【短編小説集】なんでもない日常の、どこかの風景から

上杉裕泉

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きみと通じ合う、唯一の

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(寓話小説)



 きみはよく不機嫌な顔で「言葉が通じない」と漏らす。

 これはきみたちが、誰か他の人間に対して不満があるときに言う言葉。

 古今東西、人類皆似たような言葉を発したことがあるに違いない。たとえそれが全く同じ意味、ニュアンスでなかったとしても。

 きみたちが毎日そうやって不満を口にしながら頑張っている間、ぼくはたいてい家でシズ子のボディーガードをしている。
 だから決して遊んでいる訳ではないのだけれど、かなりの頻度、ともすれば長時間テレビを見ている。
 もちろんシズ子の従者であるぼくには、観たいものを自由に観る権利はない。けれどぼくは大いに満足している。この、友人の誰よりも物知りであるテレビを、少しの時間見れるだけでも十分なんだ。

 なぜかと言うと、ともだちの皆が遊戯や食、そして他人のことばかり話題に挙げる中で、テレビだけは毎日新しい知を語ってくれるから。
 だからたとえシズ子が観賞の途中で寝入ってしまったとしても、ぼくはそれをいいことに勉強の時間に充てることにしているんだ。

 そうしてぼくがテレビから学んだことの一つが、言語の多様性だ。

 いまこの世界には、数千を越える言語があるらしい。
 英語、中国語、イタリア語、ドイツ語、もちろん日本語。こうして挙げていくときりがない。
 なぜこんなにもたくさんあるのだろうと不思議に思ったけれど、言語というのは、かつて世界中に散らばった人類の祖先から、個別にうまれて発展したものらしい。

 だから言語はばらばらで、むかしから今に至るまで、人々が通じ合うことを妨げる一因になっているんだと思う。

 古代ギリシャの人々は、「言葉が通じない」人間を野蛮人と呼んで区別したらしい。きみたち日本人も身に覚えがあるはず。そう、江戸時代に来航したヨーロッパ人のことを「南蛮人」と呼んで恐れたことがあっただろう。彼らの方が圧倒的に近代化していて、少しも「野蛮であった」事実なんてなかったにもかかわらず。

 こういう差別は、おそらく自分の領域を越えて突然あらわれた未知に対する恐れであって、自分を脅かすものに対する、動物的で自然な抵抗の現れだったに違いない。


 きみたち人類は精神の領域でも、無意識に自分を守る傾向にあるね。それはたぶんきみたちの賢さゆえだとぼくは思うけれど、むかしから、特に自然科学の分野でものすごい抵抗を見せる時があるんだ。

 たとえば、人類の発展に貢献したコペルニクスの地動説やダーウィンの進化論が、当初どういう扱いを受けたか知っているかい?誰もが抵抗し、聞く耳を持たなかっただろう。

 なぜかって、その科学的発見・理論のどれもが、「人類の尊厳」を揺るがすものだったから。それまで人間は世界の中心で、唯一神に造られた存在だった。それが、彼らの突きつけた真実によって暴かれ、人間は地上で蠢く、猿から進化したただの動物へと成り下がってしまったんだ。

 おそらくかつての人々はそれが許せなかったんだろう。新しい真実によって脅かされていたのは彼らの尊厳であり、精神的支柱だったのだから。


 たぶん言語も、きみたちにとっての尊厳なんだ。
 誰もが大昔からはぐくんできた自分たちの言語に対して、無意識のうちに深い愛を抱いているに違いない。
「日本語は美しい」きみたち日本人だって口に出さずとも、心の中でそう思ったことがあるはずだ。その美しい言葉とそれによって成されたかけがえのない文化は、きみたちにとっての精神そのものなのだとぼくは思う。

 だからこそ、誰も言葉をひとつに統一することはできなかったんだ。それぞれが生み出した誇り高き言語は、民族にとっての尊厳だから。それを侵略することなど、一体誰にできたのだろう。

 では仮に言葉が初めからひとつであったとしたら、本当に人々のあいだで何も問題はおきなかったのだろうか。
 初めからみなが通じ合って、お互いの心は開いて、世界中の誰も「言葉が通じない」なんて言わなかったのだろうか。

 もちろんそんなことはないと思う。
 たぶん言葉が一つであったとしても、人々は争い、いがみ合って今と何も変わらないだろう。現に言葉を同じとするきみたち日本人同士で、常に「言葉が通じない」と言いあっているじゃないか。
 だからぼくはきみたち人類に問いたいんだ。
 本当に言葉は必要なのだろうか、と。


 言葉によって成長し繁栄したきみたち人類にとって、これを失うことはおそらく全てを失うことに等しいのだろう。
 言語は人類の生み出したものの中で最も偉大であり、きみたちの根元を司る。地球上の他生命体と異なり唯一言語をもつきみたちは、これによって成長・発展したとも言える。
 なぜかというと、言語とともに文字は生まれ、人々はまずこれを刻むことを知ったんだ。
 そして次に知が生まれ、同時に時を認識し、人類は知を次世代へ継承することを思いついた。
 今日までのきみたちの栄華は、脈々と受け継がれ堆積された知がなければ—その根元である言語がなければ成し得なかったものだろう。
 だからぼくはテレビを見る度いつもきみたちの偉業を尊敬し、言語を持つことを羨ましく思っている。言葉無きぼくたちには、この複雑怪奇な素晴らしいものを生み出すことなど絶対にできなかったのだから。

 しかし同時にぼくは少しだけ不憫に思っているんだ。
 きみたちはそれがあるがゆえに、技術、時間、そして言葉そのものに縛られているように見えるのだから。

 これまで、あれだけ言葉の必要性を持ち上げてきたぼくがなんでこんなにも否定するのかって疑問に思うはずだ。
 ぼくたちは言葉を持たない生命体だから、きみたちに「そんなことを言われる筋合いはない」と言われても仕方がない。
 もちろん、ぼくは全てを否定するわけでないんだ。
 ただきみたちに気付いて欲しいだけ。
 人類とぼくたちが、言葉なしでこんなにも通じ合っているという事実に。

 ぼくたちはもう、何千年も昔から、きみたちのそばに仕えてきた。そうしてともに生きるなかでお互いを理解し、いま、互いの心の中が手に取るようにわかるはず。
 きみたちはぼくたちの喜びや悲しみがわかり、ぼくたちにも、きみたちの優しさや寂しさが手に取るようにわかる。
 もちろんこのふたつの生命体の間に言語はないだろう。でもそれが無くとも、こんなにも通じ合ってきたじゃないか。

 だから、ぼくはきみが繰り返し言うたび思うんだ。
 本当に人類を隔てているのはこの「言語」であり、これが生み出したものが本当に大切なもの—すなわち生命が通じ合うために唯一共通の「感情」を覆い隠してしまったんだと。


 この「感情」を理解するためには、お互いの研ぎ澄まされた感覚が必要不可欠だ。
 これはきみたちが言語によって失った、いわゆる「野生の勘」と呼ぶもの。
 ぼくたちときみたちの間には長年の過去の積み重ねがあるから、今のところあまり不自由はない。
 けれど仮に言語を持たぬ地球外生命体と接触した場合、きみたちはいったいどうするというのだろう?地球の動物的反応がこの生命体に当てはまらない場合、きみたち人類はどのような対応をするのだろうか。

 これは忠告なんだ。
 言語への陶酔がきみたち人類の可能性を縛り、ともすればほかの地球外生命体と通じ合うことを、封じているのかもしれないと。そしてこの「感情」こそが、生命に共通する唯一のものなのだと。

 今の感覚の衰えたきみたちには、ぼくたちの言葉無き声は届きにくくなった。
 しかし伝えたいんだ。理解して欲しいんだ。
 言葉無きものたちの叫びを。いまぼくの中に渦巻くこの荒々しい感情を!

 だって本来の自然の状態のきみならば、いまもとっくに気付いているはずなんだ。
 いつだって見つめ合えば必ずきみはわかってくれたじゃないか。
 だからそんなにスマートフォンばかり見ていないで、早くこっちに顔を向けて欲しい。ああ!これだから知の生み出したものは!これがなければ、きみは今すぐリードをつけてくれるのに!

 ……すまない。切羽詰まっているので取り乱してしまった。
 とにかく、この強い感情が君に届けと切に願う。
 そうして願わくば、できるだけ早く散歩に連れて行って欲しい!
 これはぼくたちが君たち人類に伝えたい数あるメッセージのうちのひとつだ。
 この言葉無き声を聞くことができたならば、きみたちはその大切な絨毯を守ることができ、そしてまたぼくたちも、粗相をして怒声を浴びて落ち込むことがなくなるのだから。

 ぼくはきみたち人類のますますの発展を心から願っている。だからどうか早くこの「感情」に気付いて欲しい。


(終)
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