涙が呼び込む神様の小径

景綱

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第一話「頭の中の不協和音」

香神こころのもとへ

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 こころのいる施設『みんなの家』に着いたのは空が茜色に染まりつつあるころだった。

「すみません」

 遼哉は玄関先で声をかける。そこに出て来たのは見覚えのある男性だった。

「君は、もしかして梅沢くん。けどどうしたんだい病気かい」

 そう思われてもしかたがない。自分でも幽霊みたいだって思ってしまう姿だから。その前に覚えていてくれたとは驚きだ。小さい頃から会っていないのに。いや、来たことあっただろうか。

「いや、あの、病気ってわけじゃ。それにしても覚えていてくれたんですね」

 苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
 男性は「智也が良く話していたからね」と笑みを浮かべた。
 そういうことか。

「それにしても本当に大丈夫なのかい。もしかして智也くんのことが」

 男性は途中で言葉を呑み込み溜め息も漏らす。

「まあ、そうですね。それはそうと、あの、香神こころさんはいますか」

 男性は伏し目がちになり一瞬暗い表情になった。

「こころちゃん、ちょっと具合が悪くてね。まあ、君も同じなのだろうけど」

 やっぱり、そうか。具合が悪くなって当然だ。自分だって……。今は、お不動さんに行ったおかげなのか少しは調子がいい感じがするけど。

「そうですか。けど、ちょっとだけでも話をさせてください。梅沢康成が来たと伝えてください。それで会いたくないのならしかたがないです」
「わかった。訊いてみるよ」

 男性は奥へと歩いていった。
 やっぱり会いたくないだろうか。こころは自分の身代わりに智也が亡くなったって知っている。憎まれてもおかしくない。

『あんたが殺したのよ』

 こころのその言葉はまだ耳の奥にこびりついている。その通りだ。そのあと謝ってくれたけど、あの言葉は真実だ。あのとき、智也の言葉を素直に聞いていれば、あんな大参事は起きなかったはずだ。
 ああ、ダメだ。また暗闇に心が落ちていってしまう。また負の念に霊たちが集まってきてしまう。きっと、こころも同じじゃないだろうか。そう思っていたが少し状況は違っていた。

 奥からバタンとの音が鳴り響いたかと思うと、走ってくる足音が近づいて来た。
 こころだ。こころがこっちに向かってくる。だいぶ痩せてしまっている。それなのに、近づくこころはどこか圧を感じた。殴られるのではないだろうかと後退りしかけたところにこころが抱きついてきた。その勢いに身体が後ろへ倒れかかったが、どうにか堪えた。気のせいかもしれないが背中を誰かの手に支えられたように感じられた。智也かもしれない。
 それにしても、こころが抱きついてくるなんて。

 どういうことだ。何が起きた。
 一瞬、自分はこころと恋人同士だったろうかと勘違いしてしまう。そんな関係ではない。智也の妹としての付き合いはあったが、決して好きだったわけではない。妹のように接してきたつもりだ。いや、その前に憎まれていたのではないのか。

 こころをこんなにも近くに感じたことはない。こころのぬくもりが直に伝わってくる。こころの匂いも香った。ただ細くなった肢体に胸が痛む。

「ごめんなさい」

 こころも抱きついてしまったことが急に恥かしくなったのか背中に回していた腕を解き俯いた。チラッと目元にキラリと光るものが映った。泣いているのか。康成はなんて声をかけていいのかわからなかった。ここへ自分は何しに来たのかさえわからなくなった。
 こころに謝りに来たのか。慰めに来たのか。それとも罵倒されに来たのか。

「康成、私、私、私……。寂しくて」

 何か言葉をかけてあげなくては。そう思うのにやっぱり言葉が出てこない。

「あのとき、変なこと言っちゃってごめんね」
「え、あ、その」

 くそっ、何か言ってやれ。ああ、頭が真っ白だ。

「ずいぶん痩せちゃったね。そうよね、康成だって辛いもんね。私ね、夢で言われちゃった。康成はなにも悪くないぞって。俺は康成を助けられて本望だって。けど、寂しくさせてごめんなって。おまえのことは康成に頼んであるからなって。おまえはひとりじゃないって」

 こころの潤んだ瞳と目が合った瞬間、康成の視界もまた滲んでぼやけていった。

「そうか」

 それしか言葉が出てこなかった。

「そんな夢を見た日に、康成が来てくれたの。だから、抱きついちゃったの。ごめん」

 康成は思わず、こころの頭をポンポンと軽く叩いた。

「馬鹿だな。けど、僕も嬉しいよ。智也のぶんまで頑張らなきゃな。僕がこころを守ってやらなきゃな」

 こころが涙目のまま少しだけ微笑んだ。康成は思わずこころを抱きした。

「私、ひとりじゃないんだよね」
「当たり前じゃないか。こころには僕がいるさ」

 康成はこころを抱きしめてしまっていたことに気づき、すぐに回していた腕を解く。なんだか身体が熱い。心臓がドキドキする。

「どうかしたの」
「んっ、いや。なんでもないよ」

 そうこころに告げたが心臓が張り裂けそうなくらいドキドキしていて苦しいくらいだった。今までにない感情が湧きおこっている気がした。少し心を落ち着けなきゃ。

 そうだ、ここへは来た目的を忘れてはいけない。こころと今後のこと話さなくては。智也の代わりに守らってやらなきゃ。

 あっ、けどどうしよう。祖母の家に行くことになっている。行ってしまったら、ここへはなかなか来られなくなってしまう。祖母の田舎町までは三時間、いや四時間はかかるだろうか。どうすることが一番いいのだろうか。

 一緒にこころも連れて行く。なんてことをふと思ってしまいすぐにその考えを振り払う。そんなことは出来ないだろう。なら、どうする。

「こころ、ちょっと待っていてくれ」

 康成は車で待っている祖母のもとへ駆けていき、事情を話した。どうしてだかこころを施設に残して行くことが気に病んだ。智也に頼まれたからなのか、こころの涙のせいなのか。
 祖母の返答は「それなら、一緒に行けるように話してみましょうかねぇ」だった。無理だと言われるかと思ったのに。

「大丈夫なの」
「こころは中学二年だったね。いろいろと手続きしなきゃいけないことがあるだろうけど、なんとかなるだろうさ」

 祖母とともにこころのもとへ戻り康成の考えを伝えた。
 急なことにこころも驚きを隠せないようだったが、祖母の家に行くことを喜んでいるようだった。施設の責任者にも話をした。即断できる事案でもないので後日改めて面談をすることになった。

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