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ある雨の日

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(日常系)


 その日は一日じゅう雨が降っていた。
 窓の外はまだ六時だというのにすでに薄暗い。今日はこんなに早く帰るはずじゃなかったのに。
 任された仕事はまだ終わっていないのに、なぜ上司は「明日でいいからそろそろ帰りなよ」なんて言うんだろう。
 ハンドルを握る力が気持ち強くなる。
 しとしと降り続く雨をみると嫌になるけれど、こういうときは車でよかったと思う。

 昔、東京にいたときは通勤に車を使うなんて考えられなかった。
 けれどこういう田舎ではほとんどの大人が車だから、お年寄りや子どもを除けば歩いている人を見る方が難しい。
 今日の歩道はいつも以上に閑散としていて、帰宅途中の学生の赤い傘や黄色の傘がぽつりぽつりと寂しそうに開いているだけだった。

 わたしは急いでいるわけではなかったけれど、なんとなくスピードを出したい気分だった。
 早く帰ってビールでも飲もう、そんなことを考えながら走っていると、普段は絶対に変わらない信号がなぜか黄色になった。
 ―うわ、ついてない。
 しかしよく見ればその下には横断歩道があって、両側には傘を差して待つ歩行者の姿がある。
 わたしはしぶしぶ速度を緩めて先頭で止まった。
 はあ、早く変わらないかな。そうぼんやりと待っていたとき。
 目の前の横断歩道の中央で、左右からやってきた紺と赤の傘がぴたりとくっついた。
 雨の、どうってことない田舎の風景のなかで、まるでそこだけが映画のなかのワンシーンのように見えた。
 その不思議な光景をよく見れば、左から来た紺の傘の人はコックコートを着ていて、赤い華やかな傘のレインコートの女性に、紙袋に入った何かを手渡している。
 そういえば左側には道路に面したケーキ屋さんがある。
 お店のひとの渡し忘れかなにかだろうか。その後もコックコートの人が何度もお辞儀をしていた。

 ―あ、点滅した。
 横断歩道の真ん中にいた二人もそれに気づいたようで、ふたつの傘は、綺麗に分かれて道の左右に戻った。
 歩行者信号が赤になる。
 店員さんはそのあともお辞儀を続け、ようやく店の中に戻ると思いきや、まるで名残惜しむようにもう一度振り返った。
 パリッとしわのないコックコートとぴんとした背筋。きれいにセットされて後れ毛一つないヘアスタイルが、店員さんによく似合っていた。
 ―あ、青になった。
 そうしてわたしはふいに悩む。
 ここで進めば、多分わたしが車で隠してしまうのだ。彼がいまも熱視線を送り続ける赤い傘のお客様を。
 だから少しだけそのままで待っていたけれど、ぷーという音が後ろから聞こえて。
 ああもう、しょうがない。アクセルを静かに踏みながら、ちらりと窓の外を見た。
 ぴんとのびた背筋のまま店員さんは爽やかに微笑むと、お店の中へ戻っていった。

 わたしは緩やかにアクセルを踏んだ。
 道の左右に並ぶ街灯は、温かい色を灯し始めた。なぜかいつもより輝いて見えるそれをくぐり抜け、わたしはひとり車を走らせる。
 さあ家に帰って、ビールと一人鍋でもしよう。
 もしかすると、明日はいい日になるかもしれないから。



(終)
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