認した。するとなぜか彼もこちらに視線を向けていて目が合ったので、思いがけずぽかんとしてしまう。
その一瞬が英千帝を落ち着けたのかもしれない。帝は微笑んだのち軽く息を吐くと、静かに口を開いた。
「……私は王宮の外へ出て、街を見、そして霽国中を歩いて回った。そなたらの言う通り民は貧困に喘ぎ、日々食べることもままならないものもいた。宮で何不自由なく生活してきた私にとって、衝撃的な光景だった」
南区画出身の礼部尚書宇苑艶は、頷きながら耳を傾けていた。
「今までのこの国のあり方が間違いだったのかはわからない。霽国の祖は確かに現在の旧六家であり、かつての貴族たちの努力故に今があるとも言えるのだから。……ただ、世というものは変わり続ける。その大きな流れに合わせて人が変われば、もちろん住む国も変わらねばならないだろう。私はそう思う。だから統治者は、今に適した最良の形を執らなくてはならないのだ」
その言葉にすぐに反応したのは刑部尚書氾共萼だった。
「―王よ、それはどういうことですか?」
誰もが聞きたいことをこうして彼が言葉にしてくれたおかげで、この場にある種の一体感が生まれていた。そうして皆が期待に胸を膨らませる中で、王は笑みを浮かべて口を開いた。
「そなたはもう私の言いたいことがわかっているようだな。―そうだ。私の代で王政を廃止しようと考えている。もちろん段階的にではあるが、まずはこの朝廷を中心とし徐々に民主制に移行しようと考えている」
それは二十年前に陽明帝が叶えられなかった夢。格差なく誰もが平等に生きる国にするために、英千帝が導き出した答えだった。
晃閃はこのとき、ようやく時代が変わったことを実感した。
民主化はおそらく先王陽明帝も考えていたに違いない。しかし彼すら口に出すことが出来ない時代だったのだ。それが、こうも朝廷の中で受け入れられるなんて。
貴族出身者と市井出身者がこうして入り交じり、若き帝を期待の眼差しで見つめている。そんな姿を前に、晃閃はひとり胸がいっぱいになった。
―ただひとり、その端で怒りを露わにする夙克静を除いて。
「―やはり、そなたはそれでは足らぬようだな」
英千帝の声はそんな彼に向けられていた。
「そなたの夢、民主化が叶おうとしているのにその表情はよくないな。そなたがただ一人、まるで王のように君臨したいかのように見えてしまう」
それに反応するかのように尚書令の顔は歪み、そして呟くように言葉を吐き捨てた。
「…………この王を語る痴れ者が」
再び朝廷はざわめきで満ちた。それを諭すように静かに口を開いたのは長老掌鏖仁だった。
「尚書令、その言葉は無礼千万。口を慎め。若手も数を占めるがゆえ私が証明するが、このお方は確かに英千帝である」
そういえば彼は幼き英千の教育を任されていたと晃閃は思い出す。朝廷の生きる仙人とも称される彼の言葉は確かに皆に届いたらしい。
ただ、夙克静ひとりだけは揺らがなかった。
「―そんなことはどうでもいいのです!」
そう言い手を挙げたと思えば、四方の扉から無数の兵が現れそれぞれのゆく手を塞いだのだった。そんな彼らの手には弓矢があり、いつ発射されてもおかしくない状態にあった。
「尚書令そなた何を!」
燦雨皐が叫ぶも、夙克静は軽く笑っただけだった。
「―さあ、一歩も動かないように。少しでも何かをする素振りを見せたら、矢を射るように伝えています。命が惜しければそのままでいなさい」
要職者はもちろん英千帝に矢が向けられている中で、この状況を打開する術を晃閃は持っていなかった。
腰で静かに震え始めた榮霞に手を伸ばすこともできない―そんなはがいなさに身を震わせていると、夙克静は晃閃に向かって無慈悲に言ったのだった。
「さあ燿世、あなたの出番です」
「…………」
「憎き英千帝をあなたの手でやるのです。王族がいればまたいつしか時代は繰り返してしまう。だからあなたがそれを断ち切り、新たな時代の幕を開けるのです。さあ、皆あなたに期待していますよ」
―なんて、卑劣な男なのだろう。晃閃は榮霞の束に手をかけそう思った。
こんな男に従い大切な英千を斬るくらいなら、友人や世話になった者たちを人質に取られるくらいなら……そう、この男を斬ればいい。
そんな考えが頭に浮かび、晃閃は榮霞を抜いた。なぜか燃えるように熱くなったそれを疑問に思いながらも、ゆっくりと構える。
「晃閃!」
英千帝の叫びが耳に入ったが、無視することにした。
自分がここで何をしようが罪を犯そうが、今後彼と一緒にいることはできない。だから何をしようと結果は同じだ。それならば今自分がやることは、彼を生かして返す、ただそれだけだった。
そうして晃閃が踏み込もうとしたのと扉の外で叫び声が上がったのは、ほぼ同時だった。
「何事か!?」
動揺する夙克静の頭上から、勢いよく何かが落ちてきた。
二階の観覧席から飛んできたであろうその男は、英千帝の前にふわりと着地すると、彼に向かって飛んでくる矢を次々と斬り落とした。踊るように剣を振るうその姿に、晃閃は見覚えがあった。
すべてを落としたあとで男は晃閃に言った。
「…………全く、お前はいつもこうだ」
呆れたような、友人を諭すようなそんな軽い口調に、みるみる緊張がほぐれるのを感じる。
「……戰景」
名を呼ぶと彼は一瞥して再度剣を構えた。
「燿世、榮霞を取れ。そして今からその剣で霽国の未来を切り開け」
霊剣は温かい光を放ち、しっくりと手に馴染んだ。
二人は何も言わず息を吸って吐いた。一度、二度。
―そして三度目。
彼らはお互いの存在を手に取るように感じた。
そうしてそのまま誰の目からも見えなくなった。
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