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9章 再会そして
3 王の間にて
しおりを挟む誰かが隣で囁いている。
その微かな声の主を、晃閃は知っていた。
―これは、榮霞だ。
いつもより何だか柔らかく笑うように聞こえる。一体何故だろうと疑問に思えば、考えられるのは先程の不思議な体験だった。
遠い昔に亡くなったはずの光凛と、陽明帝とのあの夢のような対話。あれが本当に本人たちであったならば、彼らが語ったことは真実なのだろう。
なぜあの夜、榮霞が追った先に陽明帝がいなかったのか。
剣を振りかぶった先に光凛が躍り出たのか。
すべては幼き英千帝と交わした、あの血の契約が発端だった。
かつて暁燿世はたびたび遠征と称して戦乱の地へ向かうことがあったが、どれだけ遠くにいても確かに憧晏に王の存在を感じていた。だからその不思議な剣の力をずっと信じていたものの、今思えば真の契約者霽英千もすぐ近くにいたはずなのだ。
だからあの日、榮霞は陽明帝ではなく確かに霽英千を追った。光凛は暁燿世の剣から愛息を助けるためにそこに飛び込んだのだ。
その真実にようやく辿り着いた自分を、この霊剣は祝福しているのだろうか。榮霞は穏やかに歌うように鳴き続けている。
不意に冷たいものが頬に触れる感覚があって、晃閃は自分が涙していることに気づいた。
そうして目を開けると、彼はなぜか毛足の短い深紅の絨毯の上に横たえられていた。
―ここはどこだろう。
疑問に思うのは当然だった。
山奥のあの小さな庵ではなく、視界には豪奢な高い天井とこちらに近づく男の沓が目に入り―。
「気がつきましたか?」
その言葉にようやく剣を取ろうと身体が反応するも、手はぴくりとも動かない。気づけば晃閃は後ろ手を縛られた状態で床に転がされていたのだった。腰には変わらない姿の榮霞があったので、それだけは彼を安心させた。
晃閃は体を捩り目の前の男を見上げた。
「あなたは……」
その男を彼は知っていた。二十年前の朝廷で、当時二十五という若さで刑部侍郎に任命された天才夙克静。
彼は朗らかな笑顔を浮かべこちらを見下ろしながら言った。
「暁燿世、お久しぶりです。お互い歳をとりましたね」
表情とは真逆のその淡々とした口調に、背に冷たいものが走るのを晃閃は感じた。
当時は文官として名高かったもの、あまり顔を合わせることのなかった男。そんな彼がなぜ今自分の前にいるだろう。
―それにしても、ここはどこだ?
辺りを見回し晃閃は気づいた。
天高く窓から差し込む光の柱。百という人が入れるその広い空間は、冷ややかで古い香りが満ちている。入口の閉ざされた門から中央を貫くのは、赤い絨毯―すなわち王の道。
暁燿世がかつて陽明帝から霊剣榮霞を下賜した場所だった。
晃閃は王の間の、玉座の前に座り込んでいた。
「……あの庵で意識を失ったあなたを連れてきてもらったんです」
状況が読めない彼に向かって克静は言った。その口元は笑みを浮かべている。
「……まさか恩赦されたあなたが紅琰に出会うとは思ってもいませんでしたが、好都合でした」
「……どういうことだ」
「あなたは、表向きには二十年前処刑されたことになっているのです。それはご存知で?」
晃閃は頷く。
「私が陽明帝に進言し貴方の命を活かしておいたのです―いつかあなたに、もう一度理想を叶えてもらうために」
「……何だと?」
すると男は目を細めて言った。
「私も以前から、あなたと同じ霽の民主化を望んでおりました。陽明帝もそれに応えるべく様々な政策を議論しておりましたが、貴族らの反発を免れず少しも進まぬ有様。それはあなたも存じていらっしゃると思います」
「…………」
「私にとっても貴族たちはずっと邪魔な存在でありました。学もなく一族の利益ばかり考え富を溜め込むお荷物です。あれは今後この国にとって必要ない」
そう言った男の漆黒の瞳は冷たく光った。
「―とくに陽明帝の時代を知る生きる老害たちを早く何とかしたかった。まず言葉の通じない筋肉達磨の來戰景。武官からの信頼が厚く、一筋縄ではいかない強固な軍部を作っているのは彼です。あの男をどうにかせねば、貴族らはまとまって武装蜂起も起こしかねない状況にありました。―しかし、そんなときに何故か英千帝はあなたを恩赦した。來戰景が唯一剣で適わなかった剣聖暁燿世を!」
期待するような強い眼差しが向けられるも、彼はすぐさま呆れたように続ける。
「本当に、英千帝がどうしようもない人間で助かりましたよ。あれは昔から官吏そのものを嫌っておりましたが、まさか自分を殺そうとした暁燿世を恩赦するとは」
夙克静は王座をちらりと見やったのちこちらに視線を向けた。
「それより、あなたが紅琰に巡り会いこんなに早くお目にかかれるとは思いませんでした。これこそ晴天の霹靂。英千帝不在の今、あなたにはすぐにでも復帰して頂き、私の隣りで軍部の頂点に立って頂きます。そうすれば、誰もが伝説のあなたに恐れおののき従うはずでしょう。その後來戰景を処分し、朝廷から英千帝にご退位願えば、民主化も夢ではない」
鋭く刺すように変化した視線と強い口調に、背筋がぞわりとする。そして晃閃は思った。
あの日、紅琰に囁いた内通者はこの男―夙克静ではないか、と。
「ああ、英千帝の最期はあなたに任せましょう。あの日、あなたは作戦が失敗してもいいほど殺したかったのですよね?幼き英千帝を」
夙克静はそう言って玉座にどさりと座り込んだ。脚を組み、肘掛けに肩肘をついた考えられないほど不遜な態度で。
「―加えてあなたの願いを打ち砕いた憎き來戰景を殺す機会も与えてあげましょう。そうすれば、あなたが発する言葉は是以外ないはずでしょう?暁燿世」
その言葉から、それ以外許さないという強い意志を感じた。しかし彼は肯定できるわけがなかった。いまだ会うことのできていない來戰景と霽英千を手にかけるなど以てのほかだった。
それに彼はもうやめたのだ。自分一人で状況を変えようとすることを。
「私にはできない」
すると夙克静の額に皺が寄った。
「…………何故?」
「私は、もうあの頃とは違う。一人で抱え、願いを叶えようと自分一人の力でどうにかしようとしていた自分とは違うのだ。もう自分のために剣を振ることはない」
剣で―力で何かを変えることは出来ない。
そう言った陽明帝は正しかった。今の晃閃にはそれがよくわかっていた。
「―何かを変えようとするならば、時間をかけて対話をするしかない。あなたの変えたいという強い思いを、英千帝ならばしかと聞くだろう」
昔の彼ならいざしらず、蔡瑶千として国を歩いた彼ならば耳を傾けないわけがない。
そう思いながら伝えたものの、返ってきたのは否定の言葉だった。
「それでは変わらないことをあなたも知っているでしょう?牢から出たあなたは絶望したはずです。この国のまるで変わっていない姿に。もう、力で変えるしかないのです。押さえつけるしか方法はないのです」
あの頃の自分とまるで同じ言葉に気づき、晃閃は戸惑う。
「朝廷はすでに半分以上が民主派です。障壁となっているのは多くの貴族を有する武官を統率する來戰景と、お飾りの王ただ二人だけなのです」
「無理だ。諦めてくれ。私にできるわけがないし、いくら頼まれてもやらない。私のような大罪人が再び表に立ち、あの二人を手にかけるなど、できるわけがない」
ここまで断言すれば諦めるだろう。晃閃はそう思っていた。
しかし目の前の男は顔を歪めただけで、遂にこう言ったのだった。
「呆れました。あの剣聖が牢の中でこうも腑抜けに成り下がったとは。……あなたは、世話になった郭家の兄弟や、兄同然の紅琰がどうなってもいいというのですか?」
「………………何だと」
「忘れないでくださいね。逍晃閃が関わり大切にしたものは、全てこちらの手の内にあるということを。どうとでもできるのですよ。……例えば郭家を貴族から排することも、紅琰の命を奪うことも」
夙克静の目は笑っていなかった。
「―ああ、彼の手懐けている子どもたちでもいいですね。本当に、何をしたって構いませんね?」
その言葉に、再度陽明帝の姿が浮かぶ。
《力で手に入れたものはまたいつか必ず争いを生む。だから絶対に力は使ってはいけない》
ああ、あなたの言う通りになりました。
力で手に入れようとした私は力に蝕まれ、再び手にした大切なものを失おうとしています。
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