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9章 再会そして
2 霽英千
しおりを挟む「朱昊。そなたの最後の仕事となる。任せたぞ」
そう呟くように言った霽英千は、いまだ蔡瑶千として小汚い外套を被り西区画の外れにいた。そこは水路脇に佇むこじんまりとした小屋の前―王宮へと続くあの地下通路の入口だった。
彼はくるりと踵を返しそこを後にした。
その頭にあったのは、つい先程鷺翔門で待ち受けていた夙克静の顔と、彼が言い放った來戰景を投獄したという事実だった。
來戰景は英千にとって唯一の味方であり、共犯者とも言える男だった。なぜなら彼は暁燿世の古い友であり戦友であり、彼を最後まで信じた男だった。あの日のクーデターをずっと不審に思っていた彼は、陽明帝の崩御後、自分の話に乗ったのだった。
それは自らの即位を利用し、あの日の発端を作った霽国内部の敵を炙り出すというもの。新王は馬鹿殿で政事に少しも関心がないと思わせれば、かつて燿世と暉紅琰の後ろで息を潜めていたものたちが、姿を現すのではないか。
その作戦のままに、即位した霽英千は少しも公に姿を見せぬまま、蔡瑶千として国を放浪することになったのだった。
英千は西区画を歩く足を早めた。
腰の剣に手を伸ばすも、いま彼が提げているものはただの鉄の塊だった。触れても穏やかな温もりも何も感じられない。
霽国王家に伝わる霊剣榮霞。かつて幼い頃に行った血の契約は、あの夜を境に自分を大いに悩ませる原因となった。あの日、あの晩のことを思い出すと、彼はいまでも震えが止まらなかった。
ただ、榮霞の力はわかっていれば、非常に有用なものだった。霽国内であれば、契約を交わした榮霞の持ち主はいま王が何処にいるか感覚的にわかるらしい。こちらは何も感じないが、のちに契約を交わすことになった來戰景はそう説明した。
かつて燿世が持ち主であった傷だらけの剣は、英千の場所を的確に伝える優秀な伝達機に早変わりした。
ただそんな有用性を見出しあとで状況が一変したのは、暁燿世が牢を出たあとのことだった。
霽英千が即位という人生に一度の機会を使って行ったのは、あの作戦だけでなかった。稀代の悪人暁燿世の恩赦も同時に行われることになった。
書面上すでに亡くなったことにされ忘れられていた彼を、恩赦するのは容易いことだった。ただこれは政治的に意図したものではなく、英千が純粋に彼を自由にしたかったという、ただそれだけだった。
しかし、牢から出た彼を求める誰よりも求めるものがいた。それは彼の剣―霊剣榮霞だった。
これまで王の居場所を的確に伝えていたあの剣は、まともに反応しなくなってしまった。王ではなく暁燿世の居場所ばかり教える霊剣に、戰景は呆れながらもどこか納得しているように見えた。暁燿世は伝説の霊剣が求める程の器であると、彼も知っていたからかもしれない。
そこで二人が用意したのが、榮霞の分身ともなるもう一本の剣だった。
血の契約が書いてあったあの書物によると、霊剣の力を分けることで、本体がもうひとつの剣を追えるようになるらしい。それに則り用意した剣は、確かに英千の居場所を戰景に的確に伝えることになった。
しかし今―旺嵐の街で離れ離れになって以来、それは燿世の元にある。もちろんこの状況を想定していない訳ではなかった。声を辿ることの出来る戰景が追うことになっていたが、何とあの男が謀反の罪で捕らえられているという。
來将軍と親しまれる現代最強の男―來戰景が、何の抵抗もせずにすんなりと牢の中に入るだろうか。
―絶対にそれはない、そう英千は確信していた。
あの男は今はすっかり落ち着いているように見えるが、燿世と同じ古い時代の人間なのだだ。殺ろうと思えばいともたやすく剣を振るだろう。とくに相手が戦友を貶めた憎い敵ならば。
そうせずに彼が捕らえられたというならば、戰景の追う男―榮霞を持つ逍晃閃がすでにここ都にいるということだ。
おそらくあの男―夙克静の手の内に。
英千が蔡瑶千として国を旅した目的は、見識を高めることはもちろん、あの夜以来行方不明となっていた暉紅琰を探すことだった。
しかし彼を見つける前にこの状況で夙克静が足を出すとは、思ってもいなかった。
夙克静―彼は霽国歴代最年少で尚書令まで上り詰めた、国内では名を知らぬもののいない人物だった。旧六家夙家の三男であるが、齢にして十二で受けた国試は状元及第。以来陽明帝の眼鏡に叶い現在四十五という若さで朝廷の頂点に立ち続けている。
理論的でわかりやすく組み立てられた彼の言葉は、物腰の柔らかな口調にのって誰もが耳を傾けるという。
そんな知の巨人とも言える男は、おそらく暁燿世という思ってもいなかった切り札を手に入れ、勝利を確信したのだろう。
二十年来、目の上のたんこぶであり排除できなかった将軍來戰景を、剣聖暁燿世に何らかの形で討たせて頂点に立とうとしているのだ。自分―英千帝が不在のうちに。
―急がなければならない。
あの男は燿世を利用しようとしている。かつて陽明帝を殺させようとしたように。
もう二度とあの人を巻き込ませたくなかったのに。
ずっと、幸せになって欲しかった。
自分の前に現れるあの人は、いつも疲れた顔をしていた。
晴やかな顔になったのは、剣を振っているときだけ。
日に日にやつれていくあの人を、自分が幸せにしてあげたかった。
遠くからこちらを寂しそうにみるあの人に、居場所を与えたかった。
だから本で読んだ血の契約を交わして、自分の傍でずっと剣を振ってもらうつもりだった。
そうしていれば、あの人はずっと笑っていられると思っていた。
なのに少しも幸せそうに見えなかった。
あの人は榮霞をもらってひとりになってしまった。
後悔したけどもう遅かった。
そのときには榮霞は自分を追っていて、あの夜、幸せにしたかったあの人に母を切らせてしまった。
私のせいだった。
私が安易に契約を交わしたせいで、あの日彼は兵を殺戮し正気を失って大罪人になってしまった。
純粋で美しい心を持った大切なあの人。
剣を取り向き合ってくれた大好きな師匠。
あなたを自由にするために、私は人生に一度の機会を使ってあなたを恩赦したのです。
なのにあの日―あなたが解放されたことを知ったあの日。どうしても一目見たくて欲が出てしまった。
だから、巨大な熊に追われ絶体絶命のあなたを前に、私が榮霞の分身を投げたのはおそらく必然だったのでしょう。
そうして唐突に始まったあの旅は、今では夢のように思えてなりません。
幸せだった二人だけの時間。
逍晃閃と蔡瑶千という何者でもない私たちは、なんて儚く脆い存在だったのでしょうか。
許されるなら、また蔡瑶千としてあなたの隣で横になりたい。
そうしてたわいもない話をしながら酒を酌み交わし、幸せに眠りたい。
そのあとで私は霽英千として謝罪を尽くそうと思うのです。
師匠。あなたを捨てたこの国なんて、ずっと滅びてしまえばいいと思っていました。
ただ、私はあなたを利用したものだけは絶対に見つけると心に決めていたのです。
すべての黒幕―夙克静。
お前だけは絶対に許さない。
憧晏の最北部、王の宮へと続く黄道門の前で、彼は遂に汚い外套を脱ぎ捨てた。そうしてその中央を堂々と歩いていくと、通りすがりの武官が訝しんで声をかけた。
「待たれよ。ここからは王の宮であるぞ。そなた何者か?」
返事はすでに決まっていた。
黒幕が炙り出された今、もう姿を隠す必要はない。
「―私か?私は霽英千だ。いま戻ったと皆に伝えてくれ」
そうして氷のように固まる兵を脇に、若き英千帝は王の宮へと歩いていった。
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