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5章 暁燿世
2 闇夜の逡巡
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その日の深夜のこと。
数刻前に準備をしてくる、と出ていった陽明は、暗闇のなか小屋へと戻ってきた。その後ろには全身黒の装束をまとった小柄な男が見え、その気配の異様さに驚いたヨウは声を上げた。
「よ、陽明………」
「―ああ大丈夫。私の友だちだ」
そう言い、後ろの男が見えるよう脇に立つと、黒ずくめの男の、唯一布で覆われていない目と目が合う。
「彼は鮮崋。腕利きの……ええと……昔、盗賊をしていたこともある」
陽明の言葉に男は一瞬目を見開いたが、ヨウに向き直って軽く会釈をした。なので少年も同じようにお辞儀を返したのち、その男の立ち居振る舞いを見て、ひそかに驚いた。
(なんて……気配のない静かな人だろう)
そうして男が再び闇の中へと戻ると、陽明はまるでこれから遊びに行くかのように朗らかに言った。
「よし、それでは揃ったことであるし、作戦を始めようか」
凛を連れ去った人攫いたちは、霽の北西部で力をふるう盗賊の一団だった。彼らの拠点はこの西区画のはずれにある古い倉庫で、一度奴隷たちをそこに集めてから南へ運ぶらしい。
そうしてひと月に一度の新月の晩。星空だけが輝く闇の中を彼らは堂々と移動するのだ。
今日はそんな夜だった。ヨウたち三人は暗闇にまぎれると、倉庫の入口が見える物陰へと姿を潜めた。
「―あの中だ。入口は正面と……あと裏にもある。昼に行って中に連れていかれたとき、奥に別の扉が見えたんだ」
凛を助けるために単身乗り込み、お前も売り飛ばしてやると力ずくで捕まえられそうになった―あのときの記憶が蘇り、少年は震える。
それを見た陽明はヨウの頭をぽんぽんと優しく撫でてから、顎に手をあて頷いた。
「確かに、この人目に付きやすい入口以外に、裏に車を付ける場所がありそうだね。―鮮崋、どう思う?」
闇の中に向かって問いかけるとくぐもった声が返ってくる。
「は。その通りかと。―入口の左、今がらくた置きのようになっている場所が不自然に見えます。建物に対して、置かれているものが新しすぎる。おそらくあそこが車の出入口でしょう―ああ、ちょうど来ましたね」
そう言うと、建物の中から二人の男が現れた。そして入口に立っていた見張りとやり取りをしたのち、彼らは入口の脇に積まれていた大きな樽や木の箱を横に動かし始めた。
「殿―………陽明。まず私が行きます。作戦通り、見張りは私が引きつけますのでその隙に忍び込んでください」
「わかった。やりすぎるなよ」
―遂に始まる。そう身構えた少年のもとに、不意に闇の中から声が飛んだきた。
「……ヨウ」
「!はい」
「その方を頼みます」
そう言って姿を消した鮮崋の言葉に、なぜそんなことを言ったのだろうとヨウは疑問に思う。しかしそれより今はやることがあった。
「さあ、私たちも助けに行こうか」
ばたり、ばたりと何かが床に倒れる音を耳にしながら、二人は新月の空のもとを進んだ―。
彼らが建物の入口についた頃、そこは静まり返っていた。おそらく鮮崋の仕業と思われる―道端で泡を吹くゴロツキ三人の脇を歩きながら、彼らは一人分が通れるがらくたの隙間を通り潜入したのだった。
倉庫の裏にはすでに三つの荷馬車が付けられており、いままさに出発するという状況に見えた。
ただそこにはどれも馭者の姿はなかった。出発を待つ馬の待ちわびる姿と、馬車の後ろからすすり泣きのようなかすかな音が小さく響き渡っていた。
その様子にいてもたってもいられなくなった少年は、痛む身体を気にせず馬車の裏に駆け出した。
檻のように鉄格子で覆われたその荷馬車の中には十名程の蠢く人々の姿と、奥でうずくまる白っぽい髪の少女の姿があった。
「―凛!早くしないと!」
しかし牢には大きな錠がかかっており、鍵がなければ開けることができない。そうして焦る少年を前に、陽明は諭すようににこやかに言った。
「ヨウ、大丈夫。私が開けるよ。待ってて」
一体何をするのだろう―ヨウがそう思った時には、彼はごそごそと懐をまさぐり二本の鉄の棒を取り出していた。そしてそれを錠に差し込むと、いとも簡単に開けたのだった。
「私はこういうのが得意でね。いつも鮮崋たちに怒られてしまうんだけど、役に立ってよかった。さあ、すべて開けてしまおうか」
そう言って次々と牢を開け、人々を解放していく。捕らえられていた誰もが急いでこの場所から離れていく中で、ヨウは中に入り一人うずくまっている少女の名を呼んだ。
「凛!……凛!」
声に反応した少女はゆっくりと顔を上げた。その表情は感情のない無機質なものだったが、目がヨウを捉えた瞬間それは緩み、安堵の涙を流した。
「―これは要らないようですね」
二人を見守る陽明の後ろから現れたのは黒ずくめの鮮崋だった。別れた時と少しも変わらないその姿から、どうやら怪我もなく無事にやるべきことを終えたのだろう。手には鍵の束をぶら下げている。
「鮮崋。無事でなにより」
「……素人集団のお遊びのようなものでした。まあ、これだけの人数が解放されたとなると、警邏官も見回りに来るでしょう。さあ、気が済みましたか?面倒事になる前に帰りますよ、殿下」
その鋭い口ぶりに、陽明は諦めたようにため息をついて苦笑した。
「……まずはこの子たちを見送ってからだ。そうしたらちゃんと帰ることにするよ」
そろそろ日が昇る―空にはすでに曙の朱が差していた。
怪我の痛みでついに動けなくなったヨウは、陽明の背におぶさり帰路についていた。その背後には、泣き疲れて眠る凛を背負う鮮崋の姿がある。
「……陽明」
ヨウは誰にも聞こえないくらい小さな声で、青年に声をかけた。
「なんだい?」
「………………ありがとう」
それは、誰一人大人を信じられなかったひとりの少年の、精一杯の感謝だった。
陽明は優しく微笑んだ。
「どういたしまして。……きみはまだ小さいのにいい男だな。凛のために私たちを動かし大勢の人を助けたのだから」
ただ凛のことを助けたいだけだった―そう思うも、確かに多くの人々が感謝し無事に戻っていったのは確かだった。ヨウの胸に熱いものがこみあげた。
そんな中で陽明は唐突に言った。
「―そうだ。きみに敬意を表して名前をあげよう」
「…名前?」
「いまの私にできることはこのくらいだからね。そうだな……これからきみは燿世と名乗るといい」
「燿世?」
「そうさ。……姓は暁。名前は燿世。暁燿世だ。意味は―輝ける世のはじまり」
そうして朝日に輝く瞳を細めて彼は微笑んだ。
「きみならこれから明るい未来を作っていけるそんな予感がするんだ。―さあ、あと一息だ。体が辛いと思うけれど、もう少しだけ辛抱してくれ、燿世」
空は朱から白に変わり、温かな光が降り注いでいた。
大きな背中に身を預けた少年―ヨウは、この日改めて暁燿世として生まれ、そして青年―陽明の登場と共に、新たな人生のはじまりを迎えたのだった。
数刻前に準備をしてくる、と出ていった陽明は、暗闇のなか小屋へと戻ってきた。その後ろには全身黒の装束をまとった小柄な男が見え、その気配の異様さに驚いたヨウは声を上げた。
「よ、陽明………」
「―ああ大丈夫。私の友だちだ」
そう言い、後ろの男が見えるよう脇に立つと、黒ずくめの男の、唯一布で覆われていない目と目が合う。
「彼は鮮崋。腕利きの……ええと……昔、盗賊をしていたこともある」
陽明の言葉に男は一瞬目を見開いたが、ヨウに向き直って軽く会釈をした。なので少年も同じようにお辞儀を返したのち、その男の立ち居振る舞いを見て、ひそかに驚いた。
(なんて……気配のない静かな人だろう)
そうして男が再び闇の中へと戻ると、陽明はまるでこれから遊びに行くかのように朗らかに言った。
「よし、それでは揃ったことであるし、作戦を始めようか」
凛を連れ去った人攫いたちは、霽の北西部で力をふるう盗賊の一団だった。彼らの拠点はこの西区画のはずれにある古い倉庫で、一度奴隷たちをそこに集めてから南へ運ぶらしい。
そうしてひと月に一度の新月の晩。星空だけが輝く闇の中を彼らは堂々と移動するのだ。
今日はそんな夜だった。ヨウたち三人は暗闇にまぎれると、倉庫の入口が見える物陰へと姿を潜めた。
「―あの中だ。入口は正面と……あと裏にもある。昼に行って中に連れていかれたとき、奥に別の扉が見えたんだ」
凛を助けるために単身乗り込み、お前も売り飛ばしてやると力ずくで捕まえられそうになった―あのときの記憶が蘇り、少年は震える。
それを見た陽明はヨウの頭をぽんぽんと優しく撫でてから、顎に手をあて頷いた。
「確かに、この人目に付きやすい入口以外に、裏に車を付ける場所がありそうだね。―鮮崋、どう思う?」
闇の中に向かって問いかけるとくぐもった声が返ってくる。
「は。その通りかと。―入口の左、今がらくた置きのようになっている場所が不自然に見えます。建物に対して、置かれているものが新しすぎる。おそらくあそこが車の出入口でしょう―ああ、ちょうど来ましたね」
そう言うと、建物の中から二人の男が現れた。そして入口に立っていた見張りとやり取りをしたのち、彼らは入口の脇に積まれていた大きな樽や木の箱を横に動かし始めた。
「殿―………陽明。まず私が行きます。作戦通り、見張りは私が引きつけますのでその隙に忍び込んでください」
「わかった。やりすぎるなよ」
―遂に始まる。そう身構えた少年のもとに、不意に闇の中から声が飛んだきた。
「……ヨウ」
「!はい」
「その方を頼みます」
そう言って姿を消した鮮崋の言葉に、なぜそんなことを言ったのだろうとヨウは疑問に思う。しかしそれより今はやることがあった。
「さあ、私たちも助けに行こうか」
ばたり、ばたりと何かが床に倒れる音を耳にしながら、二人は新月の空のもとを進んだ―。
彼らが建物の入口についた頃、そこは静まり返っていた。おそらく鮮崋の仕業と思われる―道端で泡を吹くゴロツキ三人の脇を歩きながら、彼らは一人分が通れるがらくたの隙間を通り潜入したのだった。
倉庫の裏にはすでに三つの荷馬車が付けられており、いままさに出発するという状況に見えた。
ただそこにはどれも馭者の姿はなかった。出発を待つ馬の待ちわびる姿と、馬車の後ろからすすり泣きのようなかすかな音が小さく響き渡っていた。
その様子にいてもたってもいられなくなった少年は、痛む身体を気にせず馬車の裏に駆け出した。
檻のように鉄格子で覆われたその荷馬車の中には十名程の蠢く人々の姿と、奥でうずくまる白っぽい髪の少女の姿があった。
「―凛!早くしないと!」
しかし牢には大きな錠がかかっており、鍵がなければ開けることができない。そうして焦る少年を前に、陽明は諭すようににこやかに言った。
「ヨウ、大丈夫。私が開けるよ。待ってて」
一体何をするのだろう―ヨウがそう思った時には、彼はごそごそと懐をまさぐり二本の鉄の棒を取り出していた。そしてそれを錠に差し込むと、いとも簡単に開けたのだった。
「私はこういうのが得意でね。いつも鮮崋たちに怒られてしまうんだけど、役に立ってよかった。さあ、すべて開けてしまおうか」
そう言って次々と牢を開け、人々を解放していく。捕らえられていた誰もが急いでこの場所から離れていく中で、ヨウは中に入り一人うずくまっている少女の名を呼んだ。
「凛!……凛!」
声に反応した少女はゆっくりと顔を上げた。その表情は感情のない無機質なものだったが、目がヨウを捉えた瞬間それは緩み、安堵の涙を流した。
「―これは要らないようですね」
二人を見守る陽明の後ろから現れたのは黒ずくめの鮮崋だった。別れた時と少しも変わらないその姿から、どうやら怪我もなく無事にやるべきことを終えたのだろう。手には鍵の束をぶら下げている。
「鮮崋。無事でなにより」
「……素人集団のお遊びのようなものでした。まあ、これだけの人数が解放されたとなると、警邏官も見回りに来るでしょう。さあ、気が済みましたか?面倒事になる前に帰りますよ、殿下」
その鋭い口ぶりに、陽明は諦めたようにため息をついて苦笑した。
「……まずはこの子たちを見送ってからだ。そうしたらちゃんと帰ることにするよ」
そろそろ日が昇る―空にはすでに曙の朱が差していた。
怪我の痛みでついに動けなくなったヨウは、陽明の背におぶさり帰路についていた。その背後には、泣き疲れて眠る凛を背負う鮮崋の姿がある。
「……陽明」
ヨウは誰にも聞こえないくらい小さな声で、青年に声をかけた。
「なんだい?」
「………………ありがとう」
それは、誰一人大人を信じられなかったひとりの少年の、精一杯の感謝だった。
陽明は優しく微笑んだ。
「どういたしまして。……きみはまだ小さいのにいい男だな。凛のために私たちを動かし大勢の人を助けたのだから」
ただ凛のことを助けたいだけだった―そう思うも、確かに多くの人々が感謝し無事に戻っていったのは確かだった。ヨウの胸に熱いものがこみあげた。
そんな中で陽明は唐突に言った。
「―そうだ。きみに敬意を表して名前をあげよう」
「…名前?」
「いまの私にできることはこのくらいだからね。そうだな……これからきみは燿世と名乗るといい」
「燿世?」
「そうさ。……姓は暁。名前は燿世。暁燿世だ。意味は―輝ける世のはじまり」
そうして朝日に輝く瞳を細めて彼は微笑んだ。
「きみならこれから明るい未来を作っていけるそんな予感がするんだ。―さあ、あと一息だ。体が辛いと思うけれど、もう少しだけ辛抱してくれ、燿世」
空は朱から白に変わり、温かな光が降り注いでいた。
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