【完結】落暉再燃 ~囚われの剣聖は美形若君にお仕えします~

上杉裕泉

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7章 旺嵐にて

2 霧中

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 旺嵐おうらんは、霽国最西端に位置する人口五百人ほどの町である。隣国と霽国の間を縦断するようにそそり立つ熙延連山きえんれんざん尾根の、最も低い部分に位置している。
 土地柄、北からの湿った空気がこの場所に滞留し年中深い霧がかかっているため、霧の町と呼ばれている。しかしそう呼ばれる所以ゆえんは他にもあった。
 この町ではまるで霧に覆われるように人が消える―そんな物騒な噂があった。

 霧が現れ始めたのは、一行が冷たい空気を感じたころだった。それは道を進み高度が上がるほどに濃くなり、町を囲う城壁が見えはじめた頃には、すでにあたり一面が霧で覆われていた。
 列はそのまま町に入っていくと思われたが、なぜか城門の手前で静止する。
 何かあったのだろうか、隊列の中の晃閃が首をかしげていると、白い霧の中からこちらに歩み寄る姿がある。
 それは主―蔡瑶千さいようせんであった。
 ただその表情は暗く、静かな怒りが込められていた。
「どうされたのですか?」
 晃閃がそう聞くと、彼は顔に貼り付いた巻き毛を鬱陶しそうに後ろに撫で付けながら答えた。
「……いま門番に町に入る許可を求めに行ったのだが、搬入物の確認が難しいため明日の朝まで門を閉めるそうだ」
 国境の町である旺嵐は関所としての役割を持つ。そのため密入国や密輸入を防ぐことを目的に、町に入る際に荷物の検査が行われるのだ。
 この霧ではしょうがない、そう晃閃も納得したが、隊商の馭者たちは心配そうな声で言う。
「……それではここで待ちぼうけということですか?」
「ああ。すまない。今日はこちらで野営、明日の朝に町の中へと移動することになる。皆、余計な心配をさせて申し訳ない」
 若君がそう言うと、彼らは移動の準備を始めるべくそれぞれの馬車へと戻っていった。
 そうしてひとりになった晃閃のもとに瑶千は近づいて言う。
「あのように門は閉まっているが、脇の通用口は空いているらしい。明日の下見をするために二人分の許可を取った。晃閃、少しばかり護衛としてついてきて欲しい」
 そんな突然の要請に晃閃は戸惑うも、すでに状況は決まっていた。
 彼は二つ返事で了承し、霧で潤った主の白い肌を見ないようにしながら付き従った。


※※※※

 旺嵐おうらんの町並みは、晃閃の記憶とは少し異なっていた。
 そもそもこの町は谷の底のように、ぽっかりと空いた山脈の窪地にある。その中心を流れるのは西域平野の水源となる紅河こうがであり、周囲を岩壁が覆っている。
 かつての家々は岩肌を削りできた空間を土台とし、表を木材で覆ったものが多かった。
 しかし今は多くが木材でできた家屋であり、山肌をかなり削って町を大きくしているさまが見て取れた。
(こんな場所に……木の家がこれだけあるなんて)
 山脈北部は豊富に木が分布しているが、こちら側は岩場が多く木材として加工できる大きな木が少ない。
 それをここまで運ぶだけでも相当な労力と費用がかかる。
 ―貴族級の財力がなければなし得ないのだろう。そう思っていた晃閃に主は声をかけた。
「私がここに来た意味がわかっただろう」
「―はい。まさかこの町がここまで発展しているなんて……思いもよらなかったです」
「ここでは西域の国々との取引を町が仲介しているのだ。外国と安全に商売を行うために、私たち商人は決められた取引手数料を支払うという訳だ」
 その言葉に晃閃は耳を疑う。
「町が、と言いましたか?それは国が把握しているのでしょうか」
「いいや。非合法だ。中央連中は僻地には興味がないらしい」
「そんな……」
「昔はここが西域諸国との最前線であったから、重要視していたのだろう。それを陽明帝がここまでの城壁を作ってしまったものだから、安心しているんだろうな」
 確かにかつてはこの谷を通り山脈という壁を超え、西域諸国の斥候が幾度も現れた。特に霽を悩ませたのは陽明帝の時代に現れたきょうの民らだった。
 彼らは非常に頑健な馬を持つ騎馬民族で、集落の豚や鶏、さらには人間までもさらっていく獰猛な民族だった。この谷に住んでいた人々は特にその被害に悩まされ、結果暁燿世ぎょうようせいらが討伐隊を組むことになったのだった。
(―あのときは人生の中で一番極限状態だった)
 次から次へと現れる馬に乗った兵たち。
 見方の兵はその勢いに圧倒され、前に出ることすらできない。
 周囲で女、子供が連れ去られるのを黙って見ているばかり。
 そういう状況で思ってしまったのだ。
 頼れるのは自分の力だけ、と。

「―晃閃」
 その呼び声に現実に戻される。
「―はっ」
「明日から本格的な商品の交渉に入る。今回は質のいい米と南の金属加工品をたんと用意したから楽しみだ。晃閃は私に同行し、脇で控えていてくれ」
 その言葉にあの荷馬車の中はやはりただの農作物だったのかと、晃閃は胸をなで下ろす。
 承知しました、その返事と共に二人は町をあとにした。


****

「今日は……どうされますか?」
 晃閃がそう小さく聞いたのは、主の馬車に戻ったときだった。
 町に到着後は平然とふるまっていた彼だったが、大きな寝台を前に再び自分のあやまちを思い出していたのだった。
 すでに寝台に腰掛ける主は、霧でしっとりと潤った白い肌が蝋燭の柔らかい光で照らされ、なんとも言い難い美しさを誇っていた。
 それを見てしまった晃閃の背には汗が伝うも、主が望めば今日も物語を語って抱き枕にならなくてはいけない。
 葛藤に苦しむ彼に向ってあるじは口を開く。
「今日は―」
 彼がそう言い終わろうとした時だった。
 晃閃は馬車の外に、無数の―人間の気配を感じた。
 彼は瑶千の口を手で押さえると、すぐに放して目くばせをする。
 それを合図にふたりは静かに足元の剣を取り、背中合わせになる。
「晃閃。敵襲か?」
 その小さな問いに頷くと彼は目を閉じ感覚を研ぎ澄ませた。

 外の岩陰に二人。そしてその奥に三人。
 どれもが素人当然。気配を隠す術を学んでいないらしい。
 殺意はなく、どちらかというと緊張しているようだ。
 ここからの距離も遠い。
 おそらくさいの若君の命ではなく荷馬車の積み荷を狙っている。

 晃閃は静かに口を開く。
「主の積み荷を狙う夜盗でしょう。数は五名、どれも素人。私と瑶千様の剣術ならば容易に捕らえられるでしょう」 
 すると蠟燭の火に輝く彼の顔は自信たっぷりに微笑んだ。
「―師匠せんせい、その言葉信じるぞ」
 それを合図に馬車を照らす燈火は消えた。
 あたりは霧が晴れ、月明かりだけが輝いていた。
 ふたりは音もなくその月光のもとに現れると、青く輝く白刃の軌跡だけを残して少しも見えなくなった。
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