24 / 65
Find a Way
23・殺るか、殺られるか
しおりを挟む四地区の寄合が終わった後、良太は榊にこっそりと、
「これからうちに来れるか?ちょっと話したいことがある」
と耳打ちされ思わず顔を綻ばせた。
今日は水曜、何事もなければ榊と夜のデートをする日。だが昨日から立て続けに発情Ω投下事件が起きた。こんな大変なときに「二人きりになりたい」なんて、不謹慎な気がして自分からは言い出せずにいたのだ。
榊もまた、良太とはこの件がもう少し落ち着いてから、と自粛するつもりでいた。しかしここにきて〔伽〕が、水底から突如湧き出た墨のように広がり、不気味な存在を主張してきた。
そこには「奴」が居たことを榊は知っている。
花園高校の定時制に入学する前の過去なら、すでに良太に打ち明けた。だが四年前、鈴鬼に連れられてその酒場へ行き、左凪閨介と再び遭遇したことはまだ語っていない。
今もあのαがまだそこに居るとは限らないし、鈴鬼や竹之内の言う店主というのも別人かもしれないのだが──
怪しい黒い車や奇妙な宗教団体の影は〔伽〕と混ざり、あの狂人の像に重なってより一層その輪郭を際立たせる。
会合の中盤あたりから、榊は得体の知れない何かを危惧し、焦っているようだった。一見ごく普通なのだが、良太は微かな異変に気付いている。執着対象への観察の賜物だろう。
なんとなく榊を一人にしておけなくて、良太はダメ元で今夜はそっちに泊まりたいとお願いした。
「泊まりの準備は?」
「してきました」
というより、最近はいつ榊のアパートに泊まってもいいように、必要な物は常にバイクバッグに詰め込んである。
「泊まっていってもいいけど、今夜は何もしないぞ」
明日も仕事だからな、と榊は念を押した。
花園地区、賀萼町にある〔コーポ館花〕の一室に帰宅した榊と良太。
軽く夕食を取り、手早くシャワーを済ませた二人は、ようやく語らいの時間まで漕ぎ着けた。
「ああーなんか昨日と今日、色々ありすぎて」
疲れるな、と榊はソファの背もたれにどっと背中を預け、脱力してのけ反った。目を閉じて、背もたれの縁に後頭部を乗せる。
良太は無防備に晒された白い喉元に釘付けになる。抱きしめながら瑞々しい肌に唇を這わせ、甘噛みしたい欲求が膨らむ。今夜は何もしない約束だろ!と自分に言い聞かせて視線を逸らすが、湯上がりの清潔な香りは奔放に漂って良太の欲望をくすぐる。榊から香る石鹸の匂いは少し水っぽさを含んでいた。見れば髪の毛の先がまだ濡れていている。
「か、髪、まだ濡れてますよ」
「そのうち乾くだろ、それより……」
あの店のことだ、と榊は座り直す。
「これから話すことは、今回の件とは関係がないという前提で聞いてもらいたい」
「はい」
「例の、伽って店についてだ」
いつになく真剣な、というより苦しさに耐えかねたように吐き出された声色に、良太の緊張感が高まる。
「花園を離れて大学に行く前に一回だけ、京一さんとその店に行ったことがある」
「えっ、そうなんですか、じゃあ鈴鬼さんがαだって……」
「いや知らなかったんだ。ただ行きつけの会員制のバーだと言っていた。私たち以外にも客は居たが、性別はわからなかった」
ここで榊が言う性別とは、α、Ω、βといった第二性のことだ。αやΩであればフェロモンで互いの性別を察知することができるが、榊はβのためその能力が無い。
「当時はまだ、月輪で仙銅が幅を利かせていたからな。だから隠していたんだろう」
鈴鬼京一は表面上、仙銅一派と関わりたくない、という理由で同じαたちに第二性の口外を禁じていた。並のαではない上位種の鈴鬼だからこそ、彼以下のαは皆その申し付けを守っていたのだ。良太や桜庭も例外ではない。ゆえに今回の事件が起きるまで、βたちは鈴鬼の性別を知ることができなかった。
「そこで偶然……偶然なんだろう、たぶん……」
榊は珍しく言い淀む。その淀みの先に彼の焦燥の元凶がある、と良太は確信した。
「良太、これから何を聞いても早まるなよ」
「わかりました」
「そこに、あいつがいた」
「あいつ?」
「花高に入る前、私をΩと間違えて氷川のビルに連れて行った奴のことだよ。その店で、働いてた」
この時、良太の瞳孔が急激に開き筋肉は緊張し、みごとに交感神経が活発化した様子を榊は見た。野生の猛獣が縄張りに踏み入った外敵に対して牙を剥き、毛を逆立て、攻撃体制に入ったような反応だった。
「そいつ、俺がやりますから」
やるというのは俗に言うヤキを入れるとか、シメるということだ。それで済めばまだ軽い方で、場合によっては最悪、殺すだろう。
「今もまだそこで働いているとは限らない。店員ならもう一人、年配の人もいたしな」
「そいつ、白幻に収容されたんじゃないですか。また脱走したってこと?」
「白幻ってのはαとΩの仲立ちをする場所だ。刑務所じゃない。奴はそこで本物のΩと番になって、更生して出てきたってことだろう」
「更生ってそんなすぐに……」
「何年前の話だと思ってる。不同意性交罪だって一生服役するわけじゃないし、ましてやこっちは訴訟を起こしてもいない。それに、身体売って金稼ごうとしたのはこっちなんだからな。買う方も買う方だが」
「でも危険な奴なんでしょ、だったらなんとかしないと!絶対に赦さねえ」
「落ち着けって」
「変な宗教にもハマってるんなら、余計危ないじゃないですか!」
「まだ決まったわけじゃない。奴と犯人は別人かもしれないだろ」
敵の存在に激昂する良太を榊は窘める。
「そいつ、名前なんていうんですか」
良太は地を揺らすような怒りを込めて、憎き男の名を問う。
榊は過去を語った際にそのαの名を伏せた。「あいつ」とか「奴」とか、固有名詞を使わずに話した。良太がその男の名を知ったならば、探し当てて私刑を行うのではないか、と危惧したためである。左凪閨介の身を案じたからではない。もしも同姓同名、あるいは同音異字の「さなぎけいすけ」なる人物がいた場合、良太に襲撃される恐れがある。恋人の復讐をしたつもりが人違いでした、なんて洒落にもならない。
「榊さん、そいつ、名前は?」
凄まじい威圧感を放つ良太に屈しそうになるが、榊とてそう軟弱な男ではない。
「教えない。同姓同名の人がいるかもしれないからな」
「よくある名前なんすか」
「教えない」
「ふぅん、じゃあいいです」
これは鈴鬼か竹之内から聞き出すつもりだ。勘付いた榊は、明日彼らに根回ししておかなきゃな、と溜息をついた。もっとも彼らが店主の名を知っているかどうかは、不明だが。
「同伴は違う人に頼みます。そんな奴の所に榊さんを連れていけない」
「いや行くよ。一度そこへ行ってるんだ。もしかすると来客データに、まだ私の履歴が残っているかもしれない。常連の京一さんと同伴経験のある人間が居た方が、店側から信用されやすいだろうしな。それに……」
榊は良太に話したことによって、あの店と左凪に対する怯えや焦りが軽減していると実感していた。
「あいつが伽に居たなら今後は近付かないようにするだけだし、居なければそれに越したことはない」
「もし居たら教えて下さい。害虫駆除は俺がやりますんで」
「早まるなと言ったろ。人の言うこと聞け」
榊は語気を強めにして良太を戒める。それでも良太は納得がいかない、という態度で口元を歪めた。
すでに花園、月輪、鳥居、地蔵の四地区で動くことが決定している。この件に私情を持ち込んで混乱した挙句、犯人を逃したなんてことがあってはならない。
「向こうから私に何か、過去のことで接触してきたとしても聞き流せ。構えて動揺するな。それを言いたかったんだ」
「あんま自信ないっす」
「なら偵察は京一さんとジンさんに任せよう。むしろその方がいいな、車の所有者と教会のマークの確認だけなら事足りる」
「でも……」
「だいたい自分を囮にしようなんて、危険すぎるだろ。なんでわざわざそんなことをしたがる」
「……今日、病院で……」
良太は桜庭の見舞いに行った時に感じた怒りや悲しみを吐露した。自らを餌にしてでも犯人を探し出し、敵を討たなければならないと決心したという。アダム候補にされるリスクは承知の上だ、とも。
「自分だけβに守られてのうのうと生活してるなんて、譲に顔向けできません。せめて何か、手掛かりを掴まないと」
「βに周りを守ってもらうことは恥じゃない。Ωの性フェロモンは腕力で防げるものではないんだからな」
「そうですね、いくら力が強くてもフェロモンには太刀打ちできない。なのでもし発情したΩに襲われて番になったら、まずはそいつの素性と黒い車のことを聞き出してから、Ωを殺そうと思ってます」
「なに言ってんだお前」
「ダメ?」
「当たり前だろ。αとΩは番になったら生涯……」
「だからそれを殺ろうかなって」
水気を含んだ榊の前髪から、一粒、雫が落ちて頬を濡らした。
ちゃんと乾かさないと、と言って良太は雫を拭い、榊の頬を大きな手で優しく包む。番を亡き者にすると冷たく宣言する人間の手に似つかわしくない、柔らかな慈しみが榊の頬を温める。
「ああ、本当にちゃんとドライヤーかけた方がいいです。肩も濡れてる。あとで乾かしてあげますね」
「なんのために殺すんだ」
「分からないんですか?そりゃちょっと、ひどいなあ榊さん」
「番になったら別れるって約束だろ。そしたらもう私に気兼ねしなくていい」
「気兼ねとかじゃないんですよね、要らないから処分するだけ。そしたらまた次の番ができるまで、恋人でいてくれる?」
と良太は柔和な表情を崩さず微笑む。
人ひとり殺すと物騒なことを言う割に、良太の纏う雰囲気は実に穏やかだ。その不調和な有様が不安を掻き立てる。
榊はかろうじて、馬鹿を言うな、と苦々しげに返すのみだった。
「あのね、伽に行く時の同伴に榊さんを選んだ理由なんですけど」
これからどこかへ遊びに行きましょうか、とでもいうように楽しげな様子で良太は榊に身を寄せた。
「もしそこに発情したΩがいて襲われたりしたら、ってやっぱ考えました」
「なら止めたらいい」
「そしたら俺は理性が飛んじまって、人間じゃなくなるんだろうなって」
少しばかり寂しげに俯いた良太は続けて言う。
「性欲に取り憑かれたバケモノになったところを榊さんが見たら、人間に戻すためにΩから奪い返してくれるんじゃないかって、ちょっと期待しちゃって」
自惚れてますかね、と良太は照れたようにはにかんだ。
付き合い始めた当初は、榊がしつこい自分に辟易して仕方なく、お情けで恋人にしてくれたのだと思っていた。
恋愛関係といっても、年下の同性なんて彼にとっては遊びの延長程度かもしれない。Ωに間違えられてαの男に酷く傷つけられたために、男性型αを警戒していることも察しがつく。αはΩと番になることが最良だと信じて、こちらの気持ちに構わず「Ω推し」をしてくる。
お情けでも嫌われても、期待されなくても、一緒にいてくれるならそれで構わなかった。
ところが付き合い始めてからの彼の言動から導き出すに、「榊さんは俺のことが好きなのかも」という気がしていた。口づけを交わし、肌を重ねてからは特に。
Ωと番ったら嫉妬してくれるんじゃないか。フェロモンに狂った醜い姿を晒したら、しっかりしろと叱咤して、元に戻してくれるんじゃないか──この期待は果たして都合のいい自惚れなのだろうか。良太はそれが知りたい。
だが榊からの返答はいつも通りだ。
「βがΩから、αを奪えるわけないだろ」
性フェロモンの無いβはΩに敵わない、αはβを捨ててΩを選ぶ。常識だ。
「じゃあ番になっても別れないでください。そしたらΩを殺すのは無しにします」
「番になったらβなんて邪魔になるんだぞ」
「俺たちの仲に割り込んでくるΩの方が邪魔、迷惑、障害物」
「番って執着対象になったΩを、αが殺せるわけないだろう」
αは番を独占し束縛したがり、どれほど深い怨恨があっても排除や殺害をすることはないという。Ωへの愛情が、憎しみや恨みを凌駕するのだと。これが世間一般のαに対する理解だし、榊も同感だ。
良太は首をひねって唸り、
「うーん、Ωのフェロモンってそこまでαを洗脳できるのかなあ……そうだ、なら俺を殺してよ。榊さんになら殺されてもいいっすよ」
と明るく言い放った。
「さっきから巫山戯たことばっか吐かすな。そのままΩと幸せになればいいだけの話だろ。相手から何か情報を聞き出せたら連合の役にも立つんだから」
「あ、ひょっとして死体の処理方法とか気にしてます?それなら地蔵地区の男ケ田さんが、三百万もあれば死体の運搬から隠蔽まで請け負ってくれるって」
どうにも噛み合わない良太とのやり取りが榊を焦れさせる。
なんとしてでもΩとは一緒になりたくないという良太の強固な意志が、Ωを殺す、あるいは自分が殺される、という極端な方向に走らせているのだ。勿論、榊はそんなことを認めるわけにはいかない。
「私は良太を殺さないし、良太もΩを殺す必要はない」
「あとで現金、預けておきますので。それでやってもらってください。実はけっこう貯金してたんですよ、探偵に榊さんの捜索をお願いするつもりだったので」
「はあ?」
四年前、地元から想い人が消えた良太は途方に暮れた。榊の居場所について先輩の麗子や柳澤、月輪高校の鈴鬼に訊ねても、口を揃えて「大学へ行った」としか教えてくれない。近場の大学であれば雪城地区に数カ所ある。良太は大学の付近で聞き込みや張り込みをして榊龍時を探し始めた。県を跨いであちこちの大学の周囲を彷徨いたりもした。
だがそこはやはり素人。当然ながら怪しい人物として大学の警備員に注意されるわ、警察に通報されるわで上手くいかない。似た人がいると騙して良太を誘き寄せ、カモにしようとする輩もいたりで散々だった。
流石の良太もひとまず捜索を中止したが、断念したわけではない。プロの探偵を雇うことにしたのだ。そのために花園高校卒業後も実家に留まり、生活費は毎月親に渡してあるものの、残りはなるべく貯金している。二代目のバイクも知り合いから格安で譲ってもらった中古車だ。
ところが今は榊が花園に戻って来たし、その上恋人同士にもなれたため探偵に依頼をする必要がなくなった。貯金はまるまる残り、お釣りがくるくらいだ。
「……ってことなんで、お金なら大丈夫です。俺がΩと番ったらいつでも始末してください」
「しない」
「男ケ田さんなら料金プラスで殺しもやってくれるみたいです」
そう言って良太はライフルを構えて獲物を撃つような格好をした。見たこともないくせに、男ケ田の真似をしたのだろう。
「知ってるよ。ていうか、殺らないし殺らせない」
榊は良太が銃に見立てて伸ばした人差し指を掴み、引き寄せて軽く叩いた。
「とにかく今は番になった後のことより、発情したΩをどう防ぐかだろ」
「Ωの殺害を依頼するって方法もありますね、それ良いかも」
「はいその話は終わり」
「えー」
良太は駄々っ子みたいに身体を揺する。
大きな図体でなんとまあ似合わぬことをする男だ、と榊は呆れる。こんな不穏な話題でなければ、良太に抱きついたりキスしたりして戯れ合いたいのに、とそこは少し残念な榊だ。
「伽に行く前に、貞操帯をどうするつもりだ」
それなんすよね、と良太はスマホを手に取り、困ったように頭を掻いた。
「ざっとネットで調べてみたんすけど、種類がありすぎてどれがいいか全然……あんま上級者向けのは無理、っていうかこういうのってマゾの人用なんでしょ」
「だろうな」
「俺そっちの趣味ないっすもん。サイズとかも分かんねえし」
「その辺は後で翔子さんに相談だな。SMバーでS嬢やってるから詳しいんじゃないか」
「えすじょう?」
「女王様」
「だから貞操帯って発想が出てきたってこと⁉︎サドだから⁉︎」
それなら、男性器を切除する、とか言ってしまった自分の発想は少しサディスティックだったかな、と榊はやや反省した。自称ノーマルなのだ。
「鈴鬼さんの紹介で行くんだから、鈴鬼さんにも要りますよね」
「あー……そうなるな」
ふと貞操具を装着する人物を鈴鬼で想像してみた榊は、ものすごく居た堪れない気持ちになった。鈴鬼と良太とを対比して、良太ならまあいいや、という投げやりさはないのだが。真面目キャラの鈴鬼ゆえか。
「俺の貞操帯、鍵付きのやつだったら、鍵は榊さんが持っててくださいね」
「自分で管理しろそんなもん」
ついさっき、そっちの趣味はない、などと言ったくせに他人に鍵を握らせたがるのはマゾじゃないか?と首を傾げる榊だった。
そろそろ寝ようということで寝室に移動したのだが、そこで良太は、
「髪の毛、乾かしましょう」
とドライヤーと櫛を携え、準備万端といった様子で待ち構える。
普段であれば自分でやると断る榊であったが、今夜はもう眠いし面倒なのでやってもらうことにした。ベッドサイドに腰掛け、良太の好意を受け入れる。
良太は銀髪にドライヤーを当てていく。以前よりこの髪をグルーミングしてみたいと思っていたのだ。できれば毎日こうしたい程だ。
榊は良太からこうしたケアを提供されることが当然のように、大人しくしている。その従順な姿もまた、良太に備わったαとしての欲求を満足させた。
「あっそうだ、ねえ榊さん」
「んー、なに?」
「あのジンって奴と、急に仲良くなってませんでしたか」
宗教やら貞操帯やら、殺るか殺られるかで危うく忘れるところだったが、良太は是非ともこれを聞いておきたかったのだ。まさか榊があの神鏡とかいう奴に「乗り換え」るとも思えないが、非常に気になるところではある。
「紅蘭で飯食ったら、機嫌よくなったみたいだぞ」
昨晩、花園と月輪で集会をした後のこと。良太と榊と神鏡は、ラーメン屋〔紅蘭〕で遅めの夕餉を取ったのだ。
「あいつ、榊さんの奢りでバクバク食いやがって」
普通もっと遠慮しますよ、と良太は文句を垂れる。神鏡はよほど空腹だったらしく、それはもう夢中で黙々と食べた。軽く二人前は平らげただろう。
「ジンさん、私を疑って花園に乗り込んできたけど当てが外れたし、会合では麗子さんに圧倒された感じだったろ。バス停でしょんぼりして、一人で居てさあ。なんか可哀想になっちゃって」
「かわいそ……ってもしかして捨て猫を餌付けする感覚?」
榊は、そうかもな、と軽く笑った。確かに神鏡の目はよく光って猫みたいだ、と妙に納得したのだった。
髪の毛もすっかり乾き、ドライヤーの熱で温まった榊は一つ小さな欠伸をした。
「寝よう、眠い」
「肩のところまだ濡れてますから、違うやつ着てください」
「ああ」
迷いなく目の前で着替え始める榊をなるべく見ないようにして、良太は平常心の保持に努める。今夜は何もしない!エロいことはしない!と自らにきつく言い聞かせる。榊にとって有用、安全、誠実な男でありたいのだ。
寝支度が整ったら二人でベッドに潜り込む。程なくして、榊は安らかな寝息をたてはじめた。
真っ暗で静かな寝室。
良太は布団の中で恐る恐る右手を伸ばすと、榊の温もりに触れることができた。薄い布越しに左腕の弾力を確かめながら下っていき、そのまま手に手を重ねて緩く指を握る。
幸せだな、と喜びを噛み締めたその直後、Ωと番になったからってそう簡単にこの人から離れられるものなのか?と疑念が生じる。それは自分と「あいつ」に対してだ。
少年だった榊の手を引いて〔氷川グランネスト〕に招き、Ωと間違えて番契約の真似事をして犯したα。〔白幻〕に収容されながらも榊への執念で脱走し、二度も襲ったαについて。良太は我が身に置き換えて思念を巡らす。榊に異様に固執したまま隔離され、Ωをあてがわれて番になったとして、だ。
性処理だけならフェロモンの出るΩで事足りるかもしれないけれど、それで更生したってことになるのかな。
Ωを番にして、榊さんがβだと納得したからもう大丈夫ってこと?
俺たちαの執着心って、Ωのフェロモンで毟り取られるような、そんな安い代物なのか。
フェロモンに毒されたからといって、身を焦がすほどの情念と執着の対象が、榊からΩに移行するなどとは到底思えなかった。さらに犯人の車に乗っている共犯の少年のこと。白っぽい髪色、閣兎ノ学院の白蘭服を着ている、それはもしかして──
榊さんの真似なんじゃないか?
「奴」が榊さんを見付けたとき、着ていた制服だったりしないか。
銀髪の再現をしたくて、Ωの髪を脱色してるんじゃないか。
作り上げた偽物で我慢しているところに、鈴鬼さんが〔伽〕に本物を連れてきたら?
欲しくなるはずだ、榊さんの性別が何であろうと。
俺だったら決して、諦めない。
良太は左凪の心胸に肉薄しつつある。しかしそれでも「奴」が犯人だとした場合、なぜαの前に発情したΩを投下していくのか?という謎を解こうとすると、そこに榊の存在は介入しなくなってしまう。榊への渇望を軸にすると、桜庭や鈴鬼、竹之内の前に発情期のΩを差し出す理由に到達できない。
なぜなら仮に良太が左凪の立場であれば、正面切って堂々と愛を告げ、貴方が欲しいと伝えるだけなのだから。他に榊を狙う者がいたとしても、直接対決して甲乙をつけるのみ。番がいようがいまいが関係なくそうするだろう。
榊龍時の過去。
〔伽〕と「あいつ」。
黒い車と白ランのΩ。
三人の被害者、桜庭と鈴鬼と竹之内。
宗教団体、アダムとイヴと蛇。
全部を結びつけようとすると却って纏まらない。やはり今回の件は〔楽園のきずな教会〕の過激な信者によるもの、としなければ収まらない気がする。俺には宗教や信仰なんて分からない、とそこで行き止まりだ。
握った手の中で、安息の最中にある榊の指が微かに動く。はっとして咄嗟に手を離すが、目覚めた気配はない。
もう一度、今度は指を絡めるようにして握り直す。
身体の端と端で体温が溶け合う。
心が満たされれば睡夢の湖水にだんだん沈む。
遠浅の淵を揺蕩って、甘眠の湖底へ落ち込んでゆくのはあっという間だった。
2
あなたにおすすめの小説
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻本作品(オリジナル)の結末をif(運命の番)ルートに入れ替えて、他サイトでの投稿を始めました。タイトルは「一度目の結婚で愛も希望も失くした僕が、移住先で運命と出逢い、二度目の結婚で愛されるまで」に変えてます。
オリジナルの本編結末は完全なハッピーエンドとはいえないかもしれませんが、「一度目の〜…」は琳が幸せな結婚をするハッピーエンド一択です。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
六年目の恋、もう一度手をつなぐ
高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。
順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。
「もう、おればっかりが好きなんやろか?」
馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。
そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。
嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き……
「そっちがその気なら、もういい!」
堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……?
倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる