【完結】落暉再燃 ~囚われの剣聖は美形若君にお仕えします~

上杉裕泉

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8章 離別

6 黒幕

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 紅琰はあの粗末ないおりに晃閃を招いた。中はこじんまりとしており女と二人で生活しているのだろう、椅子や机など簡素な家具が目立った。
 その中で異様を放っていたのは、入口左手側の壁一面を覆う書棚だった。小さい頃によく招かれた紅琰の部屋にも、このように大量の書が保管されていたことを燿世は思い出した。
「……相変わらずだな」
 そう言うと、紅琰は過去を思い浮かべるように穏やかな表情をして答えた。
「暉家にあったものは……すべて燃えてしまったけどね」
 不意に沈黙が訪れた。
 燿世は思った。二十年前とは言え鮮烈に記憶に刻まれたあの日の出来事。
 当時はそのあとでやらなければならないことがあった。霽国の民主化という、二人の望みを絶対に叶えなければならなかった。
 ただ今はそれはない。とうの昔に失われた。
 そうして残っているのは、あの日―両親の命を奪い、暉家を灰に帰したというまぎれもない事実だけ。
 自分でさえ思い出す度ぽっかりと胸に穴があくような虚無感に襲われるのに、紅琰は真の当事者だ。
 一体どれだけの後悔が彼の中でわき上がっているのだろう―。

 そんな二人を後目に、女が茶を入れて持ってきた。彼女にすすめられるがまま椅子に腰かけそれを口にする。一息ついたのち、口を開いたのは紅琰だった。
「それにしてもまさか……燿世に会えるなんて思ってもいなかったよ」 
「……それはこっちの台詞だ」
 二十年ぶりだと言うのに会話が進むのは、兄弟当然の関係性だからだろうか。流れるままに会話は進み、晃閃は今に至る経緯を簡単に説明することになった。
 ずっと牢の中にいたこと。少し前に英千帝に恩赦されたこと。今は逍晃閃しょうこうせんという新しい名を得て、隊商の護衛として西域にやってきたこと。旺嵐おうらんの町で朱昊しゅこうと出会い、そして紅琰を見つけたこと。
「―そうだ。あの少年たちに手を貸したのは私だよ。そうか、朱昊しゅこうは見習いとして商人に見初められたのか」
「ああ、字も読めやる気も体力もある。いい商人になると主人も言っていた」
「それはよかった。学だけでは食べていくことはできないからね。朱昊しゅこうはなんと運がいい」
 そうして朗らかに笑う紅琰を前に、不意に思い浮かんだのは主―蔡瑶千の姿だった。
 何も言わずに別れることになってしまったあの淡い髪の青年は、いま何をしているだろうか。あの楡の木の下で願ったときと同じ金色の眼差しで、自分のことを探してくれているのだろうか。
 しかし晃閃は不意に頭を振った。
 ―思い上がるな。彼が本当に英千帝であるというならば、別の意味で晃閃を追うのだ。
 母をあれだけ無惨な死に追いやったのは暁燿世なのだから。たとえ逍晃閃と蔡瑶千がどれだけいい関係性を築いていようが、暁燿世が母を殺した人物であることに変わりはない。
 幼き日の面影を、彼に求めてはいけない。
 自分にとって都合のいい思い込みを、彼に当てはめてはいけない。
 沈黙した晃閃に向かって紅琰は言った。
「それより、ここまで私を追ってきたのには理由があるんだろう?」
「ああ。俺が聞きたいのは…………あの日のことなんだ。まさか聞けるとは思っていなかったから、疑問に思っていたことすら忘れていたのだが」
 すると紅琰も頷いた。
「それは私もだよ。……燿世、あの日なぜ本隊に戻ってこなかった?。だから、燿世がこちらに来ていれば、あの作戦は成功したかもしれなかったんだよ」
 その言葉に晃閃は驚きを隠せない。
「何だって?紅琰は王の姿を見たのか」
「勿論。今となっては証明もできないが、会うことが叶うならば來戰景に確認してみるといい」
「…………そうか」
 紅琰は顎に手を当てて聞いた。
「あの日、君が戻ってこなかったことと何か関係があるのかい?」
 その全てを受け入れるような優しい眼差しに、晃閃はこれまで誰にも話したことのなかった霊剣について、口を開いてしまったのだった。
「―そうか……王家に伝わる霊剣榮霞の話は存じていたが、伝説上のものではなかったんだね」
「ああ。信じて貰えるかはわからないがな」
 そう言いながら右手で触れているこの剣も、榮霞ではないものの鳴くことがあることは伏せておいた。
「あの日、確かに榮霞は逆の宮を示したんだ。紅琰たちの向かった宮ではなく。だから私はそこへ向かい、兵を切り捨て榮霞の声に従い剣を振った」 
「そこにいたのが……光凛妃だったということかい?」
 その言葉に晃閃はゆっくりと頷いた。
 伝説の霊剣はあの日まで、確かに陽明帝を示して鳴いていた。間違えるはずなど考えられないのに、なぜ光凛に辿り着いたのだろう。
 そう考えながら、もうひとつの疑問を口にする。
「あとひとつ聞いておきたいことがある。あの日、陽明帝の場所を知らせた内通者というのは誰だったんだ?その男がおそらくあの日の鍵を握っているんだろう」
「……ああ、そういうことになるね」
 肯定しながらも紅琰の顔色が変わったことに晃閃は気づいた。気まずさを湛えたその表情に、鼓動が早くなる。
「それは―」
 誰なんだ。
 そう口を開こうとした時だった。突如彼を襲ったのは強烈な眠気だった。
 ―これは……薬……?
 目の前の紅琰はこちらに駆け寄り心配そうに何度も名を呼んだ。その後ろから聞こえたのは、女の冷徹な声だった。
「いくらあなたさまでもそれはいけません。暁燿世、しばしの眠りを。あなたにはやってもらわなければならないことがあるのです」
 意識を失い始めた晃閃に唯一できたことは、腰の榮霞を握りしめることだけだった。


 ※※※※


 蔡の一行プラス警邏官一名は、順調な足取りで都―憧晏しょうあんへ足を進めていた。
 ただその道中で蔡瑶千はなぜか度々足を止め、品物を買い付けては荷馬車に積んでいった。もはや出発したときと変わらないほどと満載の荷馬車を前に、同行していた郭来頼は呆れながらいらいらした。
 すでに蔡瑶千は消えた英千帝本人であることわかっているのだ。こちらとしては早く城にお戻り頂き、消えた逍晃閃を探しに行きたいところだった。
 心根の優しい真面目な家人―逍晃閃。
 投獄されていた犯罪者である彼が、過去に何をしたのか別に知りたいとは思わない。
 ただあの真面目な性格だ。今の彼がなんらかの事件に巻き込まれる可能性は否めない。
 ―だから急ぎたいところだというのに、なぜ帝は真面目に商人などやっているのだろうか。

 遂に抑えきれなくなった来頼は沛観はいかんの町で聞いてしまった。
「瑶千殿、先を急がなくていいのでしょうか」
 返ってきたのは鋭い眼差しだった。
「わかってる。ただ荷馬車を空で移動するというのは、商人としてやってはいけないことなのだ」
 確かに、これだけの隊商を動かすだけでも膨大な金がかかる。食事、宿、給料、時間。それならば商品を買い付け荷で満たし、今から向かう南方地域で売ろうという考えなのだろう。来頼にもその考えは理解出来た。
「しかし―」
「そなたの言いたいことはわかっている。安心しろ。ばれてしまった今後、蔡瑶千として生きることは考えていない」
 その言葉に来頼は胸を撫で下ろした。
「―ただ私が突然消えれば迷惑がかかる。だから別の瑶千に頑張って貰わなければならない」
 それはどういうことだろう、そう来頼が思っていると、瑶千は荷の様子を確認する朱昊しゅこうの元へと向かったのだった。
「朱昊、私からひとつ願いがある」
 その真剣な表情に、当の本人はおそるおそる聞く。
「な、なんでしょう」
「お前が今から蔡瑶千をれ」
「は?」
「いいから。これからのことを考えるとそうした方がいい。都ではそなたが私の前に立ってくれ」
「ええ、そんな突然……」
「大丈夫だ。教えることは最低限伝えた。私の代わりに堂々としていてくれ」
 笑顔であったが何か張り詰めたようなその表情に、対面した朱昊だけでなく来頼も察したのだった。
 都―憧晏では何かが待ち構えている。
 静まり返った城門鷺翔門きしょうもんを前にしたとき、それは確信へ変わることになった。

 門の兵に通行手形を見せた新たな蔡瑶千―朱昊は、何食わぬ顔で堂々と街の中へ入ろうとした。もちろんその陰には外套を深々と被った霽英千と郭来頼もいた。
 積荷の簡易的な確認があったあとで、それではどうぞと中へ導く声を聞き、朱昊がほっと胸を撫で下ろしたときだった。
「―すみません!」
 突然何かに気づいたように衛兵が声をかけてきたので心臓が止まりそうになる。
「何か?」
「そちらにいるのは郭来頼様でいらっしゃいますか?」
 その言葉に来頼は前へと歩み出る。
「……ああそうだが」
「尚書令様からの書状が届いておりまして……貴方様を連行するようにと」
「連行?私をか?」
 兵の差し出す書類を受け取り見れば、確かにそれらしき文言と判がある。来頼は不機嫌な声で言った。
「当方は現在戸部尚書の密命で動いている。それが終わってからでも遅くはないだろう。なぜ今そなたに連れられなければならない。私を誰だと思って―………………兄上」
 その視線の先にいたのは戸部尚書―郭雷臨と、比較的小柄な男の姿だった。
 黒髪を綺麗に結い上げた頭の上には装飾の美しい金の冠かあった。全身を覆う漆黒の衣は、様々な色の糸が織り込まれているようで、光によってきらきらと輝いた。
 朱昊は自分の影に隠れる瑶千に小声で声をかけた。
あるじ、あの方々は?」
「厄介なのが来たぞ。背の高い方が来頼の兄であり、戸部尚書の郭雷臨だ。そしてその隣の背の低い男が今朝廷で実権を握る男―夙克静しゅくこくせいだ」
 そう言うと彼はそそくさと馬車の陰へと隠れてしまった。
 来頼は挙手礼の形を作り、頭を下げたのち言った。
「わざわざこんなところまでご足労頂き大変申し訳ございません。道中、天候不良に見舞われましたのでこちらの隊商に世話になっていたのです」
 そうして顔を上げ、兄の姿をちらりと見やるとその顔は笑顔を作っていたものの蒼白だった。来頼は続ける。
「尚書令様におかれましては、何用でこのようなところに。私のようなものに直々に依頼する案件などございましたでしょうか?」
 すると男は静かに口を開いた。
「将軍來戰景を……謀反の罪で投獄したのです」
 その声は穏やかであったが感情がなく、何やら得体の知れない恐ろしさを含んでいた。
 それより今この男はなんと言った?
 來戰景が謀反?ありえない。
「あの方が……謀反を企てるとは到底考えられませんが……」
 すると彼も悲しそうに言った。
「私もそう思う。だがあの男が英千帝失踪に関わりがあるという確かな証拠を掴んだのだのです。書面が残されており、その筆跡が本人であることは戸部尚書と私で確認済みです」
 尚書令が話している間に、来頼は英千の方をちらりと見た。
 彼はいまだ馬車の陰に隠れ、足下と薄汚い外套の端しか見えなかった。
 朝廷のまとめ役である尚書令ともなれば、確実に現王霽英千の顔を知っているだろう。もちろん会話を交わしたこともあるに決まってる。
 そんな男から帝はこれだけ姿を隠し、目の前の兄の顔には血の気がない。
 また投獄された來戰景と英千帝には、確かな繋がりがある。
 本当に謀反を企んでいるのは―。
 来頼の背中を一筋の汗が流れた時、夙克静は言った。
「貴方には調査の続きをしてもらいたいのです。旧六家であり郭戸部尚書の弟君だからこそこうして任せられるのです」
「……わかりました、同行させて頂きます」
 淡々と言うと来頼は兄の後ろへと歩み寄った。その前を尚書令が歩き彼の背中が見えることを確認すると、来頼はちらりと振り返った。
 蔡家の隊商の一団が西区画へと進んでいく後ろ姿が見えた。
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