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Find a Way
21・ミスリード1
しおりを挟む月輪高校のジンが花園に乗り込んだ、その翌日のことだった。
またもや一人のαが「発情Ω投下」の標的にされた。場所は花園地区にある食料品店〔サボテン・花園中央店〕の駐車場。
花園高校の養護教諭である竹之内蓮は、いったん自宅に帰ってから近所のスーパーへ夕食を調達しに出かけた。近ごろ運動不足が気になるので歩いていくのだが、距離はせいぜい五百メートルほどだ。
いつものように値引きされた惣菜と数本の発泡酒を買い、帰路につく。
竹之内がスーパーの敷地から県道へ出た辺りで、駐車場に停車していた黒い車が勢いよく発進してこれを追った。
その漆黒の高級車は道路に引かれたラインを無視し、竹之内を追い越して行手を遮るように急停車する。間をおかずに後部座席のドアが勢いよく開けられ、裸の人間が転がり出た。ドアが完全に閉まりきる前に車は早急に走り去る。危うくぶつかりそうになった人々が悲鳴や罵声をあげた。
車から放り出されたその人は仰向けに倒れていた。どうやら女性らしい。体全体にたっぷりと蓄えられた脂肪が、萎んだ水風船のように広がっている。まともな衣服は身につけておらず、上半身は乳房も丸出し。下半身は脂身の多い肉に埋まるように下着一枚。
なんらかの被害者の様相であったから、竹之内は咄嗟に親切心を出して歩み寄ったのだが──
やばい。
この女、Ωだ。
鼻腔から侵入する独特の不快感、発情時に分泌されるΩの性フェロモンだ。
Ωはのたうって自ら下着をずり下げ、四つん這いになり分厚い背中を目一杯に反らせた。竹之内の方へ尻を高くあげ、獣のようにロードシスの姿勢となる。Ωは発情期、αの存在を感じ取ると本能的にこうした姿勢をとって性交に誘うのだ。陰部を晒したことにより、性器周辺の臭腺から多量の性フェロモンが発散され、αの欲情を掻き立てる誘引物質が竹之内に襲いかかる。
──ぁあああんッおねがいいい!はやく欲しぃのぉおおおオオオオオッ!!
αを求めて狂ったように咆哮し、大きな腰を上下に揺すって性行為を強請る。その上このΩはネックガードを着けていない。短い襟足の下から覗く項は充血して赤く腫れ上がり、表面に皮脂を湛えてねっとりとした質感を見せていた。
もしもこの時、竹之内が番経験のないαであったら即座にこのΩと交わって、項を噛んでいただろう。
しかし竹之内は「番持ち」だった。
一般的に番経験のあるαは、Ωの性フェロモンに曝露されても理性を失わないとされている。だが全く影響されないわけではない。しかもこのΩの放出するフェロモンは不自然なほどに多量で濃度も高く、発情期であることに加えてフェロモン分泌促進剤の使用が疑われた。
竹之内は振り切るようにΩから顔をそむけ、二、三歩よろけてその場に崩れた。蹲ってきつく握りしめた拳をアスファルトに押し当て、血が滲むのも構わず身の内の凶暴な性衝動に抗う。走って逃げ出そうにも、自分の脚を動かすことさえままならないほどの強烈な淫力が情動を蝕み始める。
理性を総動員してなんとか、周囲に群がり始めた人達に助けを求めた。
「す、すみません誰か、警察を、呼んでください!」
呑気に動画を撮り始めた人垣をかき分け、一人の女性がやってきた。彼女は竹之内の肩に手を置き穏やかに言った。
「わかった、警察ね」
その彼女は革ジャンの内側からスマホを取り出し、慣れた様子で警察に連絡してくれた。それからαを待ち侘び嘶いているΩに、あんた大丈夫?などと話しかけている。だがそのΩと意思の疎通がままならないと分かり、その辺にいた誰かに店の人を呼んで欲しいと頼んだ。
ややあってスーパーの責任者らしき年配の男性と従業員が数人、小走りでやってきた。彼らははどうにかして啼き喚くΩを運ぼうとするが、小柄とはいえ肥満体の人間を運ぶのはなかなか骨の折れる作業だろう。竹之内がβならば手助けも可能なのだがそうもいかない。結局Ωはどこから持ってきたものかブルーシートに乗せられ、店の従業員四人がかりで運搬されていった。
ことの次第を見届けた彼女は、これが例のやつってことね、と呟いてどこかに電話をかけ始めた。
「もしもし麗子?わたし。今ね……」
長い黒髪、歳の頃はおそらく二十代半ば。ベージュの革ジャンと細身のジーンズ、傍には中型バイクが一台。彼女は長話もせずに電話を済ませた。
竹之内は改めて彼女に礼を述べる。彼女は額にかかった前髪をかきあげ、
「あまり一人で出歩かないほうがいいよ」
と忠告し、バイクに乗って颯爽とこの場を立ち去った。
彼女を見送った後、竹之内はゆっくりと深呼吸した。冷たい夜風を肺いっぱいに取り込めば、Ωの魔力が消失してゆく。
このことを伝えないと。
榊先生に。
今日の昼のことだった。保健室を訪れた榊から、今の状況と似たような事件が発生しているという話を聞いた。この花園地区と月輪地区で、発情したΩをαの前に投げ捨てていく黒い車があるのだと。
それにしてもなぜ自分が狙われたのか。標的になる心当たりは無い、無いがしかし──
接点があるかといえば、あるかもしれなかった。竹之内はあの車体とナンバーをある場所で見ている。
スモークガラスの黒い高級車。
ゴールドのメッシュホイール。
雪城地区のナンバー。
その場所とは、夜宵町にあるα会員専用の酒場〔伽〕の駐車場。竹之内は「サナギ」と呼ばれる店主の所有車ではないかと思っているが、あそこにいつも停まっている車というだけで何の確証もない。
仮にあの店長が犯人だとして、こんなことをする意味が分からない。
発情したΩを裸に剥いて送り届けて、αにプレゼントしたような。
番になりなさい、と。
それってまるであいつらみたいじゃないか。
記憶に残る「サナギ」という人外じみた男の表情と、自分の〔番〕が帰属する怪しい宗教団体の存在が重なり合う。
時刻は現在、午後七時になろうとしていた。明日を待たず榊に連絡しても迷惑な時間帯ではないはずだが、流石にいきなり電話というのは気が引ける。とりあえず帰宅してからメールしてみようと思う竹之内だった。
その夜、花園高校。
昨日に引き続き情報交換をするため、定時校舎の空き教室には協定を結んでいる花園、月輪、鳥居、地蔵の主要メンバーが集結していた。
この場は今まさに不良の溜まり場と化しているが、会合はまだ始まっていない。授業中の柿岡以下各学年の代表が揃うのを待っている、ここはいわば控え室だ。皆だいたい各々の地区ごとにまとまって駄弁っている。
花園地区の固まった一角では、麗子から会合に先んじて情報提供がされていた。
「ここに来る少し前、カンナから連絡があってね。サボテン中央店の付近に発情したΩが置き去りにされてる」
情報は麗子の同期で〔檸檬姐弩〕の元メンバー、柑夏から麗子に伝えられたのだという。
「Ωを放っていったのは桜庭くんたちの時と同じく、黒い乗用車。Ωはいったんスーパーの方に保護された」
それを聞いた良太は口惜しげに、またか、と眉間に皺を寄せた。
「αは、俺らに関わりのある人なんですか」
「カンナの見たところ、少なくとも花園の連合関係者じゃないってことだ」
「俺らと無関係の人も襲われてるってことっすね」
そこへ教室の引き戸をノックする音が響く。皆の注目を集めた中、
「すみません遅れました」
とやや息を弾ませた榊が教室に入ってきたのだが、べつに遅刻でもなんでもない。
榊は今日も連合の集まりがあるということで、帰宅せずそのまま職員室で雑務をしていた。そこへ先程、発情したΩが投下されたと竹之内本人から連絡があり、事情を聞いていたわけだ。
麗子と良太の間に一脚、空けてある椅子に招かれた榊は、
「まず例の件について報告があります」
といささか興奮気味に話す。
「先程、養護教諭の先生から連絡がありました。サボテン中央店から自宅に戻る途中、桜庭くんと京一さんの件と酷似した状況で発情したΩに遭遇したと。その先生もαで……」
「あ、それカンナからあたしに来たのと同じ話だわ」
「ええ!?」
花園集団の唯ならぬ気配を察した月輪高校の神鏡らが、興味深げに割り込んでくる。神鏡は付近にあったパイプ椅子を引き寄せ、勝手に榊の真ん前に陣取った。神鏡が移動したので月輪メンバーもこれに従い、花園と人数が混ざる。
「よォ、榊先生。なにまた花園でΩが出たの?」
昨日と違い、榊に向かい親しげな態度をとる神鏡に花園の面々は呆気に取られた。
「はい、三人目ということになりますね」
「知り合い?」
「この花園高校で養護教諭をしておられる方ですよ」
「けっこう近場で被害者が出てるもんだな、いや、番ってねーから被害者とは言わねえのか」
「ジンさんの方では、なにか異変は」
「今んところ鈴鬼以外は襲われてねーみてえだ。あいつは用事があるつってな、ここには来ねえ」
「京一さん単独で?」
「刀童と他に三人、護りをつけた。例の黒い車によく似た乗用車が、いつも停まってる場所があるんだと。そこに行ってみるって」
「何事もなければいいんですが」
「ああ」
良太は、榊と神鏡が「ジンさん」「榊先生」と呼び合っていることに気付いた。昨日まで榊は冷ややかに「神鏡さん」と呼び、神鏡は刺々しい口調で「あんた」と呼んでいたのに。しかも榊と神鏡の膝がくっ付くほど至近距離なところも非常に気になる、というか気にくわないのだ。その人は俺のだから近寄るな!と神鏡を威喝してやりたいし、俺意外の男と仲良くしないで!と榊に訴えたい。
神鏡はすっかり榊や麗子と打ち解けている。そこに幽銭や刃薊が加わり、仙銅一派のその後の動向が話題となった。
憮然として推し黙る良太に気付いた榊は、それとなく肩を寄せ、肘で良太の二の腕をつつき、
「桜庭くんの容態はどうだった。今日も病院、行ってみたんだろ?」
とやや小声で話しかけ、構ってやることにした。
衆目の中で行われた、この内緒話のような特別感が良太を喜ばせたのはいうまでもない。
午後九時過ぎ、花園高校定時制の授業が終わる。
四年の柿岡と栃綯、三年の梅津、二年の柚木、一年の梨本らが加わり、今晩の会合は外ではなくこの教室で行われることとなった。
まずは花園定時の主導で他校の定時と連携することが決定した、と〔檸檬姐弩〕の総長、栃綯から報告された。
次に麗子。
「あたしも知り合いにこの件は拡散しておいた。昔、世話んなった先輩方にもね。花園だけじゃなく鳥居と地蔵、月輪にも情報が回ってると思う。ただ伝言ゲームみたいになってるはずだから、妙な尾鰭がつくかもしれないな。そこは各地区で情報の調節をして欲しいところだね」
続いて花園高校の教職員である榊。同校の教員たちに事件のあらましを伝え、養護教諭の竹之内は全校生徒に向けて配布物を作り注意を呼びかけてくれると報告。
良太や柏葉も家族や知り合いに情報を拡散すると共に、αには単独行動を取らないように言い含めたという。
そして月輪地区については神鏡が。
「この件については、ひとまず俺らガチ高の定時中心で仕切ることになった。地元に詳しい刀童と幽銭中心に情報拡散と収集、とりあえずΩがいたら報告連絡相談。文句があんなら俺が出張る、ってことで」
次にΩのフェロモン抑制剤について、柿岡。
「最初は集金して抑制剤をまとめ買いしてから、皆に配ろうと思ったんスけどね。でもそれやると絶対無くしたり、売ったりする奴が出てきますんで。金出してるくせに無料感覚になっちまう。だから各自店で買わせることにしました。で、確認したところ定時は全員、抑制剤を購入済みっス。これで発情したΩがいてもまあ、何とかなるかと」
これを聞いて月輪の面々は一様に、さすがお利口さんの花園、と感心したが口には出さなかった。ちなみに月輪高校では、αとΩを腕力で引き離そうぜ!という方向で話が纏まっている。
「けどこの状況、あんま長く続くとみんな飽きちまうっスよね。最初こそ警戒してても、何にもなければ油断もするだろうし。今までの喧嘩と違って本当、やりづらいっスわ」
と愚痴る柿岡の意見に、深く頷く神鏡だった。
「昨日から今日にかけての俺らの動きは以上っス」
柿岡が鳥居と地蔵の者たちへ視線を巡らせる。何かご質問は?と。
定時制の職員室から勝手に拝借したソファを占領している烏丸翔子、翔吾の姉弟。いかにも双子らしく、目元のほくろは寸分違わず同じ場所。身に纏う気怠げな雰囲気もさることながら、煙草をふかすタイミングも同じときてる。
翔吾は深く吸い込んだ紫煙を吐き出しながら、
「お前らさっき、なにを騒いでいやがった」
と花園と月輪の方を眇めに見る。
これに答えたのは榊だ。手短に竹之内の件が報告される。
黒い車の特徴や投下されたΩの状態から、鈴鬼と桜庭の件と同一犯ということで皆の意見が一致した。
「他の地区でも何か、αとΩに関係する揉め事なんかがあったら教えてもらいたいんスが、どうですか?」
柿岡が鳥居地区と地蔵地区の代表に尋ねた。
翔吾が傍にいた梟極に顎をしゃくって何やら指図する。
その梟極の話すところによると、Ωの発情にあてられる形で番契約を交わしてしまったαがいるという。
「状況が違うからこの件とは無関係かもしれねえが。三ヶ月前、鴉雷町の料亭で発情期のΩにαが襲いかかって番になってる。店の者が男子トイレでヤリまくってるそいつらを発見した時には、もうΩは項を噛まれた後だったとよ」
梟極からの情報を受けて、麗子がやや厳しめな声色で問う。
「Ωは首輪を着けてなかったの?」
「自分で外したらしい」
「そう、か」
と麗子はため息を吐いた。
麗子がこの「発情Ω投下事件」にただならぬ危機感を抱いている理由は、得体の知れない何者かが地元でふざけたマネをしているからだけではない。鳥居地区にある凰曲学園に在学中の弟、悠斗が男性型αだからだ。悠斗は高校の近場に下宿していて目の届かない場所にいる。家族としてはそこが心配なのだ。
それじゃ首輪の意味ねーじゃん、と誰に言うでもなく神鏡が咎める。唸るように幽銭が返事した。
「被害に遭われたαというのは、どういった方なんですか」
この榊の質問に答えたのは烏丸翔子だ。彼女は細長い煙草を灰皿で揉み消し、いささか伝法な口調でこう言う。
「三十代の男性。電力会社の支店に勤める、至って真面目な会社員さ」
「Ωのほうは?」
「さてこれがねェ、どうも身元が分からない。料亭に数人で来たお客のうちの一人だったと、店の従業員はそう言ってる。料金は前払いで精算済み。しかし幹事の連絡先は、現在使われておりません、ってんだからねェ」
鳥居地区は烏丸一家の縄張りだ。そこに居住するものならば大抵の情報は手に入るのだが、出張や観光などで一時的に外部からやって来た者に関しては流石に難しい。
「連れの人たちはそのΩを置いていったんですか」
「そうさ。ああ番になったこりゃめでたい、お幸せにってね。Ωも大人しく、そのままαにくっ付いて行ったとね」
榊に続き、良太が訊く。
「その番になっちまったαは今、どうなってるんすか」
α性を有する者として、強制的に番になってしまったその後のことは気になる。
「どうもこうもありゃしないよ、Ωはαの家に身ィひとつで転がり込んで生活してる。さしづめ押しかけ女房ってとこさ。けどねェ……」
翔子はくっきりとした柳眉を顰めた。あまり善くない回答が予想される。
「働きもしないで家に居るなら、普通は家事くらいするってェもんだろう?でもそのΩは何もしない、まるでお姫様か座敷豚さ。αはご両親と一緒に暮らしててね、Ωの面倒は全部α側がみてる。ご病気で自宅療養してる母親がいるってのに、難儀なもんさねェ」
「Ωに働いてもらえばいいんじゃ……」
「無駄さ」
とりつく島もない態度を示した翔子の様子から、Ωを受け入れた家庭は相当厄介なことになっていると分かる。
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「αの家にその後、妙な人物が出入りしているという話はないでしょうか。番のΩ以外で」
「いや、聞いてないね。それが一体なんだってんだい?」
怪訝な表情の翔子に代わって、翔吾がソファの背もたれにふんぞり返って榊の発言を促す。
「お前ェ榊、何を知ってやがる。さっさと言えや」
「Ωは宗教的な理由で番になったのかもしれません」
「宗教ォだあ!?」
翔吾は頓狂な声をあげる。皆もまた似たような反応を示した。
「どういうこった」
「私も先ほど聞いたばかりで詳しくは知りませんが、楽園のきずな教会、という名の宗教団体がある。彼らの教義によると、α男性と全てのΩはアダムとイヴなのだそうです」
「あの聖書とかキリスト教のか?人間の最初の夫婦っつう……なに?だからαの男とΩを番にしてまわってるってのか」
「竹之内先生は以前、その宗教の信者から狙われた経験があるといいます」
「で今回もまた?」
「もしかして、と疑っていました。以前とは状況が違うらしいのですが、しかし近頃、過激な信者は似たような手口を使い男性型αを襲っていると」
「マジかよ……」
「さらにその宗教では、βはαとΩの番が生活するためにあらゆる援助をすべきだと説いているとか。信者や番った相手の親族にβがいればお布施を強要し、番となった者たちに祝福として配布する。金銭だけじゃなく土地家屋、証券や会社の重役ポジションなど使えるものは何でも」
「だからαの親族にβが居りゃあ、奴らが財産を狙ってくるっちゅうわけか。だがお布施なんてそりゃ、ほとんど教会のお偉いさんの懐に入ってるんだろうよ」
「でしょうね」
「おい鷲頭、例のあれがこのことだろうな?」
翔吾は鷲頭に目配せした。話中のαの身辺について、翔吾の指図を受けた鷲頭が発言した。
「そのαの家なんだが、ここ一ヶ月で急に数件の不動産を手放してる。最近まで経営していたコインパーキングも設備撤去されて更地になったな。両親共にβで、妹が一人県外にいるがおそらくβ。教会の奴らに集られる条件は整ってる。調べればまだボロボロ出て来そうだ」
翔吾と榊の会話中、素早く〔楽園のきずな教会〕をネットで調べた柿岡と幽銭は、互いに検索結果を照らし合わせていた。
「その楽園のナントカっていう宗教団体、悪揃市にも支部があるっスね」
悪揃市は御磨花市と同県内にあり、隣接している。
「こっちの御磨花市にも来てるみてえだな。去年あたりか、雪城駅前の広場でネックガードを壊したり燃やしたり、変なパフォーマンスやってんのがSNSに上がってる。Ωに首輪なんざいらねえって意味らしい」
幽銭は手元のタブレットの画面を皆に向け、ボリュームを上げて動画を見せた。そこには横断幕やプラカードを掲げたΩらしき人々が集まり、『理性の枷を外しましょう!』『β社会からΩを解き放て!』『アダムよ、イヴと共に!』と癇癪を起こしたように叫び首輪を破壊している姿が映し出されている。
「馬鹿かこいつら」
真っ先に感想を述べたのは良太だった。
「あれっ、こいつら全員同じマークみたいなもん付けてないっすか?ほらこれ、服のここ」
と画面を指したのは花園一年代表の梨本だ。
幽銭は動画を少し巻き戻し、一時停止する。確かに信者たちは皆、身につけているものに同様の印を付けていた。それは衣服の刺繍であったりアクセサリーであったり、あるいは入墨によって主張されていた。
この印について柿岡がすでに画像を探し当てている。
「楽園の奴らの紋章みたいなもんスかね」
柿岡がはっきりと加工処理した拡大図を見せる。果実のなる樹木の下で、蛇を踏みつけた裸体の男女が互いに手を伸ばし、指を絡め合っている図だ。
この印について、それを知っている、と言ったのは地蔵地区の男ケ田だ。
「団長、あのことを?」
男ケ田は短い顎髭をさすり、隣に居る早乙女に意見を求めた。
団長と呼ばれた人物は一見すると栗色の髪を刈り上げにした美青年だが、早乙女忍は女性型のαである。早乙女は頷いて地蔵地区の情報提供を許可した。
「うちの地区にある生離野山には、別荘分譲地として売り出されている土地がある。奴らはそこの区画を三つまとめ買いしてな。随分と豪勢な洋風の館を建てたんだが、その門やら建物やらに同じマークを掲げている」
そこまではいいんだが、と男ケ田の後に早乙女が続く。
「その別荘、他の別荘の持ち主から騒音の苦情が多くてね。管理会社も手を焼いてるそうだよ」
これに反応したのは花園一、二、三年の梨本、柚木、梅津だ。
「大勢で聖書読んでる的な?」
「讃美歌みたいなやつじゃね」
「パイプオルガン鳴らしてるとか」
男ケ田はおしゃべりする少年らを、ふん、と鼻で笑い教えてやる。
「お前ら苦情がくる音ってのはな、青姦の声が盛大でうるせえってことだ。それに奴ら、何人も集まって敷地内の庭でやりやがる。一応フェンスは設置してあるんだがそれでも聞こえるし、見えちまう場所もある。なんでも庭の中心にでかいオブジェみたいなもんを立てて、真裸で四六時中やってんだと」
アダムとイブの楽園生活なんだろう、と男ケ田は腕を組んで呆れ返った風を見せた。
「幸いこちらの地区では発情したΩに襲われたαはいない。まあ、今のところはね」
と曇り顔の早乙女が締め括った。
件の宗教団体についてさらに検索を進めた柿岡は、
「こいつらネックガードのことを理性の枷とか、蛇の輪って呼んで嫌ってるみたいっス。あとは、嘘をつくなとか、それはいいとして化粧も外見の嘘だからダメ、服を着るのもアダムとイブには相応しくないとか。なるべく勉強はするな、知恵をつけるななんてのも。わけ分かんないっスね」
と皆に教会の信者の特徴を伝える。
「αを標的にするだけじゃなくβもお布施要員で狙ってるってことで、周囲に注意を呼びかけておきます。βは人数多いっスから……」
と柿岡が言いかけたところで、幽銭のスマホが鳴った。
幽銭は素早くこれを受ける。着信者は、夜宵町の駐車場へ探りを入れに行った鈴鬼からだ。
「もしもし、はい、こっちはもう始まってま……えっ、捕まえた?ちょ、ちょっと待ってください!そのまま」
幽銭は通話中のまま皆に向かって告げた。
「鈴鬼さんたち、怪しい奴を捕まえたって」
ざわめきと興奮が場に満ちる。
スピーカーにして聞かせろ、と翔吾が命じる。これによりスマホを通して鈴鬼側と会合の場が繋がった。
「月輪の鈴鬼か、場所はどこだ」
『夜宵町、旧道沿いの飲屋街。例の黒い車に似た車両が停まってる駐車場があるんだが、今夜は停まってなかった。その代わり妙な奴がうろついてやがった』
鈴鬼の背後からは荒々しい不良たちの怒号と、足音や衣擦れの音が聞こえていた。微かに刀童や他の者の声が混じる。
「京一さん、その人の名前は」
『あっ龍時さん、おーい刀童さん、刀童さん、そいつ名前……』
鈴鬼は刀童に駆け寄ったらしい。現場では月輪高校の数人が、犯人と思しき男を押さえつけて取り囲んでいるようだ。
『こいつ免許証とか無えのかよ』
『身分証どこだ、財布か?』
『ケータイ出せほら、早くしろや』
おいオッサン名前は、と威圧する不良たちの台詞と、弱々しい男の音声が伝わってくる。
『コラ暴れんな、さっさと名前言えやオラァ!』
『った、たけのうち、です……』
蚊の鳴くような声を聞き取った刀童が、
『竹之内だとよ!』
と吠えるように言った。
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