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22号室 神様だって地下鉄に乗る(4)
しおりを挟む「保くん。辿り着けましたね。よかったです」
えっ⁉ 俺の名前を知っているのか。知り合いか。振り返ると地下鉄であった女性がいた。以前会ったことがあっただろうか。
「私のこと忘れてしまったですか」
「いや、その」
俺は頭を掻きながら、必死に思い出そうとした。こんな可愛らしい女性を忘れるはずがない。けど、思い出せない。
「子供の頃によく遊んだのですよ。『姫ちゃん』って呼んでくれたのですよ」
「姫ちゃん……」
「そう、一木姫子で姫ちゃん」
にこりと微笑む姫子は手招きをして誰かを呼んだ。
狐だ。二匹の狐が姫子の両脇に寄り添った。
「まだ、思い出せませんか。この狐たちとも一緒に遊んだのですよ。まあいいでしょう。それは返してもらいますね」
そう話して手帳を取った。姫子の顔から笑顔が消えてしまった。狐もどこか落ち込んでいる風で駆けていってしまう。振り返り狐の行く先を見遣るとそこには豊川稲荷と於六稲荷の社があった。やっぱり狐神だ。
んっ、ということは。姫子の方に振り返るとさっきまでいた場所には誰もいなかった。どこだ、どこへ消えた。あたりを見回すと、鳥居のある池のところに姫子はいた。すぐに俺も池の傍へと向かう。姫子は池の真ん中あたりに浮いている。はやり弁天様なのか。
「あの、もしかして」
「思い出してくれましたか」
「いや、それは……。けど、もしかして神様なんですか」
「そんなことはどうでもいいのです。でも、これだけは言っておきます。ここは保くんがいるべき場所ではないってことです。記憶もいいように改竄しているみたいですからね。そのせいなのか、私のことも忘れてしまったようです。残念です」
いるべき場所ではないって。記憶の改竄って。
俺は姫子の目を見て「それって」と言いかけたところで突然、後頭部に鈍痛がして吐き気が込み上げてきた。
「あなたはここで死ぬのです。そして、救われるのです」
姫子の言葉が終わるか終わらないかのところで、襟首を引っ張られて俺は池に落下してしまった。
うっ、く、苦しい。息が、息が出来ない。
口から空気が白い泡となって吐き出されてしまう。もがいても、もがいても池から這い上がることが出来ない。俺は、死ぬのか。もしかして、生きていてはいけなかったのか。姫子は俺をあの世へ連れて行くつもりだったのか。ならば、救われるのですとの言葉はなんだ。
それに、さっきの願い事は何を意味する。読み間違いではないはずだ。
死にたくはない。いや、死にたいのか俺は。みんなと一緒にいたい。死ぬことで願いは叶う。姫子は俺の気持ちをわかってくれているってことか。
どうせ、生きていたってつまらない。あの世へ行けば、みんなが待っている。そのほうがいい。そう思うと、苦しさが和らぐ気がした。
「父さん、母さん、兄貴。俺もそっちへ行くよ」
俺はそのまま意識が遠のいていった。
***
あれ、光を感じる。
俺は天国に着いたのだろうか。
みんなの声が聞える。そうか、みんな迎えに来てくれたのか。
俺はゆっくりと瞼をあげていく。眩しさにすぐにみんなの顔を見ることが出来なかったけど、徐々に顔がはっきりとしていった。
「父さん、母さん、兄貴」
「保、気がついたのか。わかるか、大丈夫か」
「父さん、大丈夫だよ」
父は涙を流していた。母も兄も頬を濡らしている。何を泣いているのだろう。幽霊になっても涙を流すものなのか。面白いな。そう思ったのだが、そうじゃなかった。
俺は病院のベッドに寝ていた。
津波にさらわれてしまったのは自分のほうだった。父も母も兄も地元の人たちに津波が来る前に助けられていた。
みんなは行方不明ではなかった。死の淵を彷徨っていたのは自分のほうだった。
「そういうことか、姫ちゃん」
俺を助けてくれたのか。みんなの願い事を叶えてくれたのか。
俺は洲崎神社の弁天様であろう姫子に感謝した。狐神にも感謝しなくてはいけない。退院したら、ありがとうと伝えに行かなくてはいけないな。
「おい、保。姫ちゃんって誰だ」
「えっ、あはは。兄貴、内緒だよ」
***
俺は地下鉄に乗っていた。残業で終電に乗っている。
生きていてよかった。あのとき姫子に出会わなかったら俺はどうなっていたのだろう。
「元気になられたようですね」
えっ⁉
そこには姫子がいた。
「なんで、ここに」
「神様だって地下鉄に乗るんですよ。ほら、あっちにもそっちにも。でも、ここには死神はいませんから安心してくださいね」
死神⁉
脳裏に睨み付ける二人の顔が浮かんだ。あのとき、地下鉄にいた二人は。いやいや、考えるのはよそう。
「もしも死神がいたとしても、私と狐たちがいますからね」
見守ってくれているということだろうか。そうだったらいいけど。目を光らせて監視しているってことも。
これは下手なことは出来ないなと思うと自然と姿勢を正していた。
「ふふふ、大丈夫ですよ。私は保くんと家族みんなを信じていますから」
姫子の言葉に優しさが伝わってきた。弁天様なんだよな。神様の知り合いがいるって心強い。
なんだか特別な感じがして頬が緩む。
「あの、ひめ……じゃなくて弁天様」
ちょっとだけ『姫ちゃん』と呼ぶことに気が引けて弁天様と呼んでしまった。子供の頃は躊躇なく呼んでいたのに。そう、あの頃のことはすべて思い出している。けど、あの頃よりも姫子は大人になっていた。神様も成長するのかもしれない。
姫子はかぶりを振って「姫ちゃんでいいですよ」と微笑み手を振りながらスッと消えてしまった。
あっ、行っちゃった。
気づくと木場駅にちょうど着くところだった。姫子は洲崎神社へ帰ったのだろう。
俺は心の中で『ありがとう』と呟いた。
******
*この物語には実在する『木場駅』『洲崎神社』が出てきますが、あくまでもこれはフィクションですのでその点はご考慮ください。
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