上 下
12 / 50
2章 回帰

5 変わらぬ街

しおりを挟む

 憧晏しょうあんの西区画に入ると、来頼は急に馬車を止めてそのまま車を帰らせてしまった。その後、彼らは少しだけ歩いたのち、掘っ建て小屋と道端に机と椅子を置いただけの小さな食堂に入った。
あるじ!いつものを」
 そう言って勝手に席に腰掛ける来頼はよく来ているようで、北区画に屋敷を持つ貴族には少しも見えなかった。
 もののすぐに出てきたのは、よい香りの温かい汁に麺が浮かんだ椀だった。澄んだ汁の上には柔らかく煮込まれた肉と野菜が乗り、その上から黄金の香味油がひとまわしかけられて、何とも食欲をそそる。
 ふと前を見れば、来頼はすでに嬉しそうに麺をすすっており、晃閃の視線に気付いたのち箸を置いて怪訝そうに口を開く。
「まさか、受け付けないか……?」
「いや、大丈夫です。むしろ昔よく食べていたので馴染みがあります」 
 そう言って慌てて口に入れると、二十年ぶりの温かな料理が身体に染み渡った。野菜と肉の旨みが溶けあった汁が麺を優しく包みこみ、香味油の香りもちょうどよく何とも美味しい。
 そうしてしばし無心になって口に入れていた晃閃は、先に食べ終わり紙で口を拭いていた来頼に向かって言った。
「来頼殿も、こういうものを食べられるのですね」
「当たり前だ。このように手軽に食べられる料理は好きなのだ。仕事の合間にぱっと食べられるし、尚且つうまい。最高ではないか!」
「確かに警邏官の業務の間にはいいかもしれませんね」
 晃閃は何気なく言ったつもりだったが、途端来頼の顔色が変わった。
「しっ!晃閃、警邏官はめよ。ここではそうと分かると不都合なことも多いのだ。賄賂を送ろうとするくらいならまだよいが、身内が捕らわれた腹いせに、襲いかかってくるものもいる。余計な仕事は増やしたくない。気をつけよ」
 そう言われた晃閃は、正面に座る来頼の姿を見て納得した。ここに来る前に身に付けていた徽章や帯剣をはずし、更に上から汚い外套を被っていたのはそういう事だったのだ。
 晃閃が頷くと来頼は立ち上がり言った。
「私はここでは市街調査にやってきた中級文官なのだ。今日は……護衛付きというところだな。さあ行くぞ!ここからは歩きだ」



 ※  ※  ※
 

 憧晏しょうあんの西区画は、水源から最も遠いために人々から敬遠され、古くから貧しいものが集まる場所だった。それを理由に城門の管理も非常に甘く、飢饉や戦争で家族を失くしたものや、行き場のないものたちが辿り着く場所でもあった。
 幼き日の晃閃こうせん燿世ようせいもそのうちの一人だった。
 彼は物心ついた時からこの街に一人。ある時は捨てられたごみを漁り、ある時は物乞いをしまるで地をうような生活していた。
 当時の事を思い浮かべると、自分の人生において最も必死だったのはあの頃だと、晃閃こうせんは思う。
 飢えをしのぐために人様の台所に忍び込み、冬は寒さをしのぐために豚に挟まれて眠った。人の生活とはまるで離れたその生き方を、橋の向こうの人々はまるで知らなかった。
 陽明帝の見初めた唯一の女性、光凛こうりんと出会ったのもちょうどこの頃だった。
 あれから二十年。あのような貧しい暮らしをする人々がこの国から一人もいなくなるように。先王陽明帝はそう願って施策を練り、この国を変えるはずだった。
 自分が表舞台を去ったものの、その間も賢王は変わらずに実権を握っていた。だからあの頃より状況はよくなっている、そう思っていたのに。
 晃閃の目に飛び込んできたのは、少しも変わらない街の状況だった。
 二人の歩く道は少しも整備が行き届いておらず、敷き石は欠けところどころ砂利となっていた。その脇には藁を敷いて横たわる浮浪者や、籠を置いて物乞いをする子どもの姿がある。
 辺りには最近建てられた建物は少しも見当たらず、どれも古く傷みが激しく今にも倒壊してしまいそうに見えた。
「ここら辺は……何も変わらないのですね」
 粗末な衣をまとった人々の中を行きながら晃閃は呟いた。隣りの来頼はどこか納得したように、落ち着いた声で答える。
「……やはりそうか。陽明帝の時代に灌漑設備を新しく増やし、この区域を含む西側を豊かな水田に変える計画もあったのだがな。すっかり止まってしまっているのだ」
「それはどうして……」
「貴族と民側がいまだ朝廷で対立を続けているせいだ。だから施策は何も決まらず、まるっきり朝廷に力がなくなっている。そんな状態であるから実行する立場の役人たちも諦めきっていて、明らかに勉強不足であるし。末端の現場もまるで駄目になって、こういう有様なのだ」
 そう語った来頼の脇を、薄汚れた二人の子どもたちが走っていく。幼き日の自分と少しも変わらない彼らの後ろ姿に、晃閃は拳を強く握った。
(何のために……自分は存在しているのだろう)
 自分はかつて、この状況を変えるために剣を振るったはずだった。陽明帝と光凛、そして自分の強い願いを叶えるために。
(そうして取った行動の全ては……無意味だったのだろうか。二十年前のあの夜、奪った命の数々は本当に無駄だったのだろうか)
 晃閃がそう一人悲嘆に暮れていると、来頼が思い出したように口を開いた。
「―晃閃!そういえばこの区画を歩く時は、今のような子らに注意するのだぞ。最近豪商らがこの辺りに力を及ぼし、あのような幼子を使って陰から悪事を働いているそうだ」
「それは…………なんて汚い」
 侮蔑の言葉は強く、低く街に響き渡った。
「自らの手を汚さずに弱き者を陰から操る。恐ろしく汚いやり方だ。―特に、さいの若君には気を付けろ」
さい?」
「ああ。巷で悪名高い豪商の若君だ。霽国一の大商隊を持っていることで有名だが……その実態は身売りに加担し大儲けしている悪党だ」
 身売り―この国から駆逐したはずのその言葉を、今も聞くことになるとは。晃閃は怒りに震えた。
「今のそなたの姿では、すぐに捕らえられて売られてしまうだろう。だからなるべく私の傍を離れないように気をつけよ」
 来頼の言葉に晃閃は頷いたものの、その耳には少しも届いていなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

仔犬のキス 狼の口付け ~遅発性オメガは義弟に執心される~

天埜鳩愛
BL
ハピエン約束! 義兄にしか興味がない弟 × 無自覚に翻弄する優しい義兄  番外編は11月末までまだまだ続きます~  <あらすじ> 「柚希、あの人じゃなく、僕を選んで」   過剰な愛情を兄に注ぐ和哉と、そんな和哉が可愛くて仕方がない柚希。 二人は親の再婚で義兄弟になった。 ある日ヒートのショックで意識を失った柚希が覚めると項に覚えのない噛み跡が……。 アルファの恋人と番になる決心がつかず、弟の和哉と宿泊施設に逃げたはずだったのに。なぜ? 柚希の首を噛んだのは追いかけてきた恋人か、それともベータのはずの義弟なのか。 果たして……。 <登場人物> 一ノ瀬 柚希 成人するまでβ(判定不能のため)だと思っていたが、突然ヒートを起こしてΩになり 戸惑う。和哉とは元々友人同士だったが、番であった夫を亡くした母が和哉の父と再婚。 義理の兄弟に。家族が何より大切だったがあることがきっかけで距離を置くことに……。 弟大好きのブラコンで、推しに弱い優柔不断な面もある。 一ノ瀬 和哉 幼い頃オメガだった母を亡くし、失意のどん底にいたところを柚希の愛情に救われ 以来彼を一途に愛する。とある理由からバース性を隠している。 佐々木 晶  柚希の恋人。柚希とは高校のバスケ部の先輩後輩。アルファ性を持つ。 柚希は彼が同情で付き合い始めたと思っているが、実際は……。 この度、以前に投稿していた物語をBL大賞用に改稿・加筆してお届けします。 第一部・第二部が本篇 番外編を含めて秋金木犀が香るころ、ハロウィン、クリスマスと物語も季節と共に 進行していきます。どうぞよろしくお願いいたします♡ ☆エブリスタにて2021年、年末年始日間トレンド2位、昨年夏にはBL特集に取り上げて 頂きました。根強く愛していただいております。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

処理中です...