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第一話「頭の中の不協和音」
子供の頃の記憶(2)
しおりを挟むなんだか変な歌声がする。嫌な歌だ。
河原のほうだけど、ちょっと行ってみよう。
「捨てられた、捨てられた。ママとパパに捨てられた」
そんな歌を歌って馬鹿騒ぎをしている奴らがいた。指を差して笑いながら歌っている。泥団子を投げつけている奴もいる。指差す先には泣いている女の子と男の子がいた。洋服は泥で汚れている。
酷い。なんであんなことするのだろう。だけど、もっと気になることがあった。康成は寒気がして身体を震わせる。
嫌な歌を歌っている子たちの背後に幽霊がいる。どう見ても悪い霊だ。康成にははっきりと見える。悪い霊と目が合いそうになってすぐ逸らした。なんとなく息苦しさを感じた。ここにいたら自分に取り憑いてきそうな気がした。逃げちゃおうか。あの二人のことは知らないし、自分には関係ない。けど、けど、それでいいのか。
泣いている女の子と男の子のほうに目を向けると、大人の女の人と男の人が寄り添っている。二人のママとパパだ。そう感じた。幽霊みたいだけど。同じ幽霊でもあっちの悪い幽霊とは大違いだ。あったかい気がここまで届いてくる。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
なんだか嫌な匂いがしてきた。気持ちが悪い。変な歌はやめて。けど、足が出ない。一歩踏み出せばいいだけなのに。心臓がバクバクして胸がムカムカしてくる。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。ここに居たくない。でも、でも、でも。あの二人が可哀想だ。
「康成、助けてあげなさい」
えっ、誰?
声がしたほうに振り返ると、優し気に笑いかける女の人がいた。守護霊様だ。その笑顔を見ると不思議と力が湧いてくる。そうか、助けてあげなきゃ。けど、足が震えちゃう。
どうしよう。
「ほら、私がついているから大丈夫よ。康成なら出来るから」
康成は軽く背中を押された気がした。気が付くと悪い霊に取り憑かれた子たちの前に飛び出して「そんなこと言うな」と叫んでいた。
「なんだよ、おまえも捨てられたのか」
「違う」
「ふん、ならあっち行け」
「行かない。おまえらこそあっちへ行け」
「生意気な奴。僕のパパは偉い人なんだぞ。言いつけてやるからな」との言葉と同時に後ろに控えていた二人から泥団子が飛んできて服が汚れてしまった。
「あはは、汚ねぇ」
「そんなことしたら、いけないんだぞ」
康成の言葉は無視されて泥団子が顔にも投げつけられる。
「わーい、わーい。当たった、当たった」
泥に汚れた頬を拭い、汚れた手をみつめた。なんでこんなことする。あの悪い霊のせいだ。わかっている。けど鋭い視線を送ってくる悪い霊が目に入り、声が震えてもう何も言えなくなった。なんだか景色がぼやけてしまう。肩も震え出す。
そのとき、「こら」との怒鳴り声とともに男の人がやってきた。すると、悪さをする子たちはビクッとして走り出そうとしたが足を滑らせて傍の水溜りに尻餅をついてしまった。半ズボンのお尻の部分がびしょびしょで泥だらけになっていた。気持ち悪いのか変な感じの歩き方をしている。
「くそったれ、おぼえていろ」と叫びながら走っていく。やっぱり変な走り方だ。がに股で見ていると笑えてくる。
「大丈夫かい」
声をかけてきた男の人に康成は頷くと、泣いていた女の子と男の子のところに近づき「泥だらけになっちゃったね。僕もだけど」と笑いかけた。
「智也、こころ、大丈夫か。まったくしかたがない子たちだ」
康成は男の人を見遣りすぐに智也とこころと呼ばれた二人に目を向けて「パパなの」と訊ねた。
「あはは、違うよ。すぐそこの『みんなの家』という施設の者なんだ」
パパのはずがないか。すぐ傍に幽霊のパパがいるのだから。それはそうと、シセツってなんだろう。
「あの、シセツって?」と康成が男の人に問うと「わからないか。うーん、簡単に言うとママとパパがいない子供たちの暮らせる場所ってところかな」と答えてくれた。
康成は智也とこころに目を向けた。やっぱりあの幽霊がママとパパだ。
「ふたりのママとパパはそこにいるよ。ほら、笑っているよ」
「えっ⁉」
智也とこころは「いるの? 本当に」と同時に口にした。
「うん、いるよ」と指を差す。
男の人は不思議そうな顔をしていたが「君には見えるんだね」と笑みを浮かべた。
「おじちゃんには見えないの」
「見えないな。残念だけど」
「僕も見えない」
「私も」
智也とこころが同時に答えた。
そうなのか。みんな見えるわけじゃないのか。もしかして、見えるのって自分だけ。いや違うか。祖母ちゃんは見えるし。そうだ、祖母ちゃんのところに行かなきゃいけなかった。
「あっ、僕、急ぐから行くね」
康成は慌てて走り出す。
「ねえ、待って。名前教えて」と声が飛んできた。
康成は足を止めて振り返り「僕は、ウメザワヤスナリだよ。じゃあね」と手を振って再び駆け出した。
*
忘れていた。
智也とこころを助けていたことを。けど、智也と友達になったのは小学四年生のときだった。転校してきて友達になったはずだ。違っただろうか。今の記憶ってもっと小さい時のものだ。なんで思い出したのだろう。まあ人の記憶は曖昧なものだ。智也とこころの両親はいない。早くに亡くなっている。事故だって聞いているけど。智也がいなくなった今、こころは……。
周りのことが見えていなかった。自分のことばかり考えていた。「妹を頼む」との智也の声を思い出す。智也は妹のことが気がかりで成仏できないでいるのかもしれない。唯一の家族だ。当たり前だ。自分には両親も祖母もいる。やっぱり智也ではなく自分が死ぬべきだった。智也が身代わりになって逝ってしまうことなんてなかったのに。ひとりぼっちのこころのことを気遣ってやらなきゃいけなかった。馬鹿だ、自分は。何をやっていた。智也のところに行きたいだなんて。怒ったことのない智也でもきっと叱りつけてきたかもしれない。
本当にそうだろうか。智也は叱ってくるだろうか。
ふと脳裏に智也の笑顔が浮かんで消えた。
「そんなことしないさ」とでも言っていそうだ。
そんなことを考えていたとき、肩にそっと触れる手のぬくもりを感じた。智也かと振り返ると、父が優しく微笑んでいた。智也のはずがないか。
あれ、そういえばここはどこだっけ。
我に返り康成はあたりに目を向けた。
ああ、そうだったお不動さんのところだ。もう護摩祈祷は終わったらしい。
「お手綱を触りに行こうかねぇ」との祖母の言葉に首を傾げてついていく。不動明王像の前に五色の綱がありご縁を結べるとか。すでに列が出来ており最後尾に並ぶ。
何もかも初めてのことで驚きの連続だった。けど、来てよかったと思えた。
お手綱に触れて列の流れのままに歩いて行く。これでお不動さんとの縁が本当に結ばれたのだろうかと半信半疑ではあったが目の前にあの強面の顔が近づいてきたことを思うと縁を結べたと考えるべきだろう。もしかしたら、忘れていた智也との記憶もお不動さんが蘇らせてくれたのかもしれない。
「康成、行こうか」
父の言葉に康成は頷き、駐車場へと向かった。
スッキリした気分だ。けど、智也が亡くなったという現実が変わることはないし、こころのことも気がかりだった。
「孝雄さん、康成はうちへ連れて行くよ。そのほうがいい」
祖母は真剣な面持ちで話し出す。
父と母はなにやら話し合っていたが「よろしくお願いします」とお辞儀をした。
勝手に決めるなんて。そう思ったが、自宅に戻ったらまた悪霊に取り憑かれそうな気がして祖母の提案を受け入れることにした。けど、その前にこころに会っておきたい。絶対に寂しい思いをしているはずだ。自分がこころを守ってやらなきゃいけなかったのに。
「祖母ちゃん、あのさ」
「祖母ちゃんじゃないだろう。路子と呼ぶ約束だろう」
苦笑いを浮かべて「路子さん、智也の妹のいる施設『みんなの家』に寄りたいんだ。会ってから路子さんのところに行ったらダメかな」とお願いした。
祖母は「そうかい。そうするといいよ」と微笑み頭を軽く撫でてきた。
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