ちょっと奇妙な小部屋 ホラー短編集

景綱

文字の大きさ
上 下
30 / 50

17号室 ブックウィルス(4)

しおりを挟む

 次の日、明るいニュースが舞い込んできた。

「清水さん、聞いて、聞いて。あのブックウィルスは感染症じゃないみたいよ。脳の病気だとか。あれ、違ったかな。脳を騙して病気にさせるとか言っていたかな」
「遠藤さん、それって、洗脳みたいなこと?」

「うーん、どうだろう。よくわからないけど、病気だと脳を勘違いさせて最終的には死に至ってしまうみたいよ」
「怖いわね」

「あっ、そうそう。なんかね、あの本の著者が捕まったらしくてね。自白させたらしいの。けど変なこと話しているらしくてね」
「変なことって」

「なんか犯人は女性だって言い張っているらしくてね。印刷所を貸しただけで自分は無実だって。脳を騙して病気にさせるって女性が言っていたって話しているらしいわ」
「そう」

「頭がおかしいのかもね。けど、その言葉がヒントになって専門家たちが何か治療法を考えたとか」
「へぇ、じゃ治せるの」

「まだわからないけどね。患者に試してみるらしいわ」

 なんだかよくわからないが、少しだけ光が見えてきたのは間違いなさそうだ。なんでもいいから早くその治療をしてくれ。
 脳を騙すとか訳の分からないこと話していたが、事実なのだろうか。そんなこと可能なのだろうか。もしもそうだとするならば、あの本の中に脳を騙すような文章が書かれていたということか。恐ろしい本だ。
 ふと、本の帯の言葉が頭に浮かぶ。


『ラストの一文を読み終えたら、あなたはこの本の恐ろしさに気づくことだろう』


 あの言葉はまさにその通りだと言える。

「清水さん、私そろそろナースステーションに戻るわね」
「ええ、私はもうちょっと風見さんの様子見てから行くわ」

 遠藤という看護師が病室から出ていったようだ。足音が遠ざかっていく。
 そのとき「あなたの心臓はもう止まる」と耳元で囁かれた。誰だ。看護師の声なのか、今のは。
 うっ、胸が……。

「風見さん、風見さん」

 呼び掛けられたあとに病室の扉が開く音がして清水という看護師の叫び声が響く。

「遠藤さん、早く先生を呼んで来て。心停止よ」

 遠くから「はい」との声と駆けていく足音がした。

 嘘だろう。そんな、そんな、そんな。
 俺は死ぬのか。なんで突然心臓が止まってしまったのだ。さっきの声のせいか。けどさっきの声は誰の声だ。
 気づくと俺はベッドで横たわる自分の姿を上からみつめていた。俺は死んでしまったのか。
 治療法がみつかったかもしれないと言うのに。間に合わなかった。

 けど、清水という看護師の姿を見ることが出来た。やはり天使と勘違いした看護師だった。出来ることなら生きているうちに会いたかった。そう思ったのも束の間、清水はこっちを見て笑みを浮かべていた。血の気が引いていく。死んでいるのにそんな感覚は残っているようだ。
 声を出さずに口だけ動かしている。

 俺にはわかった。『あっちの世界はいいところよ』との言葉だった。
 あの看護師は狂っている。さっきの声はやっぱり看護師の声だったのか。天使じゃなく悪魔だ。

「ダメ、お姉ちゃん。私のために人の命を奪ってはダメ」

 突然、背後から声がしてビクッとして振り返る。
 えっ、嘘だろう。看護師と同じ顔がそこにもあった。ベッド脇にいる看護師姿の清水は涙目になっている。後ろにいる白いワンピース姿の女性も清水なのか。瓜二つだ。

 あれ、おかしい。
 蘇生をしようとしていた医師と看護師たちが固まっている。けど、ふたりの清水は動いている。時が止まっているのか。どうなっている。異世界にでも入り込んでしまったのか。看護師は人間なのか。白いワンピースの女性は何者だ。幽霊なのか。

「ごめんなさい。風見さんですよね。私のせいなの。私が寂しがるからってお姉ちゃんが変な本を書いてしまったの。私と同じ病気にさせる不思議な本を。お姉ちゃんにあんなことが出来るなんて。本当にごめんなさい」

 双子なのか。

「なんで紗千さちが謝るの。紗千は何も悪くないのに。なんで死ななきゃいけなかったの。おかしいわよ。私は、私は」
「運命だったのよ、美樹お姉ちゃん」
「それなら、本を読んで病気になった人たちも運命なのよ」
「違う。それはお姉ちゃんのエゴよ。皆を解放させてあげて」

 俺はもう死んじまっているけど、生き返れるのか。つい自分のことを考えてしまった。

「紗千はそれでいいの?」
「いいのよ、それで。出来るでしょお姉ちゃんなら」
「でも……。それじゃ紗千はひとりぼっちじゃない」
「ひとりぼっちじゃないよ。お姉ちゃんの想いがここに届いているから」

 紗千は胸に手を当てて微笑んでいた。

「そう、わかったわ」

 看護師の清水は涙目になって頷いた。
 なんだか姉妹を見ていると目頭が熱くなってくる。そう思っていたら、ふいに誰かに背中をドンと押されてベッドの上へと落下していった。
 うわわぁっ。

「先生、風見さんの心臓が動き出しました」


***


 俺は生き返ることが出来た。しかも、何もなかったかのように完治していた。なぜかはわからないが元通りだ。多少筋肉の衰えを感じるがそれは仕方がない。他の患者も元通りに元気になったらしい。
 死にかけていたことが嘘のようだ。三日後には退院という奇跡としかいいようのない現実がここにある。
 不思議なこともあるものだ。あれは一種の催眠術だったのだろうか。それとも清水という看護師の妹に対する想いが見えないウィルスと化して感染したとでも言うべきなのだろうか。悲しみ、寂しさ、憤り、いろんな想いがあの本に詰め込まれて不思議な現象を起こしたのかもしれない。想いがもたらした感染症ってところか。
 忌まわしき呪縛から解き放つことが出来るのはあの看護師が著者だったからだろうか。

『ブックウィルス』か。

 あの本はもう存在しない。すべて焼却処分されたらしい。
 風の噂で清水という看護師は病院をやめたと聞いた。今、どこで何をしているのかはわからない。逮捕された男も不起訴になったらしい。この事件はテロなのではないかとある番組のコメンテーターが話していたが、真実が明かされることはないだろう。たとえ、真実が明らかになったとしても誰も立証することは出来ないだろう。

 迷宮入り確定だ。

 ただひとつ疑問がある。あの看護師ひとりで今回のことを引き起こしたのだろうかと。俺はあの清水という看護師が悪魔ではなく天使であったと信じたい。
 またどこかで彼女と会うことがあるだろうか。
 朝の光を浴びながら空を見上げて俺は大きく息を吐き出す。生きているという実感があった。動けることに感謝しなきゃ。ポストに向かい朝刊をとると一通の封筒が地面に落ちた。

『風見省吾様』との綺麗な文字が書かれている。

 いったい誰からかだろうと裏返すとそこには『清水美樹』とあり身体が強張ってしまった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

意味がわかると怖い話

邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き 基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。 ※完結としますが、追加次第随時更新※ YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*) お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕 https://youtube.com/@yuachanRio

赤い部屋

山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。 真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。 東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。 そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。 が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。 だが、「呪い」は実在した。 「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。 凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。 そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。 「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか? 誰がこの「呪い」を生み出したのか? そして彼らはなぜ、呪われたのか? 徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。 その先にふたりが見たものは——。

アレンジ可シチュボ等のフリー台本集77選

上津英
大衆娯楽
シチュエーションボイス等のフリー台本集です。女性向けで書いていますが、男性向けでの使用も可です。 一人用の短い恋愛系中心。 【利用規約】 ・一人称・語尾・方言・男女逆転などのアレンジはご自由に。 ・シチュボ以外にもASMR・ボイスドラマ・朗読・配信・声劇にどうぞお使いください。 ・個人の使用報告は不要ですが、クレジットの表記はお願い致します。

処理中です...