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Find a Way
5・榊の過去(※性的描写あり)
しおりを挟む──もう十年も前のことだ。
花園地区の中学を卒業した榊龍時は、県外の進学校へと進んだのだそうだ。
ところが進学校には珍しい両親のいない施設育ち、その上生来の銀髪が目立ったせいなのか、虐めの標的にされた。塾へ行ってもいないのに成績が良いのがまた、同級生の機嫌を損ねたらしい。
まずは担任の教師に虐めにあっていることを相談したが、「お前の勘違いだろう」として取り合ってはくれなかった。
だが榊龍時はただの被害者で終わる子供ではなかったのである。
やられたら、やり返す。
それはお世辞にも治安が良いとはいえない、花園地区の薫陶をうけた者の常識。
大人はあてにならない、だったら──
自分でやる。
加害者たちは予想以上に貧弱で、やり返される覚悟もないまま自分に危害を加えていたと知り、榊は非常に驚いたものだ。
結果、弱者に対してやり返し過ぎた形となった。虐めを行った連中は皆どこかしら骨折するなどの傷を負い、しばらく学校を休むという有様であった。あまりの強さに「悪者」にされたのは榊の方だった。
担任から呼び出されきつく説教をされたが、説教というより罵詈雑言の類だった。親がいないから下品だとか、施設育ちだから暴力を振るうだとか散々になじられた。
年若い当時の榊には、もちろん我慢できるものではない。その場で担任の顔面に拳を叩き込み、もとから薄い髪の毛をひたすら毟ってやった。そこまで言うなら担任の吐いた言葉を証明してやろうと思ったのだ。
そして退学。
この時の榊は十六歳。まだ児童養護施設に戻れる年齢ではあったが、暴力沙汰で高校を退学になったとあって施設の世話になるのは気が引けた。
一人で生きていかねばならないと思った榊は、故郷の御磨花市でもっとも栄える雪城地区へ向かう。ここであれば何かしら、職にありつけるはずだと希望を抱いたからである。
だが現実はそう甘くはない。身寄りのいない未成年を雇う場所などなかった。所持金も底をつく。
性別は男だが、身体でも売れば食費ぐらい稼げるのではないかと踏んで、いかにもそれらしい場所に佇む。
声をかける者がいた。
大人の男。二十代後半から三十代前半だろうか。目元を覆い隠す前髪の隙間からは、緑混じりの琥珀色の瞳がのぞいていた。
男は左凪閨介と名乗った。
左凪は榊少年の手を引き、棲家へ連れて行った。白いオフィスビルのような外観の高層マンションの一室だった。
榊にとってその部屋の中は広く、高級感があり、まるでセレブの住処みたいだと思ったものだ。
予想に反して、その夜、左凪は肉体を求めてはこなかった。榊に飲食を提供し、風呂を使わせ、客室のベッドで眠るように指示し、休ませてくれたのであった。
翌日、一宿一飯の礼を述べて出ていこうとしたが、仕事から帰宅するまでこの部屋で待機するように、と申し渡された。
三日目も部屋で待つように言われ、テレビを眺めて時間を潰し、すこし掃除のようなことをして過ごす。やはり体を求められることはない。
四日目の朝、榊はそろそろ外に出て働きたいと訴えた。すると、左凪が勤務している〔白幻〕という場所で共に働き、一緒に暮らすのであれば良いと言った。
左凪からの言葉は交換条件や提案というより、むしろ「許可」のような響きを持っていた。榊にはそれが奇妙に思えた。
そもそもなぜ自分がこのような状況に置かれているのか、いまいち分からない。通常の売春・買春とは異なる関係のような気がする。
春をひさいだ見返りに、食事や入浴や寝場所が与えられているわけでもないのだ。
言い知れぬ不安があった。
左凪からの紹介で、榊はこのビル内の施設で働くことになった。
この白いビルは正式名称〔氷川グランネスト〕という。
氷川グランネストの上半分は番斡旋所、医療施設、Ωやごく一部のαの居住区域を含む〔白幻〕。下半分は来客用のゲストルーム、そして従業員の住居、銀行、公園、飲食店、医務室、日用雑貨店、図書館、フィットネススタジオ、カルチャースクールなどがある。生活する上で必要なもののほとんどが内包された建物であった。
その日の午前中、〔白幻〕の施設長である寒崎という、白いスーツの女性が面接をしてくれた。中年の、ぴしりと背筋の伸びた格好いい女性であった。
働くならば筆記試験などをしてもらったほうがいいのではないか?と聞いてみたが、なぜか必要ないという。
まずは医務室で健康診断を受け、その後、会議室らしき部屋で寒崎と面談。診断結果の一覧をタブレットで見ているらしい寒崎は、なにか不可解なことを目の当たりにしたような面持ちで榊に質問した。
「榊龍時くん」
「はい」
「あなたの健康診断の結果なのだけれど」
「はい」
「第一性は男性、第ニ性はβで間違いありませんか?今までにΩやαと診断されたことは?」
「いいえ、ありません。小学校と中学校の健康診断でも男性型のβでした」
「そうですか。左凪さんに聞いたところによると、雪車町の、あそこはよく春を売り買いするのが目的の人たちがたむろしている公園があるのですが、そこにいたと言っていましたが」
「はい。仕事がなくて、それで、なんとかならないかなと考えまして」
「答えたくなければ結構ですが、あなたから左凪さんに近付いたのですか?」
「いいえ、三日前に声をかけられて」
「三日前、ですか」
「はい」
「その間、彼と肉体関係を持ったりは?」
「してないです。でもなぜか食事とか風呂とか、寝場所を世話してくれています。理由は分からないんですけど」
「そうですか……。衣食住を与えられて、それでもご自分から働きたいとおっしゃる?」
「はい。やっぱりただ居るだけっていうのは、悪いですし。それにいずれは自立して、一人暮らしをしたいと思ってて」
「なるほど。左凪さんからは、あなたはΩだとの報告を受けていたのですが、その自立心や受け答えから察するに、やはりβのようですね。診断結果のフェロモンチェック欄もβと出ていますし、骨格や内蔵もβの男性そのものです。遺伝子検査の結果が出るのはもう少し時間がかかりますが」
「えっ、俺、Ωだと思われてたんですか?」
「そのようです」
「なんで、ですかね」
「私もβなのでαである左凪さんの感覚は分かりませんが、あなたには何か特別な気配があると言っていました。それをΩのフェロモンと錯覚したということでしょう」
「はあ」
「それでは施設内を案内する前に、書類を書いていただきますね」
「あのう、実は親がいなくて、保証人もいないです」
「契約書の類ではありませんので大丈夫ですよ。いわゆる履歴書ですね」
寒崎に言われるまま履歴書を記入し、ビル内を案内してもらった。
最初に連れてこられたのはビルの上と下の境界。
だだっ広いフロアは中央から床、天井、左右の壁まで幾重もの分厚いアクリル壁で分断されていた。向こうとこちら側とを繋ぐ通路とおぼしき機械のトンネルが、透明度の高い障壁の下部中央に設置されている。頑丈そうな鋼鉄の入り口は隙間なく閉じられていた。
寒崎によれば、このゲートを通り上へ行けば〔白幻〕という施設があるのだという。確かに遠く離れたフロアの向こう側にはエレベーターらしき扉と、その脇には幅の広い階段とエスカレーターが見える。
彼女はこのビルが何を目的とし、行っているかを簡単に説明してくれた。
それは榊の予想していた「セレブの家」とは全く違うものであった。
榊が配属されたのは〔白幻〕ではなく、従業員用の飲食店の一つだった。
アンティークな雰囲気の喫茶店といった内装の店で、直属の上司となる霜沢というαの男のもとで働くことになった。もう一人、従業員のβの女性で北野という人も紹介された。
初日は皿洗いを任された。霜沢と北野は、昼には賄いのカレーライスを用意してくれたし、夕飯のサンドイッチも作って持たせてくれた。
その日の夕方、身を置かせてもらっている左凪の部屋に戻った榊は、部屋の主とバスルームを使う時間が重なるといけないので手早くシャワーを済ませた。
夜、左凪が帰ってきた。なぜかドアの開閉音や足音に苛立ちが込められている。
左凪は榊の姿を見るやいきなり、
「βなのか!」
とすさまじい剣幕で怒鳴った。
Ωと思い込んで連れてきた少年がβであったため、見込みが外れて腹を立てているのだろう、と榊は思った。
自分のせいではない、しかし口答えすると面倒なことになりそうなので、「βでした。すみません」と謝った。健康診断の結果と配属先を知らせ、明日からは従業員用の寮に移ることも報告した。
左凪はよろめいて、そんな、どうして、と頭を振り、
「嘘だ」
と榊を否定した。
次の瞬間、左凪は凄まじい力で榊の腕を掴み、寝室へと引き摺っていった。
榊はベッドに投げ込まれ、衣服を剥ぎ取られた。
やられる、と分かったが、泊めてくれたり職を得るきっかけを与えてくれたのがこの男であることに違いはない。
もともと身体を売ってお金を得るつもりだったこともあって、榊は今夜だけは耐える決心をした。
αの左凪による性交は、βの榊にとってまさに強姦そのものであった。
左凪閨介はなんとしてでもこの少年、榊龍時がΩである証拠を見付けたかった。
この少年が正しくΩであるならば──
媚びを含んだ鼻声で快楽に啼くはずだ。
項の中央に性的興奮で膨れ上がる、恥丘のような盛り上がりがあるはずだ。
孕むだけの性は精巣など機能しているはずがない。
陰茎なんて排尿をするだけの小さく細い管でなければならない。
そこから子種を含む白い精液が出るはずがない。
肛門を愛液で濡らし、嬉々として雄を咥え込むはずだ。
直腸は出産を可能にするほど伸縮性があるはずだ。
張り詰めた男根を突き入れた先に、αの精子をありがたがる臓器がなくてはおかしい。
激しい腰の動きに随喜の涙を流して咆哮し、深い絶頂の中でαを受け入れ、狂乱しなければΩではない。
しかし榊の精神と肉体は、左凪がΩにするのと同じ方法でいくら確かめてみても、βそのものなのであった。
少年とはいえ十分に男性的な骨格と筋肉。
声変わり完了間近の低い声。
αに噛まれるための目印のない、平らな項。
立派な男の部分を無理やり刺激すると白い精を吐き出した。
濡れもせず、異物の受け入れを拒む裏門。
強引に性器を捻り入れると当然、出血した。
中の作りもΩのそれとは違う。
Ωであれば恍惚としてよがり狂う左凪の激しい動きも、榊から伝わってくるのは徹底的な嫌悪と不快感、苦痛、恐怖、憎悪、反発。
いくらΩの部分を探り出そうとしても、榊龍時の生命はことごとくβであることを証明していた。
榊は夜半まで続いた酷い行為に気を失い、目覚めた時にはもう明け方であった。
恐る恐る左凪の姿がないことを確認して、浴室で身体を清めた。
潤滑剤を用いずに手荒く使われた肛門からは精液と血が滴っていた。血が止まらない。
それでも仕事に行くため、ティッシュを何枚も重ねて下着と尻の間に挟み込んだ。
制服を着、少ない私物を全て持って逃げるように出勤した。
なんとか時間通りに出勤すると、店長の霜沢は榊の姿を見るなり、
「どうした、何があった?」
と事態の全てを察したかのように青ざめた。
なんでもありません、大丈夫です、と榊は答えたがαの霜沢に通用するものではない。
この時の榊からはαとΩのみが察知できる「マーキング」が色濃く漂っていたのだ。
左凪のフェロモンが所有物の証として榊に纏わり付いる。
シャワーを浴びたが髪は洗っていない。銀色の髪にはフェロモンを含む汗や唾液、精液の類が付着していたのだ。
霜沢は開店準備を北野に任せ、榊から休憩室で事のあらましを聞き取る。そしてすぐに〔白幻〕の施設長、寒崎に通報した。
霜沢は急いで榊を医務室に連れて行った。
榊は年配の女医の指示で制服を脱いだが、自分の体のありさまがここまで酷いとは、正直思っていなかった。シャワーを浴びたときは後ろからの出血に気を取られていたせいでもある。
一番最初に左凪に掴まれた左の上腕にはくっきりと、指の本数までわかるほどの内出血が見てとれた。
首から肩にかけて多数の噛み跡。医師の表情からして、頸はもっと酷いことになっているらしい。乳暈と乳首に血も滲んでいる。これもまた執拗に噛みつかれてできた傷だ。歯形は首から胸部だけにとどまらず、胴や臀部、陰茎の付け根周辺にまで及んでいた。
腰の両側と腿の内側にも、左上腕部のように手のあざがくっきりと記されている。
医療診察と割り切って後ろのほうも診てもらった。その部分が一番傷ついているのだ。いまだに出血は続いているらしい。
消毒をしてもらい、体の部位に合わせて塗り薬をもらった。
明日もくるように言われた。
医務室を出ると、待合室には寒崎と霜沢が待っていた。
寒崎は鎮痛な面持ちで、
「警察に被害届を出しますか?裁判や弁護士のことなら心配はいりません、こちらで手配しますが……」
と申し出たが、警察や裁判など、身寄りのない少年であった榊にはあまりにも大事すぎて、
「いえ、もう会いたくないだけで、裁判とか、考えてないです」
と言わしめた。
霜沢は寮まで付き添ってやるから今日は休んでくれ、と言いさらに、
「奴は上の白幻に収容された。滅多なことではもう、こっちのエリアに来ることはない」
と榊に教えた。奴、とは左凪のことを指すのであろう。
霜沢に案内されてやってきたのは従業員用の寮区域で、一人部屋だという。
およそ十畳のワンルームで家具家電付き。霜沢は、「これ寒崎さんから」と職員用の携帯とタブレットまで渡してくれた。端末にはすでに霜沢、北野、店の連絡先、無料Wi-Fiなどが登録されてあった。
これまでの榊の生活からすれば驚くほど豊かな環境だ。なにしろ榊はスマホも持っていないのである。
その後もきちんと医務室に通い、幸い噛み傷からの感染症もなく、薬物療法で傷を癒やすことができた。
健康を取り戻した榊は日々忙しくたち働き、まともな方法で自分のお金を稼げる生活を嬉しく思っていた。
数週間後、たまには三人で外へ夕飯でも食いに行くか、と霜沢が誘った。
仕事が終わってから霜沢、北野、榊の三人は職場を出て、ビルの外、雪車町の串揚げ屋へと出かけた。
雪車町といえば、榊が売春で食費を稼ごうとした公園のある街だ。
榊は、金欲しさに体を売ろうとしたこと、左凪にΩと間違われて氷川グランネストに連れてこられたこと、そして暴行されたことなど、今までの経緯を話した。
霜沢は〔白幻〕のことや、そこでの仕事について語った。
「俺もちょっと前まで上の方で働いてた。そこで奴とも、まあまあ喋る機会もあったんだけどさ、なんか暗くてよく分かんねえ奴でなあ」
霜沢は白幻で、左凪とともにΩを慰める業務に就いていたのだそうだ。
Ωへの「慰め」とはすなわち性行為である。
発情期は無論のこと、一度αの肉体の逞しさ、激しさ、それを受け入れる喜びを知ってしまったΩはαを求めずにはいられない。
白幻にはそうした幅広い年齢層のΩが多数在籍し、かつての霜沢や左凪のようなαがΩの心身安定のために奉仕する仕事もあるという。
さらに左凪が行っていたのはΩへの奉仕ばかりではないらしい。
「フェロモンにも人の顔みたいに個性があるんだよ。奴のフェロモンはさ、Ωをこう、強烈にふらふらーっと引き寄せる。α様ぁん、抱いてぇってな。発情期みたいにな、向こうから股を開きに来る。だから雪車町の立ちんぼ公園で売春してるΩを引っ付けてきて、白幻に入りませんか?と交渉するんだ」
「ああ、それで……」
だから健康診断後の面接で寒崎に、あなたから近付いたのですか?と聞かれたのだ。榊がもしΩであれば、自ら左凪に肉体関係を迫ったであろう。
職場の外に出た開放感からか霜沢と北野は饒舌だった。榊は彼らの経験したα、Ω、βにまつわる過去や〔白幻〕のことなどを色々と教えてもらった。
榊が霜沢の元で働くようになってから五ヶ月ばかりが経ったある日、時刻になっても榊は職場に現れなかった。
最初は、
「遅刻か?」
「珍しいですね」
「まだ寝かしといてやるか、初遅刻で何分遅れるのやら」
などとと緊張感もなく顔を見合わせていた霜沢と北野であったが、流石に一時間たって連絡も無いとなると、体調不良で寝込んでいるのかと心配になる。
従業員用の端末で榊を呼び出す。が、出ない。数回これを繰り返して、やはり何かあったのかと霜沢は榊の部屋へ向かう。
インターホンを押しても、ドアをノックして名を呼んでも中から反応はない。
だが、人の気配はあるような?
嫌な予感がする。
霜沢は寮の管理人に連絡し、マスターキーで開けてもらう。
室内に溢れかえるαのマーキング臭、このフェロモンは──
「左凪!なにやってんだ!!」
ベッドの上には左凪と、手足を拘束され自由を奪われた榊がいた。
左凪閨介はふたたび榊龍時を陵辱しにあらわれたのだ。
「ああ、霜沢だっけ?勝手に入ってこないでよ」
と事もなげに霜沢を一瞥した左凪は、平然として首を傾げた。
「お前なんでここに居る、収容されてるはずだろ!榊はβだぞ、Ωみたいなことしてんじゃねえ!」
ベッドに近付き、榊を解放しようとする霜沢に拳を振り回して威嚇した左凪は、
「触るな!俺のΩだ!番になるんだ!ここはみんな間違ってる、こんなとこから出て行って、新しい巣で龍時と暮らすんだ!」
俺たちは運命の番だ!と吠えた。
榊の口は開口器でままならないので反論することも叶わない。
霜沢と左凪が争っていると、すぐに数人の警備員がやってきた。部屋の外でことの次第を把握した管理人が、寒崎に連絡を入れていたのだ。
警備員に強制連行されていく左凪は何度も振り向き、龍時、龍時、と悲痛な声で名を呼んだ。
ようやく口枷を外された榊は、顎の痛みにうまくまわらない呂律で、
「死ねクソ野郎!ぶっ殺してやるからな!死ね!」
と怒号を浴びせた。
それからかつてのように医務室で手当を受け、念のため違う部屋へ移ることとなった。
翌日、上の白幻から出てこないはずの左凪がなぜこのエリアに居たのか、寒崎より説明があった。
左凪は上と下を行き来できる職員のIDカードと認証番号を盗み、何度か下のフロアへ潜入していたことが判明したのだそうだ。あのアクリル壁に嵌った機械のゲートは、Ωと問題のあるαの脱走防止のためのもので、安全なαやβの職員はIDカードと番号があれば出入りが容易い。
白幻から抜け出た左凪は寮に隠れ、榊の部屋の認証番号を盗み見て覚えた。そうして昨晩、榊が寝静まってから行為に及んだという。今回IDカードを盗まれた従業員は、ロープで縛られてボイラー室の掃除用具置き場に監禁されているところを救助された。
このたびのことは完全に施設運営側の落ち度であるとして、寒崎は榊に対して深く頭を下げて詫びた。謝罪されたところで第一、寒崎は悪くないのではないかと榊は思った。
この件で榊には慰謝料が支払われた。左凪からではない。強いていうなら白幻サイドからだ。慰謝料といっても裁判をしたわけではない。口封じでもない。ただ本当に、榊のためのお金なのだという。
前代未聞のこの事態にビル内のセキュリティは強化され、〔白幻〕の出入りには複数の生体認証システムが用いられるようになった。
榊はそれからもしばらく氷川グランネストの中に住み、霜沢や北野とともに働いた。
働きながら、外へ出て生きるための仕事と住処を探した。高額ともいえる慰謝料を手にしてはいたが、それだけで生涯生活していけるものではない。
だが未成年で身元保証人のいない榊を受け入れてくれる場所は、なかなか見つからなかった。霜沢や北野に保証人を頼むか、もしくは代行サービスの利用も考えたが、そもそも「親がいない」時点でもう難しい。身元不明のあやしい子供を雇ってくれる会社など無いに等しい。
だがこの問題も程なく解決する。
榊龍時の身元保証人を引き受けてくれる人物が現れたのである。
氷川三千緒──〔氷川グランネスト〕の創設者であり、御磨花市を中心とした県内外の経済に大きな影響力を持つ氷川グループ総帥の三男坊であった。
氷川が保証人になってくれたおかげでアパートを借り、働く場所もできた。
花園地区にである。
育った町、花園で再出発することを霜沢と北野に打ち明け、今までの礼を述べた。送別会にはビルの中で出会った他の従業員も来てくれたので、柄にもなく榊は泣いたのだった。
こうして榊は「空白期間」を経て花園高校の定時制に入学した。
花高で麗子と出会い、他校と喧嘩し、勉学に励み、他の地区の不良達と連合を組んで半グレ組織を撃退したりした。
そこからはほぼ、良太の知っている花園高校の榊龍時だ。
「……というわけで、それなりに薄汚れちまってるが、私はやられる側は怖いし、嫌だし、ぶっ殺したくもなるわけ。私はβだ。Ωじゃないからαのやり方は受け入れられない。今はまだ保留にしとくけど、その辺を考えておいてくれ」
榊はそう言ってベッドから降りる。
ずっと正座していた良太の足は痺れて固まっていた。
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