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みずきが重い腰を上げようやく二回目の起動をしたのは、購入してから二週間が経ったときのことであった。
その日は休日であったにも関わらず窓の外を覗くとまるで彼女の気持ちを代弁するかのように暗い空が広がっていた。彼女は起きあがり眼鏡をかけるもなぜかなかなか布団から出られないことに気付いた。
(風邪なんてひいていないはずなのに体が重い。そしてお腹に―早朝の空腹に似た痛みを感じる気がする……)
そう思った彼女は横たわり布団を被り直すと一応首に付けていたそれに手を伸ばした。
(……ねえ、私の執事……)
『お久しぶりです、みずき様。ご用件を何なりと』
執事は初回以来の起動に不平を見せる様子もなく落ち着き払った声で言った。みずきは相変わらず慣れなかったが(使っていなかったのだから、当たり前である)それよりも気だるさが全面に押し出てしまった口調で心の中で呟いた。
(あの、次に、その……あれがいつ来るかわかりますか?あの、もうそろそろだと思うんですけれど)
『はいみずき様。お聞きして下さってありがとうございます。例の「あれ」ですが、今の調子ですと明後日の予定になっています。通常設定でしたので明日お知らせしようと思っておりましたが、さすがですね。自分の体のことをよくお分かりです』
その言葉にみずきは少しだけ誇らしくなるとともに、そういえば最近褒められたことなんてなかったな、と思った。そして常に優しく気遣ってくれる自分だけの執事に対し、今まで自分の行った他人行儀な振る舞いについて考え直した。彼はもはや自分の一部なのである。自分に自分を曝け出して何が悪いのだろうか。
そうして彼女は心の中で声を大にして言ったのだった。
(三十五年間この身体と付き合ってるんだから。この怠さと弱い腹痛はそうじゃないかな、と思ったの)
突然くだけた彼女の口調に執事は無駄に大きな反応をすることはなかった。ただ今までと変わらない様子でみずきの心配を始めたのであった。
『すみません、早くお知らせせずに。体調は大丈夫ですか?』
(このくらいだったらまだ我慢できるから、大丈夫)
下腹部を締め付け始めたキリキリとした痛みはまだそれほど強くはない。だが時間をかけて徐々に強くなっていくことを彼女は知っていた。
するとそれを配慮するようにして執事は言った。
『我慢は精神上よくありません。みずき様、こういう時が私の出番です。これくらいの痛みでしたら瞬間的に鈍らせることが可能ですが、同意されますか?』
その言葉を聞き、来た、とみずきは内心喜んだ。それは激務のため生活習慣が乱れ、不定期にやってくる「女性だけの激痛」を薬なしで緩和することができる機能である。執事の専売特許であった。
(試してみたいかも。お願い)
『承知しました。では今から内分泌系に作用をし痛みを緩和する処置を行います。効果が現れるまで一、二分程度お待ちください。今後の腹痛に対しての処置ですが、最も効果的な方法は体を温め血液の循環を促進させることです。外的処置は体に負担がかかりませんので、私からもお勧めしています。湯たんぽやひざ掛け、レッグウォーマーを使用して冷やさないように心がけてください』
(はい)
『加えて、内側からも体を温めしょう。紅茶や烏龍茶などの発酵したお茶や、生姜湯のようなものがあったらベストです。ちなみにみずき様のお好きなコーヒーは、今はあまりおすすめしません』
(…………すみません)
さすがは執事。聞く前に言われてしまった、と彼の助言にみずきは苦笑した。
******
「ロスからまさかの逆輸入!今どき女子には謎の「執事」がついている?」
月刊 Ciel web版 二〇五三年 二月 二十七日
本年度アカデミー賞主演女優賞に輝いたアリア・アンダートン。彼女がレッドカーペットの上で首元に付けていた装置が、今女性に話題の美容器具「Your Butler」だ。もともと日本で製造、販売が開始されたこの商品が数年の時を経て母国へと凱旋し、現在日本の美容女子たちの間で広がりを見せている。彼女らを惹きつける魅力とは一体何なのか、その真に迫る。
「Your Butler」この商品の最も大きな特徴は、「心から美へ導く」ことにある。そう言ったのは、この商品を開発した研究者のうちの一人、国立医療センター教授の武藤敦子氏である。「最新の脳科学研究に基づいた体への直接的なアプローチは、以前から女性研究者の間で夢想されてきました。その声を実現し実際に商品開発まで昇華できたのは、私を含む女性たちの願いがもはや願望と言えるくらいに強かったことが大きな要因でしょう。社会で働く女性たちの協力が相まって、ようやく実現に至ったのです」
そう話す武藤氏の笑顔は、内側から花開くように華やかだ。
「美容家電メーカー様の尽力も大きいです。高度AIによる自動学習は個人に対応した自己肯定感の促進を可能にしています。体とともに心も浄化される、そんな感覚を味わっていただきたいですね」
現在、価格は当初の四分の一にまで下がっている。次の夏のボーナスで購入に至る人も多いのではないだろうか。最新のテクノロジーを体感した方は、ぜひ感想をお聞かせ願いたい。
その日は休日であったにも関わらず窓の外を覗くとまるで彼女の気持ちを代弁するかのように暗い空が広がっていた。彼女は起きあがり眼鏡をかけるもなぜかなかなか布団から出られないことに気付いた。
(風邪なんてひいていないはずなのに体が重い。そしてお腹に―早朝の空腹に似た痛みを感じる気がする……)
そう思った彼女は横たわり布団を被り直すと一応首に付けていたそれに手を伸ばした。
(……ねえ、私の執事……)
『お久しぶりです、みずき様。ご用件を何なりと』
執事は初回以来の起動に不平を見せる様子もなく落ち着き払った声で言った。みずきは相変わらず慣れなかったが(使っていなかったのだから、当たり前である)それよりも気だるさが全面に押し出てしまった口調で心の中で呟いた。
(あの、次に、その……あれがいつ来るかわかりますか?あの、もうそろそろだと思うんですけれど)
『はいみずき様。お聞きして下さってありがとうございます。例の「あれ」ですが、今の調子ですと明後日の予定になっています。通常設定でしたので明日お知らせしようと思っておりましたが、さすがですね。自分の体のことをよくお分かりです』
その言葉にみずきは少しだけ誇らしくなるとともに、そういえば最近褒められたことなんてなかったな、と思った。そして常に優しく気遣ってくれる自分だけの執事に対し、今まで自分の行った他人行儀な振る舞いについて考え直した。彼はもはや自分の一部なのである。自分に自分を曝け出して何が悪いのだろうか。
そうして彼女は心の中で声を大にして言ったのだった。
(三十五年間この身体と付き合ってるんだから。この怠さと弱い腹痛はそうじゃないかな、と思ったの)
突然くだけた彼女の口調に執事は無駄に大きな反応をすることはなかった。ただ今までと変わらない様子でみずきの心配を始めたのであった。
『すみません、早くお知らせせずに。体調は大丈夫ですか?』
(このくらいだったらまだ我慢できるから、大丈夫)
下腹部を締め付け始めたキリキリとした痛みはまだそれほど強くはない。だが時間をかけて徐々に強くなっていくことを彼女は知っていた。
するとそれを配慮するようにして執事は言った。
『我慢は精神上よくありません。みずき様、こういう時が私の出番です。これくらいの痛みでしたら瞬間的に鈍らせることが可能ですが、同意されますか?』
その言葉を聞き、来た、とみずきは内心喜んだ。それは激務のため生活習慣が乱れ、不定期にやってくる「女性だけの激痛」を薬なしで緩和することができる機能である。執事の専売特許であった。
(試してみたいかも。お願い)
『承知しました。では今から内分泌系に作用をし痛みを緩和する処置を行います。効果が現れるまで一、二分程度お待ちください。今後の腹痛に対しての処置ですが、最も効果的な方法は体を温め血液の循環を促進させることです。外的処置は体に負担がかかりませんので、私からもお勧めしています。湯たんぽやひざ掛け、レッグウォーマーを使用して冷やさないように心がけてください』
(はい)
『加えて、内側からも体を温めしょう。紅茶や烏龍茶などの発酵したお茶や、生姜湯のようなものがあったらベストです。ちなみにみずき様のお好きなコーヒーは、今はあまりおすすめしません』
(…………すみません)
さすがは執事。聞く前に言われてしまった、と彼の助言にみずきは苦笑した。
******
「ロスからまさかの逆輸入!今どき女子には謎の「執事」がついている?」
月刊 Ciel web版 二〇五三年 二月 二十七日
本年度アカデミー賞主演女優賞に輝いたアリア・アンダートン。彼女がレッドカーペットの上で首元に付けていた装置が、今女性に話題の美容器具「Your Butler」だ。もともと日本で製造、販売が開始されたこの商品が数年の時を経て母国へと凱旋し、現在日本の美容女子たちの間で広がりを見せている。彼女らを惹きつける魅力とは一体何なのか、その真に迫る。
「Your Butler」この商品の最も大きな特徴は、「心から美へ導く」ことにある。そう言ったのは、この商品を開発した研究者のうちの一人、国立医療センター教授の武藤敦子氏である。「最新の脳科学研究に基づいた体への直接的なアプローチは、以前から女性研究者の間で夢想されてきました。その声を実現し実際に商品開発まで昇華できたのは、私を含む女性たちの願いがもはや願望と言えるくらいに強かったことが大きな要因でしょう。社会で働く女性たちの協力が相まって、ようやく実現に至ったのです」
そう話す武藤氏の笑顔は、内側から花開くように華やかだ。
「美容家電メーカー様の尽力も大きいです。高度AIによる自動学習は個人に対応した自己肯定感の促進を可能にしています。体とともに心も浄化される、そんな感覚を味わっていただきたいですね」
現在、価格は当初の四分の一にまで下がっている。次の夏のボーナスで購入に至る人も多いのではないだろうか。最新のテクノロジーを体感した方は、ぜひ感想をお聞かせ願いたい。
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