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2章 回帰
5 変わらぬ街
しおりを挟む憧晏の西区画に入ると、来頼は急に馬車を止めてそのまま車を帰らせてしまった。その後、彼らは少しだけ歩いたのち、掘っ建て小屋と道端に机と椅子を置いただけの小さな食堂に入った。
「主!いつものを」
そう言って勝手に席に腰掛ける来頼はよく来ているようで、北区画に屋敷を持つ貴族には少しも見えなかった。
もののすぐに出てきたのは、よい香りの温かい汁に麺が浮かんだ椀だった。澄んだ汁の上には柔らかく煮込まれた肉と野菜が乗り、その上から黄金の香味油がひとまわしかけられて、何とも食欲をそそる。
ふと前を見れば、来頼はすでに嬉しそうに麺をすすっており、晃閃の視線に気付いたのち箸を置いて怪訝そうに口を開く。
「まさか、受け付けないか……?」
「いや、大丈夫です。むしろ昔よく食べていたので馴染みがあります」
そう言って慌てて口に入れると、二十年ぶりの温かな料理が身体に染み渡った。野菜と肉の旨みが溶けあった汁が麺を優しく包みこみ、香味油の香りもちょうどよく何とも美味しい。
そうしてしばし無心になって口に入れていた晃閃は、先に食べ終わり紙で口を拭いていた来頼に向かって言った。
「来頼殿も、こういうものを食べられるのですね」
「当たり前だ。このように手軽に食べられる料理は好きなのだ。仕事の合間にぱっと食べられるし、尚且つうまい。最高ではないか!」
「確かに警邏官の業務の間にはいいかもしれませんね」
晃閃は何気なく言ったつもりだったが、途端来頼の顔色が変わった。
「しっ!晃閃、警邏官は止めよ。ここではそうと分かると不都合なことも多いのだ。賄賂を送ろうとするくらいならまだよいが、身内が捕らわれた腹いせに、襲いかかってくるものもいる。余計な仕事は増やしたくない。気をつけよ」
そう言われた晃閃は、正面に座る来頼の姿を見て納得した。ここに来る前に身に付けていた徽章や帯剣をはずし、更に上から汚い外套を被っていたのはそういう事だったのだ。
晃閃が頷くと来頼は立ち上がり言った。
「私はここでは市街調査にやってきた中級文官なのだ。今日は……護衛付きというところだな。さあ行くぞ!ここからは歩きだ」
※ ※ ※
憧晏の西区画は、水源から最も遠いために人々から敬遠され、古くから貧しいものが集まる場所だった。それを理由に城門の管理も非常に甘く、飢饉や戦争で家族を失くしたものや、行き場のないものたちが辿り着く場所でもあった。
幼き日の晃閃―燿世もそのうちの一人だった。
彼は物心ついた時からこの街に一人。ある時は捨てられたごみを漁り、ある時は物乞いをしまるで地を這うような生活していた。
当時の事を思い浮かべると、自分の人生において最も必死だったのはあの頃だと、晃閃は思う。
飢えをしのぐために人様の台所に忍び込み、冬は寒さをしのぐために豚に挟まれて眠った。人の生活とはまるで離れたその生き方を、橋の向こうの人々はまるで知らなかった。
陽明帝の見初めた唯一の女性、光凛と出会ったのもちょうどこの頃だった。
あれから二十年。あのような貧しい暮らしをする人々がこの国から一人もいなくなるように。先王陽明帝はそう願って施策を練り、この国を変えるはずだった。
自分が表舞台を去ったものの、その間も賢王は変わらずに実権を握っていた。だからあの頃より状況はよくなっている、そう思っていたのに。
晃閃の目に飛び込んできたのは、少しも変わらない街の状況だった。
二人の歩く道は少しも整備が行き届いておらず、敷き石は欠けところどころ砂利となっていた。その脇には藁を敷いて横たわる浮浪者や、籠を置いて物乞いをする子どもの姿がある。
辺りには最近建てられた建物は少しも見当たらず、どれも古く傷みが激しく今にも倒壊してしまいそうに見えた。
「ここら辺は……何も変わらないのですね」
粗末な衣をまとった人々の中を行きながら晃閃は呟いた。隣りの来頼はどこか納得したように、落ち着いた声で答える。
「……やはりそうか。陽明帝の時代に灌漑設備を新しく増やし、この区域を含む西側を豊かな水田に変える計画もあったのだがな。すっかり止まってしまっているのだ」
「それはどうして……」
「貴族と民側がいまだ朝廷で対立を続けているせいだ。だから施策は何も決まらず、まるっきり朝廷に力がなくなっている。そんな状態であるから実行する立場の役人たちも諦めきっていて、明らかに勉強不足であるし。末端の現場もまるで駄目になって、こういう有様なのだ」
そう語った来頼の脇を、薄汚れた二人の子どもたちが走っていく。幼き日の自分と少しも変わらない彼らの後ろ姿に、晃閃は拳を強く握った。
(何のために……自分は存在しているのだろう)
自分はかつて、この状況を変えるために剣を振るったはずだった。陽明帝と光凛、そして自分の強い願いを叶えるために。
(そうして取った行動の全ては……無意味だったのだろうか。二十年前のあの夜、奪った命の数々は本当に無駄だったのだろうか)
晃閃がそう一人悲嘆に暮れていると、来頼が思い出したように口を開いた。
「―晃閃!そういえばこの区画を歩く時は、今のような子らに注意するのだぞ。最近豪商らがこの辺りに力を及ぼし、あのような幼子を使って陰から悪事を働いているそうだ」
「それは…………なんて汚い」
侮蔑の言葉は強く、低く街に響き渡った。
「自らの手を汚さずに弱き者を陰から操る。恐ろしく汚いやり方だ。―特に、蔡の若君には気を付けろ」
「蔡?」
「ああ。巷で悪名高い豪商の若君だ。霽国一の大商隊を持っていることで有名だが……その実態は身売りに加担し大儲けしている悪党だ」
身売り―この国から駆逐したはずのその言葉を、今も聞くことになるとは。晃閃は怒りに震えた。
「今のそなたの姿では、すぐに捕らえられて売られてしまうだろう。だからなるべく私の傍を離れないように気をつけよ」
来頼の言葉に晃閃は頷いたものの、その耳には少しも届いていなかった。
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